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LOCAL LETTER

静岡が築いた鋳物の歴史、「栗田産業」が作る鋳物の未来

NOV. 26

SHIZUOKA

拝啓、地域への情熱を秘めながらも、歴史との向き合い方に迷うアナタへ

徳川家康の城下町・静岡。人々の暮らしには鋳物の響きがありました。

江戸時代になると、家康のもとで活動した鋳物師を中心に、駿府(すんぷ。現在の静岡市中心部)での鋳物づくりは盛んになっていきます。特に、家康が将軍職を息子に譲った後、この地を拠点に「大御所(おおごしょ)政治」を展開すると、まちは城下町として大きく発展しました。


まちの人々の暮らしを支えるため、武具や生活道具を作る必要が生まれ、鋳物師(いもじ)と呼ばれる職人たちが集まりました。彼らの手によって鉄や銅を加工する技術が根付き、静岡で鋳物の歴史が始まったのです。

その静岡市に本社を構える鋳物メーカー、栗田産業。

明治23(1890)年創業という長い歴史を持つ同社は、かつては生活用品を、戦後は産業機械の部品を製造し、日本のものづくりを支えてきました。しかし、5代目となる栗田圭さんは、伝統ある家業に新たな風を吹き込み、地域と鋳物産業の未来を切り拓こうとしています。

栗田さんが事業に、そして地域に注ぐ「熱量」の源泉はどこにあるのでしょうか。
その秘密は、意外な自身のルーツと、静岡の豊かな歴史にありました。

栗田 圭(くりた けい)氏 栗田産業株式会社取締役副社長 5代目 /静岡県静岡市出身。昭和音楽大学でトランペットを専攻。大学卒業後の2003年、家業である栗田産業株式会社に入社。鋳物の可能性を生活領域へ広げるべく、2017年に日用品ブランド「しずおか鋳物『重太郎』」を立ち上げる。伝統技術の継承と地域に根ざしたものづくりの発信に力を注ぎ、鋳物を軸とした地域活性にも積極的に取り組んでいる。

家業への回帰。「地域」と「歴史」への目覚め

栗田さんは、どのような経験を経て栗田産業を継ぎ、自社ブランド「しずおか鋳物 重太郎」を立ち上げるに至ったのでしょうか

栗田さんは、大学で音楽を専攻し、トランペット奏者として活動していた異色の経歴の持ち主です。中学生の頃に楽器を始め、高校時代には「自分の得意なことでやれるとこまでやってみたい」という思いから、音楽の道に進むことを決意。親との話し合いを経て、音楽大学で必死に練習に打ち込みました。

音楽の世界は「実力主義」であり、「口でザレごとを言っても下手なやつは下手、うまい人はうまい」「結果で示してくしかない」という厳しい世界だったと振り返ります。1日10時間もの練習をこなし、肉体を使う中で、「もう全く未練がないところまでやり切った」と、自身の限界に挑戦し続けたのです。

この音楽の経験で栗田さんに培われたのは、「負けは負けで認める」厳しさ、そして「できないことができるようになる」ことの喜びです。

できないことに対してコツコツ取り組むのがストレスだと感じる人もいるけれど、 1個ずつできるようになって、目標に近づいていけることは楽しい」と栗田さん。

自分の限界に挑戦し続けた音楽の経験が、現在の事業に取り組む上で大きな影響を与えていると語ります。

栗田さんは大学卒業後に栗田産業に入社しますが、当初は家業について「鉄の何かをしている」程度の知識しかなかったと打ち明けます。入社後、ものづくりの現場作業やマネジメント業務を経験し、「業界の全体像を把握するまでに10年ぐらいかかった」のだとか。

栗田さんに転機が訪れたのは、社内の改革を試みた時期でした新しい工業製品分野への挑戦、組織改編、評価制度の構築など、会社をより現代的な組織へと変えていこうと改革を進めた結果、思わぬ事態に直面します。

