SUMMIT by WHERE
アナタは今、公務員という仕事に誇りを持って日々を過ごしているだろうか。
世間のイメージでは、公務員は「安定」「無くならない仕事」といったポジティブなイメージがある一方で、「お堅い」「人事異動に振り回される」「大変そう」といったネガティブなイメージの側面を持ち合わせている職業ではないでしょうか。
しかし、中には公務員という枠に囚われず、自身の信念の元、誇りを持って、たくさんの人を巻き込みながら、まるでベンチャー企業のように新しいこと・前例のないことに挑戦している公務員が存在します。
公務員なのにベンチャーみたいな働き方って、一体どんな人たち?!
そんな疑問を持つアナタのために開催した、地域経済を共に動かす起業家のためのサミット「SUMMIT by WHERE」。第1回目は、完全オンラインにて、日本各地30箇所以上の地域から、第一線で活躍する方々が集まりました。
中でも本記事では、「公務員のキャリア形成と働き方」について、山田 崇氏(長野県塩尻市役所 地方創生推進係長)、田中 佑典氏(総務省)、守時 健氏(punctual inc. 代表取締役)、井上 貴至氏(内閣府 地方創生推進事務局)、黒瀬 啓介氏(LOCUS BRiDGE 代表)の豪華5名のトークをお届け。
日々挑戦し続けているからこそ、持ち合わせている悩みや仕事観とは。
黒瀬氏(モデレーター:以下、敬称略):こちらのセッションに登壇される方は、国・地方どちらでも公務員をされていた方や、今も現役で公務員をされている方、公務員として働いた後に独立された方など、いろんな立場・働き方をしている方に一同に集まっていただきました。今回は、皆さんに「これまでどんな活動・働き方をされてきたか」と、「今チャレンジされていること」についてお伺いできればと思っています。
まずは、自己紹介から。今回モデレーターを務めます黒瀬啓介です。私は元々、長崎県平戸市役所で、2000年から2019年の3月まで公務員をやっていまして、2019年4月に独立をしました。「官民連携を促進したい」という思いがあり、今はフリーランスとして活動させていただいております。
山田氏(以下、敬称略):私は23年間、市役所職員をしています。現在は、地方創生推進課でシティプロモーションを担当しております。
地域の課題解決や新しいことを始めようとすると、「予算がない」「前例がない」「上司がうんと言わない」という状況が発生するかと思うのですが、私にも同じように越え難い壁がある中で、今は、半分プライベートでも活動をしています。
山田:例えば、6ヶ月間の限られた時間の中で、「官民連携の新しい社会を築くには何ができるのか」を模索したり、信州大学で授業をしたり、NPOに所属したり、自分たちで団体を立ち上げて活動したりと、色々活動しています。
あと、8年前から商店街の空き家を借りて、プロジェクト「nanoda(なのだ)」もスタートさせました。
2014年から、プライベートで年間100回以上講演に呼ばれるようにもなって、今年は新型コロナウイルス感染症の影響もあって、オンラインに切り替わったため、この4ヶ月ですでに150回(1月14日現在で300回)の講演をしいます。
公務員に限ったことではないですが、人生100年時代になって、「前例がない世の中でどういうことに挑戦していかなければならないのか」。私自身、(後輩たちに)背中を見せていきたいし、「今若い人たちがどんなことに悩んでいるのか?」「どういうことをやろうとしているのか?」を登壇者の皆さんや視聴者の皆さんにも聞いてみたいなと思っています。
井上氏(以下、敬称略):私は、東京の大学に入って、「君たちは何も知らないから、とにかく現場へ行きなさい」とゼミの教授に教わったので、とにかく現場に通ったことがきっかけで、現場の面白さに気付いていて、今も現場を歩き続けています。実は今日も、神奈川県の真鶴町(まなづるちょう)にあるコワーキングシェアオフィス「月光堂(げっこうどう)」に来ていて、そこから接続しているんです。
もう少し具体的なお話をすると、私は大学卒業後、総務省に入って、特に、東日本大震災後からは、「何かやりたい」と居ても立っても居られなくなり、毎週末被災地や全国を訪ね歩いて、その中で、地域内外を繋ぐ役割や、官民を繋ぐ役割の面白さに気付いて、「地域のミツバチ」という活動を続けています。
実際に現場に訪れる中で、市町村に今足りないのは「お金」ではなく、地域内外を繋ぐ「人材」が足りないと思い、それを総務省へ提案をして、地方創生人材支援制度の第1号として、鹿児島県長島町で史上最年少の副町長を担当させてもらいました。
田中氏(以下、敬称略):みなさん、おはようございます。僕は今、遥か太平洋を渡ったアメリカから繋いでいて、現在、04:09です(セッション時、日本時間は17:09)。
