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「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 – 人生に刺激を与える対談 – 』。
第16回目は公開収録。ゲストは、秋元祥治さんです。秋元さんは、大学在学中に地方創生をテーマにNPO法人G-netを創業。「行列の絶えない中小企業相談所」として注目が集まる岡崎市の公的産業支援機関「オカビズ」チーフコーディネーターも務め、2022年には武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(EMC)の教授に就任するなど、幅広く活躍しておられます。
数々の地域企業経営者を導いている秋元さんに「なぜ学生時代に地元の岐阜県でG-netを創業したのか」を軸に、秋元式プロデュース論が形成されたこれまでの人生を振り返っていただきました。
「地域を盛り上げたい」と行動している全てのプレイヤーの心に刺さる秋元さんの言葉。包み隠さず語ってくださった経験談から、自分自身を奮い立たせ、挑戦を諦めないためのエネルギーをチャージしてください。
平林:秋元祥治さんは地域活性や人材育成、地域の中小企業の売り上げアップにつながるコンサルティング支援など、多岐にわたる分野でプロデューサーとして活躍されています。今日は「ローカル×プロデュース」という軸でお話をうかがいたいです。
秋元:僕のキャリアのスタートは、地元の岐阜県岐阜市で立ち上げたNPO法人G-netです。当時はまだ早稲田大学在学中で、地元を活性化したいと思って始めました。創業23年目になるG-netは、現在全国の高校で使われている政治経済の教科書に載っています。
平林:マジですか?
秋元:はい。日本を代表するソーシャルビジネスの事例の1つとして紹介されています。
平林:すごい。秋元さんというと、現在は地域企業のプロデュースのイメージがありますが、G-netの立ち上げ当初はまた別の形で地域活性化に取り組まれていたと聞きました。そもそも、地方創生や地域活性化に取り組むきっかけは何だったのでしょうか。
秋元:僕の原点は「YOSAKOIソーラン祭り」を立ち上げた長谷川岳さんへの憧れです。というのも、僕が地域活性化に興味を持ったきっかけが長谷川さんの著書を読んだことだったからです。
長谷川さんは愛知県出身ですが、北海道大学在学中に友人と北海道の新しい風物詩をつくろうとして「YOSAKOIソーラン祭り」をはじめました。今でも続くこのお祭りは5日間で200万人の人が集まり、経済波及効果が200億円を超えると言われる一大イベントに成長しています。
このイベントを当時19歳の長谷川さんが補助金や助成金なしでスタートさせたと知り衝撃を受けました。ちょうどそのとき、NPO法人ETICが東京の渋谷で長谷川さんの講演会を開催すると聞き、参加して出待ちをしたんです。
平林:出待ちまでしたんですか。
秋元:質疑応答の時間に手を挙げて目立とうと思っていましたが、質疑応答がないまま終わってしまって。長谷川さんが会場から出ていくのを目にして、追いかけました。エレベーターホールで追いつき「はじめまして。本を読んでめちゃくちゃ感動しました。今日のお話も良かったです。お話を聞かせてもらえませんか」と名刺を渡しました。
「秋元くん、悪いけど次の予定があるから」と断られても諦めきれず、「次の予定の場所はどちらですか」と聞いたんです。「新橋だよ」との答えに「それなら銀座線に一緒に乗ります。新橋までの15分間だけでもお話しさせてください」とお願いしました。
平林:粘りましたね。すごいです。
秋元:人生で最大の瞬発力を発揮しましたね。電車の中で必死に喋りました。必死過ぎて何を喋ったかは記憶にありません。でも「いつでも連絡くださいね」と言ってもらえて。すかさず「では、北海道にお邪魔してもいいですか」と聞き、OKをいただいたので北海道まで会いにいきました。
平林:当時から秋元さんの行動力の高さが伺えますね。最高です。
秋元:「愛知県出身の長谷川さんが、親戚も友達もいない北海道で200万人規模に成長するお祭りを始めることができたなら、僕が地元の岐阜で挑戦すれば同じかそれ以上のことができるはずだ」と思ったんですよね。それで、G-netの立ち上げ当初は、岐阜市内でトークライブや野外ライブなどのイベントの企画・開催を中心に活動していました。
平林:なるほど。長谷川さんとの出会いが地元の岐阜で活動をはじめるきっかけになったんですね。
平林:秋元さんの大学在学中は、まさにIT業界が隆盛し始めたころだったのではないでしょうか。ご友人にはそういった業界に進んで著名になった方も多いと聞いています。そのなかで秋元さんが大学を中退して地域の活性化事業に専念することに踏み切ったのは、大きな決断だったのではないでしょうか。
秋元:そうですね。もともと地元に帰りたいという気持ちが強かったわけではないんです。東京で外資コンサルに就職して、20代後半には外車に乗っていたいとも思っていました。
平林:秋元さんにもそういう気持ちがあったんですか。
秋元:ありましたよ。でも、20歳の時に地元に帰ったら、商店街にあった百貨店がなくなっていて。小さいころから親しんでいた百貨店が閉店していたことがショックでした。商店街で働く同級生の親や知人に「なんであそこの百貨店はなくなったんですか」と聞いて回りました。
