TOKYO
東京
子どもたちにとって、学びの場は教室の中だけではありません。
海や山、風の音、土の匂い、地域の人との関わり。その土地にあるものすべてが、子どもたちの心を育てる体験になることがあります。
東京の保育園で3年間働いた後、生まれ育った伊豆大島に戻り、50年以上にわたって子どもたちと向き合ってきた人がいます。北ノ山保育園の理事長、金川文代さんです。
日本ジオパークにも認定されている伊豆大島は、人口約6,500人が暮らす、伊豆諸島最大の島です。活火山である三原山を中心に、海と山が織りなす雄大な自然が広がっています。
金川さんは、「この環境で子どもたちを育てたい」という思いを胸に、島の自然をまるごと活かした保育を続けてきました。海へ歩き、山に入り、風や土に触れながら、子どもたち一人ひとりに、自分が本当にいいと思う体験を手渡してきたのです。
その実践は、やがて保育園の中だけにとどまらず、カフェの開業や日本ジオパークガイドの活動へも広がっていきました。
金川さんの53年を貫いてきた「体験を通して人の心を豊かにしたい」という願いとその実践について、お話を伺いました。

金川さんが保育士を目指したのは、18歳で島を出て上京してからのことです。
当時、高校を卒業した若者の多くが島を出て都会へ向かいました。金川さんもその一人でしたが、明確な目標があったわけではありませんでした。
「自分がどんな仕事をしたいかとか、どんな将来を目指しているかとか、全くわからないまま都内に移ったんですね。今から50年以上前のことで、その時代、島を出る時にはっきりと目標があった人は少なかったんではないかなと思います」
その先の進学を考えるにしても、経済的な余裕もなかったといいます。
「まずは就職をしようということで、高校の教頭先生がとてもよく面倒を見てくれて、職業安定所をいろいろ回ってくれました」
そうして見つけた会社で初めに就いたのは、保育とは関係のない仕事でした。

転機が訪れたのは、もともと絵を描くことが好きだった金川さんが参加していた、会社の仲間とのスケッチ旅行でした。そのグループで3歳年上の女性と出会います。
「すごく真面目で、包容力があって、私の話をよく聞いてくれる方でした。こんなに素晴らしい人格の持ち主がやっている仕事ってなんだろうって、ものすごく感激して」
その方が、保育士でした。
「たまたまその方に巡り合えたことで、私は方向性を決めていくことができたんですね」
会社の援助を受けながら夜間学校に通い、昼は働き、夜は学んで保育の資格を取得しました。こうして金川さんは、保育の道へと踏み出したのでした。
最初に働いたのは足立区の保育園でした。当時の足立区は、近くに田んぼがあり、公園では植物にも触れられました。都会の中では恵まれた環境だったかもしれません。
それでも、年を追うごとに思いは募っていきました。
「やっぱり伊豆大島の環境とは全然違う。島の環境の中で子どもたちと過ごしたい、保育がしたいという思いが、都会にいればいるほど強くなっていって。帰りたいなあと常に思っていました」
3年後、金川さんは島に戻ることを決めました。

戻った先で出会ったのが、北ノ山保育園でした。当時の伊豆大島では、保育園はすべてキリスト教主義を土台として立ち上がったもので、北ノ山保育園もその一つでした。
もともとキリスト教に馴染みがなかった金川さんでしたが、働くうちにやがて「一人ひとりが大切にされる」というその方針が、心に響くようになっていきました。
「今まであまり目標や方針がはっきりしていない保育園にいただけに、それがとても心に響いたんです。子どもたちにも、親御さんにも、地域に暮らす一人ひとりにも、みんなに思いを届けていくという方針が、しっくりきた覚えがあります」

