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LOCAL LETTER

“ちょっと不自由なホテル” 誕生秘話。観光資源のない中山間地域で人気を呼ぶ宿から学ぶ「ローカルに新たな仕事をつくる、編集力」

DEC. 06

拝啓、「地域を元気にしたい!」と魅力的なコンテンツづくりに奮闘しているアナタへ

各地域がアフターコロナを見据えた観光客獲得に向けて奮起する中、地域に目立った特産物や観光名所がなく、人々にどう魅力を伝えればいいのかと苦戦している方が多い現在だからこそ、今回は、地域の素材を生かしながらローカルに新たな魅力を生み出すひとりの女性を取材。彼女の名は、梅守志歩さん。

ume,yamazoeの代表として、奈良県山添村という人口約3,500人の小さな集落に、多くの人々を引き付ける宿「ume,」を開業した彼女が考える「ローカルに新たな仕事をつくる、編集力」とはーー。

梅守 志歩(Shiho Umemori)さん ume,yamazoe 代表 / 1988年奈良県生まれ。同志社大学商学部を卒業後、株式会社ネクスト(現LIFULL)に入社。家庭の事情により、3年で退社し家業である株式会社梅守本店(寿司製造メーカー)に勤務。インバウンド最盛期に握り寿司の体験ワークショップを企画運営し、経済産業省/産業観光まちづくり大賞や日本観光振興協/Japan Tourism Awards等を受賞。そこから、さらに観光資源の少ない日本の中山間地域での仕事作りに興味を持ち、2020年3月奈良県山辺郡山添村にume,yamazoeを開業。アウトドアフィンランド式サウナume,saunaなど、地域素材を生かしたコンテンツ作りに取り組む。
写真左> 梅守 志歩(Shiho Umemori)さん ume,yamazoe 代表 / 1988年奈良県生まれ。同志社大学商学部を卒業後、株式会社ネクスト(現LIFULL)に入社。家庭の事情により、3年で退社し家業である株式会社梅守本店(寿司製造メーカー)に勤務。インバウンド最盛期に握り寿司の体験ワークショップを企画運営し、経済産業省/産業観光まちづくり大賞や日本観光振興協/Japan Tourism Awards等を受賞。そこから、さらに観光資源の少ない日本の中山間地域での仕事作りに興味を持ち、2020年3月奈良県山辺郡山添村にume,yamazoeを開業。アウトドアフィンランド式サウナume,saunaなど、地域素材を生かしたコンテンツ作りに取り組む。

「奈良に帰省?絶対嫌!」大の田舎嫌い。ハイヒールを履きこなすIT広告営業マン時代

京都府、三重県、滋賀県の県境に位置する奈良県山辺郡山添村は、通称 “奥大和地方”と呼ばれている自然多きエリアに位置し、日本の原風景が色濃く残る地域。

そんな自然深く小高い集落に2020年開業したume,は、「ちょっと不便だけれど、人のやさしさと自然の豊かさを感じることができる宿」として注目を集めています。

そんな人の心と自然が共存する宿ume,のオーナーを務める梅守さんですが、驚くべきことに元々は “大の田舎嫌い” だったそう。

「20代の頃は、高層ビル街でハイヒールを履いて、スーツをバシッと着て働くことがかっこいい!と思っていました。なので父から『奈良に帰ってきて、家業を手伝ってほしい』と言われたときは、『なんで田舎に帰らないかんねん!絶対嫌!』と思ったんです。」と笑って話す梅守さん。

梅守氏の家業である「梅守本店」は、奈良県奈良市を拠点に持つ寿司製造・販売の会社。父の圧力に負けしぶしぶ奈良に帰ってきた梅守さんでしたが、気持ちの切り替えができず、辛い日々を過ごしていたといいます。

「どこにでもあるものが商品コンテンツになる!」自身の経験が紡いだ “宿” の構想

その後梅守さんは、さまざまな人との出会いがきっかけとなり、 “今いる場所で楽しいことを見つけたほうがいい” と思考をチェンジ。その途端、自身が企画したインバウンド向けの握り寿司体験ワークショップが大ヒット!累計40万人の旅行者が参加する事業へと成長し、産業観光まちづくり大賞(経済産業省)をはじめ、さまざまな賞を受賞します。

「お寿司づくり体験は別に奈良県じゃなくてもできると思っていて。でも、“どこにでもあるものを、見せ方を変えたり、表現を変えたりすることで、たくさんの人に喜んでいただける。そしてそれが商品コンテンツになるんだ”と気づきました」(梅守さん)

