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岐阜
売上を伸ばす。規模を広げる。数字を積み上げる。そうやって「もっと上へ」と走り続けてきた人ほど、ふとした瞬間に立ち止まるのではないでしょうか。「この先も、ずっとこの速度で走り続けるのだろうか」と。
岐阜県高山市。世界中から観光客が集まるこの街から、車でわずか7km、11分ほど国道158号を進むと、空気がふっと静かになります。たどり着くのは高山市丹生川町(にゅうかわちょう)。かつての丹生川村に本社を置く株式会社寺田農園。トマトなどの地域に根ざした農産物の生産と、加工・販売を一貫して手がける「6次産業化」に挑戦している企業です。地域に寄り添うアンテナショップ「飛騨寺田屋」も運営しています。
飛騨寺田屋を営むのは、株式会社寺田農園の代表の寺田真由美さん。16年を駆け抜けてきた経営者です。寺田さんが今年、SNSに綴った言葉があります。
「これからは、『成長』から『熟成』へ」
走り続けた人がたどり着いた言葉です。同じように「この先」を模索するアナタへのヒントを探しに、その想いを訪ねました。

寺田さんは、農家の生まれではありません。いわゆる「結婚就農」で農業の世界に入りました。しかし、その一歩目は周囲からの強い反対と、農業が抱えるネガティブなイメージからのスタートだったといいます。
「それはもう、周りから大反対されたんです。やっぱり、『そんな若いうちから苦労しなくていい』『農業は大変だ』って。そういうネガティブなイメージが、どうしても定着していたんですよね。私自身も『早くに農業を始めたら、すぐに老けてしまうんじゃないか』という心配がどこかにありました(笑)」
世間のネガティブなイメージに対して、寺田さんは不安を覚えつつも、それを自分の生き方で変えていこうと考えました。
「だったら、実際にやってみて、そうはならないと証明したい!って。それが、私の最初の『かっこいい農業』の動機だったんです。正直に言うと、見た目の格好、ファッションから入った部分も大きかったんですけどね(笑)」
ネガティブなイメージを、自分の姿で塗り替えていく。それが、最初の挑戦でした。
「『かっこいい』かどうかを決めるのは、結局、周りの人たちなんですよね。でも、根っこにある想いは、ずっと変わっていません。次の世代の人たちが、『自分も農業をやってみたい』と思えるような、切り口や選択肢を、できるだけ広く、多様に作っていきたい。それだけは、ずっと変わらないんです」
見た目から入った「かっこいい農業」は、やがて、地に足のついた「魅せる農業」へと熟していきました。
「『作ることの楽しさ』や『食べる美味しさ』を、しっかり伝えていきたいんです。子どもの味覚は幼少期に形づくられると言われているからこそ、そうした食の原点を体験できるような、思い出深い場を作りたい。ただ言葉で伝えるだけでなく、私たちの農業の現場そのものを『見せる』ことで、子どもたちの記憶に定着させたいんです」

「魅せる農業」の、もうひとつの柱は「人」。
「うちは、スタッフ一人ひとりの人間性を、そのまま見せたいんです。加工から畑まで色々な仕事があるなかで、それぞれ自分に合う働き方のスタイルがあると思うんです。だから、あえて型にはめず、個性を生かせる会社の形にしています。正直、まとまりがなくて大変なんですよ(笑)。でも、それこそが、うちの良さだと思っているので、あえて統一しない。それぞれが、自分らしく輝けるように。」
店内の一角には、工場長のひろさんの感性がにじむ、ストリートカルチャーの香りがする空間も。それも、寺田農園の「らしさ」です。
「作ることの楽しさ」や「食べる美味しさ」、そしてスタッフが自分らしく働く姿を、まずは地域や子どもたちに「見せて」いくことで、次の世代が『自分もやってみたい』と憧れるような「魅せる農業」につながっていくのかもしれません。

