SAITAMA
埼玉
好きなことを仕事にできるっていいな。
そんな想いを抱いている方もいるかもしれません。
埼玉県比企郡小川町。
1300年の歴史があると言われる小川和紙で知られるまちです。
この地で、40年にわたり教員・校長として地域の子どもたちに関わった後、大好きなコーヒーを淹れながら、生まれ育ったまちの活性化に取り組んでいる方がいます。
シンドバッドコーヒーの店主・吉田晋さんです。
定年退職してから数年、今ではコーヒー店主以外にも複数の役割を持つ吉田さんの周囲には、いつも自然と人が集い、不思議なつながりが生まれています。
そんな吉田さんの生き方を通して、好きなことを仕事にした先で、どんな景色に出会えるのかを感じていきます。

もともと吉田さんは、教員を目指していたわけではありませんでした。将来、何をしたいかが明確ではなかった吉田さんは「普通の会社員になるのかな」くらいの気持ちだったといいます。
転機になったのは、高校の教員をしていた親戚のひと言でした。
「教員に向いていると思うよ」
言われたときは、正直、ピンとはきていなかったそうです。「ふーん、と聞き流しましたね」と笑いながら当時を振り返ります。ところが、時間が経つにつれて、その言葉が少しずつ染みてきたそうです。
「よくよく考えてみると、教員もいいかもしれない。自分には合っているかもと思うようになってきたのです」

そして、教育実習で子どもたちの前に立った時、心に強く刻まれた感覚があったといいます。
「教員になって一番最初に感じたことは、大変とか難しいとかではなく『こんなにいい仕事はないなぁ』という感覚でした。子どもたちが自分を頼りにしてくれる。ひとりひとりが成長していく姿を間近で見られる。本当に喜びの多い仕事でしたね」
子どもたちの目が輝く瞬間。そのきっかけをどう創り、どう育んでいくか。日々の関わりの中で、吉田さんは自分自身の役割をこう捉えるようになっていきました。
「教員って、ある意味“イベント屋”だと思うんです。 何かを仕掛けて、子どもたちが喜んだり、前向きになってくれればそれでいい。校長になると、なおさらイベント屋ですよね」
第一の人生で培った人を喜ばせるための「イベント屋」の感覚は、 このあとに始まる第二の人生にも、引き継がれていきます。
教員としてのキャリアも長くなり、 周囲の同僚たちが「定年後はどうしようか」と話し始める中で、吉田さんは少し早めに次の仕事のことを考え始めます。
「昔は、定年後のことは余生なんて言っていたけれど、今は60歳で定年を迎えても20年以上はある。 何もしないわけにはいかないですよね。 教員の多くは教育相談員や支援員として、教員関係の仕事を続けるけれど、私は違うことをしてみようと思ったんです」
そこで選んだのが、若い頃から大好きだったコーヒーでした。

吉田さんのコーヒーとの出会いは、大学時代にさかのぼります。 友人が連れて行ってくれた金沢の小さな喫茶店 そこで飲んだ一杯のコーヒーが、吉田さんを魅了しました。
「『コーヒーって、こんなにおいしいものなんだ』と、本当にびっくりしました。 そこからですね、コーヒーが好きになったのは」
そして、退職する10年ほど前から、本格的にコーヒーの勉強を始めます。 校長として多忙な日々を送りながらも、朝一番の仕事は、職員室で先生方にコーヒーを淹れることでした。

吉田さんは「もちろん冗談ですけど」と前置きをしつつも、「校長の仕事を少し削って、 第二の仕事の準備をしていたんです」と微笑みます。
そんな中で、不思議な巡り合わせがいくつも重なります。
コーヒーの味を見極めるニュージーランドチャンピオンとして世界大会にも出場した小柳貴人さんが、コロナ禍で日本に帰国し、近くで焙煎所兼豆屋を開業することになったのです。
「自己流でやってきたコーヒーを小柳さんに飲んでもらい、 プロ視点のアドバイスをもらえたのは有難かったですね。豆さえしっかりしていれば、シンドバッドコーヒーの味は自信を持って出せると思えるようになりました」
さらに、まちの交流拠点であるNESToで三味線のコンサートを開催することになった友人から、コーヒーを淹れてほしいと声がかかりました。
「コンサートでコーヒーを淹れたのは、NESToでの体験がはじめてでした。 そこでのつながりをきっかけに、今も続く『木曜日のシンドバッドコーヒー*』が始まりました」
*木曜日のシンドバッドコーヒー : 埼玉県小川町のコワーキングロビーNESToで毎週木曜日に吉田さんが出店している。
それだけではなく、吉田さんの娘さんがシンドバッドコーヒーのロゴをデザインしてくれたそうです。

