TOYAMA
富山
今の仕事もすごく楽しい。でも心のどこかで「このままでいいのか」と感じている。
けれど、そこから新しい選択をするのは難しく、踏み出すのをためらってしまう。
そんなジレンマを抱えたことがある方もいるのではないでしょうか。
「アナウンサーの仕事は楽しいと感じていました。でも心のどこかで契約の終わりに追われる生き方に疲れも感じていました」
そう話すのは、今回取材した辻井栄美子さん。
栄美子さんは、2023年4月、憧れて就いたアナウンサーの仕事を辞め、家業である「民宿あおまさ」を継ぐという大きな決断をしました。
富山県氷見市の海辺に位置する「民宿あおまさ」は、1972年に栄美子さんのおじいさんが創業した民宿。コロナ禍のために一時は廃業を検討しましたが、栄美子さんと旦那さんの隆雄さんが経営者となり、今も地域に密着した温かな宿として愛され続けています。
アナウンサーとして活躍されていた栄美子さんが、家業の継承を選択した背景にはどのような思いがあったのでしょうか。
本記事では、アナウンサーの仕事と民宿を継ぐ2つの選択肢の間で揺れた栄美子さんの心の内側に迫りながら、民宿を通して伝えていきたい想いについて掘り下げます。
アナタが心から選びたい道へ進むためのヒントになりますように。
栄美子さんは新卒でアナウンサーとしてNHKに5年間勤め、その後民放で4年間、主に富山県で勤務されていました。アナウンサーを目指したきっかけは、学生時代の「憧れ」だったそうです。
「私は富山県氷見市という、すごい田舎の生まれだったので、都会に強い憧れがあったんです。当時小学生だった自分にとって象徴的だったのが、雑誌『SEVENTEEN』でした。そこに出ているモデルさんをみて『私もこうなりたい!』と思って自分で応募しました」(栄美子さん)
しかし、オーディションには落選。この経験が、アナウンサーになる最初の一歩になったのだそうです。
「落選した理由を聞いたときに、審査員の方から『あなたぐらいの容姿だったら、掃いて捨てるほどいる』と言われました。そこで、ようやく身の程を知るんですよね。容姿では勝負ができないと。
でも、その経験があったからこそ、容姿とは違うところで頑張って、芸を身に付け、人よりも抜きんでる必要があるんだと学びました。
その後事務所に入り、アナウンスのレッスンを受けて喋るスキルを磨きました。そしてようやくリポーターの仕事がいただけるようになったんです。その時に、同じ事務所のアナウンサーの先輩をみて『絶対アナウンサーになりたい』と憧れて、就職活動をしました」(栄美子さん)
そして、内定を勝ち取り、晴れてアナウンサーになる夢を叶えた栄美子さん。
「地元のことを取材して伝えるうちに、だんだん地元が好きになりました。こんなに魅力的なところがあることを改めて知ることで、それを色んな人に伝えたい気持ちが強くなっていきました」と語ります。
憧れていたアナウンサーの仕事。そこにはやりがいや楽しさがあったそうです。
「放送に関わる仕事や伝える仕事は楽しいと思っていて、家業の民宿を継ぐつもりはなかったんです」と栄美子さんは振り返ります。
「民宿が嫌いだったわけではなくて、なくなるのは勿体ないな、続いてほしいという気持ちはありました。アルバイトとして手伝ったこともあり、『いい仕事だな』と感じてもいました。でも、アナウンサーの“伝える仕事”の方が楽しいと思っていたんです」(栄美子さん)
今がすでに充実しているのであれば、そこから踏み出すのは決して簡単なことではないと思います。そんな中、栄美子さんが家業の民宿を継ぐことを決断したきっかけは何だったのでしょうか?
