MIYAZAKI
宮崎
「自分がやりたいこと」と「地域のためになること」
この二つをどう両立させればいいのだろう。
ふるさとを思えば思うほど、自分の夢をそのまま突き詰めることの難しさや躊躇する気持ちを抱く人は多いかもしれません。宮崎県椎葉村で製菓店「菓te-ri(カテーリ)」を営む椎葉昌史さんもまた、同じ問いと向き合ってきました。

椎葉さんが最初に選んだのは、自分の夢を追いかけることではなく、目の前の農家さんや地域の困りごとに応えること。そこで生まれた「宮崎バターサンド」はその後メディアにも多く取り上げられ、県内外から愛される商品となりました。今では酒造やワイナリーとも手を組む展開へと広がりを見せています。
一見遠回りに思える挑戦が、地域の力となり、自分自身の夢へも続いていく——。椎葉さんの歩みは、その可能性を教えてくれます。
宮崎県の北西に位置し、日本最大秘境のひとつである「椎葉村(しいばそん)」。人口は2,144人、国土の約96%が森林に占められる緑豊かな村です。*
*椎葉村役場HPより( https://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/ )

大学を卒業後、東京で就職した椎葉さん。仕事は充実していたものの、責任ある立場を任されるあまり、なかなか椎葉村へ帰ることができませんでした。
あまりの忙しさに、祖母の葬儀にも出られなかったといいます。そして、その出来事は椎葉さんの胸に深い問いを残すことになりました。
「仕事は一生懸命できているけれど、親とも3〜4年に1度しか会えない。さらにお世話になったおばあちゃんのお葬式に帰れなかったことが、心にすごく残って。『本当にこの働き方でいいんだろうか』と思うようになりました」
2011年に起きた東日本大震災をきっかけに椎葉村へのUターンを決意。地元に戻った椎葉さんは、東京での飲食店の経験を活かし、蕎麦屋「よこい処 しいばや」を始めます。
畑を借りて蕎麦を栽培し、6次産業化にも挑戦。そんな手探りのなかで得たのは、地方の商圏(集客できる範囲)が抱える現実と、売り方の工夫の必要性でした。

「この村で商売として飲食店をやっていくには、村の外から人を呼べるぐらいの蕎麦屋にならなければならない。でもそんな実力もなく、何より商圏が遠すぎる。そこで『時間と距離を越えることのできる加工品作りを始めよう』と切り替えました」
人が来ることが厳しいのであれば、自らどこへでも赴くことのできる加工品で勝負しよう。そう決めた椎葉さんは、当時椎葉村に1軒もなかった製菓店に挑戦することにしました。
椎葉村に古くから伝わる「かてーり」という相互扶助の精神。そこから名を借り、2019年に製菓店「菓te-ri」をオープンしました。

当時、飲食店の経験しかなかった椎葉さんにとって加工品の知識はゼロ。勉強会に通い、知識を積み重ねていきます。
「お菓子の販売と飲食店は似ているように思えますが、実際に勉強してみると全然違っていて。椎葉村から片道2時間半〜3時間ほどかけて勉強会に毎週行って、朝から晩まで勉強していました」
お菓子づくりが得意だった奥様の力も借りながら作った、初めての商品は「蕎麦の実フロランタン」。椎葉村の名産である蕎麦を活かした商品です。

その後は加工品の知識を身につけながら、コツコツと販路を拡大。県内の大きなスーパーや道の駅など、販売先を開拓し、順調に売り上げを伸ばしていきます。しかし、コロナ禍で販路は一気に閉ざされることになりました。
「蕎麦の実フロランタンに代わる商品がなければ、お店が潰れてしまう」
窮地に立たされた椎葉さんを救ったのが、後に「菓te-ri」の柱となる新商品「宮崎バターサンド」でした。
コロナ禍の生き残りをかけた新商品。その挑戦は偶然が重なり、思いがけない広がりを見せます。
地元の料理コンクールで最優秀賞を得たことを皮切りに、地元の産業関係者が集まる交流会で配布される機会がありました。そこから地元テレビでの紹介、さらに全国ネットへの放映へと偶然が重なるように広がり、注文が殺到。生産が追いつかない状況は「入手困難」という希少価値を生み、「宮崎バターサンド」は一気に看板商品へと育っていったのです。
「全国区のテレビで放映後、販売開始10分で500箱が完売しました。本当にびっくりして」と椎葉さんは笑顔で当時を振り返ります。
「当時は私と奥さんの2人しかスタッフがいませんでした。商品の生産に集中するために、店舗を閉めて夜も作り続けて、500箱全てをお客さまに届け終えた頃には3ヶ月近く経っていました。コロナ禍でやめていくお店も多いなか、チャレンジを続けていたから、テレビも取り上げてくれたのだと思います」

そんな中、椎葉さんにとって事業の方向性を決定づける出来事がありました。椎葉さんが実施していたクラウドファンディングをテレビで見たマンゴー農家が、「マンゴーを買ってほしい」と声を掛けてきたのです。
「バターサンドという性質上、私たちはジャムに加工したものを使用しているため、生の果物を直接仕入れることはできません。やむを得ず、そのときはお断りしました。
最終的にジャムの加工業者さんをご紹介できましたが、声を掛けてくれたマンゴー農家さんの『明日もない』ような切羽詰まった様子に、『宮崎県の生産者のために自分ができることをしたい』と強く思うようになりました」

