NAGANO
長野
まちの人たちでつくる、まちの文化祭 。
野尻湖や黒姫高原で知られる長野県北部のまち、信濃町(しなのまち)にはそんなイベントがある。名前は「シナノフェス」。
村祭りのような伝統行事でもなく、かといって新規移住者の仲間内イベントでもない。
いわばそれは、まちで暮らしている人が、まちで暮らすみんなのためにつくる年に1回の「文化祭」だ。ちびっこからおじいちゃんおばあちゃんまで、気軽に集まって音楽ライブや出店を楽しむ。
今年(2023年)は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、4年ぶりの開催となった。
三度の中止を乗り越えた「シナノフェス」の裏には、一体どんな人たちがいるのだろうか。彼らはなぜシナノフェスをはじめ、そして続けているのだろうか。
実行委員長を務める林拓(はやしたく)さんに、シナノフェスへの想いと、フェス開催に至るまでの林さんのこれまでを伺った。
長野市にほど近い、人口約7,000人の自然豊かなまち、信濃町。
インタビューをおこなった2023年7月23日は、ちょうど第5回シナノフェスが終了した翌日だった。セミが鳴く夏の昼下がり、取材のため町役場まで来てくれた林さんに、さっそく昨日開催されたフェスの感想を伺ってみた。
「疲れました(笑)。4年ぶりにやったのもありますし、シナノフェスって同じ場所で連続してやってないんですよ。
今回はライブステージの配置にこだわってつくったんですが、それがやっぱり良かったなと思いました。アーティストさんから見て、お客さんが聴いてるのがよく見える。
おじいちゃんたちがいれば、子どもたちもいる。地元の方、移住してきた外国人の方、いろんな人がいたので、それはほんとに良かった。信濃町のひとみんなに来てほしくて企画しているので」(林さん)
今年のシナノフェスは高原のさわやかな風が吹く黒姫童話館で開催され、私たち取材チームも取材日前日に訪れた。ライブ会場となったステージは、実行委員会のメンバーによって一から組み立てられている。イベント業者に設営してもらうこともできるが、あえてみんなでつくっていくことを重視した。
「大変なんですけど、建築系の仲間がいたり、自分たちで手を動かせる人たちがいるので、そういう人たちみんなでステージをつくって、そのままフェスに参加してもらう方がやっぱり楽しいと思うんですよね。自分たちのつくったステージで、 アーティストの人に歌ってもらうってすごく良いと思うんで」(林さん)
午前中は高校生バンドなどが一般出演し、午後はプロのジャズバンドの演奏というプログラム構成だった。
「午前中は地元のアーティスト枠としてとっています。おじいちゃんおばあちゃんのバンドもあれば、子どものバンドもある。そうすることで、関係している知り合いの人たちが見に来てくれるし。『〇〇くん家のおじいちゃん、歌うたうんだ』みたいな(笑)」(林さん)
プロのジャズバンドも、町内にあるジャズバーからの縁で出演を快諾してくれた、信濃町に馴染みのあるアーティストだ。
「人とのつながりで成り立っているフェス」と林さんは語る。
「資金を出して著名なアーティストを呼ぶことも、もちろんやろうと思えばできるんですけど。 まちの人とのつながりや関わりがあるアーティストさんにやっぱり出てもらいたいですし、その方が自分たちには合ってるなって気もします」(林さん)
フードの出店もできるだけ地元の人に参加してもらうため、まず町内に募集をかけることからはじめた。当日は、かき氷や唐揚げだけでなく、まちの名産品や手芸品、子ども向けの射的屋も並んだ。
第1回シナノフェスの時からコアメンバーとして運営に関わってきた林さん。実は今回の実行委員の中で唯一、「一度信濃町を離れて戻ってきた」Uターン組だという。41歳になる林さんのこれまでを伺った。
小学5年生の時、両親がペンション経営のために東京から引っ越したのを機に、信濃町に住み始めた林さん。当時は長野オリンピック前でペンションが流行っており、クラスの半分が都会から来た移住者だったという。
高校を卒業後、デザインの専門学校に進学するために上京。そのまま東京で就職し結婚もしたが、田舎に戻りたいという気持ちはなんとなく持ち続けていた。
最終的なきっかけは東日本大震災だった。 当時、アパレル店舗の内装を施工する会社で働いていた。
「食料が不足した事態を見て、洋服店とかって結構どうでもいいなと思ったんですよ。
服って最終的には一番後回しというか、生活に支障がそこまで出ないですよね。特にアパレルやファッションという『おしゃれの部分』って2の次、3の次でいい。
なんでこのタイミングで洋服屋さんをつくっているんだろうっていうのはあって、もういいかなと思ったんですよ。東京でそういうものをつくるっていうことが」(林さん)
ちょうど子どもが生まれるタイミングとも重なり、家族で信濃町に戻ることを決めた。帰ってきてから今年で10年が経つ。
信濃町に戻ると生活はガラリと変わった。
「1番びっくりしたのは、こっちに帰ってきて夜9時ぐらいに寝るようになって、こんなに寝られるんだってこと。
