継業
※本記事は「ローカルライター養成講座」を通じて、講座受講生が執筆した記事となります。(第2期募集もスタートしました。詳細をチェック)
「とうとうあの店までも。」と地域に愛された店が名残惜しくも廃業。高齢化と後継者不足の向かい風で廃業に追い込まれる店は後を絶ちません。そんな中、香川県三豊市には、店の“継業”という選択を取り、地域の店を残す今川宗一郎さんという人がいます。今回は、廃業寸前の店やクレームの嵐でも継業を貫き、事業を軌道にのせた今川さんに継業する上でのポイントを伺いました。
今川さんは、もともと三豊市で家業のスーパーを経営してきたご縁が広がり、地域の店を継ぐことになります。2015年に移動販売「サンサンマーケット」、かき氷カフェ「KAKIGORI CAFE ひむろ」、老舗蒲鉾店「さるしや」の3店を継承。
それぞれ全く異なる3業種を継業するきっかけはなんだったのでしょうか。
「移動販売の人から電話がかかってきて、店自体の廃業を考えているから、今川くん行ってくれんかという話になって。僕自身2回ほど視察した上で、父親にも相談して継ぐことを決めました」(今川さん)
住民の生命線となる移動販売が無くなった時に、困るのは町の人。継承後、週をまたぐことなく、即時稼働して移動販売を続けます。
次のかき氷カフェは、営業わずか半年で経営難に陥っている状態で引き継ぐことに。今や年間45万人の観光客が訪れ新たな観光地となった父母ヶ浜ですが、観光地化される以前にオープンしていたかき氷カフェ。周囲からは「この場所で飲食店は絶対流行らない」とさえ言われた経営難の事業を継承した理由はなんだったのでしょうか。
「オーナーさんが、父母ヶ浜にたくさんの人が来てほしい思いで、お店をオープンさせていたので、その思いは無下にしたくないなと思って、僕がやりますってお願いしました」(今川さん)
当時のカフェオーナーの想いを汲み取ったと同時に、家業であるスーパーは人口に比例した事業規模が想定されるため、スーパーだけでは事業を続けていけなくなる未来を考えていた今川さん。タイミングが重なり、「できるかどうかわからないけど、やってみよう」と、継業を決意。
家族に猛反対を受けながらも、「最後は『俺がやるんだ』と言って決断しました」と、自分自身で腹を括った当時を今川さんは笑いながら振り返ります。
継業後は、とにかく来てくれたお客さんをできるだけ断らないで店内に通せるようなオペレーションに変更。「自分でもどうして続けられているのかわからない」と笑いながらも、徹底したお客様視点と地道な改善を繰り返すことで、なんとか経営難を乗り越えています。
また、蒲鉾屋に至っては家業のご縁そのもの。長年、今川さんの祖父の代から家業のスーパー今川に卸してもらっていた蒲鉾が売上No.1の商品であり、蒲鉾屋の先代は、他のスーパーから発注依頼があっても「今川がいる限り他店には卸さない」の一点張りを通す義理深い方だったといいます。
「絶対(他のスーパーに)売る方が事業的には儲かると思うんですけど、そういうことは一切しない義理堅い先代でした。ある時、先代が体調を崩してしまって、後継者もいないから、お店を閉めるって話があがったんです。僕ら自身とても先代や先代らがつくる商品にはお世話になっていましたし、何よりすごく地域に愛されている商品なので、先代にお願いして引き継がせてもらいました」(今川さん)
相次いで地域に愛されてきた店や経営難の店を引き継いだ今川さん。当然ながら店を存続させるという責任が伴いますが、継業するか否かの意思決定に関して、今川さんからは意外な答えが返ってきました。
「ご縁があって、継げる可能性があるのに継がないという理由もあまりないし、それがビジネス的にどうなるかはさて置いて、残せるものは残した方がいいじゃないですか」(今川さん)
まずは継げる可能性を無駄にしないというスタンスで地域と向き合ってきた今川さん。もちろん、継業が思うようにいかなかった時期もあったと、話を続けます。
