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「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 - 人生に刺激を与える対談 - 』。
第15回目のゲストは、多拠点リビングサービス「LivingAnywhere Commons(以降LAC)」の事業立ち上げ責任者や、「LIFULL ArchiTech(ライフルアーキテック)」の代表を務めていた小池克典さんです。
しかし、今年のはじめに小池さんの病気が発覚。その後、新たな生き方を模索する中で、これまでとは違う領域に足を踏み入れていきます。
そんな小池さんのキャリア変容に触れた前編でしたが、後編では病気により一変した生活と、療養中にたどり着いた今後の「生き方」について語られました。
自分自身の人生を精一杯生き続けているアナタに注ぐ、一匙の刺激をお届けします。
平林:小池さんの病気が発覚したのはいつ頃のことですか。
小池:今年の2月です。社内の健康診断で心雑音と心肥大を指摘されて、要精密検査と言われました。僕自身はあまり深刻に捉えていなかったのですが、妻に怒られたわけですよ。「精密検査行ったの?」と。「まだ行っていない」と答えたら、「今すぐ予約の電話して」と言われ、仕方なく病院に行ったんです。
そこで「心臓の弁が閉まっておらず、血が逆流していますよ」と医者に言われて驚きました。
改めて東京の医科歯科大学で検査をした結果、初回の見立て通りで自然に治るものではなく、「放置したら多分10年ぐらいで死にます」と言われました。
平林:自覚症状はなかったんですか。
小池:なかったんですよ。医師からは「今だったら弁を変える手術だけで済むけど、悪化すれば動脈も交換しなきゃいけない。それだとかなり複雑な手術になるしリスクも上がるので、今のうちに心臓弁置換の手術をすることをおすすめします」と説明を受けました。
「手術を受けなきゃいけない数値を100とすると、今のあなたは90のレベルです」と言われ、選択の余地はなかったですね。
子どもが2人いるんですけど、まだ3歳と1歳で小さくて。かつ事業責任者という立場もあり、最低でも3週間は入院だろうと言われていたので、即日入院して手術というわけにはいきませんでした。
心臓弁置換の手術は、一度心臓を止めて人工心臓を代わりに移し、心臓を開いて弁を交換して再度身体の中に戻す手術です。7時間ほどかかる手術で、致死率の危険性もそれなりにある手術だったので、「やってみなければどうなるかわからない」と告知されました。
小池:これまで手掛けてきた事業に関しては、戻ってこられる保証がない以上、自分が戻る前提で引き継ぐのは無理だと思いました。それで完全に手渡そうと決めて、どうしたら後に残された人たちがやりやすいかを考え、自分の色が出ない形ですべての権限を下りたんです。
平林:あの時期、小池さんを見かけないなと思っていたんですよ。以前は取材の場にも顔を出していたのに。そういうことだったんですね。
小池:療養に専念しようと決めてからは、自分の現実をしっかり受け入れて、その先で何をしようかとずっと考えていました。
平林:小池さんがポジティブに話してくださるから、つい大丈夫そうなイメージで受け取ってしまいがちですけど、起きた出来事としてはかなり大変なことじゃないですか。ご家族も心配で仕方ない状態だったと思います。
「今後の収入がどうなるかわからない」という不安のさらに上をいく「命がどうなるかわからない」という状況の中で、どのようなことを考えていたんですか。
小池:まず手術の結果からお伝えすると、無事に成功したんですね。なんなら手術前より元気になるレベルまで復活しました。
僕がかかった病気は基本的には70代ぐらいの方がなる病気で、若い人がかかるのは珍しい事例でした。そのため、心臓外科の権威である、東京医科歯科大学の名医と呼ばれる先生に手術を担当してもらえることになりました。最先端の医療を受けて、当初3週間かかると言われていたのに術後1週間で退院できたんですよ。本当にラッキーでした。
それで残りの人生を何に使うべきかと考えた時、結論として「やっぱりスタートアップだな」というところに行き着いたんです。スタートアップが描く最初の一歩がなければ、新しいサービスや技術は生まれない。
テクノロジーの進化によって生み出された、新たなプロダクトに救われる人は必ずいます。なかったものを生み出し、世界線が変わる感覚が好きなんです。
小池:今回、まさに僕は医療の進歩に救われました。新しい手術や新しい生体弁など、「医療を良くしていこう」、「新たな技術にチャレンジしよう」と奮闘する人たちの挑戦があったからこそ、僕は救われた。
生かされた自分が社会に還元できるのは何だろうと考えた時、僕はゼロイチが得意だし好きなので、残りの人生はそこに全振りしようと決めました。
なので、LIFULLは退職します。
平林:LIFULL退職は、これが初公開ですか。
小池:初公開ですね。すでに退職手続きは済ませており、今後はフリーの立場でさまざまなスタートアップ支援をしていきたいと考えています。ただ、僕自身のリソースだけだと、できることが限られてしまうので、支援体制を拡大するための仕組みとして「squad(スカッド)」という働き方の概念をつくりました。
期間限定のフルコミットで人手を提供する「The Pop Up Agency」のような働き方を目指していて、簡単に説明すると、フリーランスや副業人材を集めてチームを組成し、必要な案件をクリアしたら解散する仕組みです。
平林:その仕組みはもうつくられているんですか。