「アナウンサーの仕事って、3~4年で会社を変える人が多いんですよ。私が働いていた頃は、一般的に契約期間が決まっていました。
常に契約の“締め切り”を意識しながら次どこに行こうか、今よりもステップアップできるところに行かねばならない、そういうプレッシャーに追われる生き方にちょっと疲れもありました。追われながら生きていくことに、どこかでピリオドを打ちたいと思っていたんです」と、当時の心境を振り返ります。
次の時間のキャリアを見つけていきたい。家業の民宿は「いい仕事だな」と感じる。でも、心の中にはひとつのハードルがありました。
「女1人で継ぐのは、相当な覚悟がいるというか…。家族を背負って仕事をしていかなきゃいけない役割を担う勇気が当時の私にはありませんでした」(栄美子さん)
そんな時、辻井隆雄さんと結婚。隆雄さんからの「2人でやってみよう」の言葉が、栄美子さんを動かす後押しとなりました。
「僕は警察官だったので、不定期な働き方をしていました。何か事件があれば、夜中でもすぐ仕事に行かなきゃいけなかったですし。そういう状況を考えると、民宿をやったほうが、家族で過ごす時間が何年分も増えるんじゃないかなと思いました」(隆雄さん)
家族の時間が増えること、そして、次のキャリアを考えた栄美子さんは「このタイミングが一番いいのかもしれない」と感じたといいます。
「私と結婚したいと言ってくれる人が現れて、民宿の仕事も自分が本当に納得して、やりたいなと思える。そんな場所を見つけられたんです」(栄美子さん)
この決断の背景には、以前より「いいな」と感じていた民宿の価値も、ひとつの大切な要素になったといいます。
「氷見では、民宿は人々の生活にとても身近な存在なんですよね。他の地域だと民宿はあまり馴染みがないかなと思いますが、氷見における民宿は、色んな機能を備えています。例えば、冠婚葬祭、送別会、歓迎会や忘年会、家族の誕生日など、全部民宿でやる文化があります。
民宿に集まって、みんなでワイワイとお酒飲んで翌日に家に帰る文化があるんです。だから、ホテルの数よりも民宿の方が圧倒的に多い地域なんです。楽しいことは民宿でやる、そういう雰囲気があります。私は、ホテルとはまた違う、みんなが楽しい時間を共有する場である民宿に関われる仕事は素敵だなと思っていました」(栄美子さん)
民宿経営への歩みを進めた、栄美子さんと隆雄さん。
栄美子さんが民宿を継承するにあたり、アナウンサーの仕事の経験が「すごく役立っている」といいます。
「私は元々食べ物が好きで、仕事でも食べ物を取材することが多かったんです。一緒に漁師さんと漁に行ったり、農家さんと畑に行ってどのように作物を育てているか、どうして美味しいのかを聞いたりしていました。実際に自分で取材して体感することによって、お客さんに『この食材はこういうふうに取れて、だから美味しいんですよ』と、実感を持って伝えられるんです」(栄美子さん)
栄美子さんが好きと感じる「伝える」の要素が民宿で生かされていると同時に、隆雄さんの「好き」も取り入れられているのが、「民宿あおまさ」の素敵なところ。
「隆雄さんが、家族のことを考えて継いでくれたのはすごく感じていました。でも、民宿の仕事そのものに魅力を感じてこの仕事をしたいと言ってくれたわけではないと思っていました。だからこそ、民宿の他に、隆雄さんも楽しく働けるような新しいことをやった方がいいなと思いました」(栄美子さん)
そう考えた栄美子さんが、新しい取り組みとして選んだのは、サウナ。
「隆雄さんは“三度の飯よりサウナが好き”な人なんです。それで、自分が好きなサウナを作ってみたらどうかと伝えたら、隆雄さんオリジナルのサウナが出来上がりました」と、あたたかい笑顔で話す栄美子さん。
隆雄さんが作ったサウナは、海の広がりを堪能できる絶景サウナ。
海の向こう側から昇る朝日を見ながらサウナを楽しめ、目の前の海が水風呂代わりになります。
「サウナを置いたら県外のお客さんも来てくれるんじゃないかなと思って。継ぐ前はほとんど県内のお客さんだったので、『県外に重きを置いて宣伝したいよね』と継ぐ時に二人で話していたんです」と隆雄さん。
