NAGANO
長野
「もう一度、日本の里山に働く馬の姿を」。 故C.W.ニコル氏が「森にもう一度働く馬の姿を取り戻したい」という願いから立ち上げたアファンホースロッジ。ニコル氏の遺志を継ぎ、長野県信濃町でホースステイの提供に取り組む女性がいます。
馬があたりまえにいる環境のなかで馬のお世話をし、コミュニケーションをとり、絆を深め、ゆったりと体を動かしながら心身ともに整えるーー。 そんな体験を通して、つくりたい風景、伝えていきたいメッセージとは。
ソフィア・スワンソンさんの軌跡と、背景にある想いをうかがいました。
アファンホースロッジで、2頭の馬(雪丸と茶々丸)とともに働く、ソフィア・スワンソンさん。彼女の家族のルーツはアメリカにあります。
「母が日本人で、父がスウェーデン系アメリカ人のダブルです。アメリカのウィスコンシン州で生まれて、いま家族や親戚はミネソタ州にいます。2歳くらいから日本とアメリカを行ったり来たりして育ちました。」(ソフィアさん)
小学校と中学校は日本で、高校と大学はアメリカで進学。その後シリコンバレーで就職したソフィアさん。2社目の勤務先、Googleで転機が訪れます。
「最初の就職先は三井物産系の三井コムテックという会社で、日本企業のアメリカ展開をサポートする仕事でした。その後Googleに転職して、サービスの日本向けローカライゼーションを担当していました。働きだして5年がたったころ、ひらめきのようなものがあったんです」(ソフィアさん)
自分はパソコンの前にずっと座っているのは向いていない。
「現代の仕事には多いと思うのですが、私がGoogleで働いていたときも、1日中パソコンの前にいて、体も動かさないし、脳みそばかり使って、疲れてしまう部分があったのです。仕事帰りにジムに行こうと思っても、精神的に疲れているのか、家に帰ってテレビ見ちゃうとかビデオ見ちゃうとか、そういう生活が続いていました。そこで気づいたんです。自分は何時間スクリーンと向き合って生きているんだろうって」(ソフィアさん)
当時は、そんな疲れを解消するために、週末にバランスをとっていたそう。
「アメリカは国立公園がすごく良くて、シリコンバレーからヨセミテまで身近に行けたりします。気づいたら週末のたびに国立公園へ行き、森の中で過ごしてリフレッシュしていました」(ソフィアさん)
自然の中で過ごすうちに、自分のなかから湧き上がってくるものにさらに気づきます。
「トレイル(散策路)の整備をするボランティア活動があったんですね。みんなで鎌とかを持って、トレイルの整備をして、キャンプをして楽しく夜を過ごす。そんな活動をしているうちに、体を動かして汗をかいて外で過ごすということが、『生き物』として1番しっくりくる自分に気づきました」(ソフィアさん)ひらめいてしまったら、動かずにはいられないソフィアさん。あっさりGoogleを退職します。
「自分にとっては、体を動かすことがやっぱり気持ち良いっていうのがあったので、『今後は室内でパソコンをずーっと見ている生活じゃないところを探求していきたい』という想いがありましたね」(ソフィアさん)
世界的な有名企業でのキャリアを捨てることに、ためらいはなかったのでしょうか。
「そこはあまり考えていなかったですね。人生設計をもうちょっと考えればよかったのかもしれないですが(笑)。そのときはもう、『自然に触れながら体も動かせるような暮らしがしたい』って思ったから。そこを捨てるというよりは、20年30年先もパソコンの前にずっと座っているような生活を続けることが想像できなくなった時点で、新しい自分の生活を考えることに集中していましたね」(ソフィアさん)
転職、移住、2拠点生活、リモートワークなど、多様な働き方や生き方がスタンダードになっているいまでも、目の前の日常から、自分の気持ちに正直に一歩を踏み出せない人も多くいます。
働く場所を変えたり、住む場所を変えたり…。ライフシフトは勇気がいる選択ではなかったのでしょうか?