「組織を自分なりに作っていたつもりでした。でも結果として、社員が疲れ、会社を離れる人もいた。チームとしての形が保てなくなってしまった時期がありました」

栗田さんは先代である父親からマネジメントを一度離れるよう促され、約3〜4年間、社外での研修や他企業の視察に参加しました。外部との交流を通じて、自身の力不足を痛感したと語ります。

あるとき受けた研修で、自分や会社の目標達成をどのように実現していくかを問われました。そこで栗田さんは近江商人の「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」という「三方よし」の考えに改めて深く向き合うことになります。

それまでの栗田産業は、工業製品の製造だけに特化していました。当時考えていた新しい事業も、工業製品の新規分野への挑戦や、製品の海外輸出、海外メーカーとの取引といったグローバルな枠組みで考えていたそうです

栗田産業の工業製品は海外の高級車メーカーにも使われる、同社の主力領域。社会を支える技術であることに大きな誇りがある——その前提を守りながら、栗田さんは日用品にも目を向けました。

日常に寄り添う商品があることで、家族や知人に「これ、うちで作ってるんだよ」と伝えられる瞬間が増える。産業の現場で役立つ喜びに、身近な人へプレゼントできる喜びが重なることで、ものづくりのやりがいがより豊かになると考えたのです。

栗田さんは「三方よし」の考えを「社員のやりがい会社の成長社会への還元という3つの側面で捉え直しました。そのうえで、より身近な領域で新たな価値を生み出す未来を思い描いたことが、地域への貢献に目を向けるきっかけになったと振り返ります。

静岡の鋳物「重太郎」に込めた歴史と情熱

三方よしを具現化するために始めたのが、新しい鋳物のブランド「しずおか鋳物 重太郎」の立ち上げです。「しずおか鋳物 重太郎」の名前は創業者・栗田重太郎氏に由来します。

重太郎氏は幼くして両親を亡くし、わずか7歳で東京の鋳物工場に奉公し修行を積みました。18歳で故郷の静岡へ戻ると、自ら「栗田鋳造所」を設立し、のちの栗田産業の礎を築きました。没後も技術と情熱は地域に根づき、静岡の鋳物産業発展に大きな役割を果たしたと伝えられています。

「重太郎」ブランドは創業者の精神を受け継ぎ、「地域とそこに暮らす人々の生活に貢献したい」との願いから生まれました。

高品質で長く使えるビアグラスやぐい呑みといった日用品の他に、静岡県の企業と協力して静岡ゆかりのグッズ制作にも取り組んでいます。

栗田さんは、栗田産業の創業125周年記念事業を機に、自社の歴史を初めて深く調べたと振り返ります。

「何のために、誰のためにこの会社を創業者が作ったんだろうと考えました。この会社は私のものではないし、父親のものでもない。創業者が会社を設立した想いを歪ませることはできないし、してはいけないと思います

栗田さんは、「創業者の目的から逸脱せず、同時に自分もやりたいと思えること」を追求しています。この軸が、栗田産業が単なる工業製品のメーカーに留まらず、地域に根差したブランド「重太郎」を立ち上げる原動力となっています。

守るのではなく「創る」の意識で。長い歴史と向き合う

静岡と鋳物の関わりを調べる中で、栗田さんは自社の原点である横田町が、かつて「鋳物師町」と呼ばれていたことを知ります。

徳川家康は全国で統一された貨幣制度の確立を目指し、駿府には金貨・銀貨を鋳造する座が置かれました。さらに駿府城の大改修によって鋳物の需要は急増。

家康公に仕えた鋳物師たちがこの地に作業場を与えられ、その職名が町名の由来になったといいます。

重太郎のショールームにある「金陀美具足(きんだみぐそく)像」のレプリカ。徳川家康を象徴する甲冑だ。実物の金陀美具足は国の重要文化財として久能山東照宮博物館に所蔵されている。

