SDGs
人口増加に重きを置いている訳ではないにも関わらず、町の取り組みに魅力を感じ、移住者が増えている町がある。北海道東川町だ。
彼らは、今から40年近く前・1985年に「写真の町宣言」を発表。「写真」を切り口にしたまちづくりに、近年大きな注目が集まっている。
しかし、そもそも東川町は「写真関係の産業があるのか」「有名な写真家がいるのか」と訊かれると、どちらでもない。
もともと東川町と写真の繋がりは、ないんです。だから周囲の理解を得ることが難しく、歴代の担当職員は泣きながら仕事をしていました。でもその努力が積み上がってきたからこそ、今の成果に繋がっていると思います。
そう話すのは、今回取材をした東川町副町長・市川直樹氏。
写真に縁もゆかりもなかった東川町がなぜ、今これほどまでに写真の町としてのまちづくりに成功したのだろうか。
東川町が考え、そして今後目指す「持続可能なまちづくり」について話を伺った。
「写真の町」宣言の始まりは、宣言発表の前年 1984年に遡る。当時、富山県などの農民が東川町に入植してから90年に当たり、100周年に向かう町づくりを検討していた。そこに観光協会から「写真の町」の企画が持ち込まれる。観光地の活性化だけではなく、町全体として取り組むと当時の町長が決断し、議会の承認を得て宣言を発表したのだ。
「東川町は大雪山国立公園の大自然に恵まれ、その景観が多くの写真の題材になっています。北海道は歴史の重みでは府県に勝てません。写真という若い文化に取り組むことで、若い町だからこそできることを見つけ、新しい何かを生み出すことに賭けました」(市川氏)
「宣言するまでも理解を得るために苦労しましたが、宣言した後の方がとんでもなく大変でした」と市川氏は笑う。
役場にとって「平等性」は一つの重要な観点であるが故に、町に関係者がいないことも踏まえて選んだ写真。ゼロから写真家や写真業界の人に認められるような「写真の町」としての活動をすると同時に、「写真なんて自分には全然関係ない。そんなことより他に予算を使うことがあるだろう」という住民に理解を得なければならない。
そのためには、他の地域の人から東川の町民に「すごいね」と言ってもらうことが一番の近道だと考えた当時の担当者は、事業を実施しながら外に情報を発信していく努力をしていった。
「例えば旭川に住んでいる人から『東川、こういうことやっているんだね、いいね』と言ってもらえれば、反対している町民の方であっても、純粋に嬉しいはずなんですよね。そうやって、長い年月をかけて町の人たちの気持ちを変えていった結果が、2014年の『写真文化都市宣言』にまで結びついています」(市川氏)
「写真の町」宣言を出すと同時に創設したのが、写真作家として活動している人を顕彰する東川賞。通常の写真コンテストとは異なり、写真集を出したり写真展を開催したりという、写真家としての活動を評価する点が特徴だ。
また毎年、写真の町に写真愛好家たちが集まるイベント『東川町国際写真フェスティバル』も開催。東川町の夏祭りと同時開催することで相乗効果を出してきた。
「写真家の方々が楽しみにしているのは、写真を見ることだけではありません。露店で色々なものを買って食べて、夜に花火を観てビールを飲んで、『これ最高だよ!』と言ってくれます」(市川氏)
1989年には写真文化発信における中心的な役割を担う施設として東川町文化ギャラリーを開設するなど、様々な施策を展開する中で、市川氏が「一番インパクトがあった」と言うのは「写真甲子園」。
野球の甲子園になぞらえて、写真好きの高校生の目標となる大会をつくろうと創設。全国から集う高校生チームが、同じ機材・同じ時間など、同じ制限の中で写真作品を仕上げる。
ただ単にイベントを開催するのではなく、参加する高校生と地元の接点づくりとして、1泊のホームステイを組み込むことで、個人の写真活動とは違う友情や感動、出会い、地域への愛着も生み出している。
「最終的に順位は付くけれど、それ以上の感動を高校生にどう与えるか。担当職員はそればかり考えています。担当職員は選手に随行して、最後には自分も泣く。閉会式を観ている学校の先生も泣く。大人が本気でやるからこそ、高校生も本気になるんです」(市川氏)
その感動から、東川町役場の職員になった人がいる。他府県に住んでいるのに、東川で婚姻届を出す人も。
繋がりを生み出しながら、来ていただいた方にいかに感動を与え、2回,3回と東川に来てもらうかを、職員はしっかり考えてやってくれています。市川 直樹 氏 東川町副町長
チャレンジに敗れて、東川町で開催する本戦には来られないこともあるけれど、高校生だけでなく、顧問の先生の目標にもなっている。過去の関係者らが色々な道に進んでいっても、ネットワークは生き残っているからこそ、彼らが東川町の取り組みやお米、水の旨さを地域外へ宣伝してくれる。「これこそが人との出会い、繋がりの重要性だと思う」と市川氏は力を込める。
もちろん、東川町の取り組みはイベントの企画実施をしていただけではない。担当の課だけではなく、福祉や税の分野をはじめ、あらゆる部署で “写真映りのよい” まちづくりを考え、実行してきた。