僕自身、井上さんと同じく総務省に入省して6年が経ちまして、今は総務省に所属したまま、アメリカ留学をしています。あとは、日本にいた時に友人たちと2つ団体を立ち上げまして、それが、イノベーションの社会実装を目指す弁護士・専門家コミュニティ「Public Meets Innovation(以下、PMI)」と、ムラの終わりを、考える「ムラツムギ」です。
田中:「PMI」は、ミレニアル世代を中心とした官僚、政治家、弁護士などのパブリックセクターの人材と、スタートアップや研究・教育機関のイノベーターをつなぐ共同体で。どうやったらいろんな人たちを「行政の中に巻き込んでいけるのか」「お互いの得意分野を活かし合いながら、政策づくりをしていけるか」をどんどん試しています。
最近は新型コロナウイルスの感染拡大に対して、国にしても、自治体にしても、対策を講じていかなくてはならないので、行政の知見だけでなく、「行政外の知見をどうやって活かしていくのか」を考えて、一般の国民の方々に向けて政策の一般公募を行い、行政に届けたり、国民参加型の政策立案の実証実験をやったりもしています。
「ムラツムギ」は、僕自身の問題意識から始まっていて、僕が限界集落の出身なのですが、地域がこれから衰退していく中で、「どうしたら住民にとって幸せな形で、地域を閉じていけるのか」を地域の方々と一緒になって考えていく活動(ムラツムギでは「まちの終活」と呼んでいます)を実証的に行なっています。
守時氏(以下、敬称略):高知県須崎市で8年間公務員をやっていたのですが、2020年4月にいろいろあって独立しました。今は、市役所から引き継いだ一部業務と、広告代理店業をメインで行なっています。最近だと、新型コロナウイルスの影響で、カンパチが大量に売れ残り、困っていた養殖業者のために、ECサイトの立ち上げとPRを行なったら、3日で1億円くらいカンパチが売れまして、今バイトさんをたくさん雇って対応しているんですが、嬉しい悲鳴状態です。(笑)
黒瀬:皆さん、ありがとうございます。視聴者の中にも公務員の方がたくさんいると思うので、登壇者の皆さんの「芯」や「活動の源泉」もお聞きしていければと思っています。
まず、「働き方」にスポットを当ててお話しをお聞きして行きたいと思うのですが、この中では一番、山田さんが講演をされていて、いろんな方にお会いしていると思うのですが、山田さんの「活動の源泉」をお伺いできますか?
山田:私自身はレタス農家の息子なんですが、商店街に空き家を借りたり、地域に飛び出してみたり、団体を作ったりしたキッカケは、「商店街に住んだことのない・公務員しかやったことがない人が、商店街振興とか活性化なんてできないんじゃないか」と思ったからなんです。
やったことがないのなら、自分が可能な限りまずは空き家を借りてみて、当事者になることで、「まちでどんな変化が起き始めているのか」を知ろうと、2012年4月に1軒の空き家を借りました。
あれから8年立ちましたが、今の「活動の源」は、「日本で初めてこの課題を解決したら目立つじゃん!」とか、自分の生まれ故郷である塩尻市からイノベーションが起きれば、他の自治体のモデルとなる「課題先進地」になって、「目立てる=私もモテる!」そんな感じのモチベーションなのかな。(笑)
黒瀬:先日の事前打合せで山田さんとお話ししていた時、意外だと思ったのが、お話しする前までは、山田さんは「官民連携」を活発的に仕掛けられていて、ゼロイチを得意とされるイメージだったんですが、「俺はリサーチャーだ」と仰られているのが印象的で。「どこに課題があるのか」「誰が何に困っているのか」を常に考えていらっしゃって、向き合い方が地域に寄り添っていると感じました。
山田:いろんな活動をする中で、「アクションリサーチをしているんだな」って気付いたんですよね。中には「何をやっているんだ」って文句を言いに来る人もいますが、そういった人とも話ができる、コンタクトポイントを担っていると思っています。
今は、個人がメディアになれる時代なので、私のことを知った市外や県外の若者が「こんなことやろうと思っているんです」って塩尻市に訪れるようにもなっていて。いろんな方と関わる中でも、アクションリサーチをしてると気付きました。
黒瀬:次は少し視点を変えて「国という立場で、地域の未来をどう捉えているか」お話をお伺いしていきたいのですが、井上さんは実際に総務省(国)から、町に行かれた中で、どういうところに気を付けて働かれていたのか、行動の軸や信念を教えてください。
井上:最初の3ヶ月ぐらいは、とにかく町のことを知ろうと思って、町を歩き回ってましたね。鹿児島県長島町は「ブリ養殖の町」だったので、漁船乗せてもらったり、じゃがいも農家さんのお手伝いをさせてもらったりする中で、町の人からボソッと出る一言が、実はすごくヒントになりました。
黒瀬:総務省にいた時と、実際に地域に身を置いた時の差や、心境や地域の向き合い方に変化はありましたか?