「言語力があるというのは強みだったかもしれないです。インターネットがあれば翻訳が仕事としてできるので、なんとか食べていける自信はどこかにあったんでしょうね。キャリアがどうというよりは、自分のライフスタイルを優先した部分があるんじゃないかなと思います」(ソフィアさん)
「Googleを辞めてからもしばらくはアメリカにいたんですけど、『田舎暮らしがしたい』って思ってから、日本がすごく魅力的に感じられるようになったんです」(ソフィアさん)
日本に魅かれた背景には、日米の文化の違いがありました。
「アメリカにもいいところはたくさんあるのですが、差別が激しいということもやっぱり経験しています。大学があるまちのなかはわりとオアシスみたいなのですが、1歩外に出れば差別的なことを言われたり、銃撃事件でマイノリティが狙われて韓国人留学生が殺されたり。そういうことが身近にあったので、アメリカの田舎でマイノリティとして生きる大変さをよく知っていました。命に関わるような身の危険がなく、安全で、安心して森のなかで暮らせる場所が日本でした」(ソフィアさん)
日本で暮らす場所を探しはじめた矢先、祖父母が所有していた野尻湖国際村(長野県信濃町)の山小屋が火事で全焼してしまいます。「田舎暮らしをするなら、ここに新しい山小屋を建てれば?」という両親のひと言で、久しぶりに信濃町へ戻りました。
「『イチから建てるのか!』と思ったのですが、家づくりもやってみたかったんです。とにかくなんでも、畑とか、家づくりとか、『自分のことを自分でやってみたい』という時期でした。基礎や大事なところは地元の大工さんの力をお借りして、半年かけて手作りで山小屋を建てたんです。廃材や合板の捨てる部分などを、いろいろな工事現場に行ってもらってきて、パズルのように組み立てて」(ソフィアさん)
小さく建てた、ソフィアさんの山小屋。「ずっと住むための家」という感覚ではなかったと言います。
「移住場所は、いろいろなところに探しに行きました。北海道とかニュージーランドとか…。周ってはみたんですけど、『信濃町に建てた家があるし』という愛着が湧いてきてしまって。(笑) ぜんぜんこの山小屋で十分だなと感じて、信濃町の山小屋で暮らすようになりました」(ソフィアさん)
子どものころ夏のたびに遊んだ野尻湖、裏手に野尻湖を臨む国際村。自分の家族が代々過ごした場所、“ふるさと”という感覚があったことも決め手でした。
「翻訳の仕事をはじめたのですが他のこともやりたくなって、近くの乗馬クラブで働きはじめました。レッスンを受けたいと問い合わせたら、人手不足でレッスンする時間がないと言われてじゃあお手伝いしたいって」(ソフィアさん)
そこではじめて馬と出逢ったというソフィアさん。
「だから遅いんです、馬と出逢ったのは。その前から動物が大好きで、動物との関わりはいろいろとあるのですが、馬自体は仕事としてはやったことがなくて。そこで馬の仕事と出逢って、馬にドハマりしてしまいました」(ソフィアさん)
「ドハマり」という言葉に、力がこもっていました。馬のどんなところに「ドハマり」したのでしょうか。
「動物がもともと好きだったこともあるのですが、馬のお世話の中で、これほどまでに意思の疎通ができる生き物ってなかなかいないなと感じました。やればやるぶん返って来る。理解してあげた分だけ向こうも反応してくれる。コミュニケーションがすごくとれる動物だけどペットではない関係。そういうところが馬にはあるんです。ただかわいいとか、ただ面倒みるだけじゃ馬は飼えないのですが、上から指示して制圧するものかって言ったらそうでもなくて。対等な立場でお互いをリスペクトしたうえで、はじめて共同作業ができる。その感覚が、すごく面白いと思いました」(ソフィアさん)
「ドハマり」の理由は他にもあったそうです。
「もともとアニマルウェルフェア(*1)に関してとても興味があったので、馬の飼育についても興味を持ちました。日本では、本来必要な環境よりも狭いところで馬を飼っていて、ピリピリしたストレスを感じる仔が多かったんです」(ソフィアさん)
