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LOCAL LETTER

任期は3年でも、夢に期限なし。地域おこし協力隊卒業後に叶えた宿開業の夢

OCT. 04

TOYAMA

拝啓、地域おこし協力隊の任期3年間の使い方に悩んでいるアナタへ

地域で夢を叶えるための手段の一つに、「地域おこし協力隊」(以下、協力隊)という制度があります。地域が求めていることと自分のやりたいことが合致していれば、協力隊制度を上手く活用することで、夢を実現できるかもしれません。

しかし、自分の興味関心に沿ったミッションを選び、就任できたからといって、計画通りに活動が進むとは限りません。地域や行政との関係、感染症の流行や災害など、さまざまな理由で当初の計画が白紙になってしまい、3年間の活動計画に頭を悩ませる協力隊の話も少なからず耳にします。

今回取材した富山県氷見市の元地域おこし協力隊、野元希恵さんも、就任1年半で当初の宿開業計画が白紙に。それでも自分にできる活動を全うし、3年という任期を越えてゲストハウス開業の夢を叶えました。

野元さんがどのように困難を乗り越え、活動の軌道修正を行って夢の実現に辿り着いたのかその軌跡を伺いました。

野元希恵(Nomoto Kie)さん 氷見の暮らしを体験できる宿『Guesthouse泉屋』オーナー / 1994年⽣まれ、愛知県出身。2015年に保育科短大を卒業後、憧れだった海外生活のため、オーストラリアへ渡る。2020年に富山県氷見市に移住し、地域おこし協力隊に就任。卒隊後、2024年に氷見市の商店街に「Guesthouse泉屋」を開業。
野元希恵(Nomoto Kie)さん 氷見の暮らしを体験できる宿『Guesthouse泉屋』オーナー / 1994年⽣まれ、愛知県出身。2015年に保育科短大を卒業後、憧れだった海外生活のため、オーストラリアへ渡る。2020年に富山県氷見市に移住し、地域おこし協力隊に就任。卒隊後、2024年に氷見市の商店街に「Guesthouse泉屋」を開業。

自分の住みたい場所で、夢を叶えるために選んだ地域おこし協力隊という道

野元さんがゲストハウスに興味を持ったのは、自らの旅の経験からでした。

短期大学卒業後、ワーキング・ホリデー制度を利用し、オーストラリアで2年間の海外生活を送った野元さん。旅先のゲストハウスでは、個性的な人たちと出会い、たくさんの刺激を受けたといいます。

帰国後も「もっと日本の良いところを知りたい」と旅に出ては、宿で出会う人たちとの交流に魅了されていったそう。こうした体験を重ねるうちに、「いつか自分の宿をつくりたい」と思うようになりました。

さらに、愛知県出身の野元さんが富山県への移住を考えるようになったのも、オーストラリアで出会った友人がきっかけだったと話します。

「オーストラリアで仲良くなった友達が、帰国後富山に住んでいたのをきっかけに、私も富山に遊びに行くようになりました。友達は会社でも働いていたけど、キャンプ場の管理人もしていたんです。何度か遊びに行くうちに、自然の中でありのままに生きている姿がいいなと、友達の富山の生活に憧れるようになりました。

富山に移住したいと考えるようになり、最後はノリと勢いでした」と野元さんは笑いながら当時を振り返ります。

「地域おこし協力隊」という制度があることを知ったのは、富山県への移住を考え始めた頃。友達から「協力隊なら、車や家、お金がなくても、なんとか生活できるんじゃない?」という助言を受け、富山県の中で協力隊を募集している地域を探すことに。

とはいえ、数ある地域の中から、どのように氷見市を選んだのでしょうか。

「協力隊の募集サイトで探しているときに、『〇〇地区の地域活性化をしてください』というようなざっくりした募集内容の地域もある中で、氷見市の募集内容は細かいところまで具体的に書いてありました。

そこから氷見市に興味を持ち、市役所に話を聞きに行きました。その際、いつかゲストハウスをやりたい』という話をしたんです。そしたら、市の担当の方が『まだサイトには掲載していないけど、 中山間地域で古民家を改修してホテルをつくる計画がある。その運営をする協力隊をもうすぐ募集する』という話をしてくれて。