井上:それまでも全国を回っていたので、いろんな地域の先進事例を知っているつもりだったのですが、成功事例を急に町に当てはめたり、押し付けたりしてもうまく行かないと思い、まずは地元の声を聞いて、一緒に活動して、信頼関係を築いていくことが大事かなと思いました。
黒瀬:都市部だと言葉に共感して人が集まることがあると思うんですけど、地域の方だと「地域のことをまず知ってから」となりがちで、そこは山田さんと通じるところがありますね。
守時さんは、アプローチの仕方が他の皆さんとは全然違うと感じていて、特にSNSを上手く活用して活動されていますが、仕事術・仕事に対する信念はありますか?
守時:ここ8年間くらい、「須崎市は寂しいところだな」「何やってもダメだな」って言われていたんですが、僕はこの状況を「チャンスがあるな」と思って、なんでもできることを拾っていったら、いつの間にか今がある感じで。あんまり信念とかはないんです。あるとしたら「win-winであること」、関わる人同士がどちらも得することくらいしか考えてないですね。
黒瀬:今回、登壇者の皆さんも守時さんとは初対面だと思うのですが、何か質問ありますか?
山田:僕自身は、「公務員を辞める」ことをあまり考えなくてなってきているんですが、守時さんは、公務員に嫌気がさして辞めたのか、それとも逆に今の立場から公共をハックしたいと思って辞めたのか、どちらですか?ビジュアルからすると、前者かなと思うんだけど。(笑)
守時:僕、公務員は嫌で辞めたわけではないんですよ。担当していた業務が、ふるさと納税やゆるキャラとか、少し特殊というか、どうしても人気商売的なところがあるので、担当が変わってしまうと、またゼロからのスタートになってしまうことを避けたかったんです。これまで一緒にやってきたチームを継続させながら、メンバーに安定的にお給料を出すためには、起業しかないと思いました。祖母には「お前、公務員を辞めるとはどういうことやー!」とキレられましたが。(笑)
公務員ほど、純粋に地域のことを考えられる仕事ってないじゃないですか。起業する時、最初は5人くらいでやろうと思っていたんですが、アルバイトの方も入れたら、結局20人くらいの会社になって。もし僕がダメになったら、この人たち露頭に迷うんだなと思うと、公務員の時とは違う部分でちゃんとしなきゃいけないな〜と感じています。
反対に、民間企業じゃないとできないこともあると思っていて、新型コロナウイルスで地元の養殖業者が困っているって聞いて、すぐに話を聞きにいって、契約を結んで、1週間でWebページを作って、PRをしてというスピード感は、公務員時代にはできなかったですもんね。
黒瀬:ありがとうございます。田中さんは、公務員として働きながら、外部で2つの団体を運営されていますが、その中で、気を付けていることや考えていることをもう少し詳しく聞かせていただけますか?
田中:公務員になる理由は、人によっていろいろあると思っていて、例えば、成し遂げたい社会像がある人や、安定を求める人とかね。
僕自身が公務員になった理由は「ユーザー目線」だったんです。というのも、僕自身が地域に生まれて、地域の中で育つ中で、違和感がどんどん溜まっていて、その違和感が20年間溜まった時に出たひとつの答えが、自分が公務員になることでした。
公務員ありきというよりは、公共課題が自分の中にあって、その1つの解決のツールとして公務員を選んだという感じなんですよね。この意識で公務員になると、行政の中と外の区別が段々つかなくなってくるんですよ。行政内でできることと、外でできることって結構違いがあると思っていて、どちらが良い・悪いではないので、両方コミットできるのは良いなと感じています。
とはいえ、6年間公務員として働いてきた中で、鬱憤が溜まった時期盛りました。やりたいことがあっても、組織の中ではできない、「じゃあどうしたら良いのか」をずっと考えていましたね。山田さんや井上さんにも「とりあえずやってみなよ」とアドバイスをいただきながら、「じゃあやってみるか!」と思い立って、行政の外に自分で組織をつくるようになりました。
公務員がこれから行政内外を繋いでいくことが求められるとなった時に、どんなポジションを取るべきなのか、中と外の活動を完全に分ける形がいいのか、それとも中と外の活動が溶け合っていく形がいいのか、個人的にも考えているところです。
黒瀬:実際、山田さんはいろんな企業の方と一緒に、さまざまな仕掛けをされいると思うんですが、田中さんのお話聞いてどう思われましたか?
