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LOCAL LETTER

計画は「半分白紙」の方がいい。伊豆大島で「多業」を実らせた、右手を空ける仕事術

AUG. 07

TOKYO

拝啓、未知の土地へ一歩踏み出すことに不安を感じ、立ち止まっているアナタへ

新しい土地で何かを始めること。その挑戦に不安はつきものです。
『自分には何ができるのか』という問いがふと頭をよぎることもあるかもしれません。 

神田遼さんが伊豆大島に移住したのは、2020年の秋のことでした。コロナ禍という先の見えない状況のなか、勤めていた旅行会社を退職し、単身で島へ渡ったのです。

それから5年半が経った今、神田さんはシェアハウスやゲストハウスの運営、さらにはジオガイドと、島を舞台にマルチな活動を展開しています。

予測不能な日々の中で、神田さんはどのように将来と向き合い、自分の仕事を育ててきたのか。その軽やかで芯の通った仕事観に迫ります。 

神田遼氏/2020年、地域おこし協力隊として伊豆大島へ移住。シェアハウス「クエストハウス」やゲストハウス「Stay Do」の運営、ジオガイドなど、観光を軸に複数の仕事を営む。

計画を立てながら、余白でチャンスを掴む 

割と直感で移住を決めたと語る神田さん。伊豆大島に移住したのは、『地域おこし協力隊』という仕事に就くためでした。

伊豆大島は、東京都に属する伊豆諸島最大の島。火山島ならではの自然や文化を生かし、多くの人が観光や地域づくりに携わっています。

地域おこし協力隊とは、地方へ移住し、地域づくりに取り組む制度です。神田さんの業務内容は『島の直売所での勤務』でした。任期は原則3年までで、任期後の仕事や暮らしは自ら築いていく必要があります。 

3年後のことは、正直よく分かっていませんでした。コロナ禍で先も見通しづらく、『何がしたいか』もまだはっきりしていなかったんです。ただ、この島で暮らし続けたいという思いだけはあったので、人に会ったり話を聞いたりしながら動いていました」 

当時、島には協力隊の同僚もいない状況でした。そんな中、神田さんが続けてきた習慣があります。

「協力隊のあいだは、3年後から逆算して1年後や半年後のことを考えていました。答えがなくても、振り返りと計画をする習慣だけは欠かさないようにしていましたね」 

しかし、一方で神田さんは「ガチガチな計画を立てる必要はない」 とも語ります。

「予定を詰め込みすぎると、新しいことが入る余地がなくなってしまう。だから僕は『右手を空けておく』ことを意識して動いてきました。面白そうな話や出会いがあったときに、すっと手を伸ばせるようにしておきたいんです」

偶然が生んだ『クエストハウス』という拠点 

 「空き物件があるんだけど、一緒に見に行かないか

移住から半年の神田さんに舞い込んだ、一本の誘い。それが、計画になかった新しい挑戦の扉を開くことになりました。

「その時までは何かを始めるつもりもありませんでした。でも、内見を終えたあと仲間に『ここで一緒にシェアハウスをやらないか』と誘われて。面白そうな予感に従って、そのままやることにしたんです」

そうして生まれた場所が、シェアハウス『クエストハウス』です。

『クエストハウス』の外観

クエストハウスは、神田さん、八丈島出身の移住者、地元出身者の3名が共同代表となり、それぞれの視点を持ち寄って運営しています。 

運営にあたり、3人で話し合って決めたのは『無機質な住居』ではなく、『挑戦者の基地』であることでした。

「単に部屋を貸すのではなく、僕らが関わる意義を見出せる場所にしたかった。だから『家を探している』という人よりも、『伊豆大島で何か挑戦したい』という人に住んでほしかったんです。移住の一歩目として、ここを拠点に挑戦してほしい。そんな思いから、クエスト(=探求・冒険)ハウスと名付けました」