「写真の町」としてブランディングするために、封筒をはじめ、ロゴを入れられるものには全て入れている。東川町役場に電話をかければ、「はい、写真の町・東川町です」と名乗られる。こうすることで、様々な場面で相手の記憶に「写真の町・東川町」が刷り込まれる。
東川町にとっては、たった一枚の封筒・たった一回の電話応対であってもブランディング活動の一環なのだ。
「写真の町としての様々な施策は、東川町を情報発信してくツールとして捉えていますが、実際には外部から訪れる多くの人と交流をすることで、みんなで写真の町らしさとは何か、写真の町として何ができるのかを考えていく、町づくりのためのものなんです。
そうやって進めてきた町づくりの取り組みが、SDGsやカーボンニュートラルといった、今の時代に合った方向性として評価されつつあります。37年も前から時間をかけて少しずつ少しずつ積み上げてきているのが『写真の町』なんですよね」(市川氏)
“写真映りのよい” 町づくりのために、2002年には環境保全・景観形成・開発規制をセットにした『美しい東川の風景を守り育てる条例』を制定。「写真の町」にふさわしい景観を守るために、住宅の作り、団地の作りを含めて、東川らしい景観をどう守っていくのかをしっかりと条例で定めた。
「町の条例は、国で言ったら法律ですから、議会にかかるわけです。議会がいいと言わない限りは、それを変えることも止めることもできません。ですから、1986年に作った条例は多少文言を変えたり、項目を追加したりはしていますが、廃止されることなく存続しています。それが町づくりの方向性の1本柱になっています」(市川氏)
SDGsのゴール11 “だれもがずっと安全に暮らせて、災害にも強いまちをつくろう” の中に、下記の二つのターゲットが設定されている。
11-3 2030年までに、だれも取り残さない持続可能なまちづくりをすすめる。すべての国で、だれもが参加できる形で持続可能なまちづくりを計画し実行できるような能力を高める。
11-4 世界の文化遺産や自然遺産を保護し、保っていくための努力を強化する。
東川町の取り組みは、あたかもこれらのターゲットを見越していたかのようだ。40年近く前に東川町が「写真の町」を宣言した時、今の状況を予想していたのだろうか。市川氏は「とんでもない」と首を横に振る。
最初から見通してその通り来たなんてことはありえないです。時代を見ながら何ができるのかを常に考えて展開している、そういうことだと思います。市川 直樹 氏 東川町副町長
「東川らしい景観とは?」「東川らしい町づくりとは?」そう問い続けてきた結果、現在の東川町では、各自が「東川らしさ」の判断基準を持っているという。
「東川にとってそれがあるべきなのか、それがあることが東川らしいことなのかどうなのかという尺度を、役場職員一人ひとりが持っています。それぞれの尺度は異なり、完全に一致することはありませんが、それをトータルして、東川らしいという言い方、『東川スタイル』ということになると思うんですね」(市川氏)
自分たちで発見する「東川らしさ」もあれば、町外から教えられることもある。例えば、水。東川町では、昔からミネラルウォーターが蛇口から出てくるのが当たり前。お金を払うなどという感覚は持っていない。外部から、資源の問題や水の重要性を教えてもらい、自分たちの町の資源に改めて気づかされた。
「大雪山からの水でお米を作り、野菜を作る。トイレの水だってミネラルウォーター。上水道を使っている方からすると、とても贅沢なことなんですよね。僕らは水を買うという感覚が全くない状態で生活してきているけれども、それが今、こういう時代で見直されている。狙ってやっていることはないんです」(市川氏)
そのように外の人から教えてもらい、新たな学びが得られるのも、他の自治体とは違い「写真の町」として様々な交流を重ねてきた結果だと市川氏は頷く。
「町にいろんな人が来てくれて、町の素晴らしさを認めてくれる。ご自分の場所に帰って『東川が良かったよ』と言ってくれると、その人の友達や後輩が来てくれる。そこでまた話をして、情報発信をして、次の人が来てくれたら、継続していくことになりますよね。持続可能とはそういうことではないでしょうか」
「写真の町」宣言で「世界の人々に開かれた町」と謳った通り、国際交流にも力を入れ、東川町の良さを口コミで広めてくれる “東川町卒業生” を、循環の種として世界に広げている。
「町から旅立つ子どもたちが胸を張って故郷を宣伝できるためにも、役場としては、SDGsやカーボンニュートラルといった、今の流れをしっかり頭に入れながら、町民が誇れる要素をこれからも着実に作っていかなければと思います」(市川さん)
Editor's Note
この仕事をし始めてすぐ耳にするようになった「写真の町」「東川町」の名前。様々な研究や本まで出ているこの町とは、副町長さんとは、一体どんな雰囲気なのだろうか。そう緊張しながら取材に臨んだ今回。
取材冒頭から、和やかな雰囲気をつくりながらも、エンジン全開で町民や町の愛を語ってくれた市川さん。「一度宣言を出してしまったからには、貫かなくてはならない」と、役場の皆さんと今なお直向きに、貪欲に、進まれる姿が印象的でした。
NANA TAKAYAMA
高山 奈々