TOKYO
東京
自分のやりたいことを実現するのは、並大抵のことではありません。特に自分の経歴とは異なることにチャレンジする際には、様々な心配がつきものです。
2023年11月末に17年勤務した電通を退職、自身の会社を経営しながら、個性的なラインナップのお酒を扱うセレクトショップ「IMADEYA」などを展開する株式会社いまでやの社外取締役を務める小島雄一郎さんは、清澄白河の自宅を建てるときに、ある決断をしました。その決断から様々なストーリーが動き始め、人が自然と街に集まる大きな展開へとつながっています。自宅を建てる、という一個人のアクションから、一体どうしたらそんなことが起こったのか、小島さんにお話を伺いました。
「部分的に貸し出すことを前提に、持ち家を作ろうと思い立ちました。1年ほど東京の東部で土地探しをして、抜け感があるこの土地と縁があり、正直高かったですが思い切って購入しました」(小島さん)
1階部分を店舗に貸し出し、上の階に自分が住むというスタイルの家を建てる。ここまでは時々耳にする話ですが、入居する店舗を不動産屋で募集するのではなく「このお店に入ってほしい」と思う店舗をなんと小島さん自ら開拓されたのだそう。
そのご縁で小島さん宅の1階部分に開店したのが「いまでや 清澄白河」。そして、やりとりを重ねる中で、小島さんはいまでやの社外取締役を務めることになりました。
そもそも自宅を建てる時に、なぜ1階を店舗にしようと思ったのでしょうか。
「もともと、清澄白河の賃貸住宅に住んでいたのですが、自分が家にいない時間がもったいなくて、その間誰かに貸したいななんて思っていたんです。でも部屋の又貸しは賃貸契約上NG。でも持ち家なら部分的に貸し出すこともできますので、土地を探し始めたのがきっかけでした。
せっかく貸すなら、例えばお客さんがふらっと訪れるお店のような公共のスペースであれば、そこからコミュニティが生まれるかもしれない、と考えるようになりました。持ち家の中に公共のスペースを作るみたいな感覚で家を建てたかったんです」(小島さん)
普通なら自分の住むスペースをこうしたい、という気持ちが先で持ち家を検討しますが、公共のスペース作りという発想が先にくるところが、広告会社で多くの企画や事業を立ち上げてきた小島さんならではです。
希望の土地と出会い、家を建てることになった小島さんは、1階に入居してくれる店舗探しを始めました。
「いろんな店を見に行って、ここがいいかなと思った1社目が『いまでや』でした。入居しませんか、というメールをお送りしたところからご縁が始まって、企画のやりとりを続け、入居いただくお店のコンセプトが完成しました」(小島さん)
そのコンセプト「いまでや清澄白河 〜はじめの100本〜」は、お酒初心者におすすめの100本を紹介して、これからお酒に詳しくなるお手伝いをするというプロジェクト。最初は若い人、お酒ビギナー向けを想定して始めましたが、いざ自宅1階の店舗が開店し、蓋を開けてみれば若い人だけではなく、中高年世代の反応もよかったのだそうです。
「『はじめの100本』の反応をみて、このコンセプトはいまでやとしては残していくけど、『いまでや清澄白河』には特別に新しいコンセプトはつけず、ターゲットも絞りこまないことになりました。結果として僕と同年代の来店も増えていますし、最近ではインバウンド効果で、海外からの来客が多くなりました」(小島さん)
自宅を建てて、1階部分を貸すことを決め、いまでやと出会ってから約2年。長く一緒にお仕事をしてきたわけではありませんが、短い期間で信頼を得た小島さんは、いまでやに社外取締役として迎え入れられることになりました。
「40代を迎え、このまま勤めている会社で管理職になっていくキャリアイメージよりも、未来は不確かだけど自分が描きたいプランを形にしていく方が楽しそうだな、と思って、退職を決意しました。
最初は自分の住まいの1階に開店した店を手伝うくらいの感覚だったんです。折しもコロナ禍でECサイトが伸びていて、ECサイトの経験値があったことからやりとりをするうちに社員さんとも近しくなり、他店舗のことも相談されるようになりました。
清澄白河店がオープンしてからは担当の領域がどんどん広がり、ついには会社全体のことをするようになっています。僕といまでやのカルチャーはマッチしていると思います。どんどんやりましょう的な感じですね」(小島さん)
今ではイベント、マーケティングから、人事や動画制作まで、社内全般のことを担当している小島さん。もはや社外取締役の域を超えた活躍です。
