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LOCAL LETTER

人口6000人のまちが選んだ、『関係人口』という消耗しない生存戦略

MAR. 19

MIYAGI

拝啓、都市部との人口獲得競争に、どこか違和感を覚えているアナタへ

宮城県内陸部に位置する色麻町(しかまちょう)。人口6,000人、どこまでも続く田んぼの風景が広がる穏やかな雰囲気のまちです。まちのあちこちには、古くから語り継がれる河童伝説の痕跡も残っています。

一方で、少子高齢化や近隣都市への人口流出は止まらず、1990年以降、人口は緩やかに減少を続けています。まちをどう存続させるのか。その問いに向き合う中で、色麻町がこれまで注力してきたのが「移住定住施策」。

しかし、一定の成果は得ながらも、自治体間で人口のパイを奪い合うことには疑問を感じていました。

そして今、まちは新たな可能性として、「人財」のシェアを目指した「関係人口づくり」を展開しています

一見すると、派手な観光資源や、制度面で圧倒的な優位性があるわけではない小規模自治体が、どのように活路を見出そうとしてきたのか。その道筋に迫ります。

大河原基典氏 色麻町役場職員 / 1977(昭和52)年、山形県生まれ。仙台の大学で考古学を学び、色麻町役場(教育委員会)に専門職として入庁。社会教育も担当したが、地域住民や高校等外部機関との連携に興味を持つ。初の異動で町の長期計画の策定を担当することで視野が広がり、「まちづくり」が楽しくなる。そんな折、町内のNPO代表に誘われ「関西ファン人会」に乗り込み、あっさり開眼、翌年度に公的事業として関係人口創出に着手。令和6年度、特殊部隊「地域振興課」の新設とその課への異動により関係人口創出に取り組むが、早坂に全てを託し教育委員会に異動。
早坂久延氏 色麻町役場職員 / 1988年生まれ。色麻町に生まれ、大学は東京に進学。ゼミの活動で過疎地域のNPO活動に興味を持ち、自分も過疎地域のまちづくりに携わりたい想いを抱き、卒業後は地元の色麻町役場に入庁。総務担当に長く在籍したが、その間も町内のNPOや大河原氏と協働して、実費・年休を駆使しながら関係人口事業に奔走。令和7年度からは、地域振興課に異動となり関係人口事業の担当に。顔の見える関係人口づくりをモットーに今後も色麻町を掻きまわす。

突きつけられた現実「移住では大都市に勝てない」

令和1〜2年、国全体で地方への人口の流れを後押しする仕組みづくりが進み、各自治体が移住施策を強化。首都圏でもフェアや相談会が連日のように開かれていた頃、色麻町もまた、その波の中にいました。

「当時は、東京のふるさと回帰支援センターや、宮城県の移住フェアに行ってブースを組んだりはしていました。ただ、話は聞いてくれても、実際にその窓口経由でまちに引っ越してきたケースは少なかったですね」(大河原さん)

県内の市町村が横並びで取り組むなか、やらない選択肢はなかったといいます。しかし、移住施策は時に、財政力で勝る大規模自治体のほうが注目を集めやすい側面もありました。

「移住支援制度ってありますよね。町と県と国でお金を出しあって一人あたり百万円単位の補助を出す制度なんですが、そこにさらに支援を上乗せしようとすると、結局は人口の多い大都市に勝てないんですよね。移住イベントに出展しても、多くの人が並ぶのはやっぱり仙台市などのブースなんです」(早坂さん)

支援を手厚くしようとすればするほど、必要になるのは財源です。補助額の競争になれば、規模の大きい自治体のほうが有利になる。制度の土俵で競う限り、小規模自治体が選ばれ続けるのは難しい。そんな実感が、次第に積み重なっていきました。

転機となったのは、「フラリと現れた」キーパーソンとの出会い

そこで転機となったのが、菅原一杉(すがわら・かずすぎ)さんという、色麻町出身者との出会いでした。東京での生活を経て地元に戻り、地域の力になりたいと活動を続けてきた彼の存在は、まちの外と内をつなぐ“橋渡し役”として、大きな役割を果たすことになります。

「菅原さんがフラッと現れたとき、最初は『なんだか不思議な人が来たな』と思いました(笑)。でも、社会教育や遺跡発掘の仕事をしていた私を、商工部門の人たちから菅原さんの活動に誘ったりしてくれました。それが平成の終わりから令和の始まりにかけてのことでした」(大河原さん)