マンゴーはたくさん生産できるのに出荷が間に合わない。コロナ禍により農家が抱える苦しい状況を目の当たりにした経験から、会社の理念である『地域と農業を未来に継承する』が生まれました。
「宮崎県の財産である農業を、どう支えていくかがとても重要だと考えています。お菓子に加工することは、そのための手段にすぎません。
東京から帰ってきた時に実感した『宮崎県の食材の素晴らしさ』を、全国の人に伝えていくのが自分の仕事なのではないかと思うんです」
椎葉さんが照れ笑いを浮かべながら語ってくれたその言葉の裏には、強い決意と使命感が滲んでいました。地域の食材を未来に残したい想いが、「菓te-ri」の挑戦を次のステージへと押し上げています。
「加工品を作り始めた当初は、『椎葉村の食材しか使ってはいけない』という固定概念がありました」と語る椎葉さん。
「九州山蕎麦」という商品を作った経験が、椎葉さんに新たな視点を与えました。

「『九州山蕎麦』は、高千穂町や五ヶ瀬町など、5つの地域の特産品を練りこんで作りました。他の地域からすると、『自分の地域の特産品を使ってお金儲けしている』と、マイナスな印象を持たれるかと心配していたのですが、そんなことはありませんでした。
各地域の生産者から、『いい商品を作ったね』『商品を作ってくれてありがとう』と言ってもらえたんです。その時に今まであった固定概念が外れ、『椎葉村の自分が、椎葉以外の地域の食材を取り入れて“宮崎県のお菓子”を作ってもいいのでは』と思えるようになりました」
宮崎全体の食材に目を向けたことで、県内各地の食材の魅力が詰まった商品が次々と生まれました。柑橘の「せとか」や「日向夏」など、宮崎県の農家の方々が育てた素材を活かした加工品は、地域の一次産業とともに歩む持続可能な事業の形をつくり出しています。
さらに、この挑戦を支えているのが、東京での経験を持つ椎葉さんならではの視点です。

「椎葉村にとって当たり前のものが、村外の人から見ると当たり前ではない。身近にあるものの魅力を、東京から戻ってきた視点で理解し、お菓子に込めることが大切だと考えています」
地域資源が持つ背景や魅力を丁寧に理解し、商品の物語として伝える。そうすることで、加工品は単なる商品以上の価値を持つようになる。固定概念を超える勇気が、今の「菓te-ri」の挑戦と地域産業を支える仕組みを形作っています。
椎葉さんが取り組む、新たな挑戦。それは、宮崎の蒸留所や酒蔵とコラボレーションし、素材と製法にこだわったバターサンドを展開することです。
第1弾として発売されたのが、宮崎県・延岡市の「佐藤焼酎製造場」が手がけるシングルモルトウイスキーを使った「焦がしバターサンド〈天の刻印仕込み〉」です。焼酎文化が根強い宮崎県の特性を活かした一品となりました。

「バターサンドを通して、宮崎県産の焼酎やワイン、ウイスキーに興味を持ってもらえたら、ただのスイーツを超えて“地酒を知ってもらう入口”になれると思うんです。次は都農(つの)町にある『都農ワイン』さんとのコラボも控えています」と椎葉さんは教えてくれました。
椎葉さんの挑戦はバターサンドだけにとどまりません。2025年8月には、酒造の協力を得て、念願だった椎葉村産のお米を使用した日本酒の製造販売が始まりました。実は椎葉さんが加工品を作ろうと最初に夢見ていたのは、日本酒づくりだったのだそう。
「バターサンドを通して知識や人脈が生まれテレビ局の方や酒造の方とのつながりを得ることができました。バターサンドがあったからこそ、日本酒作りもスムーズに進めることができたんです」
一直線に日本酒の製造を目指すのではなく、椎葉さんは目の前で困っている農家のために、そして自分自身が椎葉村で事業を続けていくために、まずできることから取り組む道を選びました。その歩みが「宮崎バターサンド」を生み、「日本酒作り」という夢への道を開いていったのです。

夢を急がず、地域に寄り添いながら挑戦する。その選択は、地域と自分の未来を同時に育てる道へと続いていました。
「自分の夢」と「地域の未来」。その両立は、最初から器用に両立できるものではありません。 けれど、いま隣にいる誰かの困りごとに応えること、地域が抱える課題にひとつずつ向き合うことが、やがて自分の夢を叶える近道になっていくのかもしれません。
椎葉さんの歩みが示すのは、「夢」と「地域のためのこと」が対立するのではなく、同じ1本の道でつながっているということ。その道は決して最短距離ではないかもしれないけれど、丁寧に歩いたその先に、自分の夢で地域の未来が輝く世界が広がっているのではないでしょうか。
夢と地域の未来をいつか重ね合わせるために——
アナタが今日、一番近くにいる誰かのためにできることは何でしょうか?
Editor's Note
椎葉さんが綴っている「菓te-ri」のブログでは、椎葉村の魅力や生産者の紹介が定期的に発信されています。その力強い文章から伝わるアツい想いは、取材を通してさらに確かなものになりました。言葉だけでなく、その語り口や笑顔からもあふれる、「ふるさとを誇りたい」という真っ直ぐな気持ち。「宮崎は、野菜もお肉もフルーツも何を食べても美味しいんですよ」と心から嬉しそうに語る笑顔が忘れられません。
MARIKO ONODERA
小野寺真理子