歴史を辿るうちに、栗田さんは家康公を祀る久能山東照宮とも関わりを持つようになりました。

当初、栗田さんは久能山東照宮と商品開発やプロモーションができないかと考えていたといいます。

しかし、久能山東照宮では徳川将軍家に関わる文化財を守り継ぐために、クラウドファンディングをはじめ様々な取り組みが続けられていることを知ります。

その活動に心を動かされた栗田さんは、地元民として、また日本人として、少しでも力になりたいと考え、家康公所用の「金陀美具足(きんだみぐそく」をモチーフにしたペーパーウェイトを製作。売上の一部を文化財保護の活動に寄付するプロジェクトを始めました。

鋳物でつくられた金陀美具足像と駿府城。

「今私がやっている鋳物もそうですが、地域の資源は歴史の上に成り立っている。自分だけのものではないし、未来に続いていくもの。だから鋳物や地域の資源を守るというよりは、ともに『創る』という思いで取り組んでいます」

静岡に鋳物屋が「ない」と思われている現状

「しずおか鋳物 重太郎」の箸置きなどを販売イベントで展開した際、お客様から「鋳物屋さん、静岡にあるんですね」と言われることもあったと言います。

静岡県は日本有数のものづくり産地。それにもかかわらず、一般には認知度が低いのが現状です。このままでは、静岡の鋳物業界自体が衰退してしまうかもしれない。県内で製造できなくなり、海外依存が当たり前になる動きも出かねないと思っています。

だからこそ、静岡のものづくりの価値をもっと華やかに見せる工夫をしないと、“今ここにある産業”が存在しないものとして扱われてしまう…そんな危機感がありました」

鋳物は、自動車・鉄道・飛行機・船・パソコン・スマートフォン・農業機械など、私たちの暮らしを支える幅広い分野に欠かせない基盤技術。それほど重要でありながら、静岡の鋳物産業の存在はまだ十分に知られていません。

「静岡発の鋳物の魅力や役割を、もっと多くの人に伝えたい」その思いから、栗田さんはSNSを使った発信活動にも力を入れています。

鋳物の面白さを追求する未来

栗田さんは今後の挑戦として「いかに鋳物を楽しくするか」を掲げています。

「ゴジラ」をモチーフにした鋳物たち。長い歴史と伝統だけでなく、ポップカルチャーも根付くのが静岡の魅力だ。

「鋳物は江戸時代に特に使われた素材なこともあり、『工芸品としてなら良い品だよね』と言われることもあります。しかし、魅力が伝わらない商品は手に取られず消えていってしまう。現代の生活の中で、鋳物ならではの面白みのある商品や存在感を追求したい

静岡は、家康公ゆかりの地であると共に、プラモデルなどのホビー産業も盛んな「恵まれた土地」だと栗田さんは言います。

「(プラモデルやゴジラも)静岡以外でやるとただの趣味になってしまうけれど、『ホビーの街・静岡』の鋳物屋だからこそ事業になっているし、地場産業になっているのだと思います」

プラモデルやゴジラをモチーフにした商品展開も、栗田さんの「好き」と鋳物、そして地域資源との掛け合わせから生み出された。

「地域の歴史や文化という神輿をどう担ぐか。自分は黒子として、それを盛り上げていける存在でありたいと思っています。地域に共通の目的があれば力を合わせやすいし、まちの可能性もきっと広がっていくはずです」

栗田さんの挑戦は、ただ伝統を守るだけではない、地域と一体となったものづくりの新しい形を示しています。尽きない「熱量」が、静岡の、そして日本の鋳物産業に火を灯しているようでした。

静岡と鋳物の繋がりを、どう残すか

栗田さんは常に歴史と対話しながら、未来を見据えているように感じました

Editor's Note

編集後記

歴史と聞くと難しいことのように感じますが、それは人々の暖かい営みそのもの。
伝統工芸や地域の文化に触れる瞬間、私はその小さな歴史の連なりに感動します。
今回の取材を通し、栗田さんの思いが創った「重太郎」ブランドは、その価値を広げながら次の時代へと紡がれていき、歴史の一部になっていくのだろうと確信しました。

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