すると口々に「あれはアーケードが古いからなくなった」とか「市役所が何もしないからなくなった」とか「駅前が古いから、駐車場がないからダメなんだ」と言うんです。
平林:どれも他責な意見ばかりですね。
秋元:そうなんですよ。聞いているうちに腹が立ってきまして。東京に帰って来てから、岐阜出身の先輩に「なんでこの人たちは自分の街の話なのに、人のせいにして文句ばっかり言ってるんだ。ああいう大人はだめだ」 とご飯を食べながら話していたんです。
でも、会話をしているうちに気がつきました。「今の自分も一緒じゃないか」と。百貨店がなくなったことを他人のせいにしている大人たちもかっこ悪いが、その大人の文句ばっかり言っている自分もかっこ悪い。
平林:そこに気がつけたわけですね。
秋元:当時、僕は早稲田大学へ通っていましたが、慶應大学で准教授をやっていた鈴木寛さんのところによく遊びに行っていました。鈴木さんには「うだうだ言って何もしない人たちよりも、うだうだ言われてても何かしている人たちの方がずっとずっと偉いんだ」とよく言われていて。大人たちの文句ばかり言っている自分も、このままだと「何もしない人」になる、何かしようと思ったわけです。それが、G-netを始めようと思った最初の問題意識でした。
問題意識はあり、地元で挑戦してみたいと思うけれども「一度始めたらやめられないのでは」という不安を感じて、なかなか踏み出せなかったんです。そこで鈴木さんと一緒にキャンプに行ったときに相談してみました。鈴木さんは「簡単な方法があるよ。半年間の期間限定で始めればいい」と教えてくれました。
「半年頑張ってみて『やめてもいいや』と思ったら『予定通り終わります』で終わればいい。 手ごたえを感じたり、もっとやるべきものを見つけたりして『続けたい』と思ったら続ければいいんだ」と言われ、まずは半年間の期間限定でG-netをスタートさせることにしたんです。
平林:何かを始める時、特に地域だとプレッシャーや責任を感じて潰れてしまうパターンも多いです。そういう時に、期間を区切ることで挑戦しやすくするのは大事ですね。
秋元:小さくはじめるとか、期間限定ではじめてみるのは、はじめの一歩を踏み出しやすくするためのTipsだと思いますね。
平林:半年という期間限定ではじめたプロジェクトを延長したきっかけは何だったんでしょうか。単純に考えると、わずか半年で商店街を変えることはできないと思うんですよ。でも、何か手応えを掴まれたわけですよね。
秋元:そもそも何かを変えられるとまでは思っていなかったんですよね。なぜ最初にお祭りをやろうと思ったかというと、僕が東京でやっていたイベントやフリーペーパーのことを地元の友人に話すと「東京なら人が集まるけど、地方じゃ無理だよ」「東京だからできることだよ」と言われました。それが悔しくて。まずは彼らにも「やったらできる」ことを伝えたくてイベントを開催したんです。
平林:「地方でも人を集められる」ことを見せたかったんですね。
秋元:そうです。「学生でもやればできるんだぞ」と。そういう目的で始めたことを続けた理由は、ひと言でいうと、応援してくれる大人がたくさんいたからです。例えば、ある時、地方銀行の支店長の松岡さんという方から「会いたい」と連絡がきました。お会いすると、僕が岐阜で取り組んできたことの新聞記事をスクラップしてくれていて「君、面白いね」って言ってくれたんです。
当時、僕は東京に住んでいましたが「次に岐阜に来る予定を教えてくれ」 と言われて、スケジュールを合わせて呼ばれた場所に行ったら、突然会議室に連れていかれて。そこには地域の経営者が5人ぐらい並んでいました。
平林:めちゃくちゃプレッシャーを感じるシチュエーションですね。
秋元:僕のやりたいことを応援してくれそうな地域の経営者を集めて、プレゼンする機会を作ってくれたんです。この時集まってくださった方たちは今でもお世話になっている僕の支援者です。
平林:かなりとんとん拍子に話が進んでいったんですね。
秋元:学生の思いつきではじめたとも言えるカウントダウンイベントやトークライブでしたが、気がつけばこんなに応援してくれる人が現れていたのかと実感しました。こんなに期待してもらえるなら、もっと頑張りたいと思ったのが、期限を過ぎても続けようと思った1つのきっかけでしたね。
平林:やればやるほど応援してくれる方が増えていったんですね。
秋元:そうして広がっていくとまた新しい出会いに恵まれるんです。次の転機になったのは『デフレの正体ー経済は「人口の波」で動く』や『里山資本主義ー日本経済は「安心の原理」で動く』で知られる藻谷浩介さんとの出会いです。ここで、G-netの方向性がイベント企画から企業支援に変わり始めることになります。
前半では、秋元さんがなぜ地域に活動の場を見出したのかを語っていただきました。後編では、秋元さんが経験から導き出したリーダーシップ論やプロデュース論に迫ります。お楽しみに。
Editor's Note
自分の人生の転換点に一歩を踏み出す勇気があるかないかが重要ですよね。秋元さんは常にその一歩を踏み出してきています。ためらうことがあっても、最後は必ず挑戦する。その姿に勇気をもらいました。
DAIKI ODAGIRI
小田切 大輝