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LOCAL LETTER

鯖江の伝統工芸を世に伝える。職人の悩みをデザインで解決する生き方

MAR. 20

FUKUI

拝啓、創造性を活かして地域に関わりたいアナタへ

「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 – 人生に刺激を与える対談 – 』。

第18回目のゲストは、福井県のものづくりを体感する一大イベントRENEW(リニュー)の仕掛け人であり、地域特化型のインタウンデザイナーとして、地場産業や地域のブランディングを行っている新山直広さん。

大阪府生まれだという新山さんですが、2009年に福井県鯖江市に移住。2015年にTSUGI LLC.を設立し、「福井を創造的な地域にする」というビジョンのもと、地場産業のブランディングやアクセサリーブランド、福井の産品を取り扱う行商型ショップ「SAVA!STORE」など、ものづくり・まちづくり・ひとづくりといった多様な領域で活動しています。

そんな新山さんが語ったのは、熱量をもって地域と関わることについて。

自分自身の人生を精一杯生き続けているアナタに注ぐ、一匙の刺激をお届けします。

地域と関わるきっかけは“悔しい”の気持ち。熱量を生み出す源泉とは

平林:「生き方」の対談企画は、地域で活動する方の面白さや人生を深堀りし、伝える場として企画しています。地域で活動する方は、暮らしの中に仕事の一部があり、仕事の中に暮らしの一部がある、という方が多いので、その面白さを取材させていただいています。

新⼭:よろしくお願いします。改めまして、新山直広です。福井県鯖江市で TSUGI LLC.の代表として、デザインやブランディングを通して鯖江の地域づくりに関わっています。大学では建築を学んでいましたが、その後鯖江に移住し、市役所にデザイナーとして勤務した経験があります。

新山 直広氏 TSUGI LLC. 代表・クリエイティブディレクター / 1985年大阪府生まれ。京都精華大学デザイン学科建築分野卒業。地域特化型のインタウンデザイナーとして、地場産業や地域のブランディングを行っている。ものづくり・地域・観光といった領域を横断しながら創造的な地域づくりを行っている。
新山 直広氏 TSUGI LLC. 代表・クリエイティブディレクター / 1985年大阪府生まれ。京都精華大学デザイン学科建築分野卒業。地域特化型のインタウンデザイナーとして、地場産業や地域のブランディングを行っている。ものづくり・地域・観光といった領域を横断しながら創造的な地域づくりを行っている。

新⼭:「創造的な地域にする」というビジョンを掲げていたり、インタウンデザイナーとして福井の会社のものを売るためのお手伝いをしていたり。さらに工房見学イベント「RENEW」を開催し、ものづくりのまち・福井の伝統工芸を通して持続可能な地域づくりを目指す活動も行っています。

平林:改めて聞くと新山さんの活動の範囲は広いですね。以前、イベントの講師としてお話しいただいた時も熱量の高さに圧倒されました。改めて、新山さんがまちづくりに関わり始めたのはいつ頃ですか?

新⼭:15年前くらいですね。

平林:15年経っても熱量が留まるどころかパワーアップしている…!そこまで熱量高く活動できるのはなぜですか?

平林 和樹 株式会社WHERE 代表取締役、内閣府地域活性化伝道師、ふじよしだ定住促進センター理事 / ヤフー株式会社、カナダ留学、株式会社 CRAZY を経て、株式会社WHERE創業。約2万人の会員を持つ地域コミュニティメディア「LOCAL LETTER」、産学官民の起業家70名以上が登壇する地域経済サミット「SHARE by WHERE」など地域、業界を超えた共創を創出。長野県根羽村で一棟貸し宿を立上げ事業譲渡など独自の事業作りで活動中。
平林 和樹 株式会社WHERE 代表取締役、内閣府地域活性化伝道師、ふじよしだ定住促進センター理事 / ヤフー株式会社、カナダ留学、株式会社 CRAZY を経て、株式会社WHERE創業。約2万人の会員を持つ地域コミュニティメディア「LOCAL LETTER」、産学官民の起業家70名以上が登壇する地域経済サミット「SHARE by WHERE」など地域、業界を超えた共創を創出。長野県根羽村で一棟貸し宿を立上げ事業譲渡など独自の事業作りで活動中。

新⼭:僕の場合は、モチベーションの源泉が2段階に分かれています。1つ目のモチベーションは怒りや悲しみ、悔しさ。鯖江に移住して、ものづくりの現場に出会うごとに、鯖江では精度の高い眼鏡や漆器などの伝統工芸が多いにも関わらず、売れていない現状に悔しい気持ちを抱いて。「まだ力になれていない」というもどかしい気持ちが原動力です。

2つ目のモチベーションは仲間。悔しさと怒りが頑張りの理由になっていた一方で、2020年頃から怒っていないことに気づいたんです。燃え尽きたことに焦りを感じて「何かできないかな」と周りを見渡したら、いい同業者がたくさんいることに気づいて。仲間のために頑張ろうとコミュニティや会社をつくることを考え始めました。

平林:現状への悔しさと仲間と一緒に」がモチベーションなんですね。実は、僕も似ているところがあります。地元の人たちと話しているとプライベートの話は盛り上がる一方で、仕事の話はネガティブな雰囲気になる。地域にも面白い仕事があるはずなのにそれを上手く伝えられない。そんなイライラが原動力になって起業したのを思い出しました。

ものづくりを盛り上げるために。独学からデザイナーのキャリアへ

平林:高いモチベーションを抱えながら、新山さんのキャリアに市役所勤務があるのが意外だなと思ったのですが、なぜ市役所を選ばれたんですか?