『これはもうやるしかない!』と思い、氷見市の協力隊に応募することにしました」

コロナ禍でもできることから。地域住民との関係性づくりと宿でのインターン

2020年3月、氷見市の協力隊に就任した野元さん。

古民家ホテルのプロジェクトは、県外の企業主導で進められており、野元さんの協力隊としてのミッションは「滞在型観光の促進」でした。具体的には、その古民家ホテルの宿泊客に提供する、地域ならではの体験プログラムをつくること。また、「外の人」であり、「地元の人と通ずる人」でもある、いわば地域内外の橋渡し的な存在になることが求められていました。

しかし、協力隊になったと同時にコロナ禍に突入。

古民家ホテルの改修を主導していたのが県外の企業だったこともあり集落を訪れることが困難など、なかなか話が進まない期間が続いたといいます。

「今、誰とも連携できていない。誰が何の役なんだろう。私は何をすればいいんだろう」

コロナ禍では、連携してやっていくはずの企業や自治体とコミュニケーションを図るのが難しく、不安を募らせていました。

「思うように活動できたのは最初の1ヶ月くらいでした。2020年の4月、5月あたりは『ステイホーム』で、何も話が進められない状態で。でも、そんなことを言っていてもしょうがないので、とにかく集落に行って、ひたすら歩き回って、会った人に話しかけていました。

ちょうど5月に田植えがあったので、地域の人と一緒に田植えをしたり、草刈りをしたりもしました。地元の人たちは親しみやすく、私を受け入れてくれている感じがあって、それが救いでした」

こうして、動きづらい環境下でも、徐々に地域の人との関係性を築いていった野元さん。さらに、それだけでは「活動できることが少なすぎる」と、宿泊施設でのインターンも開始。

「もともと繋がりのあった県内で町宿を運営している方に、『何か教えてもらえることはないですか』と相談したところ、『うちにインターンに来る?』と誘ってくださったんです。約1年間、宿のオペレーション業務を教えてもらったり、イベントの企画・運営をさせてもらったりと、いろいろな経験をさせてもらいました」

インターンの活動は、副業としてではなく、「今後宿を運営していく」下準備の活動として自治体から許可をもらい、協力隊の活動の一環として行っていたそう。氷見市の協力隊は、自治体との雇用関係を結ばず、個人事業主として活動を行う形式ということもあってか、比較的柔軟に活動を広げていった野元さん。自治体もインターンの活動を快諾してくれたといいます。

すべては宿の下準備。事業が白紙になっても諦めずに道を切り開けた理由

古民家ホテルの開業に向けて、自分にできることをコツコツと進めていた野元さんでしたが、コロナ禍のうえに、事業を進めるための助成金申請が思うように進まず、計画は行き詰まり、事業は白紙に。

「協力隊を始めて1年半で来た理由を失った」

今ではおどけたように話す野元さんですが、このときの喪失感を想像すると、いたたまれない気持ちになります。

しかし、野元さんはここでも諦めることはありませんでした。一体どのように乗り越えていったのでしょうか。

「これまで私のメインの活動地域は、古民家ホテルをつくる予定だった集落でした。でも、その地域だけだと限定されすぎていて、今後できることが少ないと感じていました。そこで『活動範囲を市内に広げ、市内全体の観光案内や体験プログラムをつくりたい』と自治体に相談し、承諾を得ました。

もちろん悩むことはありましたが、ひとりで抱え込むことが苦手な性格なので、協力隊の先輩や事業者さん、いろんな人に話を聞いてもらっていました。

それに、もともといろんなところに顔を出していたので、活動範囲を広げられることは、自分にとっても好都合だと思いました。協力隊の活動時間の中でいろんな人に会いに行くことができるなら、ラッキーじゃんって」

こうして協力隊2、3年目は活動を軌道修正し、メインの活動地域だった集落では大学生と一緒に体験プログラムを考案。市内全体では観光パンフレットを作成するなど、活動の幅を広げていきました。

他にも、富山県の観光ガイド育成プログラム「とやま観光塾」に参加したり、オンラインで地域リーダー育成プログラムにも参加したりと、自らのスキルアップにも務めたといいます。

「具体的に協力隊卒業後の道筋を立てられていたわけではない」という野元さんですが、どんな心境だったのでしょうか。

「卒業後にやりたいことはあるけれど、実際どう進めていけばいいかわからなくて。それでも、目の前にあるプログラムに参加して学んでいくうちに見えてくることがあるかなと思っていました。