*1 アニマルウェルフェア
「動物は生まれてから死ぬまでその動物本来の行動をとることができ、幸せでなければならない」とし、家畜のストレスが少なく、行動要求が満たされた健康的な生活ができる飼育方法を目指す畜産の在り方。
日本の馬が、シリコンバレーでオフィスのなかに閉じこもっていた自分と、どこか重なったと言います。
「馬という生き物を飼育するにあたって、何が1番大事かを知りたいと思いました。ホースセラピーもそこに重なるんですが、馬が心身ともに健康でないと、もちろんセラピー効果はないんですよね。馬がピリピリしていたら癒しも何もなくて、ただの怖い生き物になります。馬が健康で精神的にも安定しているからこそ、人間の不安やストレスを受け入れることができます。生き物がその生き物らしく生きる環境として何が1番大事か、そこをすごく勉強してみたくなったっていうのが『ドハマり』のもう1つの理由ですかね」(ソフィアさん)
ひらめきが、またしてもソフィアさんを突き動かします。
「ホースセラピーにも興味が湧いて、日本各地のホースセラピーの活動をしているところへ行ってみたり、3ヶ月間ヨーロッパへ行って、馬の福祉施設に行ってみたり。個人的に、馬の可能性を探る旅をしていました。そんななかで競走馬の引退後のキャリアを応援する事業を滋賀県で2年ほど手伝いました。コロナになって新しい動きがストップしてしまって、信濃町に帰って来たんです」(ソフィアさん)
「ちょうど信濃町に帰って来たときに、アファンホースロッジで人が足りなくて、お手伝いすることになりました。立ち上げのときはいなかったんですけど、ニック(故C.W.ニコル氏)と共通の知り合いがいて、以前から馬の話をしたりたまにお手伝いしたりしていたんです」(ソフィアさん)
馬にドハマりしたソフィアさん。ニコルさんとは馬の話が尽きなかったそうです。ニコルさんの想いがこもったアファンホースロッジには、心から共感できる環境がありました。
「ここは2頭しか飼っていないんですが、放牧地がとても広くとってあります。馬にとって1番大事なのは、馬が馬らしく過ごす時間と、そうやって過ごせる環境があるかないかです。
『馬らしく』というのは、広いところでぼーっと草を食べている時間や、他の馬と一緒にコミュニケーションをとって過ごす時間があるということ。体も健康になりますし、気持ちも落ち着きます。馬にとってここまで広く放牧してもらえるような環境ってあまりないので、それは守っていきたいなと思っています。
『こういう環境があると、馬がとっても穏やかに人なつっこくなりますよ』ということも、提示していきたいことですね」(ソフィアさん)
自分のことより、馬の話になるとますます目を輝かせ饒舌になるソフィアさん。自然体で穏やかに話す雰囲気には、雪丸と茶々丸に重なるものがありました。
馬が馬らしく、人が人らしく。あなたも、あなたらしく。
自分の気持ちや感覚に素直に向き合い、ただひたすらに行動し続ける。その先に、自分が、馬が、みんなが、“らしく”いられる風景が広がっていく。ソフィアさんのストーリーには、シンプルだけれどとても大切なことを伝える力があります。
あなたもいまの気持ちや感覚に素直に向き合い、30年先を選んで、一歩踏み出してみませんか?
アファンホースロッジ
Website
http://afanhorseproject.jp/
Instagram
https://www.instagram.com/horselodge_afan/
Editor's Note
アファンホースロッジで働き始めて2年目のソフィアさん。にもかかわらず、信濃町役場の方とのやり取りなどから、移住者とはおもえない馴染みぶりを感じました。帰り際に秘訣を聞いてみたところ、「①地域の集まりに年代問わずできるかぎり顔を出す ②誘われたり声がかかったらできるかぎり断らない」を積み重ねて信頼を得て来たそう。まだまだヒントがたくさんのソフィアさんのストーリー。ホースステイにうかがって、またたっぷりお話をききたいなと思いました。
TAEKO ONO
オノタエコ