郷土料理
平日は国家公務員、休日は食材マニアとしてマルチに活動する、公務員フードアナリストの松本純子さん(通称 松純)とお届けする「地域✕郷土料理」をテーマにした連載シリーズ。
今回お話をお伺いしたのは、福井の郷土料理「へしこ」の味を守り継いできた「女将の会」を継承するべく動きはじめた加藤啓子さんです。
福井県美浜町の「へしこ」づくりにおいて、中心的役割を担ってきた「女将の会」が、メンバーの高齢化を理由に今シーズン限りで解散することが決まりました。惜しむ声の多い中、「女将の会」代表である加藤さんの娘、啓子さんが継承に向けて動きはじめました。
美浜町の食文化をつなぐ啓子さんの「想い」や、その「原点となる体験」、また地域の食文化の「未来に対する想い」とはーー。
――啓子さんとの出会いは、本連載がきっかけでお声がけいただいた福井県「海の街サミット2022 in 三方五湖」に登壇した際のことでした。「食に熱い」共通点からすぐに意気投合し、SNSでも積極的に発信されている姿を見て、改めてお話を伺いたいと思っていたんです。
まずはじめに、美浜町の食の特徴を教えてください。
加藤:美浜町は、山あり、川あり、海あり、湖ありと、すべての自然がそろっています。そのため、鹿やイノシシなどのジビエ、鮎釣り、シジミ漁など、食の彩りも豊か。12月に水揚げされる寒ブリも有名で、重さ8キロ以上のものを厳選して仕立てられる「ひるが響」は、ブランド化された日向の名産品です。
――私が福井県を訪れた際、目覚めてすぐ、窓の向こうに広がる海の綺麗さに感動しました。美浜町は、自然と食の宝庫なのですね。
加藤:そうですね。美しい景色も食の豊かさも、「当たり前にそこにあるもの」だと思っていました。でもこの年になって、本来かけがえのないものなのだと感じています。
――豊かな食文化の中でも、欠かせない存在である美浜町の「へしこ」について、教えてください。
加藤:「へしこ」は、昔から代々伝わる美浜町の食文化で、主にサバなどをぬか漬けにしてつくられます。私の故郷である美浜町日向は、かつて漁村でした。栄養価の高いタンパク源であった「へしこ」は、厳しい冬を越えるための村の保存食として、重宝されてきたそうです。
――おいしさの秘訣は?
加藤:サバを塩漬けしていく過程で「醤(ひしお)」という旨み成分たっぷりの液が上がってきます。この醤を煮詰めて濾すと、きれいな透き通った飴色の魚醤(ぎょしょう)になるんです。それを秘伝のタレに入れるのが、おいしさの秘訣。
あと、日向の隣の早瀬地区にある「三宅彦右衛門酒造」さんの日本酒、「早瀬浦(はやせうら)」の酒粕も、秘伝のタレに混ぜ合わせて入れています。トロっとしていて、本当においしい酒粕なんですよ。ぬかも、地元産のコシヒカリのものを使用しています。
材料だけではなく、熟成させる環境も大切です。漬け込んだへしこは、船小屋で熟成させるんですが、船小屋は、昔ながらの板張りで、隙間から海風がほどよく抜ける構造。船小屋の天井はへしこの酵母菌がたくさんついて白くなっています。これらの条件が揃った場所で漬けるからこそ、美味しいへしこになるのです。
――米どころでもあり、海の幸、山の幸にも恵まれ、それらが「へしこ」という一つのものに凝縮されている。本当に素晴らしい郷土料理だと思います。
加藤:「女将の会」は、へしこの味の伝承と、地域の活性化を目的として、日向で民宿を営む女将4人で結成されました。美浜町のへしこが有名になったのは、行政やへしこ作りに携わっている方々、また母ちゃんたち女将の会のメンバーが各地で宣伝活動を行ったり、へしこの味を食べやすく改良し、へしこレシピの発案等、美浜町挙げて様々な取組み、活動を続けてきたからです。
――解散の報せを受けて、啓子さんご自身はどんなお気持ちだったのでしょうか。
加藤:メンバーの高齢化が解散の理由だったのですが、立ち上げからここまで一生懸命やってきたのを間近で見ていたので、「ここで終わるのはあまりにもったいない」と感じました。私自身もへしこのファンなので、「この味を無くすのは惜しいなぁ」と。