私は気持ちがあっても人に伝えるのが苦手なのですが、こうしたプログラムに参加することで、『なぜやりたいのか』を言語化できて、ちゃんと人に説明することもできるようになったと思います。氷見市に住み続けたいという気持ちもあったので、そのためにできることを積み重ねていった感じです」

野元さんが諦めずにいられたのは、「宿の開業」だけに捉われず、「すべてはいつか自分が宿を持つときのための下準備」と考えられていたからではないでしょうか。

活動内容を伺っていると、たとえ物件が決まっていなくても、やれることはこんなにあるのだと思い知らされます。

やりたいことを口に出して掴んだ夢。氷見の心地良さを伝えられる宿を目指して

協力隊3年目の冬、朗報が。

なんと、地元の人から「氷見の商店街にある物件でゲストハウスをやらないか」と声がかかったといいます。

「ここぞ」というときにいつも誰かが声をかけてくれるのは、野元さんの人柄もありそうですが、何か心がけていることはないか伺ってみました。

「協力隊1年目は特に、誰にも相談できないというか、相談したところで『それの何が大変なの?』と言われそうで、自分の思いは伝わらない気がしていました。

でも、『やりたいことは口に出して、いろんな人に言った方がいい。そしたら誰かが必要なときに希恵ちゃんのことを思い出して声をかけてくれるから』と誰かに言われたことがあって。

とにかくそれを実行していました。『宿をやりたいんです』と、いつも口だけは動かしていたから

そう言って豪快に笑う野元さん。物件を紹介してくださった方も、夢を語る野元さんのこの笑顔をふと思い出したのかもしれません。

協力隊卒業後は、商店街の物件でゲストハウスを開業するため、氷見市のビジネスサポートセンター(Himi-Biz / ヒミビズ)で資金調達の相談を行い、クラウドファンディングに挑戦することを決意。ゲストハウスの改修や体験プログラムの備品購入には、協力隊の企業支援金を活用したといいます。

1年かけて準備を進め、2024年8月、ついに「氷見の暮らしを体験できる宿『Guesthouse泉屋』」をオープン。まだ開業したばかりの野元さんに、今後の展望を伺いました。

「氷見市にはわかりやすい観光地が少なく、大体の人は、美味しいお魚を食べに来たり、海越しの立山連峰を眺めに来たり。

もちろんそれも素敵なのですが、私が思う氷見の魅力は、住んでいる人たちの温かさや商店街の懐かしい雰囲気みたいなところです。そこに私は居心地の良さを感じていて。

だから、観光地というよりも、ちょっと夕方海に行って、夕日を眺めながら魚を釣るとか、地元の居酒屋やスナックに行って、地元の人と一緒にお酒を飲むとか、そういう何気ない心地よさを伝えられる宿にしたいと思っています。

実際に宿はオープンしたけど、まだまだ整えていきたいことばかり。体験コンテンツも増やしていきたいですし、この宿に来れば氷見のディープなところを体験できるという場所をつくりたいです」

「夢が叶った人」のストーリーは、どうしてもすべてが完璧に見えてしまうもの。

でも、そこに至るまでの野元さんの活動は、一つひとつ、とても等身大なものでした。

とにかく集落を歩き回る、インターンに行く、様々な研修プログラムに参加する。迷ったり悩んだりしたときは、周りの人に相談する。頼る。自分の思いを言葉にする。

「協力隊の3年間で、目に見える成果を挙げなきゃ」と苦しんでいる人がいたとしたら、野元さんの活動の軌跡から「決してそんなことはない」というメッセージを受け取れたのではないでしょうか。

活動が計画通り進められなくても、今、卒業後に進む道筋を思い描けなくても、野元さんのように目の前のことをコツコツと積み上げていけばいい。

任期は3年でも、夢に期限なし!

Editor's Note

編集後記

私が希恵ちゃんと出会ったのは、地域リーダー育成プログラムでした。同じ協力隊として、いろいろな悩みを共有し、励まし合ったことをよく覚えています。

元気いっぱいで、明るくて、ちょっと抜けている希恵ちゃんがつくるゲストハウスは、とても愉快な場所になっていくのだと想像しています。みなさんもぜひ希恵ちゃんに会いに行ってください!私も早く泊まりに行きたい!!

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