蒲鉾作り未経験で老舗蒲鉾店を継業した時には、過去と今を結ぶ想いを持ちながらも“蒲鉾初心者”が故に、ぶつかった壁も。「継業当初は先代の作っている横で、見よう見まねでやりながら覚えていった」という今川さんは、まず蒲鉾の形成に苦戦することになります。
「簡単そうな形に見えるんですけど、自分でやるとめちゃめちゃ難しくて。これはできるまでに時間がかかると思ったので、安易な発想ですが、誰にでもできるようにと形を変えたんです。が、これが良くなかった」(今川さん)
熟練の技を要する蒲鉾の形成を、まずは「誰でもできる形に」と思い切って形状を変更した今川さん。その結果、無言電話や「猫でも食えるか」というクレームを受けることに。長年地域に愛されてきたお店だからこそ、常連さんたちの愛着も大きかった様子が伺えます。
クレームを受けてもめげずに、愚直に向き合った今川さんは、3ヶ月間に及ぶ特訓の日々を過ごし、最終的に元の形状をつくることに成功。その後クレームは止まり、これまでと変わらない蒲鉾を提供し続けています。
“継業”という今と過去を結ぶ事業づくり特有の難しさもある中で、それでも今川さんが真っ直ぐ事業と向き合える理由はどこにあるのでしょうか。
「この町のことは全部やろうと思っているんです。逆に他の町だったらちょっと躊躇していたかもしれないですが、自分が暮らしている町の話なんで、だったらやろうかな。ほんと、それくらいなんですよ」(今川さん)
たとえ、無言電話や暴言を浴びても、家族に反対されても、己の意思を持って決断し進んできた今川さん。
時には、周囲の多様な意見を聞いているうちに、「自分らがなんのためにやっているんだっけ」と目的を見失いかけた経験もあるからこそ、大切なのは、「シンプルに自分がやりたいと思ったことをやる」ことだと語ります。
私たちは、地域に残したい店が経営難や廃業に追い込まれている現状を目の当たりにすると、どうしても町に対してネガティブなイメージを持ちがちです。
しかし、今川さんからは、「自分たちが好きになれる町を自分たちでつくって、そこで暮らせたらこれ以上の幸せはないと思っています。だからそこを目指して、仲間と一緒に進んでいる過程が、僕はもう幸せなんですよ」と、つくりたい町を仲間と一緒に楽しんでつくっている様子が伺えます。
「僕はいつもそうですけど、地域の課題解決をしている感覚があまりなくて。自分たちで新しい価値を生み出していくことにワクワクするし、やってみようぜ!という風土があると思っています。“どうにかしなくちゃいけない”と背負いこむと、だんだんしんどくなってくるしね」(今川さん)
自分たちの住んでいる町を「課題のある町」と捉えるのではなく、「自分はこの町のこの商店街が好きで、よりこうしていきたい!」を持つ方がみんなが関わりやすくなると今川さんは話します。
家業のスーパー今川から広がったご縁から、継げる可能性があるなら継ぐというシンプルで本質的な選択を取る中で、移動販売、かき氷カフェ、蒲鉾と地域のお店を「継業」してきた今川さん。
時には、家族の反対やクレームを受けながらも「自分が暮らす町だからこそ、自分がやる」と確固たる意思を持ち、新しいことにも仲間と一緒にワクワクしながら向かっていく姿勢こそが、今川さんが事業を継業し、事業を推進できる理由なのかもしれません。
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Editor's Note
継業の選択を取った経緯や町への思い、現在は新規事業との二足の草鞋を歩む今川さんのお話を聞かせていただきました。「あの時もし今川さんが継業しなかったら、」と考えると、残せる可能性を無下にしなかった今川さんのずば抜けた決断力があってこそだったと思います。地域に残したい店がある人の後押しになりますように。
YU SHINOZAKI
篠﨑 友