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LOCAL LETTER

「成長」から「熟成」へ。16年を走りぬけた先で見つけた、理想の場所づくり

AUG. 05

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拝啓、走り続けてきた「成長」の次のフェーズを、模索し始めているアナタへ   

売上を伸ばす。規模を広げる。数字を積み上げる。そうやって「もっと上へ」と走り続けてきた人ほど、ふとした瞬間に立ち止まるのではないでしょうか。「この先も、ずっとこの速度で走り続けるのだろうか」と。

岐阜県高山市。世界中から観光客が集まるこの街から、車でわずか7km、11分ほど国道158号を進むと、空気がふっと静かになります。たどり着くのは高山市丹生川町(にゅうかわちょう)。かつての丹生川村に本社を置く株式会社寺田農園。トマトなどの地域に根ざした農産物の生産と、加工・販売を一貫して手がける「6次産業化」に挑戦している企業です。地域に寄り添うアンテナショップ「飛騨寺田屋」も運営しています。

飛騨寺田屋を営むのは、株式会社寺田農園の代表の寺田真由美さん。16年を駆け抜けてきた経営者です。寺田さんが今年、SNSに綴った言葉があります。

「これからは、『成長』から『熟成』へ」

走り続けた人がたどり着いた言葉です。同じように「この先」を模索するアナタへのヒントを探しに、その想いを訪ねました。

寺田真由美氏 株式会社寺田農園 代表取締役 / 1975年生まれ。21歳で農家に嫁ぎ就農。2010年に夫と農業を法人化し二人代表になる。同時に6次化に着手し農産物のジュースの加工施設も立ち上げる。現在は150件以上の加工の顧客の6次化を担いながら自社ブランドも確立。2024年には栗生産事業も立ち上げ2025年にはペースト加工も始める。同年12月には地域のつながり、農家のつながりを重視したアンテナショップをオープンし「魅せる農家」をテーマに次世代につながる農業のカタチを創る活動を今後も展開していく予定。

始まりは、大反対からのスタートだった。「かっこいい農業」への挑戦


寺田さんは、農家の生まれではありません。いわゆる「結婚就農」で農業の世界に入りました。しかし、その一歩目は周囲からの強い反対と、農業が抱えるネガティブなイメージからのスタートだったといいます。

「それはもう、周りから大反対されたんです。やっぱり、『そんな若いうちから苦労しなくていい』『農業は大変だ』って。そういうネガティブなイメージが、どうしても定着していたんですよね。私自身も『早くに農業を始めたら、すぐに老けてしまうんじゃないか』という心配がどこかにありました(笑)」  

世間のネガティブなイメージに対して、寺田さんは不安を覚えつつも、それを自分の生き方で変えていこうと考えました。

「だったら、実際にやってみて、そうはならないと証明したい!って。それが、私の最初の『かっこいい農業』の動機だったんです。正直に言うと、見た目の格好、ファッションから入った部分も大きかったんですけどね(笑)」

ネガティブなイメージを、自分の姿で塗り替えていく。それが、最初の挑戦でした。

姿から、中身へ。「かっこいい農業」から「魅せる農業」への変化

「『かっこいい』かどうかを決めるのは、結局、周りの人たちなんですよね。でも、根っこにある想いは、ずっと変わっていません。次の世代の人たちが、『自分も農業をやってみたい』と思えるような、切り口や選択肢を、できるだけ広く、多様に作っていきたい。それだけは、ずっと変わらないんです」

見た目から入った「かっこいい農業」は、やがて、地に足のついた「魅せる農業」へと熟していきました。

「『作ることの楽しさ』や『食べる美味しさ』を、しっかり伝えていきたいんです。子どもの味覚は幼少期に形づくられると言われているからこそ、そうした食の原点を体験できるような、思い出深い場を作りたい。ただ言葉で伝えるだけでなく、私たちの農業の現場そのものを『見せる』ことで、子どもたちの記憶に定着させたいんです」

寺田農園の主力商品であるトマトジュース「庄兵衛さんちシリーズ」。左から、とまじゅう大玉(うんまぃ)、とまじゅう中玉(ごっつお)、とまじゅうミニ(うたてぇ)。庄兵衛(しょうべえ)という名称は、寺田家の屋号に由来している。

