NAGANO
長野
山や森、地域に根付く文化や暮らしを活かしながら、新たな価値を生み出していく。
そんな活動に魅力を感じる人も多いのではないでしょうか。
一方、実際に動き出してみると、予算の確保や関係者との調整、地域との関係づくりなど、思うように進まない場面も少なくありません。
「やりたいことはある。でも、なかなか前に進まない」
長野県松本市と岐阜県高山市を結ぶロングトレイル『信飛トレイル』を管理する『信飛トレイルクラブ』もまた、多くの課題と向き合いながら歩みを進めてきました。
発足から3年。会員制度の立ち上げやガイドマップ制作、道標整備など着実に取り組みを形にしてきました。
自然資源を活かした地域づくりに挑戦するなかで、どのような壁に直面し、それをどう乗り越えてきたのか。そして地域を巻き込みながら前に進むために、何を大切にしているのか。
今回、信飛トレイルクラブで地域おこし協力隊として活動する山本健太さんに、その挑戦の歩みを伺いました。

山本さんは、もともと航空管制官として羽田空港の管制塔で約8年間勤務していました。
一瞬の油断も許されない空の仕事。
憧れの職に就き、大きなやりがいを感じる一方で、大好きな自然から遠ざかる大都市圏での生活に、息苦しさやストレスも抱えるようになりました。
そんな張り詰めた日々のなかで、偶然出会ったのが山道などを走る『トレイルランニング』でした。
山を走る楽しさに魅了されるうちに、登山道整備やコミュニティ運営など、山を楽しむ側から『山を支える』側の活動にも関わるようになります。
転機となったのは、Instagramで偶然目にした信飛トレイルクラブ(当時は『信飛トレイル準備委員会』)の募集です。
「これだ!」と運命を感じて応募し、 無事に採用が決まり、 長野県松本市に移住することを決めました。

「僕は今、松本市の地域おこし協力隊として信飛トレイルの事業マネージャーをやっています。活動内容はトレイル事業に『関わること全部』みたいな感じです」
登山道や道標の整備、地域での説明会、地図の作成、グッズの制作、補助金申請、さらにはガイドツアーの企画運営まで、山本さんの業務は多岐にわたります。
「着任して最初に取り組んだのは、補助金の申請でした。資料を読み込み、必要な書類を調べて、申請まで一通りやりました。初めての経験だったので、大変でしたね」
そんな中、航空管制官としての経験が活きた場面もあったそうです。
「コロナ禍の頃に事務調整の仕事もやっていたんです。感染対策や公的な文書のやり取りなどをしていて。今も行政とのやり取りが多いので、その経験は活きていると思います」
未知の領域に足を踏みいれながらも、これまでのキャリアを活かして着実に歩みを進めていた山本さん。
しかしトレイルが持つ、ある根本的な課題と向き合うことになります。
信飛トレイルのルートの中には、国立公園、国有林、市道、県道、そして地域住民に先祖代々受け継がれてきた私有地まで、重層的な土地の歴史と権利が複雑に入り組んでいます。
「道しるべを1つ立てるにしても、勝手に設置するわけにはいきません。行政の窓口へ相談に行くんですが、同じ松本市の中でも『この土地は観光課』『ここは農政課』と、管轄がバラバラ。一つずつ、担当課や所有者を調べるところから始めます」

その地道な作業を苦笑いしながら思いかえす山本さん。
「所有者への訪問などでは、配慮が足りずお叱りを受けたこともありました……。まずは手紙で趣旨を伝えるなど、手順を踏むべきだったなと。そんな失敗をしながら学ばせてもらっています」
バラバラな窓口を巡る地道な日々や、個人のお宅への訪問。
山本さんにとって、これらは単なる手続きの一環ではなく、その土地が地域でどのような意味を持ち、どのように守られてきたのかという地域の文脈を理解するためのプロセスだったのかもしれません。
山本さんは、地域住民に活動を理解してもらうことを大切にしています。
「住民の方むけの説明会は何回もやっています。急に外から来て『ここをトレイルコースにします』と言っても、「トレイルって何?」という感じなので」

前提として地域には、その土地で暮らしている人たちの生活があります。
なぜやるのか。
ゴミ問題は大丈夫なのか。
勝手に私有地へ入られたりしないのか。
そうした不安を抱くのは当然のことです。
「だからこそ説明会を開いたり、地域のイベントへ参加したりしながら、少しずつ関係性を築いていく。ちゃんとお互いの顔を見て話すことが大事だと思っています」
地域との関係づくりは、登山道整備の現場でも同じです。
「先日、島々から上高地へ向かうルートの整備に参加したんですが、長野県職員や松本市職員、林野庁、環境省、山小屋関係者など、本当に多くの人が関わっているんです。まさに『みんなでやる』感じでした」
整備の活動は、もともと地域で道を守ってきた人たちと一緒に取り組む形が基本だといいます。
「許可を取って単独でやるというより、『地域全体で維持している』という感覚に近いです」