握り寿司体験で得た学びから、どこにでもあるコンテンツを田舎へもっていくことで、経済を回したり、自分が働いたりすることができないのかと考えはじめたという梅守さん。田舎嫌いだったはずの彼女は、都会への憧れを抱きつつも、星野道夫さんの『旅をする木』という本に影響を受け、“いつか自然の中で暮らしたい”という想いが芽生えていったといいます。

「当時自分の中で持っていた問いが、“どのようにすれば、観光資源のない中山間地域で人が生きていく場所をつくれるのか” で。例えば、温泉が出るとか、立派な観光名所があるとか、そういう特別なものがない地域って日本全国にたくさんありますよね。だから正直にお話すると “山添村がめっちゃ好きだから、どうしてもこの地で何かやりたかった!” というよりは、“ただ単に山添村と縁があったから、ここではじめた”という感じなんです」(梅守さん)

特別なものがない山添村で抱いていた大きな問いを追求しはじめた梅守さん。その後、山添村の特産物である大和茶をコンテンツに、お茶摘みツアーやホームステイといったプログラムを企画。国内外の方々が山添村に訪れるという画期的な取り組みを成功させたことで、彼女の中に「自分の居場所を持ちたい」という想いが生まれはじめます。

「プログラムをはじめた頃は、山添村に住んでいる方のお家を借りて実施していて。地域で何かをつくっていくには自分のフィールドを持っていないと不便だなと思ったのが、“自分の居場所を持ちたい”=宿の構想のはじまりです」(梅守氏)

「ちょっと不自由なホテル」を通じて表現したい梅守氏の想い

ume,を語るうえで外せないのが、「ちょっと不自由なホテル」という不思議と心惹かれるコンセプト。「不便さを純粋に感じることで日々の生活を優しく、穏やかに、そして強く生きていこうという気持ちがふっと湧き出る場所になればいい」という梅守さんの想いが強く込められたコンセプトの背景には、家族と体験した痛烈な経験があるといいます。

「私は4姉妹なんですけど、私が20歳くらいのときに姉が突発的な精神疾患になり、重度の精神障害を患ったんです。当時23歳の姉の知能が、数日間で一気に2、3歳くらいの知能まで落ちるところを目の当たりにし、その2年後には妹が白血病になりました。その経験から “人はいつどうなるかわからない” と強く思ったんです」(梅守さん)

今でも家族がつきっきりで姉妹の看病をしながら生活を送っている梅守家。家族と密に接する中で、周りの人たちからの対応に憤りを感じることが多かったと話します。

「姉や妹が社会にとっての異質なものと思われたり、存在が認められなかったり、理不尽な体験をする中で、違和感を覚えることがたくさんありました。でも自然の中で暮らしていると、“異質と捉えられがちのこと” が、ある種 “当たり前” だったりするんです。例えば、足のないカマキリや死にかけの蝉が転がっていても、自然の中だと溶け込んでいるというか、当たり前の光景ですよね。

でもそれが人間になると、急に “異質なもの” という特別な感覚になる。『色んな人がいて社会が成り立っているんだから、どんな人がいても不思議じゃないというか、当たり前だよね』ということを宿で表現したかった」(梅守さん)

だからこそ、ume,は「外と中の区切りを曖昧にしてほしい」と設計士さんにオーダー。想像以上に素敵な場所ができたと梅守さんは顔をほころばせます。

「 “外から来た人や中から来た人” ということではなく、一人の個体としてコミュニケーションがとれる場所にしたいという思いで今の形が出来上がりました。その中で、地域で埋もれている資源をサービスコンテンツとして差し込んでいくことができたら、孤立して暮らしている地域のおじいちゃん・おばあちゃんにもスポットライトを当てることができるし、地域で経済を回すこともできる。全てがいい感じにまとまると思ったんです」(梅守さん)

ume,はお宿の空間もさることながら、梅守さんが振る舞うお料理も高い評判を得ており、そこに使われている食材は、ほとんどが地域のおじいちゃん・おばあちゃんが育てたもの。少しずつume,を中心に山添村の経済も動きはじめています。

どっちも正しいからこそ苦労した調整期間。自問自答があったからこそ生まれたブレない軸

今ではたくさんの方から愛され、地域に溶け込むume,ですが、構想当初は住民の方の理解を得られず、苦労したといいます。

「地域で何かをやられたことのある方は分かると思いますが、世代によって正しさの指標が全く違うんです。当時私は20代でしたが、『この村に人が訪れ、経済が回り、未来へと繋げていくことが絶対にいいこと』だと思っていたんですけど、90代の地元のおじいちゃんからすると『今までも静かに暮らしてきたんだから、今後も静かに暮らしたい』という考えもあって。どっちが良い悪いではなく、どっちも正しいことだと今の私なら思うんですが、当時の私は “やりたい!” で押し切ろうとしてたので(笑)。それがナンセンスで、結果的に構想期間と住民調整にトータル4年もかかってしまいました」(梅守さん)