山田:まずスケール感というところで、地方自治体の公務員は、全国で92万人と言われているんですよ。1億2千万人の国民の中で、公務員は92万人しかいない。塩尻市の人口規模で考えると、6万7千人の人口の中で、自治体職員は569人。大体、120人に1人ぐらいしか公務員がいないんです。
そんな割合の中で、地方では約30年間、公務員の仕事しかしてこなかった人が行政職のトップである管理職になるという構造で今まで自治体はやって来たんですが、人生100年時代、「もはや前例がない・自分たちで新しい価値や課題解決していかなければならない」という状況の中で、公務員という1つの仕事しかしたことがない人が、1/120の中で、意思決定をして地域の未来をつくっていくことは難しいと思っています。
これは自分が今いる組織の外に出ないとわからないことだとも思っていて、どうしても上司がこうだって言ったら、こうなんだろうなって思っちゃうじゃないですか。
でも、民間企業や地方の中でも特に人口減少が顕著な離島は、塩尻市よりももっと多くの課題に対して、同じ危機感を抱いて動いていることを知ると、本当にビビりますね。辞めちゃマズイって、勝てないなと。(笑)
でも、明らかに勝てないと思った時に、「民間企業に絶対できなくて公務員にできること」や、「東京の自治体職員にはできなくて地方の公務員ならできること」とか、「国家公務員じゃなくて基礎自治体の住民に近い公務員だからできることは何だろう」と考えるようになりました。
1/120の存在として、「日本を、地域をよくしていきたい」「必要なピースでありたい」と思えたのは、組織の外に出てみたからわかったことです。
僕は民間企業や国家公務員と比べて地方自治体職員は争うべきではないと思ったんですよ。「東アジアの中でも1番早く人口減少が起こっている日本が、アジアのリーダーになって牽引していくんだ」という官僚の方は、やっぱりカッコイイ。でも僕は、望んで公務員になったわけじゃないんだけど、今回の人生は、たまたま育った塩尻市の市役所で世の中のためになるちょっといいピースになってみようかなって思うんですよ。
黒瀬:実際、僕も公務員を辞めてみて気付いたのが、僕はチャラい公務員だったから面白かったのに、辞めて公務員という肩書きがなくなって、ただのチャラい人になって、これじゃあ何の武器もないじゃんっていう。(笑)
一同:(笑)
守時:わかる〜(笑)
田中:そこって本当に悩んでいたポイントで、ある種、公務員だからプレミアが付いている実感って自分の中にもあって、今回こうやって登壇させてもらえているのも、「公務員だから」で注目を浴びているみたいなところがあって、「そこに甘んじていていいのか?」という気持ちと、「これは自分のやるべきところだよね」という2つの気持ちが両立していたんです。でも山田さんがそこをポジティブに捉え直しているのが、個人的にも勉強になりました。
黒瀬:井上さんは実際、副町長というリーダー格のポジションでやられていたと思うんでが、どう思われますか?
井上:「公務員だから」「総務省だから」できることは、山ほどあると思います。副町長は、2年間という限られた期間でしたが、もし僕が総務省を辞めて、長島町に行っていたら、町長も警戒されていたと思うんですよ。「いずれは井上くんが町長になるんじゃないかな」って冗談半分だったとしても、町民が言い出していれば、警戒して思い切ったことはやらせてもらえなかったのではないかなと思います。僕はやっぱり、行政の中と外、官と民を繋ぐことがライフワークになっているので、行政の中にいるからこそできることはいっぱいあると思っています。
黒瀬:ありがとうございます。先ほど田中さんからもありましたけど、公務員のこの状況に甘んじていいのかと悶々としている方は増えてきたなと感じています。私自身も辞めたからこそ感じることがあって、公務員の方に講演する時には「仕事の対価が幸せ担っている、こんな尊い仕事は公務員以外はない」と伝えています。
民間企業だと仕事の対価は、自己実現とかになると思うんですが、どうしても、お金はチラついてしまうかなと思っています。
後半では、皆さんが「自分自身のキャリアについて、どう考えているのか」を聞いていきたいなと思っています。
Editor's Note
「公務員」と一口に言っても、考え方も働き方も様々。共通しているのは、1つ1つのアクションに対して、「誰のために、どんな目的を持って活動するのか」を各々がしっかり持っている、と感じました。
「スーパー公務員」と呼ばれ特別視される彼らも、日々たくさんの葛藤があり、たくさんのチャレンジを通して、「自分たちが住む国・まちを良くしたい」、「困っている人に寄り添いたい」と思いながら活動されていて、他人よりも圧倒的な行動量・経験をしているからこそ、「スーパー公務員」と賞賛されるのではないかと思います。
後半では、皆さんが「自分自身のキャリアについて、どう考えているのか」を聞いていきたいなと思っています。
YOSHIYUKI TANAKA
田中 義之