公務員
私たちにとってごく身近な存在であるはずの「公務員」。しかし、実際に公務員が何をやっているのかを知っている人はどれくらいいるのだろうか。
「わからないことはとにかく調べてみる」という教えに習い、「公務員」を辞書で調べてもみたが、結局何をしているのか想像がつかない・・・。(そう思うのは私だけ?)
公務員とは、国や地方公共団体などの職員として、広く国民に対し平等に働くことを活動目的とし、営利を目的とせず人と社会のために幸せな生活の舞台をつくりだし支える仕事を担う職業。(「公務員とは?民間との違いはどこにある?」資格のTACより一部引用)
身近にいるはずなのに、なんだか遠い存在である公務員。今回は、そんな「公務員」とはなにかを考えるため、また、地域に住む当事者として地域を豊かにするとはどういうことなのか、向き合う機会として田中氏にお話を伺った。
総務省に入ったきっかけは「自分の村の一部がダムの下に沈んだ」ことだった。
奈良県の山奥にある大塔村で生まれた田中氏。生まれた時にはもう既に村はダムに沈んでおり、その事実を彼が初めて知ったのは中学1年生の頃。
当時、村会議長をしていた彼の祖父が、ダムを作るか否かの間に立ち、村の未来を考えていたこと。結局村の財源がなく、村をダムに沈める決断をしたこと。そして、村にできたダムは関西地域に電力を供給するために絶対に必要なものであったこと。
「関西地域からみれば、ダムができるのは嬉しいことだったんです。ですが、僕らの村からみれば、ダムができて村が沈むなんて、とんでも無いことなんですよ。だから、コミュニティ単位で利害が生じた時にはどうしたらいいのかと、いわゆる正義とは何かをひたすら考えていました」(田中氏)
学べば学ぶほど、コミュニティ間での利害対立は自分の村に限った話では無いことを知っていく。沖縄の基地問題や東北の原発問題、日本にとっては必要なものでも、地域からしたらとんでも無い問題は至る所にあった。
「世の中は、効率性や合理性が重視される傾向にあって、経済価値が生まれない地域は、日本全体で見るとどうしても優先順位が下がってしまうことが多いんです。でも地域からみれば、経済価値を生むか否かに関係なく、自分の住んでいる地域が最も大切な場所になったりします」(田中氏)
「個人レベル、地域レベル、日本レベル、地球レベルの幸せって多分ちょっとずつ違っていて、幸せの狭間に僕の村はあったんだと思うんです。そんな狭間にいる地域や人も含めて、みんなが幸せになる社会を創るために、コミュニティ間の利害を調整する仕事に就きたくて、総務省に入りました」(田中氏)
みんなが幸せになる社会を創りたい。
これが「総務省」田中佑典として顔だ。
「総務省」田中佑典として動く中で、彼は2つの気づきを得る。
1つ目は「物事は二項対立だけではない」ということ。
「今までは、お金がある or ない、村が潰れる or 潰れない、地域が幸せになる or 日本が幸せになる、みたいに物事を二項対立で見ていました。でも、実はテクノロジーを使えば、2つを両立させることができるのではないかと思い始めたんです」(田中氏)
例えば、とある村で高齢者向けにコミュニティバスを走らせるとすると、維持費だけで年間数千万円という費用がかかってくる。そうすると、どれだけ個人にとって必要不可欠なものであったとしても、地域や日本全体から見れば、合理性がない・経済性が悪いと思われてしまう。
しかしここに「テクノロジー」と言う要素が加わり、「自動運転」や「自然エネルギー」が導入されれば、両者(個人、地域・日本全体)にとって嬉しい未来を創ることができるのだ。
そして、2つ目の気づきは「シェアリングエコノミーの可能性」。
「今までは一方的に国や自治体がサービスを住民に提供していましたが、これからは地域にいる人同士が支え合うことによってコミュニティを維持していくことができると思っています」(田中氏)
例えば、既に村で財政的にバスを走らせられなくなった地域では、村の若者が地域にいる高齢者を自身の車に乗せ、病院への送り迎えを自主的に始めている地域が存在する。
お金がないから村が維持できなくなるのではなく、お金がなくても人と人が支え合うことによって、村を維持しているのだ。
「民間のテクノロジーやノウハウ、さらにはシェアリングエコノミーと行政の課題をマッチングすることによって、今まで行政が悩んできたことが一気に解消される可能性を大きく感じています。ですがその一方で、今はまだまだ行政は行政・民間は民間という風潮が強く、直接つながる機会は限りなく少ないんです」(田中氏)
だからこそ田中氏はあえて、公共を広げることで、より多くの人が、行政と民間のあり方を改めて考え直し、国のあり方を再度考えるために生まれた一般社団法人「Public Meets Innovation(PMI)」の理事を務める。
行政の力だけでなく、民間や個人の力を集結させることによって、二項対立にいた両者を幸せにしたい。
これが「PMI理事」田中佑典として顔だ。
これまで地域が存続する方法を模索してきた一方で、彼は抗えない「人口減少」という現実にも直面している。