オープンから4年半。今では、そのコンセプトに惹かれた住人たちの滞在してきた蓄積があります。

至るところに、クラウドファンディングに協力してくれた人の名前が刻まれている

「島で焼き鳥屋を開業した人、ジビエの商品化に挑む猟師。二拠点生活でロケーションの仕事をしている人 やリモートワーカー、アメリカからの住人がいたこともあります」

神田さんが空けていた「右手」に飛び込み、動き出したプロジェクト。

立ち上げ当初の理想は、三人の活動を通じて、この場所で日々形を変えながら息づいています。

動きながら見えてきた、『観光』という軸 

シェアハウスという拠点を構えた神田さんが、次に飛び込んだのは「ジオガイド」の世界でした。

火山島で独特の地形の多い伊豆大島では、島の地形や歴史を紹介するためのガイドが制度化されています。町役場が主催する養成講座を経て認定を受けたその仕事は、神田さんにとって「自分自身を試すための、もう一つの柱」でした。

ジオガイドをはじめるきっかけは、前職の旅行会社での出来事にさかのぼります。

「普段は旅行商品を作る仕事だったので、どれだけ商品を作っても、その先のお客さんと直接会うことはなかったんです。

そんな中で、フィンランドに2か月ぐらい駐在したことがあったんです。その時に『オーロラのガイドをしなさい』って言われて、現地でお客さんを案内する仕事をやったんですよね」

商品をつくる側として働くなかで、初めてお客さんと直接向き合う経験でした。

「実際にお客さんを案内するのはすごく楽しくて」

その時の感覚は、その後も神田さんの中に残り続けていたと言います。

「だから、いつかガイドの仕事はやってみたいなと思っていました。そんなことを考えていたとき、ちょうど伊豆大島ジオパーク認定ジオガイドの養成講座の募集があって、一歩踏み出してみました」

しかし、このガイド業も行政からの紹介が保証されているわけではありません。協力隊の業務外である休日の挑戦として、自らホームページを立ち上げ、集客を行う。そんなゼロからの挑戦の連続でした。

「協力隊の業務内容とは畑違いではありましたが、やってみました。最初はお客さんも全然入らなかったのですが、ちょっとずつ増えていきました」

こういった挑戦の中で、神田さんのなかで『観光』というテーマが明確になっていきます。

「島で色々と動いたり、色んな人の話を聞くうちに、自分自身のテーマもだんだん研ぎ澄まされていきました。昔、この島にたくさんの観光客が来ていた時代を知る人たちの話を聞いていると、『人が来る土地としてのポテンシャル』をすごく感じたんです。そうして、自分の中のテーマとして『観光』というものが研ぎ澄まされてきたんです」

『クエストハウス』4周年のチョークボード

『やりたい』を伝え続けてたどり着いた場所

観光という軸で、神田さんがもう一つ立ち上げたいと思い続けてきたのが、ゲストハウスでした。ただ、最初から具体的な計画があったわけではありません。

いつか宿をやりたいんですよね

そんな話を、島で出会った人たちとの会話の中で繰り返していました。

特によく通っていたのが、島の人が集まるカフェ。仕事帰りにほぼ毎日立ち寄り、マスターや常連客と話すなかで、島のことを教わり、自分のやりたいことも口にしていたといいます。

「宿をやりたいと話すと、『そんなん絶対ダメだよ』と言われることもありました。島のことをよく知る人だからこそ、耳触りのいい言葉だけではなく、率直な意見も返って来ます。マスターからいろいろアドバイスを受けたり、『島の人はこういう感じだよ』って教えてもらったりしていました」

ただ、神田さんは思いついたことを誰にでも話していたわけではありませんでした。

「ベラベラ誰にでも言っていたわけじゃないんです」

意識していたのは、相談する相手を選ぶことだったと言います。

「ちゃんと相談に乗ってくれそうな人にだけ言うようにしていました。

特に小さい地域ほど、誰にも何でも話していると『こいつ八方美人だな』って思われることもある。だからこそ、自分のやりたいことは、本当に相談したい相手にだけ話していました」