店舗施工の仕事をしているときって、睡眠時間がとにかく少なかったんですよ。1日に3時間とか4時間あったらいいぐらい。だから早寝するようになって、本来の人間の生活ってこうなんだなと実感しましたね」(林さん)
通勤時間も減りストレスがなくなった。子どもの頃から知っている近所のログハウス施工会社「株式会社ログラフ」で働きはじめたからだ。社長に「大工になれ」と言われ、前職の事務や現場監督の仕事から、実際に手を動かす職人になった。
そんな時に幼馴染からある話が持ちかけられる。信濃町にある実家を、ロッジからゲストハウスにしたいというものだった。
「『ゲストハウス』という言葉もまだ全然聞いたことがなく、なんだろうって感じのところからはじまって。とにかく人が集まれるようなレストランと宿泊施設にしたいっていうので、僕の方で図面を書いて見積もりもしてつくりました。それが今の『LAMP(ランプ)』の建物の内装になります」(林さん)
野尻湖のほとりに佇む「LAMP」は2014年にオープンした。野外に自家製の薪サウナも併設されており、癒しを求めて全国から宿泊者が訪れる。
「予算がなかったので、ログハウスでは使えないような廃材を全部LAMPに持ってきました。当時LAMPにいたスタッフに塗装もなるべくやってもらって、ログラフにいた大工さんにも応援に来てもらって。 みんなでつくる感じで、楽しかったですね」(林さん)
このLAMPとの関わりが、シナノフェスの開催へと林さんを動かしはじめる。
LAMPの施工後、林さんは東京から戻ってきた長野市近辺の同世代とLAMPで出会うようになった。
「彼らと一緒に遊んでいて、『野尻湖で楽しいことやりたいね』って話になりまして。そんな時に地元の設計士さんとか、僕らより10歳近く上の世代の人と知り合って、『じゃあみんなでなんかやろうよ』と」(林さん)
野尻湖の湖畔で音楽フェスのようなイベントをやりたい。
そんな想いをもったメンバーで実行委員会が結成され、2016年に第1回シナノフェスが開催された。その後、新型コロナ感染拡大の影響で2020年から2022年までは中止を余儀なくされたが、今年ようやく5回目を迎えることができた。
実行委員はそれぞれの仕事がありながらも、フェス開催1年前から毎月ミーティングを重ねてきた。シナノフェスの企画・運営はボランティア活動。どうしてここまで続けられているのだろうか。
「途中で立ち止まって、俺たちなんでやってんだろうってなるんですよ。それをみんなで考えていった時に、 『やっぱり子どもたちの存在だよね』っていう話になって。
子どもたちの大半は都会に憧れて一度は東京に出て、東京の大学に行って仕事をして、僕と同じ流れになると思うんですけど。そんなときに信濃町を思い出してここに戻ってきてくれたらいいなって。
移住者が増えてくれるのも嬉しいんですけど、それだけじゃなくて、戻ってくる人口も増やしたい。そのためにはこのまちで楽しい思い出がないと、戻ってこない」(林さん)
林さん自身も、10代の頃に野尻湖で遊んだ思い出が強く残っているという。
その後に「でも、」と続けた。
「子どもたちを『楽しませたい』というよりかは、親や大人が音楽を聴いて楽しめる場所を自分たちでつくっている、そして心から楽しんでいる、そんな姿を子どもたちに見てほしい。なんとなく見て、イメージとして残っていればいいかなって。
『うちの父ちゃん母ちゃん、楽しんでたな』っていうのが東京行った時とかにね、ちょっと思い出されて、戻ってもいいかなって思ってくれれば」(林さん)
日に焼けた顔で林さんは笑った。
自分の暮らすまちと、そこで育つこれからの世代を純粋に想う姿がそこにはあった。
気付けばインタビューはとうに1時間を超えていた。
「まちの文化祭」。その裏で開催へと動く実行委員長は、決して独断的なリーダーなどではなく、人とのつながりと「みんなでつくること」を大切にする気さくな立役者だった。
シナノフェスをつくる自分たちがまず楽しむ。それを見た子どもたちが、いつかまちに戻ってきてくれたら。
シンプルで真っ直ぐな想いが、信濃町での林さんの生き方そのものを表しているかのようだった。
LAMPの施工から徐々に個人宛での依頼が増え、5年前に林さんはログラフから独立した。立ち上げた会社の名前は“GOOD TIME BUILD”。
仕事でもシナノフェスでも、林さんは信濃町での「いい時間」を確実につくりだしている。信濃町での暮らしを、心から楽しんでいる大人の一人だ。
このまちの子どもたちが人生の岐路に立った時、また、ふとした時に、そんな大人たちの生き方を思い出すことを願ってやまない。
Editor's Note
自分も人口一万人の田舎でまちづくりに関わる身として共感する部分が沢山あり、楽しく取材・執筆させていただきました。林さんのように人とのつながりを大切にしながら、いくつになっても「楽しそうな大人」でありたいと思います。
自然が大好きなので、信濃町にはまたゆっくり遊びにいきます。
Hiroka Komatsubara
小松原 啓加