嫁いできた当初、寺田農園は生産中心の農家でした。生産・加工・販売を一貫して手がける「6次産業化」へ舵を切った背景には、農業界全体の大きな課題がありました。
「当時、まだ夫婦二人の暮らしでフットワークも軽く、その間、身軽に農業に没頭できたんです。そのなかで、『後継者不足』という課題に直面して。『農業をやりたい』と思った人が、血縁や家族経営の枠に縛られずに、ちゃんと働いて上がっていける。そういう環境を作らなきゃと思ったんです」
そうして寺田さんは、法人化に踏み切ります。株式会社寺田農園の誕生でした。
「規模を大きくして儲けたい、というよりは、『継続できる組織を作りたい』が目的でした」
加工事業を始めたきっかけは、自社の主力作物であるトマトでした。
「夏の収穫ピークはものすごく高いのに、気温が下がると一気に収量が落ちる。たくさん採れる時期は、市場価格も下がってしまう。自分で値段を決められない農業のなかで、どこを切っても美味しい完熟トマトを、ロスにせずに活かしたくて、ジュースなどの加工に踏み切りました」

ところが、ここで思わぬ壁にぶつかります。
「正直、経営者の感覚がまったくないまま、加工所を建ててしまって(笑)。蓋を開けたら、トマトがあるのは7月から10月まで。実質(ピークの)3か月しか稼働しない、っていう危ない状態に陥ったんです」
「一年を通して稼働させるには、どうしたらいいか」。その問いから、地元のリンゴなど、ほかの農家さんの加工も引き受けるように。稼働ロスを埋める工夫は、いつしか地域の農家を支える「プラットフォーム」へと育ちました。
「おかげさまで、今は一年を通してフル稼働。むしろ120%くらいの効率で回っている状態です」
加工の力は、新たなブランドも生み出しました。飛騨産のフルーツや蜂蜜を使ったジュースのシリーズ『飛騨のたからもの』は、令和7年度の高山市推奨土産品にも選ばれました。今は栗やかぼちゃのペースト加工にも着手し、お菓子への展開も見据えています。そして『飛騨寺田屋』は、そんな商品開発の「ハブ」です。
「地域からなくしたくないものを残しながら、新しくて、ほかにはないものも選べる。そんな『農家のコンビニ』みたいな場所にしたくて」
「私、イメージと直感しかないんですよ(笑)。数字から論理を追えないので、後から『どうやって数字をついてこさせるか』っていう、後付けの考え方ばかりで。『何を言っているか分からない』って言われて、モヤモヤすることもありました」
それでも、その直感はことごとく正しかったといいます。
「実際にやってみてから、『あ、間違ってなかったな』って分かるんです。それが自信になって、次の作戦につながっていく」
その直感を、現実の確かな業績や事業計画という「数字」に変えてくれたのが、仲間の存在でした。
「数字をつけないと、社員がすごく困るんですよね。でも、うちには数字に強い社員がいて、カバーしてくれていて。本当に、ありがたいことです」
寺田さんには、ずっと自分に言い聞かせてきたことがあります。
「利益や生産性を高める方が、結果が出るのは早い。でも、田舎であればあるほど、地域に根ざした部分も残していきたい。社員から『経営はどっちに軸足を置くんですか?』って聞かれて、すごく悩みました。でも、たどり着いた答えは、この地域で暮らして、農業をしながら生きていきたい。どちらかと言われたら、私は『地域』を選びます」
両輪がかみ合うと、寺田農園の業績は、長く横ばいだった状態から大きく伸びました。背景にあるのは「飛騨のトマト」の強さ。昨年は、全国的な不作のなかでも安定出荷を続け、加工品とともに存在感を高めています。ふるさと納税の運営を手がけるヒダカラの田中さんは、こう証言します。
「寺田農園さんの加工場は、地域のトマト農家さんにとって、なくてはならない存在なんです。飛騨のトマトジュースは、ラベルの裏を見ると、ほとんど『製造者:寺田農園』。観光客の方も、知らず知らずのうちに口にしているんじゃないかな」