いまでやの本店に次ぐ2つ目の路面直営店として開店した「いまでや清澄白河」。近隣の方からは、「珍しいお酒がたくさん買える店」と認識されているそうです。
「それまでいまでやは、千葉の本店が唯一の路面店で、あとは商業施設内の出店でした。清澄白河店は、お酒を買いに来る人と角打ちに来る人は大体半々で、家で飲もうと思って買いに来たけど店で飲みたくなったとか、逆に飲みに来て美味しいから買って帰ってくれるというパターンもあります」(小島さん)
また、清澄白河と言えば、コーヒーのイメージを持つ方も多いと思いますが、「いまでや清澄白河」の開店と時を同じくして立ち飲みやバー、ワインの店といったお酒関連の店が増え、そうしたお店を行き交う人の流れもできるようになりました。
「清澄白河エリアに主にワインのイメージがついてきて客数が増え、店も増えました。これまでのビジネス展開は卸売がメインだったいまでやにとって、店舗はブランディングの拠点としての意味合いも持っています。その意味でも、清澄白河店のオープンはちょうどいいタイミングでした」(小島さん)
まちの動きともうまく連動して、いい循環が巡ってきたタイミングで、当時コロナ禍で機能しなくなっていた銀座オフィスをたたみ、いまでやのオフィス兼イベントスペースを清澄白河の店から徒歩2分くらいのところに作りました。
「清澄白河は、コロナ禍の間もずっと盛り上がり続けていたまちで、そのパワーに意図的に乗っかっていきました。オフィス兼イベントスペースでは、基本的にお酒以外のものをイベントのテーマとして立てて、それに合うお酒をセレクトしています。過去には着物や金継ぎをテーマにイベントを開催し、ここからあらたな人のつながりも生まれ始めています」(小島さん)
小島さんの繰り出すプランは結果として清澄白河に人を引き寄せていて、いまでやのビジョンと清澄白河というまちがベストフィットしているとしか思えないような展開が続いていきます。
清澄白河での生活と事業プランをうまく走らせはじめている小島さんですが、ご自身でも「株式会社kojimake」を経営しており、そちらでも様々な活動を展開しているそうです。
「株式会社kojimakeでは個人の仕事を請けています。今後はいまでやのブランディングと、他の酒蔵さんのマーケティングやリブランディングをしていく予定です」(小島さん)
現在、取り組んでいるあるいは頭の中にあるプランを楽しそうに話して下さる小島さん。その挑戦への原動力はどこから来るのでしょうか。
「いまでやさんに社外取締役のお話をいただいたときも、今やらないとこの先チャンスはないと思って飛び込みました。自分の企画の精度の高さや、企画書の見せ方など、広告会社で培ってきた自分の職能はわかっているので、それをどこに使うかですね。
どの会社に所属しているかは重要ではなくて、培ってきたものを生かしたいと思うとき、どの立場だったら自分が一番動きやすくなるかということをいつも考えています」(小島さん)
広告会社での経験から、ご自身の作る企画には希少性があるという自信も持っている小島さんですが、広告会社に所属しながら作る企画と、自身でリスクを取って取り組む事業との間には大きな隔たりがあります。
「圧倒的に楽しいのは、自分で行う事業ですね。クライアントがいる企画はどうしても相手に合わせないといけない部分もあるので、ある程度予定調和を見越して企画する。でも自分がやりたい企画は全ての意思決定は自分だし無駄がない。楽しいけど自分の会社なので、失敗したらシンプルに自分の資金はなくなりますけどね」(小島さん)
水を得た魚のように楽しそうな小島さんに、最後にいまでや清澄白河をどう楽しめばよいかについてお話いただきましょう。
「角打ちのコミュニケーションですね。店員さんや他のお客さんと話してもいいし、1人で来ても楽しめます。店の真ん中にカウンターがあるので、その周りを人が囲む。店員さんや、他のお客さんとも交流が生まれやすい。僕も夜に店舗で飲むこともありますよ」(小島さん)
普通にお酒を楽しみたい、人と交流したいなど、清澄白河のことを全然知らなくてもウェルカムですと語る小島さん。今後も希少性の高い企画と、その企画を実現させていく力を、いまでや清澄白河からまちづくりへと発揮されていくことでしょう。
Editor's Note
店舗併用住宅を作り、住みながら階下の店舗を賃貸に出して家賃収入を得る。お店が繁盛すればまちづくりの一環として社会貢献もできる。賃貸経営をする人は多いですが、企画の力を掛け合わせ入居店舗のビジネス成長に貢献し、自身の関わり方も変えながら、まちづくりにも繋げていく発想に、小島さんらしさを感じました。
KAYOKO KAWASE
河瀬 佳代子