場所、コーヒーの味づくりを支えてくれた人、ロゴを作ってくれた娘さん。どれかひとつ欠けても、今の形にはならなかったと吉田さんは言います。
「こんなことを言ったら叱られますが、コロナがなかったら、小柳さんはニュージーランドから帰って来なかったかもしれないし、NESToがなかったら、今のようにコーヒーを人に出せていなかったかもしれない。運が良かったなと思います。
でも、その運をつかむためには、日頃からコーヒー屋をやりたいと口に出しておいたことも良かったのかもしれないですね」
シンドバッドコーヒーを始めてから、吉田さんの周りでは『想定外の出来事』が日常になりました。
ある日、店を訪れた女性客2人がコーヒーを飲みながら、じっと吉田さんの顔を見つめて、「この人どこかで会ったことがある。」と話していくうちに、自分が勤めていた中学校の40年ほど前の教え子だったとわかりました。
驚いたのは、その後の会話でした。担任でも、部活の顧問でもなかったにもかかわらず、吉田さんは、彼女の当時の姿をよく覚えていたのです。
「『あなたの家、あそこじゃない?剣道部で主将だった子の隣でしょう』と聞いたら、 『そうです!』と、向こうもびっくりしていました」

また別の日には、こんな出会いもありました。
お店には吉田さんの学生時代の恩師が、常連として通ってくれていました。
時を同じくして、吉田さんは高校の同窓会で、ある人から「今の自分があるのは、中学時代の担任の先生のおかげなんです」という話を聞きます。
その先生の名前を聞いて、吉田さんはピンときます。それは、お店の常連の恩師の名前でした。吉田さんはすぐに2人を店に呼び、55年ぶりの再会の場をつくります。
「ずっと感謝していた人に、もう一度、直接ありがとうを言える。そんな場面のお手伝いができたのは、本当にうれしかったですね」

こうした「つながり」の裏には、実は吉田さんなりのささやかな工夫があります。
「初対面のときから、この人と何か一緒にやれないかなと考えています。 『今度飲みに行きましょう』だけで終わらせずに、 すぐに、『今度こういう会があるんだけど来ませんか?』と具体的に声をかけます。そうすると、本当につながっていくんです」
シンドバッドコーヒーを通じて、さまざまな人と人が結び直されていきます。
吉田さんは、コーヒー屋だけではなく、小川町にある旧保育園舎を拠点にしたNPOの代表としても活動しています。きっかけは「この建物を地域の拠点として生かしたい」という仲間たちとの話し合いでした。

活動のうちの1つが、地域の小川げんきプラザの景観づくり。施設からの眺望が、伸びすぎた木々でふさがれてしまったときも、吉田さんの「つながり」が力を発揮しました。
「NESToで出会った人たちに声をかけたら、チェーンソーが使える人たち5、6人が一緒にやろうと集まってくれました。チェーンソーなしでは10年もかかるだろうと考えていた伐採作業は、2年ほどで完了し、すばらしい景観を取り戻すことができました。
今後は、山道を活用したトレイルランニングのコースづくりにも関わっていく予定とのこと。そんな活動の根っこにあるのは、人口減少を止めるといった大きな目標ではなく、まちで過ごす時間の心地よさだと吉田さんは穏やかに語ります。

「小川町全体の人口減少や少子高齢化は、大きな時代の流れだと感じています。その流れに無理に抗おうとは思っていません。でも、まちにいる人たちが、『ここで良かったね』『ここ、いいよね』と言い合える地域になってくれればいいなと」
目指しているのは、日常の会話の中にポッと現れる「いいね」が増えること。
「『この前のイベント良かったね』『あそこ綺麗になったね』。そんなポジティブなひと言が増えてくれればそれで十分です。コーヒー屋も、NPOも、区長も、全部そのための役割ですから」

最後に好きなことを仕事にしている吉田さんから、新しい一歩を踏み出したい方へのメッセージをお願いしました。
少し考えてから、吉田さんは言葉を紡ぎます。

「ひとつだけアドバイスをするとしたら、次の仕事は、今の仕事を辞める前から考えておいた方が良いということですね。辞めてから考え出すと『このポストが空いているからやってみない?』と誰かに勧められるままに無難な道を選択することになるかもしれません」
「もちろんそれが悪いわけではない」と優しい口調で言葉を続けます。
「もし本当に好きなことを仕事にしてみたいと思うのであれば、本業の仕事を、ほんのちょっとだけ‟良い意味で手を抜く”くらいで、未来のことを考えた方が良いと思います」
それは「こんないい仕事はない」と心から笑う、人生の先輩からの、温かくも力強いエールでした。

地域での第二の冒険が始まって数年。シンドバッドコーヒーのカウンターに立つと、その時間の密度は、数字以上に濃く感じられます。
吉田さんがみているのは一杯のコーヒーで人と人をつなぎ、ささやかな「いいね」が地域のあちこちに増えていく、温かい風景でした。
自分が「好き」なことに向き合っている時こそ、人は輝きます。そこから放たれるやさしい光は、ゆっくりと、でも着実に人のご縁を通じて広がっていくはずです。
Editor's Note
吉田さんは、今も複数の役割を持って活動されており、お野菜作りもされています。そのため、時間の制約も少しはあるのかなと思って、時間ができたら何をしたいですか?と尋ねた際の回答は「何もない」でした。今の第2の人生である冒険で生き生きできているからと仰るのです。「今を生きる」なんて言葉を耳にすることもありますが、今を生きるってこういうことかと感じる吉田さんのあり方でした。
SHINJI KAMONARA
蒲原 慎志