寺田さんの営業スタイルも、独特です。
「アンテナを張っておいて、出会った人と話すなかで、『この人となら一緒にやりたい』『この人になら預けられる』ってお互いに思えたら、お取引が始まる。新規開拓というよりは、共感から始まるんです」
数字だけを追う営業とは少し違う、「共感」を起点にしたかたちです。
冒頭の、「成長から熟成へ」という言葉。その真意を、寺田さんはこう語ります。
「これから10年のあいだに、自分の夢である農家レストランの完成まで、駆け登りたいんです。それと同時に、若いスタッフを育てて、彼らが『この先も農業を続けたい』って思える基盤を、しっかり整えておきたい。それが、私にとっての『熟成期間』なんですよね」
農家レストランの構想も、動き出しています。店から車で10分ほど上がった、見晴らしのいい高台の農場が舞台です。
「60歳を過ぎたら、緩やかに、肩の力を抜いて、丁寧な暮らしを送りたいなって。だから、体力があるうちに頑張っておきたいんです(笑)」
「熟成」とは、規模を縮めることではない、と寺田さんは言います。
「ジャンルや地域を広げていく部分もあるので、一概に縮小するわけじゃないんです。ただ、そのなかで何が深まっていくかというと、やっぱり、『人とのつながり』なんですよね。それが深まることこそが、私にとっての『熟成』なのかなって」
だからこの「飛騨寺田屋」を、こんな場所にしたいと考えています。

「観光客の方もウェルカムだし、地元の人たちにも愛される。みんなでワイワイ集まれる、『遊び場』みたいな空間を、農業を通じて作りたい。それが、私の理想とする、熟成の完結の場所づくりなんです」
成長の先にある、熟成。それは立ち止まることではなく、つながりを深めながら、もう一段、味わいを増していく生き方でした。
誰も通っていない道を模索してきた寺田さんは、何を信じればいいのか、迷い続けたといいます。
「結局のところ、『自分の信念を信じる』しかないんだと思います。そして、自分にも周りにも、常に『素直』でいること。無理やり強引に進めてもダメだし、逆に気を使いすぎて自分を押し殺すのも、本当の経営じゃない。自分の信念を、しっかり持ち続けることが、一番大切だと思います」
信念が折れそうになったとき、支えになったのは意外なものでした。
「『自分が弱気なときほど、周りのメンバーが強くなる』という、不思議な感覚があって。だから経営者は、『自分がいないとダメだ』って気負わなくていいのかもしれない。むしろ、ちょっと頼りないくらいの方が、周りが支えてくれて、いい関係が作れるんです」
強がらず、弱さを隠さない。その姿勢が、今の寺田農園を作ってきました。
「自分の弱みを隠さずに見せてきたから、周りのスタッフが助けてくれた。だから今の、みんなの寺田農園があるんです」
次の世代と向き合う姿勢も、しなやかです。
「『自分が若い頃はどうだったっけ?』って、忘れちゃってるなって気づくんです。だからこそ、もっと寛容にならなきゃって。『今の若い子は』なんて言うけど、いや、自分だって勢いと怖いもの知らずでやってたなって(笑)」

インタビューの最後、「あなたを一番ワクワクさせるものは?」と尋ねると、寺田さんは迷わず答えました。
「人との出会いです」
成長から、熟成へ。その言葉の奥にあったのは、走り続けた先で見つけた、「人とのつながり」という、いちばん豊かな実り。
走り続けてきたアナタへ。次のフェーズは、「もっと上へ」ではなく、「もっと深く」なのかもしれません。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
寺田真由美さんを取り上げた記事はネット上に多くあるため、過去の記事には書かれていない「今」を中心に取材しました。いつか丁寧な暮らしをしたいとのことでしたが、まだまだ忙しい日々が続きそうです(笑)。
YUKIO SASAKI
佐々木 ユキオ