SDGs
私たちの生活に欠かせない水。地球の表面は水で覆われているが、そのうち人が利用しやすい形で存在するのは僅か0.01%に過ぎない。
人口増や気候変動などの影響で将来的な水資源の枯渇が危ぶまれており、SDGsにも水と衛生に関する単独のゴール(ゴール6. 全ての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する)が設定されている。
日本は水に恵まれているとはいえ、渇水が起きたり、水質の悪化が問題になったりと、気候変動の影響に不安があるのも事実。
そんな中、北海道上川郡東川町は、大雪山から湧く豊富な地下水を生活用水として利用しており、全国的にも珍しく、北海道では唯一の「上水道がない町」。地下水を大切に守り、この水を求めて移住してくる人も少なくないという。
今回は、東川町を潤す『大雪旭岳源水』について、大雪水資源保全センター代表取締役社長の濱本伸一郎氏に話をうかがった。
北海道の中央部に位置する「大雪山国立公園」は日本の国立公園の中で最も広く、神奈川県に匹敵する面積がある。主峰旭岳は日本百名山の一つ。旭岳の雪解け水が長い年月をかけて大自然のフィルターを通し、湧き出ているのが大雪旭岳源水だ。
ミネラル分がバランス良く含まれたおいしい水として、2008年には、環境省が制定した「平成の銘水百選」に選ばれた。
東川町では、この水を家庭用ホームポンプで汲み上げて、生活用水として使っている。細菌類の汚染がほとんどなく、生水のまま飲むこともできる。この水で育てた「東川米」は北海道産の米の中でも最高峰と言われるほど。
東川町の南端、旭岳の麓に静かに佇む忠別湖畔にあるのが、今回取材を行った「大雪水資源保全センター」。源水湧水地からは700mの距離にある場所だ。
「工場内にある40tの受水槽へ湧き水を直接引き込んで、ペットボトルに詰めています。3段階のフィルターろ過で源水を除菌。3段階目のUF膜フィルターの網目は0.01μm。ウイルスの大きさはおよそ0.5μmですから、その50分の1の細かさです。加熱殺菌をしていないので、長い時を経て磨かれた大雪の雪どけ水の味わいがそのまま生きています」
そう語るのは、大雪水資源保全センター代表取締役社長の濱本伸一郎氏。
農水省のミネラルウォーター類(容器入り飲用水)の品質表示ガイドラインで、特定の水源から採水された鉱化された地下水のうち、沈殿・ろ過・加熱殺菌以外の物理的・化学的処理を行わないものに「ナチュラルミネラルウォーター」の表示が認められている。
大雪旭岳源水は、ナチュラルミネラルウォーターの中でも加熱殺菌をほどこしていない、正に天然の水。安心な水を届けるためにボトルの成形・洗浄も自社内で行っている。
大雪水資源保全センターでは、2ℓのボトルを年間約1,000万本生産。コープさっぽろのOEM販売が75%を占めている。
「北海道のお客様は、水の味の違いがわかるんですよね。こっちの方が美味しいねとか、この方がお米を美味しく炊けるとか、各家庭でそういう会話がなされていると思います。首都圏で暮らしてきた私からすると、なんと贅沢な、と思います(笑)」(濱本氏)
「当センター設立の直接のきっかけは東日本大震災です。もしもこれが北海道で起こったときに、インフラとしてお水ぐらい、コープさっぽろが迅速に供給できるような体制が取れないのかと。
コープさっぽろは東川町産のお米を販売していたご縁があったので、東川町さんとJAひがしかわさんにご相談をして、3者が出資して2012年3月に当センターが設立されました」(濱本氏)
設立後1年を待たずに、濾過した源水をペットボトルに詰める工場が完成。2013年1月に操業を開始。
志は、何かことが起こったら、北海道に限らず、できる範囲で日本中に、迅速にインフラとしての水の支援ができるようにする。そういう思いで作られて、今でもそれを守っています。濱本 伸一郎 氏 ㈱大雪水資源保全センター
北海道がブラックアウトの危機に直面した時、東川町では電気が止まったためにポンプを動かせず、水を汲み上げることができなかった。東川町が町民に大雪水資源保全センターのペットボトルを配布。迅速に配ることができたため、水が止まったにも関わらず、苦情は出なかったという。
「私どもも、停電のときのことは考えていて、電気が止まったら水を作ることはできませんが、倉庫にあるものは出せるようにしようと。倉庫のシャッターはあえて手動にしましたし、フォークリフトの充填のための予備発電機も買いました。
また、コープさっぽろが自治体と災害協定を結んでいて、北海道の酒類販売店が各地に持っている倉庫にも、非常時用の在庫を置いていただいています。何かあったらそこからも出せるようにと」 (濱本氏)
2021年2月に北海道の美唄市(びばいし)で大規模な水道事故が発生し、1週間近く水が止まった時も、支援としてペットボトルを送った。九州で大雨による災害が発生した際も、資源リサイクルプロジェクトで連携している鹿児島県大崎町に送り、北海道外への支援実績も積んでいる。
大雪山の地盤ができたのは150万年前頃。3万年ほど前に、お鉢中央火山が大爆発を起こし、お鉢平カルデラが誕生した。旭岳が誕生したのは2万年前から数千年前である。
