アート
全国各地で開催される芸術祭やアートイベント。そのパイオニアとして2000年より開催されているのが「大地の芸術祭」です。
日本有数の豪雪地帯として知られる新潟県十日町市・津南町からなる越後妻有(えちごつまり)を舞台に、通年で国内外のアーティストによる200以上の作品が点在。旅人はアートを道しるべに里山をめぐり、作品の向こう側にある越後妻有の魅力にも触れることができます。
そんな「大地の芸術祭」は、今や世界中から54万人超が訪れる世界最大級のアートイベントとなりました。経済効果や交流人口・関係人口の拡大をもたらし、アートによるまちづくりに取り組む先駆者としても注目を集めています。
20年以上に渡り開催されているこの芸術祭とともに、地域に生きる市職員としてまちづくりにかかわり続けてきたのが高橋剛さんです。
「アート×まちづくり」の成功の秘訣はどこにあるのでしょう?
今年開催されている「越後妻有 大地の芸術祭 2022」を事務局として支えている高橋さんに、地域資源を活用したまちづくりや住民との共創はどのようにして生み出されてきたのかを伺いました。
中魚沼郡中里村(現在は合併して十日町市)で生まれ育った高橋さん。専門学校卒業後、1999年に市町村合併前の中里村役場に入庁しました。
高橋さんが入庁した翌年2000年に「大地の芸術祭」の第1回目が開催されます。
「こんな田舎でこんな面白いことができるんだ!」
当時は芸術祭がどんなものかもわからないまま、田舎町で新しい挑戦が始まることに、期待に胸が膨らんだといいます。
「大地の芸術祭」の担当ではなかった高橋さんですが、「こへび隊」と言われる大地の芸術祭のサポーターに加わり、地域の方たちと一緒に作品制作のボランティアをすることで地域づくりのかかわりが始まりました。
2006年、第3回目の開催では中里地域のエリア担当に。その後、本庁へ異動し、広報や協働のまちづくり推進を経て、2019年より大地の芸術祭企画運営担当として中心的な役割を担っています。
高橋さんの活動は、市役所職員という枠に囚われることなく、「一人ひとりが地域を支える力であり、誰もがまちの協創者」であることを意識しながら、昼夜休日など関係なく地域と向き合っています。中心から遠い集落・小さな集落などでの地域づくり活動にも積極的に参加し、地域の方々の思いを具現化することを大切に、大地の芸術祭を盛り上げています。
まさに僕の公務員人生は、大地の芸術祭の成長とともに歩んできたと言っても過言ではないと思いますね。高橋 剛 十日町市産業観光部文化観光課
そもそも、大地の芸術際はどのようなきっかけから誕生したのでしょうか?
そのはじまりは、新潟県が立ち上げた公的プロジェクトでした。
新潟県は市町村合併を見据えて地域の枠を越えた活性化をはかるための政策を進めたのですが、当時、6市町村からなる越後妻有エリアも取り組むことになりました。
過疎化が進む田舎町をどうしたら盛り上げていくことができるだろうかーー。
当時の職員がさまざまな可能性を模索するなか、「アート」でまちおこしをしている地域がないことに気がつきます。
そこでヒントを得るべく声をかけたのが、新潟県出身のアートディレクター・北川フラムさんです。この出会いから、プロジェクトが一気に加速。越後妻有の里山や自然、地域資源を「アート」で発信し、地域の元気を取り戻そうという壮大なプロジェクトがスタートしました。
しかし、未知の試みに対する疑念や反対の声は多く、越後妻有エリアの議員全員が100%反対の声を上げたそうです。
「まちづくりと言えば、道路をよくしたり、子育て世代に向けた取り組みをしたりなど、生活に直結することをイメージするじゃないですか。アートを使って地域づくりをするなんて、当時は少なくとも国内では前例がなく、誰も想像がつかなかったんです」(高橋さん)
実は「大地の芸術祭」は、1998年に第1回目の開催を計画していましたが、周りの理解を得られず、開催に至ることは叶いませんでした。
それをなんとか開催へとこぎつけたのは、北川ディレクターや当時の6市町村の職員たちなど、芸術祭でまちを盛り上げようとする関係者の情熱です。住民へ対する説明会は2,000回以上と言われています。芸術祭の趣旨を説明しながら、議員や住民一人ひとりと対話を重ね、2000年の初開催が実現しました。
苦労の末に開催された「大地の芸術祭」ですが、続けることもまた苦難の道のりだったと高橋さんは振りかえります。
「当初は知名度がないので、人が集まらないんですよね。ツアーバスを走らせても、ほとんど人が乗っていないので『空気を運ぶバス』と揶揄されたり、地方紙には『大地の芸術祭は税金の無駄!』と大きなタイトルで記事が掲載されることも少なくありませんでした」(高橋さん)
そんな逆風の「大地の芸術祭」の潮目が変わってきたのは第3回目から。
「これは私の感覚ですが、3回目あたりから地域の皆さんの目が少しづつ変わってきたんです。隣の集落でよくわからないことをやっているんだけど、『若い人たちが来て盛り上がっているな』『楽しそうだな』と気になってくれるようになったのだと思います。遠くの事例ではなく隣の集落の出来事なら、自分たちも!と手を挙げやすいですよね。そうやって、少しづつ参加集落が増えていったのだと思います」(高橋さん)
第1回目の開催では参加集落はわずか28集落のみでしたが、4回目では92集落、現在では100を超える集落が参加するようになっているそうです。
また、注目すべきは大地の芸術祭を訪れる人の約4割はリピーターということ。
アンケートを見てみると、現代アートの素晴らしさはもちろんのこと、住民との交流や風景、食への満足を上げる人が多いのだそうです。それは、地域の人たちのお客様を迎える気持ちがあってこそのことだと高橋さんは話します。
「地域の方たちが一生懸命おもてなしをしてくださるんです。旅って、不思議なもので、変わっていいものと、変わらなくていいものがあって。変わらなくていいものは、そこにいる人だったり食だったりするんと思うんですよね。『あのおじいちゃんにもう一回会いたい』とか、『あのおばあちゃんの漬物をもう一回食べたいな』とか、そうやって大地の芸術祭にもう一度二度と、足を運びたくなるのだと思います」(高橋さん)
大地の芸術祭を訪れた人々は、アート作品を通して、その向こう側にある越後妻有の文化や人の温かさに触れているのです。
地域や住民を巻き込みながら、年々進化し続ける「大地の芸術祭」ですが、この一体感はどのように生まれたのでしょう?