――お母さんたちが守ってきた味や想いを受け継ごうと決めたのですね。
加藤:そうなんです。あとは、色々な物事のタイミングが合致したのも大きくて。実は私、1年前に、青信号の横断歩道を渡っていて車にはねられたんです。生死に関わる大事故だったのですが、見ての通り元気に回復しました。
これまでも、趣味の登山では雪山から滑落するなど、事故や怪我が多々あったのですがなぜか不思議と助かり復活、元気に生活できているんですよね。今回「女将の会」が解散すると聞いた時、 “私はへしこの味を受け継ぐために生かされたのかな?” と思うようになりました。
――継承を決意するまでに、そんな経緯があったのですね。
加藤:私の母ちゃんが日向に嫁いだあと、母ちゃん33歳、父ちゃん43歳の年に、父ちゃんが癌で他界していて。母ちゃんは、じいちゃんと民宿「日の出屋」を切り盛りしながら、ばあちゃんから教わったへしこを漬け、私たちを何不自由なく育ててくれたんです。
母ちゃんのへしこの味を教わり、またご先祖様たちが頑張って営んだ民宿「日の出屋」の名を復活させるなら、今このタイミングだ。そんな気持ちで、継承を決意しました。
――引き継ぐにあたり、苦労したことはありますか。
加藤:へしこは、ぬかに漬け込む前に、大量に生のサバを捌きます。背割りをして、エラと内臓を一気に引き出し、血合いを取って洗い、塩漬けをする。この一連の作業を「サバ割り」と言うのですが、これが慣れるまでは大変でしたね。量が多いのではじめは抵抗がありました。
――大体、一度にどのくらい捌くのですか。
加藤:直近では、休日に2回ほど、母ちゃんと二人で一度に約300本ほど割っています。今年度は4,000本を目標に漬けようと考えてます。
――300本?!
加藤:現在、作業効率を上げるために、へしこ酵房となる「へしこ小屋」のリフォームを考えているんですが、リフォームが始まると作業が中断されるため、へしこを切らさず皆さんにお届けする為にも、ある程度漬けておきたいと思って。
――啓子さんが漬けた新しいへしこを、ぜひ食べてみたいです。
加藤:秘伝のタレの味を継承するにあたり、調味料の配分を量りながら確認したので、味は間違いありません。母ちゃんたちは、長年の経験を元に、めっそ(美浜町地域の言葉で、 “目分量” のこと)でつくるんです。それで同じ味を出せるのだから、すごいと思うのですが、私には到底真似できないので、業務用の大きな計量カップを買い、分量をすべて量りました。
――「量る」って大事ですよね。その数字がまた、次の世代に受け継ぐ際に使われるので。ほかにも、へしこ作りの作業工程について教わったことはありますか。
加藤:へしこは11ヶ月間、およそ1年近く樽の中で熟成させます。熟成の過程で重石が傾いたりもするので、その場合には元の位置に戻す必要があり、熟成と共にタレが樽から溢れて流れ落ちれば都度掃除をするんです。このように常に見回りをして、へしこの熟成に適した環境を作り上げることが、おいしさの秘訣だと教わりました。
――お母さんの味を受け継ぎながらも、ご自身のカラーとして大事にしていきたい部分はありますか。
加藤:若い世代の人にも「へしこ」の魅力を届けたい、という想いがあります。そのために、食べやすく、持ち運びやすいレシピ開発にも取り組んでいます。たとえば、へしこの天むすのおにぎり、へしこフレークなどですね。へしこはクリームチーズなど発酵食品との相性が良いので、お酒のアテとなるお洒落なレシピも、今後発信していきたいです。
――私も、持ち帰ったへしこを食べたのですが、周りについている「ぬか」も侮れないですよね。調味料にも使えるし、それだけでパスタが作れるくらいの旨味爆弾だなぁ、と。
加藤:ぬかは、サバの旨味成分といわれるアミノ酸やアミノペプチドを十分に吸い取っています。ぬかそのものがビタミン豊富なので、栄養の塊みたいなものです。私のおすすめは、これを煎って水分を飛ばして作る「へしこのぬかふりかけ」。
――おいしそう!