新⼭:市役所との出会いは話が少し長くなるので、まず鯖江との出会いをお話ししますね。大学では真剣に建築家を目指していたんですが、リーマンショックや人口減少、新築住宅の着工数などのデータを見ていると明らかに時代の潮目だなと思ったんですよね。

ちょうどその時に建築の中でも住宅のリノベーションやデザインなどの話が出てき始めていて。コミュニティデザインというものが面白そうだなと感じて、教授が鯖江で行っていた地域活性プロジェクトに参加したんです。その時に「もうこれからは地域の時代だ」と思ったのが、まちづくりとの出会いですね。

平林:「地域の時代だ」と気づいたのが、時代の流れよりだいぶ早かったんですね。

新⼭:ちょうど言われ始めているタイミングです。その後、アートプロジェクトの会社に就職して、当時の勤務地がたまたま鯖江だったので鯖江に移住しました。

当時を振り返ると恥ずかしくなるんですが、「移住して僕が地域を活性化してあげるよ」みたいな気持ちでまちと関わろうとしていたんです。少し舐めてましたね。東京の建築事務所で働く大学の友人たちからは「担当していた物件が竣工した」という報告を聞くことが多くなって。「僕は何もできていない」みたいな焦りが出てきていました。

新⼭:そんなときに転機になったのが漆器の調査研究の仕事でした。100人程の漆器の職人さんや問屋さんに景気や後継者について聞いて回る機会があったんです。職人さんたちが口をそろえて「漆器なんてオワコンだ」と話すのを聞いていたら、切なくて。それが、「ものづくりが元気にならないとまちの元気には繋がらない」ということを痛感したきっかけでしたね。

恵まれたことに、そこで出会った方が僕のことを可愛がってくれて、地域との関わり方を学ばせてもらいました。

そこで、「ものづくりを元気にするために何が必要か」と考えた時に、デザインが思い浮かんだんです。鯖江のものづくりの技術の高さはどこにも負けていないから、あとはパッケージデザインやWEBなどの見せ方の部分でお手伝いができたらいいな、と。そういう思いから、デザインを独学で勉強したんです。一度東京に行こうかなとも思ったんですが、鯖江市に「新山が東京に行くらしい」という噂が広がって(笑)。

僕って実は鯖江における移住者第1号的な存在なんです。鯖江は大学がないまちで、高校を出たら多くはみんな出ていってしまうので、移住者を増やすことも大事にしていて、その第1号なので。

平林:まちにとって、新山さんは大事な存在ですね。

新⼭:ここで僕が出て行ってしまえば市政の失態になると思われたんでしょうね。そこで、鯖江市役所でデザイナーとして働くことになりました。当時の市長が「行政は最大のサービス業だ」という面白い考えの方で、市役所のなかでもデザインで活躍できるところがあると諭されました。

平林:面白い!デザインは独学ですよね。

新⼭:そうですね。夜な夜なデザイナーの作品集を買ってきて研究していました。誰かが教えてくれる環境ではなかったので、ひたすら自分で学んでいましたね。

市役所では僕しかデザインできる人がいないので、重宝がられて他の部署の仕事も請け負っていました。

平林:そこから市役所を辞めることになった経緯は?

新⼭:29歳まで手取り15万の臨時職員だったんです。当然ボーナスもない。市役所での仕事は面白くておおむね満足していたのですが、今後も正職員になれないしなりたいと思っていないことにも気づいて。

行政はやっぱり公平公正であることが大事ですが、全てを公平公正でやっていると何も進みませんよね。その時に、僕は行政の気持ちも分かりながらちゃんと事業者につなげるデザインのポジションの重要性に気づいて、独立を決めました。

ものが売れるまでを大切にするデザインを。地域と伴走するための仕組み

平林:独立してからはどういう流れで事業を広げていったのでしょうか。

新⼭:6年の下積み時代を経て、鯖江の方との関係性もできあがってきて。はじめは移住者たちのサークル活動として結成したものを後に法人化させました。そこから「創造的な産地をつくる」というビジョンで、地場産業や地域のデザインを中心にしたブランディングやアクセサリーブランド、店舗、イベント運営などいろいろな活動をしています。

平林:新山さんの事業の好きなところは、デザインを単なる一工程と捉えていなくて、「売れる」ところまで責任を持って主体的に関わるというスタンスです。

新⼭:僕はデザイン事務所で働いたことがないデザイナーなので、逆に言ったら常識を知らないっていうのが強みでもあるんです。地域の方々には、デザイナーのことを「お金だけ取ってかっこいいものをつくる人たち」だといい印象を持っていない人もいて。デザインを手段に地域と関わろうとすると、ただかっこいいデザインをつくるのではなく「売れる」過程まで伴走しないと意味がないということに気づかされました。

新⼭:「商売のまちだから売れることがすごく大事だ」ということは、鯖江での生活で叩き込まれたので。僕は今、デザインしながら自分でブランド商品やお店もやっているんですが、売れるまでの感度を大切にしたいという意味合いもあってやっています。

平林:クリエイティブディレクターの立ち位置のような、どちらかというとプロデューサー にも近いですね。

建築を学んでいた新山さんがいかにして鯖江というまちに出会ったのかを深堀りした前編。後編では、ものづくりを通して鯖江を盛り上げるために大切なブランディングや地域の方との関わり方について迫ります。

Editor's Note

編集後記

新山さんの話を伺いながら、自分自身が必要なことを見極めて行動する大切さを体感しました。地域に必要なものは何か、何があれば地域が盛り上がるようになるのか。ご自身の軸を持ったうえで行動をされている姿にとても背中を押されました。

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