当時、菅原さんは関係人口との連携による地域活性化を目指してNPOを立ち上げ、地域の商工会と協力しながら勉強会を企画していました。外部から講師を招き、多拠点居住や地域との新しい関わり方を考える場をつくっていたのです。そこに誘われ、大河原さんも参加しました。

「世の中には、バイタリティの塊みたいな人がこんなにいるのかと驚きました。それまでシェアハウスや多拠点居住の仕組みは全然わかっていなかったけれど、自分の仕事を持ちながら別の地域に関わっている人がこんなにいるのかと、視野が一気に広がりましたね」(大河原さん)

令和3年には、まちの計画に地域おこし協力隊の記載が盛り込まれるなど、外部人材とともにまちづくりを進める方向性が具体化していきました。そして令和5年。コロナが5類感染症に移行し、人々の動きが再び活発になり始めた頃、さらにこの流れを加速できないかと考えていた大河原さんを、菅原さんが「関西ファン人会」というイベントへ誘います。

「関西好きが集まるイベントに、色麻のネタを持って突進していって。そしたら意外にも、すごく盛り上がっちゃったんですよ。東京の浅草橋で皆で「色麻」の話をしたんです。向こうには申し訳ない気持ちもありましたが、我々にとっては手応えしかなかったですね」(大河原さん)

人と地域を繋ぐ可能性は「移住」という枠組みだけではない。その想いを強くした大河原さんに、早坂さんも加わりました。菅原さんと共に色麻町ならではの新たな繋がりをどう形にするか、対話を重ねる日々が始まったのです。

「既存予算のリプレイス」で、まずは小さく始める

こうした「現場の熱量」が、組織としての動きに結びついたのが令和6年のことでした。過疎化・少子高齢化対策を目的に「地域振興課」が立ち上げられたのです。体制は整いましたが、次に必要になるのは「予算」という現実的な裏付けでした。

新しい取り組みを始める際、予算編成が壁になることも少なくありませんが、色麻町の場合は戦略的な工夫がありました。大河原さんが目をつけたのは、既存予算の「リプレイス(置き換え)です。

令和3年策定の「色麻町第5次長期総合計画」。「6 つながるチカラ、つなげるチカラ」には、外部人材と共創した持続可能な地域づくりへの想いが込められている。

「幸い、大崎地域の各市町村には『まちづくり』に自由に使える助成枠が毎年200万円ほどありました。当時、計画策定部門にいた私は、他部署が使っている分を調整し、その枠の中から30万円を確保する計画を立てたんです。令和6年度の予算案には、何か一つでも未来のある新しい事業を載せた思いがありました」(大河原さん)

この30万円を全額「関係人口事業」に充てる。これならまちの一般財源を削る必要がなく、財政側も納得しやすい。この賢明な予算説明を支えたのが、「シン度」という独自の指標でした。

「事業を説明するとき、『事業の成果は何だ』と聞かれるのは分かっていました。そこで、関係が深まっていくことも、取り組みが進んでいくことも、どちらも『深度・進度』だなと考えて。カタカナで『シン度』にしてダブルミーニングにしたら説明しやすいなと、計画段階から温めていました」(大河原さん)

目指したのは「移住」ではなく「友達の実家」という距離感

こうして確保した予算を手に、年間4回の「色麻町ファン人会」が始まります。集客のベースとなったのは、菅原さんのネットワークと、一人ひとりへの丁寧な声がけでした。

「最初はSNSに載せて募集をかけて、それでも反応が薄ければ個別にダイレクトメッセージを送って熱意を伝える。そんな地道な活動から始まりました。1年目はあえて細かくテーマを決めず、菅原さんの知り合いを、色麻の友達に上書きしていくことを主眼に置きました」(大河原さん)

色麻町出身者はほとんどおらず、参加者の大半は町外の人たち。それでも人が集まる背景には、菅原さんの「地方へ行くハードル」を逆手に取った考え方がありました。

「菅原さんはよく言っていますが、友達の実家だったら遊びに行くでしょ?という感覚なんです。いきなり見ず知らずの地方を訪れるのはハードルが高いけれど、知っている人がいる場所なら足が向く。まずは友達になって、その友達の実家に遊びに行くような関係性を作りたい、と」(早坂さん)