そこには、島の自然をまるごと使った保育が根付いていました。
北ノ山保育園では、生後3ヶ月から子どもを受け入れています。0歳の赤ちゃんであっても、外の空気に触れることを大切にしてきました。
「自然の中の、本当にいい音たちをたくさん聞いてほしいと思っています。庭だけではなくて道端に出て、空気を吸ったり、季節のものを見つけたり、鳥たちの声を楽しんだり。これは0歳でも可能ですし、当然1歳でも2歳でも普通にできると思いますね」
金川さんは、子どもたちをさらに遠くへと連れ出していました。2歳になれば少し遠くへ、3歳を過ぎると山や海が行き先になります。
「お天気が良ければほとんど毎日、子どもたちと外に出かけました。春は山で食べられるものを探しに行く。夏になるとほとんど毎日のように海まで歩いて行って。
近くの愛宕山には戦時中の防空壕があって、ロープと懐中電灯を持ってコウモリを見に行ったりもしました。崖をロープで登り降りする訓練みたいなこともやりましたね」
金川さんは楽しそうに保育の様子を振り返ります。

行き先は決まっていませんでした。子どもたちの反応を見ながら、次々と新しい場所を開拓していきました。
「子どもたちの冒険心をくすぐるような場所を、地域の中でいっぱい探してね。散歩をしまくったというか」
散歩のたびに、子どもたちは「これ、なんて名前?」「どうしてこうなってるの?」と問いかけてきます。
「今もう50歳ぐらいになってる子たちが、島で会うと『先生、あの遊びは楽しかったね』って言ってくれるんです。一人ひとりの当時の様子が、今でも鮮明に頭の中に浮かんできますね。
それがね、私にとってはとても幸せなことだと思っています。
子どもたち一人ひとりが、無事に成長して、心豊かな生活をしてほしいなといつも思っています。だからいつも夜に床につくときに、一人ひとり心豊かな人生になりますようにと、お祈りをさせてもらっています」
50年間、その祈りは変わりません。

北ノ山保育園で働く保育士のうち、今は島出身者が3分の1ほど。残りの多くは都内から採用した人たちです。
知り合いもなく、慣れない島にやってきます。それは決して簡単なことではありません。だからこそ金川さんが採用で大切にしてきたのが、「仕事だけでなく、島の暮らしそのものを楽しめるかどうか」だといいます。
「仕事だけだと、やっぱり島の暮らしはちょっと厳しいと思うんですよ。仕事から帰ってからの暮らしも楽しめないと、疲れてしまうと思うので。
自分の趣味や思いが地域の中で受け入れられて、自分から発信していけると、居場所が見つかっていく。それが島の暮らしの面白さだと思うのです」
島に来た保育士たちを助けるのは、金川さんだけではありません。
島にはもともと「放っておかない精神」が根づいています。若い人が来れば、青年団や婦人会が声をかけ、自分たちの輪に引き込もうとします。そんな関わりの中で、気がつけば地域に居場所ができていきます。
「隣にいる人に何か必要なことがあれば、自分にできることをやってあげたい。みんな無関心でいられないんですよ」

そんな島の空気の中で、都内から来た保育士たちは少しずつ根を張っていきます。島で伴侶を見つけてそのまま定着した人も少なくありません。
「何よりもやっぱり、自分が楽しくないと子どもたちにも伝わらない。都内から来た保育士たちが大島に定着できたということは、この島の暮らしが合っているということだと思っています」
保育士自身が島の暮らしを体験し、心から楽しむ。それがそのまま、子どもたちへの保育に還元されていく——金川さんが大切にしてきた、島での働き方の本質がそこにありました。
保育の現場で積み重ねてきた、「自分がよいと思う体験を手渡す」姿勢は、他の活動にも自然につながっていきました。
2010年に「伊豆大島ジオパーク認定ガイド」になったのも、その流れです。
「保育園でお散歩をしていると、子どもたちが『先生、この蝶々なに?』『これどうやってできたの?』って聞いてくるわけですよ。それに答えてあげられるのは、周りにいる大人なので」
園児たちとともに発見し、問いに答える視点が、そのままジオパークガイドへとつながっていきました。
「火山だけでなく、土地の成り立ち、人の暮らし方、文化、たびたび起こる災害。ジオパークを学ぶことで、知らなかった島の宝物にどんどん気づかされていきました。学ばなければわからなかった島のことが、本当にたくさんあるということを知らされましたね」