また、信飛トレイルクラブでは登山届を活用した利用者情報の把握を導入しています。
「日本の他のロングトレイルでは、あまりない仕組みなんです。多くのトレイルだと、歩いた人が設置されたカウンターを押して人数を把握しているんですが、それだと実際にどれくらいの人が利用しているのか、正確には分からないんですよ」
多くの人が訪れる場所にしたい。
けれど、それによって自然環境・地域住民の暮らしに負荷がかかってしまっては本末転倒。自分たちだけで利用者を管理するにも限界がある。
「人が増えすぎた場合、場所によっては自然環境や地域住民の負担も大きくなります。利用者を把握することで、『この日は人が多いから別ルートへ分散してもらう』という形を将来的には取れるようにしていきたいです。
ちなみに海外の国立公園では、1日に歩ける人数が決まっていて、利用は抽選だったりもします。過剰利用を避けながら、地域と共存していくための仕組みづくりです」
地域住民や関係者が一体となり、共通の課題として向き合うことがスタートラインとなります。
「道標の整備や設置には費用や調整が必要となるため、松本市や高山市、環境省にも協力していただいています。ただ、信飛トレイルクラブが直接管理するのではなく、協議会のような受け皿をつくり、そこで運用する予定です」
信飛トレイルの取り組みのなかで高山エリアの拠点となる「信飛トレイル奥飛騨・丹生川ユニット」という団体も設立されました。高山側の事業マネージャーとなる地域おこし協力隊の募集を進め、現在は松本側の山本さんと連携しながら、活動を広げています。

特定の団体だけに運営を依存するのではなく、地域一体で支える体制をつくる。
自走できる組織になるためには、地域全体での協力が不可欠になります。
「本当にどのトレイル団体さんも、資金面では同じような悩みを抱えていると思います」
トレイルを維持していくために、避けて通れないのがお金の問題です。
トレイルクラブの主な収入源は、会費や寄付、グッズ販売、イベント事業などがあげられます。
これらに加え、補助金や制度を活用している団体も多いですが、それだけに頼り切ってしまうと、受給や制度の終了とともに活動の継続が難しくなります。
「個人的にガイドの資格を取ったこともあり、『ガイドツアー』を収益化して、運営費に充てられるようにしていければいいですね」
飛騨山脈から流れる清らかな水、生活物資を運ぶ峠道と療養のための湯治場、往来の無事を祈る信仰。
ガイドツアーの舞台となる松本・高山エリアには、北アルプスの雄大な自然だけではなく、宿場まちや温泉、地域に根付いた文化や歴史があります。
「松本と高山って、距離だけ見ると100kmちょっとくらいなんですけど、気候・建物・食の文化がかなり違うんですよ。飛騨山脈を越えるだけで、その変化を身体感覚として体験できるのが面白いと思っています」

山本さんが目指しているのは、ただ歩くだけのトレイルではありません。
「松本から上高地の道のりは、自然を満喫できる場所でもあるんですが、それだけじゃないんです。
昔は木を切りに行ったり、牛を放牧したりと、人々の暮らしの場でもありました。そうした歴史や文化は、ただ歩くだけではなかなかわからないので、ガイドツアーを通して伝えていきたいです」
その土地の暮らしや文化に触れてもらう。
そして地域の文脈を知り、人と出会う。
その思いに共感した人たちが、トレイルクラブへの入会や寄付、グッズ購入といった形で活動を支えていくことを山本さんは願っています。
一人ひとりの関わりが積み重なることで、トレイルは地域に根付いていきます。
「『信州飛騨が育んできた豊かな自然や地域文化、暮らしを未来へつなぐ』——そんな思いを、地元の方々とも共有していきたい。文化も自然環境も、しっかり守ってつなげていくために、価値の整理と言語化を今は大事にしています。
そのために信飛トレイルクラブとして取り入れたのが『インタープリテーション』(*)という手法です。住民へのインタビューやワークショップを通して、この地域の価値や魅力を一緒に言葉にする取り組みも進めています」
*インタープリテーション:自然や文化などが持つ価値や物語を、単なる情報提供や解説ではなく、体験やコミュニケーションを通じて分かりやすく伝え、理解を促進する手法。
信飛トレイルは自然や歴史、文化が折り重なるコースだからこそ、人と土地の間に『意味ある関係』を育てていくアプローチとして大切にしているそうです。

「去年は信飛トレイルが開通した年だったので、ひたすら走り続けてました。だからこそ今年は、受け入れのための仕組みや体制を整える年にしたいです」
山本さんがそう話すのには理由があります。
「今はまだ、大々的に『来てください』とアピールできる段階ではありません。道標の整備も十分ではなく、地域の受け入れ体制も発展途上。そうした状況で急に人が増えると、トラブルも起きやすくなると考えています」
ひとつずつ着実に歩みを進める。
その先に山本さんが見据える、信飛トレイルの姿があります。
「僕自身、歩きながら地域の人と話したり、その土地のことを教えてもらったりするのが好きなんです」
そう語ったあと、山本さんは少し言葉を選ぶように続けました。
「最終的には、歩く人と地域の人とのコミュニケーションが自然に生まれるようなトレイルになったらいいと思っています」
信飛トレイルは、単なる舗装された道ではありません。
人と人、自然と暮らしをつなぐ新しい道なのです。

自然資源を活かした地域づくりには、華やかな側面だけでなく、多くの制約や調整が存在します。それでも少しずつ前へ進めるのは、『みんなでやる』という考え方があるから。
もし今、『一人でやらなければ』と肩に力が入っていたら、一度だけ『みんなでやる』という選択肢を思い出してみませんか?
一人で頑張ろうとするアナタも、とても素敵です。けれど、目の前の壁にぶつかり、前へ進めなくなっているなら、誰かに頼ることも立派な前進です。
アナタが思っている以上に、周りには力を貸したいと思っている人がたくさんいます。
その手を借りながら進むことで、一人ではたどり着けなかった景色が見えてくるはずです。
協力隊のほか、地域で挑戦する人たちのストーリーをもっと知りたい方は、LOCAL LETTERをチェック。
Editor's Note
記事では触れられませんでしたが、信飛トレイルでは今後、「道祖神」をモチーフにした道標の設置を予定しています。松本は全国的に見ても道祖神が多く残る地域で、このような発想が生まれたそうです。松本と高山、異なる文化や歴史を結ぶ信飛トレイルらしい取り組みだと感じました。
REO AKATSUKA
赤塚 怜央