強いメッセージで移住を勧めるのではなく、まずは「友達」になる。この温度感は、1年目にして目に見える手応えとなって現れました。

3回目、4回目くらいから、実際に色麻に訪れてくれる現象が起こり始めました盆踊りのDJやキッチンカー、移住アドバイザーなど、アクティブな人たちが町に来てくれた。我々も業務としてではなく、プライベートに近い感覚で対応しているんですが、それがまた心地よいんです」(早坂さん)

住民票の有無を超えた「人財」との繋がり

ここで、二人は「移住」と「関係人口」の決定的な違いに気づきます。

「移住は、この町で暮らしを営むという選択です。日々の生活がまずは土台になります。でも、ファン人会で出会う人たちは、住んでいなくても担い手として関わってくれる。祭りの時にひょいと現れて、運営側に回ってくれるような“人財”なんです」(大河原さん)

アクティブに動く副業層や、ウェブ一つでどこでも仕事ができる層。彼らとの繋がりは、単なる人口増以上の価値を町にもたらしています。

「住民票を移すことだけが、地域との関わりではありません。住んでいなくても、特定のイベントの時にパッと力を貸してくれる。そんな『住民』の枠組みを超えた『人財』と繋がっていくこと。それが、ファン人会の大きな目的だと確信しました」(大河原さん)

「化学反応」を信じ、次の一手へ

令和7年度、ファン人会と並行して「実際に訪れるツアー」も本格化しました。次年度からはさらに一歩進め、「色麻で何かをやってみる」実践のフェーズに予算を投じる計画です。

「これまでの色麻は、まちづくりにおいて『面白そうな感覚』が希薄な町だったかもしれません。でも、コアなファンと地元の人が交わり合うことで、若い世代からも『面白いことをやっているな』と思われる空気を作っていきたいんです」(早坂さん)

田舎ゆえの引っ込み思案な住民性もあり、これまでは外からの刺激に対して一歩引いてしまうような空気もありました。しかし、地道な取り組みによって、変化の兆しは意外なところから現れています。地元の新年会で、農業法人の会長が「関係人口って素晴らしいな。彼らがいるから自分たちが動けることがあるんだ」と語り始めたのです。

挑戦のフィールドを求めている人たちに、このまちを使い倒してほしい。町の人の自慢と、外から来る尖った才能をマッチングさせたら、きっと予想もしない化学反応が起きる。そんな、僕らの想像を超えていくような瞬間を期待しています」(大河原さん)

震災から10年。内陸の町が「自ら動き出す」ためのライフワーク

ところで、なぜ二人は「関係人口づくり」にそこまでの熱量を注げるのか。そこには、役場職員としての「歯がゆさ」がありました。

「2011年の東日本大震災以降、宮城県の沿岸部は劇的に変わりました。新しい事業が立ち上がり、外から人が入ってきて違う世界ができた。もちろん、復興のため大変な苦労をされ、今に至るのは分かってはいるんですが、内陸の色麻町はこの十数年、良くも悪くも、震災以前と変わらない時間が流れていました。正直、沿岸部の町に最低でも10年は置いていかれているという焦りがありました」(早坂さん)

静かな時間が続いてきた内陸のまちが、自ら変化を起こすチャンス。それが彼らにとっての関係人口事業でした。

「やったことに対して、人が動くのが目に見えてわかる。イベントをやる前にはなかった繋がりがポコポコと生まれて、それが種になって花が咲く。その過程を見ているのが、本当に楽しいんです。だからこそ、業務の枠を超えてでも、この化学反応を形にしたい想いが自然と湧いてくるんです。今はもう、ライフワークですね」(早坂さん)

今回のインタビューさえ「これも一つの化学反応だ」と笑う二人。しかし、同時に課題も見据えています。

「この感覚を自分たちだけで終わらせたくない。外の人と繋がる楽しさや、業務の枠を超えた『グレーゾーン』をつくる面白さを、次の世代にも伝えていきたいんです」(早坂さん)

人口6,000人の町から、新しい地方創生の形が、熱を帯びながら広がり始めています。

Editor's Note

編集後記

今回の取材を通じて、色麻町の強さは「人」にあると感じました。早坂さんと大河原さんが公務員という枠組みの中で、いかに「業務っぽくない繋がり」を楽しみ、グレーゾーンを切り拓いてきたか。その泥臭いプロセスこそが、他自治体にとっては最大のヒントになるのではないかと感じました。

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