「魅せる農業」の、もうひとつの柱は「人」。

「うちは、スタッフ一人ひとりの人間性を、そのまま見せたいんです加工から畑まで色々な仕事があるなかで、それぞれ自分に合う働き方のスタイルがあると思うんです。だから、あえて型にはめず、個性を生かせる会社の形にしています。正直、まとまりがなくて大変なんですよ(笑)。でも、それこそが、うちの良さだと思っているので、あえて統一しない。それぞれが、自分らしく輝けるように。」

店内の一角には、工場長のひろさんの感性がにじむ、ストリートカルチャーの香りがする空間も。それも、寺田農園の「らしさ」です。

「作ることの楽しさ」や「食べる美味しさ」、そしてスタッフが自分らしく働く姿を、まずは地域や子どもたちに「見せて」いくことで、次の世代が『自分もやってみたい』と憧れるような「魅せる農業」につながっていくのかもしれません。

ピンチをチャンスに変えた「6次産業化」の足跡

嫁いできた当初、寺田農園は生産中心の農家でした。生産・加工・販売を一貫して手がける「6次産業化」へ舵を切った背景には、農業界全体の大きな課題がありました。

「当時、まだ夫婦二人の暮らしでフットワークも軽く、その間、身軽に農業に没頭できたんです。そのなかで、『後継者不足』という課題に直面して。『農業をやりたい』と思った人が、血縁や家族経営の枠に縛られずに、ちゃんと働いて上がっていける。そういう環境を作らなきゃと思ったんです」

そうして寺田さんは、法人化に踏み切ります。株式会社寺田農園の誕生でした。

「規模を大きくして儲けたい、というよりは、『継続できる組織を作りたい』が目的でした」

加工事業を始めたきっかけは、自社の主力作物であるトマトでした。

「夏の収穫ピークはものすごく高いのに、気温が下がると一気に収量が落ちる。たくさん採れる時期は、市場価格も下がってしまう。自分で値段を決められない農業のなかで、どこを切っても美味しい完熟トマトを、ロスにせずに活かしたくて、ジュースなどの加工に踏み切りました」

ところが、ここで思わぬ壁にぶつかります。

「正直、経営者の感覚がまったくないまま、加工所を建ててしまって(笑)。蓋を開けたら、トマトがあるのは7月から10月まで。実質(ピークの)3か月しか稼働しない、っていう危ない状態に陥ったんです」

「一年を通して稼働させるには、どうしたらいいか」。その問いから、地元のリンゴなど、ほかの農家さんの加工も引き受けるように。稼働ロスを埋める工夫は、いつしか地域の農家を支える「プラットフォーム」へと育ちました。

「おかげさまで、今は一年を通してフル稼働。むしろ120%くらいの効率で回っている状態です」

加工の力は、新たなブランドも生み出しました。飛騨産のフルーツや蜂蜜を使ったジュースのシリーズ『飛騨のたからもの』は、令和7年度の高山市推奨土産品にも選ばれました。今は栗やかぼちゃのペースト加工にも着手し、お菓子への展開も見据えています。そして『飛騨寺田屋』は、そんな商品開発の「ハブ」です。

「地域からなくしたくないものを残しながら、新しくて、ほかにはないものも選べる。そんな『農家のコンビニ』みたいな場所にしたくて」

直感のビジョンを、最高の仲間と「数字」に変える

「私、イメージと直感しかないんですよ(笑)。数字から論理を追えないので、後から『どうやって数字をついてこさせるか』っていう、後付けの考え方ばかりで。『何を言っているか分からない』って言われて、モヤモヤすることもありました」

それでも、その直感はことごとく正しかったといいます。

「実際にやってみてから、『あ、間違ってなかったな』って分かるんです。それが自信になって、次の作戦につながっていく」

その直感を、現実の確かな業績や事業計画という「数字」に変えてくれたのが、仲間の存在でした。

「数字をつけないと、社員がすごく困るんですよね。でも、うちには数字に強い社員がいて、カバーしてくれていて。本当に、ありがたいことです」

寺田さんには、ずっと自分に言い聞かせてきたことがあります。

「利益や生産性を高める方が、結果が出るのは早い。でも、田舎であればあるほど、地域に根ざした部分も残していきたい。社員から『経営はどっちに軸足を置くんですか?』って聞かれて、すごく悩みました。でも、たどり着いた答えは、この地域で暮らして、農業をしながら生きていきたい。どちらかと言われたら、私は『地域』を選びます