「3,000年ぐらい前に噴火して、旭岳の山頂が吹っ飛ばされ、その火山灰溶岩が元々ある谷に堆積しました。雪解け水はその火山灰にどんどん染み込んでいって、元々ある谷の筋のところから湧いているんだと言われています。3,000年ぐらい前から、今と同じような形で、多分今の取水口が作られたところから湧いていたんだろうと思います」(濱本氏)
「今、東川町の気温はマイナス7-8度(※2022年2月末取材)。工場のあるところはさらに2,3度低い。源水の取水口はマイナス20度を超えることもありますが、凍ることはなく、1年を通じて約7℃の水がずっと湧いているんです。
大雨が降ったから水の量が増えたとか、今年は雨が少ないから水が少ないということもほぼありません。ずっと一定の量と温度で水が流れているのは、地下深いところにたくさんの豊富な水があって、それが地上で起こる雑事には惑わされず、湧いてきているからです」(濱本氏)
30年から50年ろ過された水は、不純物が少なく、ミネラル分が溶けやすいために若干硬度が高い。湧いてきた水の成分の分析はできても、同じものを作るのは難しいと濱本氏。
大自然に敵うわけがない。北海道のど真ん中で3,000年前から滔々と湧いている旭岳の神様が分けてくれたお裾分けをいただいているんだと。そんなふうに考えた方がいいかなと思っています。濱本 伸一郎 氏 ㈱大雪水資源保全センター
湧き水の量は1分間に4,600ℓ。ボトルに詰めている量と工場で使用している量を合わせても、旭岳源水として出てきている量の1%から2%。取水口から出ていたり、東川町の七色の噴水に使っていたりする分を含めても、湧いている水の10%いかないであろうという。それぐらい豊富な量の水が、旭岳の地下深く眠っている。
東川町は、2015年国勢調査で人口増加率が道内2位となり、2018年の調査によれば、過去25年以内に転入してきた移住者が人口の56%以上を占めている。
「移住して来られる理由は幾つもあると思いますが、その一つに生活水が天然の地下水だということがあります。水資源というものの大切さを感じられている方は、東川という町を選びやすいとも感じますね」(濱本氏)
「人間の英知を超えた量の水が、旭岳の地下にあるはずです。今降っている雪、あそこに積もっている雪が出てくるのは、小学校3年生の子が40歳か50歳になったとき。
3,000年前からある、とんでもない量の水を、私たちの代で途切れさせてしまったら、絶対元に戻りませんよね。少なくとも次の世代にちゃんとバトンを渡さなきゃいけないと思います」(濱本氏)
東川町は渇水とは無縁で、蛇口を捻れば美味しい水が出てくるが故に、昔から「水を守ろう」と肩に力を入れてきたわけではないという。地下水の価値を再発見したのは2004年に水源を「大雪旭岳源水公園」として整備したことから。予想以上の人気を集め、「平成の水百選」に選ばれるきっかけともなった。2009年からは地下水を利用する全国の市町村に呼びかけ、毎年持ち回りで「地下水サミット」を開催している。
地下水を守るためには、水源となる山岳エリアの環境保全が欠かせない。大雪水資源保全センターでは、2ℓのペットボトル1本当たり0.5円を、大雪の自然を守るために、地元東川町へ寄付を行い、東川町はこの寄付金を原資として、独自の環境保護活動に役立てている。
SDGsのゴール15 “陸の豊かさを守り、砂漠化を防いで、多様な生物が生きられるように大切に使おう” でも、森林や淡水地域の生態系と、それがもたらす自然の恵みを守ることがターゲットにあげられている(詳細はこちら)。
期限とされた2020年は既に過ぎたが、これからもバトンを渡し続けていく努力が欠かせない。2015年にSDGsが採択されるよりも前から取り組んできた東川町にとっては当たり前のこと。これからも、「東川らしさ」の一環として「水の豊かな町」であり続けていく。
最後に濱本氏に今後の抱負を聞いた。
「北海道外に水を送ると送料が高くなるので、事業として成立させるのは難しいのですけれど、頭の片隅にはこの水が世界中に広まればなという思いはあって。世界中でなくても、どこか一ヶ所だけでも、海外で認めてくれて根付いてくれたらと思います。
世界一美味しいお水はやっぱりたくさんの人に飲んでもらいたい、たくさんの人に認めてもらいたい。世界一はいくつあってもいいんですけど、俺この水好きなんだよねっていう人は北海道だけにいなくたっていいじゃないですか」 (濱本氏)
Editor's Note
東川町とは前職時代からの長い付き合いという濱本さん。町の方からは「しんがりを走っていたつもりが、いつの間にか先頭に立っていた」と聞いていたそう。先頭の一角を任された経緯も含め、時にユーモアを交えながら、東川町と水への想いを語ってくださいました。
「世界一はいくつあってもいい」
さり気なく発せられたこの言葉に、東川町の皆さんの「他と競うのではなく、『東川らしさ』を大切にしていく」という価値観が感じられる気がしました。近い将来、源水が湧き出るその場所で「世界一美味しい水」を味わってみたいと思います。
FUSAKO HIRABAYASHI
ひらばやし ふさこ