それは、越後妻有の地域性にもあるようです。
豪雪地帯である越後妻有(つまり)の語源は、「どん詰まり」からきていると言われるほど、奥深く交通の便も発達していない地理に加え、2m以上もの雪が降る地域。首都圏の暮らしとは真逆で、到底ひとりでは生きていけない環境のなか、人々は助け合って知恵を出し合いながら生活を営んできました。
昔から今も続く助け合いの文化は、大地の芸術祭にも息づいています。
「海外のアーティストが試行錯誤をしながら必死に作品に向き合う姿を見て、最初は遠巻きに見ていた地域の方たちが、いつの間にか手伝ってくれていることがあります。言葉も通じない、何が完成するのかわからない、そんな状況でも、地域の方々が助けに入って自分たちの培ってきた知恵や技術を出し合い、1つの作品を完成させていくんです。これこそが、越後妻有の誇る『協働』『協創』そのものだと思います」(高橋さん)
だからこそ行政も、地域とアーティストを繋ぐ架け橋としての役割をしっかり果たしたいと高橋さんはいいます。
「僕たちも『行政がこんなことをして意味があるのか。まちがよくなるのか』と言われないように、『この作品を作ることで、この地が注目されて賑わいが生まれます。大地の芸術祭で絶対に地域に良い変化を作り出せるので、一緒にやっていきましょう!』と真剣に魂を込めて地域の方々に訴えます。その想いを受け取ってくださる地域の皆さんがいるからこそ、大地の芸術祭は開催できているんです」(高橋さん)
2018年第7回目の開催では、来場者数約55万人を記録し、世界最大級の国際芸術祭へと名実ともに成長してきました。
しかし、高橋さん個人としては「数字はあまり重視していない」と話します。
それよりも大切にしたいことは、「小さな集落に、一人ひとりにどんな変化が起きたのか」ということなのだそう。その視点で、大地の芸術祭を開催したことによって越後妻有に起こった変化が3つあると教えてくれました。
1つ目は、新たなことにチャレンジする雰囲気ができたこと。
2つ目は、よそものを受け入れる土壌ができたこと。
3つ目が、自分たちの土地に自信を持つことができたこと。
「よくわからないものであるアートを、あまりよく知らない人たちと作り上げることで、新たなチャレンジを怖がらない雰囲気ができました。そして、いわゆる『よそもの』を受け入れたり、よそものと何かしたり、誰かが何かをやることを温かく見守ったりするような土壌ができたのだと思います。
そして、これが一番重要な変化ですが、自分たちの住む土地に自信を持てるようになったことです。『この景色、めちゃくちゃ綺麗ですね』『おばあちゃんのつけてくれた漬物すごくおいしいね!』など、この地を訪れる皆さんから声をかけてもらうことで、ここに住む方たちが当たり前と思っていたものの価値に気づいたのです」(高橋さん)
大地の芸術祭で注力した一つである空家・廃校プロジェクトはまさに、当たり前にある地域の負の財産と呼ばれているものを活かし、新しい価値をつくってきた取り組みです。かつては地域を結ぶ場であった廃校が再び集落のキーステーションとなり、地域の記憶や知恵を継承することで、アートという枠を超えてコミュニティの一部となって活用されています。
少子高齢化が進み、当たり前にあった風景や文化が消えていく今だからこそ、大地の芸術祭を通して次世代に繋いでいきたいと高橋さんは話します。
「私にとって大事な視点は子どもたちです。この地域の子どもたちが100人いたら100人とも『うちのまちは世界一だ』と言ってもらえるような地域にしたいです。そのために、子どもたちの地域へのかかわりを沢山作り、大人になるまでにシビックプライドを持ってもらうことが自分の使命だと思いながら、地域と、公務員という仕事と24時間365日向き合っています」(高橋さん)
アート自体が過疎化を食い止める解決法にはならないかもしれません。ですが、この地に多くのものを生み出しているのは確かです。地域・世代・ジャンルの枠を越えて、アートによってその土地土地に生きることの思いがつながる大地の芸術祭は、これからの地域社会のあり方を示しているのかもしれません。
今年の大地の芸術祭は11月13日まで。ぜひご興味がある方はHPをチェック&現地に足を運んでみてはいかがでしょうか?
Editor's Note
まちへの想いにシビれながらお話を伺いました。すごく熱い一方で「大地の芸術祭は完璧じゃないし、わけがわからないところがいいんです」と肩の力を抜いて楽しんでいるところも、20年以上続いてきた秘訣なのかなと思いました。高橋さんのような想いを持つ人が日本全国各地にいてくれたら、地域はもっともっと楽しくなりそう!
SAYA OKUMURA
奥村 サヤ