宿づくりを着手してからも反対される度に工事を止め、お菓子やビールを持って、対話の時間を大切にしていたという梅守さん。

「反対される度に “本当にやる意味があるんだろうか” と自問自答し続けました。時間がたくさんあったからこそ、たくさん考え、“それでもやる意味がある”と思ったからこそ、腹を括れた。だから、これ以上何を言われても、『私が伝えたいことはこれです!はい、やります!』って思えるんです。もうブレることはありません。」と梅守さんは笑う。

「自分が表現したいことのために地域の力を借りる=地域づくり」という可能性

最後に、梅守氏に今後の展開をお聞きしました。

私のやりたいことは、ちょっと不自由だけど、人にやさしい場所をつくること。深刻な病気があって旅行に行きたいけど行けない家族とか、障害があるから外の目が気になってサウナに入ることができない方とか、いろんな人たちにとっての大切な時間をつくりたい。だから、本当はここに来たいけど、来ることができない人を招待するみたいなこともやりたいんですよね」(梅守さん)

終始、あたたかい笑顔で語る梅守さん。宿はあくまでも自分の夢を実現させるツールのひとつ。常に「自分一人では何もできなかった。私の強みは口(話すこと)だけ」という彼女だが、そんな彼女に魅了され、力を貸す人は後を絶ちません。

「自分のつくりたい場所には、 “自然” というエッセンスを差し込んでいきたいとも思っています。ほとんどの人が自分の周りを取り囲む動物や植物に興味を持つことってありませんよね。それを改めて、人間も動物も植物もひとつの個体として世界と繋がる時間をつくれたら嬉しいし、何より、私が自然に囲まれた場所で暮らすことが幸せなので、自分の幸せのために自然と交わりながら生きていきたいんです。

その中で地域のおじいちゃんやおばあちゃんの力を借りることで地域活性化することもあると思いますが、私の中でこれを “地域づくり” とは思っていなくって、“自分がやりたい” とか “自分が表現したい” と考えていることを実現するためには、皆さんの力が必要だから貸してもらっている感覚です」(梅守さん)

泊まりに来られた方に対しても、“スタッフ” と “お客様” ではなく、“梅守さん” と “(お客様名)さん” という関係を築いていくことを大事にしている彼女。

「お客様も私も、ひとつの個体で別の生き物。個人同士の繋がりになることで、結果的にume,の価値観が伝わっていくんだと思います」(梅守さん)

梅守さんの研ぎ澄まされた心情を叶えるべく、その土地にあるものを上手く使いながら、個と個を大事にする空間をつくりあげる。梅守さんの想いに魅了された多くの人たちが、そこでしか味わうことのできない経験を求めて足を運びます。

拝啓、「地域を元気にしたい!」と魅力的なコンテンツづくりに奮闘しているアナタへ

梅守さんから学んできた「ローカルに新たな仕事をつくる、編集力」。もしかするとそれは、場所や観光資源に捉われず、自分のやりたいことをとことん追求し、誰になんと言われようとブレずに自我を突き通す、そんな “芯の強さ” でしかなく、この強さこそが何もないと思っていたローカルに、新たな仕事を生み出すのかもしれません。

ですが、きっとはじめからこの強さを持ち合わせている人はいないのもまた彼女から学んだこと。梅守さんがそうであったように、何度も自問自答、地域の人と対話を重ねながら、自分の芯を強く、濃くしていくのだと感じます。

※ 本記事は、LOCAL LETTERが運営する地域共創コミュニティ「LOCAL LETTER MEMBERSHIP」内限定で配信された「LOCAL偏愛トークライブ」の一部を記事にしたものです。
詳細はこちら> https://localletter.jp/membership/

Editor's Note

編集後記

「自分のやりたいことが、結果的に地域の魅力づくりになる」という今回の事例は、地域づくりに携わっている多くの方々に驚き与えるのではないかと思いました。

強く優しい芯があり、アクティブでよく笑う梅守氏。梅守さんの記事を片っ端から読んだ中で、すとんと心に落ちた「絶対みんな、梅ちゃんを好きになる」という言葉。梅守氏の一貫した強い信念に振れ、まさしく参加者の皆さんが梅守氏を大好きになったそんな回になりました。

これからも LOCAL LETTER MEMBERSHIP の応援をよろしくお願いします!

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