そんな中で知り合ったのが、波浮港(はぶみなと)という地域で商店を営んでいる人物でした。

かつて、船が風を待つ港として、多くの人でにぎわった波浮港

「もうすぐここが空くんだけど、もし宿とか飲食店とか、何かやるつもりなら貸してもいいよ」

思いがけない提案でした。

じゃあ絶対やります。一旦押さえさせてください

神田さんはすぐに返事をしました。

「宿をやりたい」という思いを日頃から周囲に伝えていたことで、その言葉を覚えていた人が機会を運んで来て、神田さんのゲストハウス事業が動き出したのです。

そうして生まれたStay Doは、築70年近い古民家を活用したゲストハウスです。

もともとは化粧品店だった建物で、広い土間や昔ながらの建具など、古い建物の魅力を活かした空間づくりがなされています。

『Stay Do』の一階には、土間や化粧品の陳列棚に昔ながらの品などが並んでいる

「Stay Doに宿泊している人をガイドすることもあります。観光というテーマのなかで、それらの仕事は繋がっていますね」

宿がオープンしたのは、協力隊の任期が終わる数か月前のことでした。

神田さんは3年間の活動の中で、シェアハウス、ジオガイド、ゲストハウスといった仕事を少しずつ形にしていきました。

最初から完璧な計画があったわけではありません。先のことを考えつつも右手を空けながら動き、地域で暮らし、人と出会い、その中で見つけた機会を一つずつ掴みながら、自分のやりたいことを形にしていったのです。

『地域のため』より、自分のできることを最大限に

移住当初、神田さんは「地域のために何ができるか」を強く意識していたと言います。

「最初は地域のためにやらなきゃという思いが強かったんです。でも実際には、地域が求めていないこともある。だから今は、自分のできることをその場所で最大限発揮することの方が大事だと思っています」

できることを一途に続ける。その結果として地域への貢献が生まれる。
その考えの背景にあったのが、個人事業主として仕事を始めた経験です。

「会社員の頃は守られていましたが、個人で仕事を受けるようになると、まず自分が生きていかなきゃいけない。その感覚は大きかったですね」

自分の暮らしを成り立たせるために、自分は何ができるのか。

その問いに向き合うなかで、自分の軸も少しずつ明確になっていったと言います。

そして、その軸をもとに「右手を空けて」歩んでいくこと。

予定も仕事も詰め込みすぎず、面白そうな話や新しい出会いがあったときに、すぐ手を伸ばせる余白を残しておく。そうした姿勢が、シェアハウスやゲストハウス、ガイドといった仕事にもつながってきました。

「今後も、観光を軸に活動を広げていきたいですね。例えば、インバウンドのお客さんを受け入れたりとか。でも、やっぱり右手は空けて、面白いものが飛び込んできたらキャッチしたい。ひょっとしたら来年はラーメン屋をやってるかもしれない。それくらいには、常にワクワクしていたいかな」

そう笑いながら語る神田さんですが、その言葉の奥には、自分の軸を持ちながらも、偶然や可能性を受け止める柔軟さが感じられます。

計画を立てることと、余白を残すこと。

その両方を大切にしながら歩んできた神田さんの姿は、将来がまだはっきり見えていない人にとって、一つのヒントになるのかもしれません。

本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。

Editor's Note

編集後記

移住や起業の話を聞くと、つい「どんな計画を立てたのだろう」と考えてしまいます。しかし神田さんの歩みから見えてくるのは、必ずしもそういった側面だけではありませんでした。大切なのは、進む方向だけは見失わずに、人や機会との出会いに手を伸ばせる状態でいること。伊豆大島で育まれた神田さんの仕事観は、未知の土地へ向かう人への静かなエールのように感じました。

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