加藤:ほかにも、野菜によく合うディップ味噌のレシピもあります。へしこのぬかに、味噌・みりん・お砂糖などを練り込んで火にかける。これだけで、旨味たっぷりのディップができるんですよ。そこにマヨネーズを加えると、また一味違ったマイルドなディップにもなりますし。
――今後は、へしこの魅力を伝えていくための広報活動もされる予定でしょうか。
加藤:やっていきたいですね。来春は敦賀新幹線開業となり、美浜町にも道の駅ができます。三方五湖周遊に、ソーラー船ボートや若狭湾サイクリングルートも合わせて整備されていて。そのサイクリングルートは、私たちの「へしこ酵房 日の出屋」の前を通過するコースになっているんです。
私自身もよくスポーツをするのですが、へしこには塩分があり体を動かし汗をかいた時のミネラル補給に最適なんですよね。なので、へしこおにぎりをリュックの中に入れて、美味しい力飯を手軽に食べてもらうこともできます。へしこを通して、地域活性にもつながる取り組みができたらと。
――生かされたお話といい、新幹線開業のタイミングといい、すべてがつながっているように感じて、鳥肌が立ちました。
加藤:本当に。私が生かされたタイミング、母ちゃんたちが辞めるタイミング、そのタイミングすべてが私の中で合致したんですよね。
小さい頃から生活に溶け込んでいた「へしこ」を守りたい。ばあちゃんから母ちゃんへと受け継がれた味を、ここで途切れさせたらあかん。そう思いました。
――郷土料理を食べると、その背景にある人々の精神性までも垣間見えてくるのですが、啓子さんの魅力的な人間性が、へしこにしっかり注入されている気がしました。最後に、啓子さんにとって「郷土料理」とは何でしょうか。
加藤:郷土料理は、 “母ちゃんの顔を思い出すもの” です。へしこを食べると、母ちゃんの顔が浮かびます。
――へしこのパッケージにも、「母ちゃんからの贈りもの」という言葉がありますよね。
加藤:そうなんです!「母ちゃんからの贈りもの」には、今まで母ちゃんのへしこを愛してくれたお客様に「また引き続きこの味を贈るね!」という気持ちと、「この味を娘にバトンタッチして贈るね!」という気持ち、2つの贈り物の意味合いで付けました。
80歳になった母ちゃんが元気なうちに、日の出屋の名を継いで「日の出屋特製へしこ」の製造、販売をスタートできたことが、何より嬉しいく思います。これまで、たくさん心配をかけてきたので、最後の親孝行です。
ゆくゆくは私たち兄弟皆んなで、母ちゃんの味を思い出す郷土料理「へしこ」の発信をしていけたらと思っています。
最後に、取材の中で加藤さんに教えていただいた “へしこ茶漬け”をつくってみました。
今までの人生で一番おいしい茶漬けでした!啓子さんに教わった「軽く炙る」やり方で作ってみたのですが、凝縮した鯖の旨味に香ばしさがプラスされて感動。我を忘れて一気に食べてしまいました。へしこの概念が変わりました。松本 純子 公務員フードアナリスト
Editor's Note
数年前、知人からいただいたのを機に、はじめて「へしこ」を食べました。独特の風味は癖になる味で、取材で伺った「日本酒に合う」というお話も頷けます。美浜町の「へしこ」をつまみ、早瀬浦をきゅっと飲む。そんな幸せな妄想が膨らむ、幸福な取材時間でした。
伝統の味を受け継ぎ、守り育んできた人たちがいる。脈々と続くその連鎖を、「途切れさせたらあかん」と腰を上げた啓子さんの想いに触れて、胸が熱くなりました。
MINORI YACHIYO
八千代 みのり