両輪がかみ合うと、寺田農園の業績は、長く横ばいだった状態から大きく伸びました。背景にあるのは「飛騨のトマト」の強さ。昨年は、全国的な不作のなかでも安定出荷を続け、加工品とともに存在感を高めています。ふるさと納税の運営を手がけるヒダカラの田中さんは、こう証言します。

「寺田農園さんの加工場は、地域のトマト農家さんにとって、なくてはならない存在なんです。飛騨のトマトジュースは、ラベルの裏を見ると、ほとんど『製造者:寺田農園』。観光客の方も、知らず知らずのうちに口にしているんじゃないかな」

寺田さんの営業スタイルも、独特です。

「アンテナを張っておいて、出会った人と話すなかで、『この人となら一緒にやりたい』『この人になら預けられる』ってお互いに思えたら、お取引が始まる。新規開拓というよりは、共感から始まるんです」

数字だけを追う営業とは少し違う、「共感」を起点にしたかたちです。

規模の「成長」から、関係性の「熟成」へ。

冒頭の、「成長から熟成へ」という言葉。その真意を、寺田さんはこう語ります。

「これから10年のあいだに、自分の夢である農家レストランの完成まで、駆け登りたいんです。それと同時に、若いスタッフを育てて、彼らが『この先も農業を続けたい』って思える基盤を、しっかり整えておきたい。それが、私にとっての『熟成期間』なんですよね」

農家レストランの構想も、動き出しています。店から車で10分ほど上がった、見晴らしのいい高台の農場が舞台です。

「60歳を過ぎたら、緩やかに、肩の力を抜いて、丁寧な暮らしを送りたいなって。だから、体力があるうちに頑張っておきたいんです(笑)」

「熟成」とは、規模を縮めることではない、と寺田さんは言います。

「ジャンルや地域を広げていく部分もあるので、一概に縮小するわけじゃないんです。ただ、そのなかで何が深まっていくかというと、やっぱり、人とのつながりなんですよね。それが深まることこそが、私にとっての『熟成』なのかなって」

だからこの「飛騨寺田屋」を、こんな場所にしたいと考えています。

「観光客の方もウェルカムだし、地元の人たちにも愛される。みんなでワイワイ集まれる、『遊び場』みたいな空間を、農業を通じて作りたい。それが、私の理想とする、熟成の完結の場所づくりなんです」

成長の先にある、熟成。それは立ち止まることではなく、つながりを深めながら、もう一段、味わいを増していく生き方でした。 

次世代を生きるビジネスパーソンへ

誰も通っていない道を模索してきた寺田さんは、何を信じればいいのか、迷い続けたといいます。

「結局のところ、『自分の信念を信じる』しかないんだと思います。そして、自分にも周りにも、常に『素直』でいること無理やり強引に進めてもダメだし、逆に気を使いすぎて自分を押し殺すのも、本当の経営じゃない。自分の信念を、しっかり持ち続けることが、一番大切だと思います」

信念が折れそうになったとき、支えになったのは意外なものでした。

「『自分が弱気なときほど、周りのメンバーが強くなる』という、不思議な感覚があって。だから経営者は、『自分がいないとダメだ』って気負わなくていいのかもしれない。むしろ、ちょっと頼りないくらいの方が、周りが支えてくれて、いい関係が作れるんです」

強がらず、弱さを隠さない。その姿勢が、今の寺田農園を作ってきました。

「自分の弱みを隠さずに見せてきたから、周りのスタッフが助けてくれた。だから今の、みんなの寺田農園があるんです」

次の世代と向き合う姿勢も、しなやかです。

「『自分が若い頃はどうだったっけ?』って、忘れちゃってるなって気づくんです。だからこそ、もっと寛容にならなきゃって。『今の若い子は』なんて言うけど、いや、自分だって勢いと怖いもの知らずでやってたなって(笑)」

インタビューの最後、「あなたを一番ワクワクさせるものは?」と尋ねると、寺田さんは迷わず答えました。

人との出会いです

成長から、熟成へ。その言葉の奥にあったのは、走り続けた先で見つけた、人とのつながりという、いちばん豊かな実り。

走り続けてきたアナタへ。次のフェーズは、「もっと上へ」ではなく、「もっと深く」なのかもしれません。

本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。

Editor's Note

編集後記

寺田真由美さんを取り上げた記事はネット上に多くあるため、過去の記事には書かれていない「今」を中心に取材しました。いつか丁寧な暮らしをしたいとのことでしたが、まだまだ忙しい日々が続きそうです(笑)。

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