小池:はい、つくりました。なので、一応そこの代表も兼務しています。
平林:水面下でめっちゃ動いていたんですね。
小池:動いていましたね(笑)。今はすごくいい時代で、スタートアップ企業で新規事業を手掛ける際、お金はどうにかなるんですよ。知恵もどうにかなる。ただ、 “人” が足りないんです。スタートアップは信用力がないから採用が難しく、人材で困るケースが多い。これは元々僕が課題感を持っていたテーマでもあったんです。
Co‐Livingサービス(LAC)の事業を手掛ける時も、一番困ったのが人材問題でした。そんな時にたまたま仕事のオンラインマッチングサービス「ランサーズ」に携わる根岸泰之さんにお会いして、我々もフリーランスで構成したチーム運用にチャレンジしたんです。その結果、「これはいける」と確信しました。
どんなに素晴らしいアイディアが浮かんでも、人材が確保できないばかりに「絵に描いた餅」になってしまうことは多い。でも、必要なチーム人材を迅速に集められる構造をつくれば、そのような問題を解消できると思ったんです。
現在はインターネットの力もあり、 “個” がエンパワーメントされているので、優秀なエースみたいな人たちが増えてきています。そして、さらに深掘りする中で発見したのが、フリーランスの中でもトップと呼ばれるほど稼いでいる人たちが大きなジレンマを抱えていたことだったんです。
独立後、それなりに稼げるようにはなったものの、個人でできる範囲には限界があります。そのため、大きい会社との取引や大きなプロジェクトへの参加は難しくなってしまうんです。
そして結局はライスワークといわれる、食べていくための案件をこなしている。その現実に不安やジレンマを抱いている状況を知り、だったらいっそ「より自由に、よりイキイキと働けるためのみんなが使える法人の箱をつくろう」と思ったんです。
平林:素晴らしい取り組みですね。いずれ、会社そのもののあり方もハックできそうですよね。
小池:そうですね。僕もこの仕組みづくりには大きな可能性を感じています。すでにコミュニティの主旨に賛同してくれたメンバーが20人ほど集まっており、運用や経営に直接活かすための実証実験を行っています。
そのメンバーは雇用関係ではなく、単純にビジョンに共通する想いだけでつながっているのですが、それゆえの相乗効果にも期待しつつ、運営のあり方を模索している最中です。
平林:これまでの小池さんの考え方は、自分に必要なスキルを培うために動いていく形でしたよね。でも、今回のお話は、そことはまったく次元の違う話だなと思っていて。どうやったら自分の力を社会に還元できるのか、そこに全振りすることのすごさを改めて感じています。スタートアップ企業を支援していく中で、支援の領域などは決まっているんでしょうか。
小池:特化したいのはゼロイチのフェーズですね。ただし、何らかのコラボや相乗効果を期待するためにも、特化するのはステージのみで領域は縛らないやり方で考えています。具体的には、スタートアップを同時多発的に起こすスタートアップスタジオというものがあるんですけど、「1人スタートアップスタジオ」をやろうと思っていて。
平林:最高じゃないですか。僕も相談に行きます。
小池:ぜひ。実はもう「伴走支援やアドバイザーで入ってほしい」と複数の企業からお声がけいただいています。ヒアリングをしてみると、求めているポイントや社内の課題感が共通していることが多いんですよね。
平林:現在動かしているプロジェクトや仕組みづくりに関連して、今後ローカルとはどのように向き合っていく予定ですか。
小池:僕はずっとスタートアップ文脈でローカルに携わってきた人間なので、今後もそのスタンスは変わりません。新規事業をつくるにあたって、ローカルというフィールドを僕はすごくポジティブに捉えています。
ローカルなら顧客も見えやすく、家賃などの投資も少なくて済む。マーケットは小さいかもしれないけど、こんなに可能性を秘めたフィールドはありません。
平林:株式会社WHEREのビジョンも「心の豊かさ」なので、人が挑戦しやすい領域を考えるとやっぱりローカルに行き着くんですよね。そこで小池さんと通じるものがあるなとお話を聞いていて思いました。
小池:やっぱりチャレンジがどんどん生み出される世の中にしたいですよね。
僕は大きな手術を経て、自分の中に「社会を前進させることでやさしい世界をつくりたい」というスローガンが生まれたんです。社会は人がつくり上げるもの。それを前進させるために自分が一番貢献できるのは、スタートアップ支援だな、と考えています。
でも、やさしくない世界はつくりたくない。格差が広がったり、自然環境が破壊されたり、そういうことは望んでいません。
僕がここにコミットしようと思ったのは、子どもたちの存在が大きいですね。子どもが今後生きていく未来は、よりやさしいものであってほしいじゃないですか。戦争や差別が拡大されるような世界を子どもたちに残したくないんです。
平林:「ビジネス」という言葉は、世間の印象的にはあまり優しくないものに聞こえがちですよね。でも、小池さんがおっしゃる通り、医療技術の発展がビジネスとして成り立ち、それによって救われる人がいる。ビジネスを通してやさしい社会をつくれるという認識が広まってくれたらいいですね。本日はありがとうございました。
Editor's Note
まずは小池さんがご無事であったこと、本当に良かったです。そして、医療の発達を含めたビジネスの力で「やさしい世界をつくりたい」という境地にたどり着いた小池さんの強さに感銘を受けました。私にも息子がいるので、次世代に引き継ぐものがより優しい社会であるようにと願う気持ちに深く共感しました。
MINORI YACHIYO
八千代 みのり