また、約18年前に開いたカフェは、保育の現場で長年見てきた光景から生まれました。それは、転勤で島に来たものの知り合いもなく孤立しているお母さんたちの姿でした。
「保育園の中で思わされたことを、地域の中で広げていった感じです」
園長職を退き、理事長として運営に関わりながらも時間ができたこともきっかけの一つでした。
「まだ保育園に入れていなくて、知り合いもいない。異郷の地で、子育てに悩んだり、悶々と過ごしていらっしゃる方が多かった。そういう方たちが少しでも自分を解放できるような場所があれば、どんなにいいだろうと思っていたんです」
カフェの名前は『押し花』。自宅から5分ほどの場所で、金川さんが一人で切り盛りしています。
「お子さんを連れてきて遊ばせながら、親同士でお話をしてもらう。赤ちゃんがいても横に寝かせながら、ご自分の好きなことができたり。近所のご高齢の方も来てくださって、観光のお客様とも交流ができたり。
一日家で言葉を発することもなく過ごしていた方が、ここに来ればいろんな方とお話ができる。できるだけ安くて、時間たっぷりここにいられるような場所にしたかったんです」
カフェには、金川さん自身の「好き」から生まれた押し花教室も併設しています。こうして『押し花』は、世代も背景も違う人たちが、自然と交わる場所になっていきました。

保育も、ガイドも、カフェも——
どれも「自分がいいと思う体験を、誰かに手渡す」という一本の軸でつながっています。
今、北ノ山保育園は少子化の影響を受け、定員を80人から60人に縮小したばかりです。保護者の考え方や地域の意識も少しずつ変わってきているといいます。
「昔は思う存分、海に浸かったり、太陽光線を浴びたりしていましたけれども、今は紫外線のこともありますし、アレルギーを持ったお子さんもいますし、いろんな面で変化はあります」
それでも金川さんの姿勢は変わりません。
これまで島で初めて0歳児保育を始め、学童保育、病児保育にも取り組んできました。
「これからも、必要なものがあれば、臆さずに取り組んでいきたい。この島の中で、必要とされる保育園であり続けられるように、職員一同が心を合わせながら、同じ方向を向いてやっていけたらと、いつも考えています」

体験を手渡すことが、心豊かな人を育て、地域をつくる。
金川さんが50年かけて示してきたのは、そのことではないでしょうか。
特別なスキルも、明確なビジョンも、最初からあったわけではありません。「この環境で子どもたちと保育がしたい」という思いを胸に島へ戻り、目の前の一人ひとりに「いいと思う体験」を手渡し続けました。それがいつしか保育を超え、カフェになり、ガイドになり、地域をつないでいきました。
やりたいことを「どう形にすればいいのかわからない」——そう感じているなら、まずは目の前の人に、自分が「いい」と思うことを手渡してみる。その積み重ねがいつしか自分らしい仕事の形になっていくということを、金川さんの歩みが教えてくれました。
これからも金川さんの活動は続いていきます。時代の流れの中で変わる価値観によりそいながら、子どもたちの幸せを変わらず願い、今日も誰かに「いいと思う体験」を手渡し続けています。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
子どもたちやその家族、地域の人びとが心豊かに生きてほしい。そんな願いと島の暮らしへの深い愛情が形作ってきた53年間を、金川さんは本当に楽しそうに話してくださいました。「仕事だけでは、地域では生きていけない」。その言葉は、島の暮らしについて語られたものですが、自分が心から面白いと思えることを誰かと分かち合うこと、その積み重ねが、人とのつながりや居場所をつくっていくのかもしれないと感じました。
HAMA-CHAN
ハマちゃん