実際に、以前は県外のお客様が全体2割ほどだったところから、サウナを設置した後は5割ほどまで増えたそうです。お客様の年齢層も30〜40代の若い世代が増えたといいます。
こうして、二人が「好き」と思える要素を取り入れていった「民宿あおまさ」。
栄美子さんは、民宿での仕事やアナウンサー時代の経験を通して、こう感じているそうです。
「色んな経験をして、ものを見る角度が変われば、どんなところにいてもきっと楽しいことや魅力は見つけられると思います。
県内の放送の仕事を通して取材させていただく中で、地元の魚や伝統の食文化などを大人になってから初めて知りました。そういう食の文化も含め、氷見はいいところだなと今すごく思っています。民宿では、それに触れられる仕事をしてるので、とても幸せを感じています」(栄美子さん)
「民宿あおまさ」を継いで2年目を迎えた2024年。栄美子さんと隆雄さんはこれからの展望についてこう語ります。
「最近2人で、県外の人をたくさん集めて地引網体験のイベントをやってみたいねと話しています。民宿のすぐ目の前の海で地引網ができるんですよ。直接魚にも触れ合えて、その場で食べることができて楽しい体験になるんじゃないかな」(隆雄さん)
栄美子さんも、「自分たちが『楽しい』と感じた体験をお客様にも味わってほしい」と話します。
「お宿に泊まっていただくだけじゃなくて、いろんな体験ができるお宿にしていけたらいいなと思います。例えば、釣りをして自分で釣った魚を食べるととても美味しいじゃないですか。三ツ星シェフが作った料理が美味しいみたいなラグジュアリーな経験ではなくて、自分が釣った体験があるからこそ美味しいと感じられる。
言葉で魅力を伝えるだけではなくて、体験してもらうことが、何よりも人の記憶に残るんだと思います」(栄美子さん)
栄美子さんは、地域の方との出会いや体験を通じて、お客様に氷見の魅力を感じてもらいたいと考えているそうです。
「私たちだけでできることには限界がありますが、氷見のまちの人や食べ物、場所の素晴らしさに触れてもらいたいです。そうすることで、『あおまさがいいね』ではなく、『あおまさ“も”いいね』と感じてもらい、また氷見に遊びに来てもらう。そうして、宿が県外のお客様と地域の方を繋ぐ拠点になれたら嬉しいです」(栄美子さん)
アナウンサーの仕事が好き。でも、どこかで感じるプレッシャー。
楽しいと思える民宿を継ぐ道。でも、あと一歩の勇気が出ない。
そんな合いそうで合わなかったピースが、「地域の魅力を伝える」という軸でつながり、事業を通して家族の幸せとともに、氷見全体の豊かさも創り出してしていく。
その選択には、確かな想いと信念がありました。
新しい一歩を踏み出し、事業を通じて地域全体の豊かさに取り組んでいる人々の物語に興味がある方は、ぜひLOCAL LETTERのメールマガジンもチェックしてみてください。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Information
“個性”と“温度”を引き出すインタビューとライティングで、
心を揺さぶり行動を生み出すインタビューライターへ。
多種多様な人の生き方やビジネスをインタビューし、
800地域・1,100記事以上の掲載を誇る「LOCAL LETTER」が
一流のインタビューライターと共同開発したプログラム。
<こんな人にオススメ!>
・相手の言葉を心地よく引き出すインタビューがしたい
・だれかの行動のきっかけとなる記事を書けるようになりたい
・未経験だけどインタビューライターに憧れている
・独学でライティングしていて、仲間と学びを深めたい
インタビューライター養成講座の詳細はこちら
https://whereinc.co.jp/academy/interviewwritter/
Editor's Note
アナウンサーとしての経験や「伝える」ことへの情熱を、家業の民宿に取り入れ、新しい形で地域の魅力を発信していく栄美子さんの姿は輝いて見えました。
栄美子さんと隆雄さんの好きがぎゅっとつまった「民宿あおまさ」のこれからが楽しみですね。
Amika Sato
佐藤 安未加