2012年に1.2億人だった日本の人口は現在、1.1億人まで減っており、2100年には、4,500万人にまで激減するとまで言われるいま。
「必然的になくなっていく地域があったとしても、誰からも気づかれず、地域で寂しい思いをしている人がいるのは、僕にとって許せないことなんです。たとえ、地域がなくなってしまうにせよ、その地域に真正面から向き合って、幸せに地域を終わらせる方法 “地域の看取り方” を模索する人が必要だと感じ、“ムラツムギ” という一般社団法人を立ち上げました」(田中氏)
田中氏が「看取り方」を考えるようになったきっかけは、中学1年生の時に祖母から渡されたという一冊の本。
これは、今はなき田中氏の地元にあった坂本小学校の「卒業論文集」。創立100周年を迎えた当時、坂本小学校で育友会会長を務めていた田中氏の祖父が祝辞を述べていた。
「祖父の祝辞を初めて読んだ時、最後の一文に感動したんです」(田中氏)
母校阪本小学校がこの小冊子に収録された百年の歴史の上に、更に幾久しい未来にむかって永く輝やかしい歴史を積み重ね、今後共幾多の国家社会有為の人材を輩出されんことを希望してやみません。(坂本小学校卒業文集より一部引用)
現状ほとんどの地域が、存在していたことすらちゃんと残せないまま消えている。「当時は誰も村がなくなるなんて思っていなかったはずで、村がなくなることに想いも馳せれぬまま、村は消えていってしまいました。ですが、たまたまこの卒業文集が創立100周年を記念してつくられていたからこそ、当時どんな人が村いて、どんなことを考えていたのかを知ることができます。もう村はないけれど、僕には村を感じる心の拠り所はあるんです」(田中氏)
地域に根ざす文化や歴史、そこで暮らしていた人たちの生き様など、地域の人たちが大切にしたいものをしっかりと残すことで、幸せに地域を終わらせる「看取り方」を模索している田中氏。
今では、プロジェクトメンバーも増え、一般社団法人ムラツムギとしても走り出しているが、当時は休みの日に1人で、村人が2名しかいないような村に訪れ、話を聞き、ひたすらメモと写真を残し、雑誌の一部に寄稿していた。
「はじめた頃は、とにかくインパクトが小さくて、もどかしかった。自分で足を運んで村に訪れても、話をしてもらえるような関係性になるまでにはどうしても時間がかかってしまうんです。続ければ続けるほど、自分一人でできる活動ではないと感じていました」(田中氏)
1人の力の限界を感じ、その後3年間足踏みをしていた田中氏の転機となったのは、仲間との出会いだった。たまたま田中氏の活動を知り、その取り組みに共感した佐藤氏(現在田中氏と一緒にムラツムギの共同代表を務める)と出会ったことにより、田中氏の個人の活動は、一般社団法人「ムラツムギ」として再スタート。
現在は、京都で「エンディングノート」を作成中。村がなくなるまでにやりたいことや、村の最期の終わらせ方、村がなくなっても残したいものを地域の方と話し合いながら、一冊のノートにまとめていく活動を行っている。
「地域の人はなんとなく、このままでは村がなくなることは認識しています。でも、村がなくならないように地域活性をしたいと思っている人たちばかりでもないんです。無理に村として存続させるのではなく、もし形として村がなくなったとしても、村を象徴するものが残っていくことで、村が紡がれていく新しい形を一緒に模索しているのがムラツムギの活動です」(田中氏)
たとえ地域がなくなってしまうにせよ、その地域に真正面から向き合って、幸せに地域を終わらせる方法 “地域の看取り方” を地域の人と一緒に模索したい。
これが「ムラツムギ」田中佑典としての顔だ。
それぞれの利害がある中で「すべての人が幸せになる世の中は存在しない」と考える人が圧倒的に多い中、田中氏はいつどんな時でもすべての人の幸せを考える。
時には自分の立場を変えてでも、時には自分1人であったとしても、すべての人の幸せに寄り添う。
最初にひいた辞書の言葉をもう一度思い出す。
公務員とは、国や地方公共団体などの職員として、広く国民に対し平等に働くことを活動目的とし、営利を目的とせず人と社会のために幸せな生活の舞台をつくりだし支える仕事を担う職業。(「公務員とは?民間との違いはどこにある?」資格のTACより一部引用)
3つの顔を持つ田中氏。彼の素顔は、誰よりも目の前の人に親身に寄り添い続ける「根っからの公務員」なのだと私は思う。
Editor's Note
自分の立場、役割ではやりたくてもなかなか手を出せない部分だから「やらない選択」をするのではなく、どうやったら携われるのかを考え「できる選択」を模索し続けている田中さん。どんな些細なことにも当事者意識を持ち続ける田中さんの姿にパワーをいただく取材でした。
記事には書ききれませんでしたが、田中さんが13歳の時に持っていた「億万長者になって自分の村を買いとり、村を救うこと」という夢が非常に印象的で、「億万長者」という方法ではありませんが、自分にできる方法を模索しながら、多くの地域で地域の人と地域のペースで寄り添う田中さんに今後も目が離せません。
NANA TAKAYAMA
高山 奈々