TOKYO
東京
「まち歩きや観光の拠点となる宿経営に挑戦してみたいけれど、自分にできるか自信がない」
こんな思いを抱えている人はいませんか?
今いる場所を離れ、自分が好きなまちで新しい生活をスタートさせたい。まちの魅力をもっと多くの人に知ってもらうため、地域に移り住んで自分で事業をはじめたい。
そう思いながらも、なかなか勇気が出ず踏み出せないという方も多いと思います。
今回お話をうかがったのは、宿のオーナー兼建築士の久保木亮太さん。
アドレスホッパーとして各地を転々とするなかで、伊豆大島の港町・波浮港(はぶみなと)に魅せられ、2025年「suo 椿の島の宿」をオープン。
久保木さんが伊豆大島に移住され、宿のオーナーになるまでどのような経緯があったのか、伊豆大島を拠点に活動する建築士としての今後の目標についてうかがいました。
大手ハウスメーカーで設計の仕事をされていた久保木さん。建築士を目指すきっかけとなったエピソードを話してくれました。

「小学4年生のときに、将来の夢を書く授業があったんですよ。そのとき隣の席の男の子が建築士って書いているのを見て、かっこいいと思って。そこで自分も建築士と書いたのが、そもそものはじまりです」
その後も頭の片隅には建築士への思いがあり、大学で建築学科へ進学。ただ、進学した当初は建築士になると明確に決めていたわけではなかったそうです。
「フィールドワークでいろいろな建造物を見ているうちに、だんだん建築に興味がわいてきたんです」
大学卒業後はハウスメーカーに就職し、設計士として経験を積まれたのち、独立して設計事務所を設立されます。
独立してから2年ほどはコロナ禍と重なっていたこともあり、事務所と現場を往復するだけの日々を送っていた久保木さん。個人で仕事をしていたため、つい仕事を詰め込んでしまい、なかなか旅行にも行けなかったといいます。
そこで「旅行と仕事を両立できる方法はないか」と考えていたときに興味を惹かれたのが、拠点を持たずに各地を転々としながら生活するアドレスホッパーという生き方。

それから半年かけてリモートワークだけで完結できるよう仕事を調整。
ロードバイク一台とリュック一つで各地を転々とするアドレスホッパーとして、新たな生活をスタートさせました。
アドレスホッパーをするなかで久保木さんが意識したのは、地域の人に興味を持ってもらえる「面白い存在」でいること。
「ただの会社員がちょっと休息で来ましたというより、よくわからない『アドレスホッパー』と名乗る方が、地域の人も食いついてくれるし、自分という人間を覚えてもらえる。こっちから仲良くなろうと媚びるのではなく、自分の中に相手が興味を持ってくれそうなフックを持っておくことが大事だと思っていました」
久保木さんはひとつのまちに2~3週間、長いときは1ヶ月滞在することもあったそうです。
「そうするとだんだん地元の人と顔なじみになっていって、地域のお祭りに誘われたり、一緒に富士山に登りに行ったりしたことも。
観光で行くのとは違って、深いところまで関われるところがおもしろかったですね」
こうして各地を巡るなかで出会ったのが、現在久保木さんが拠点にされている伊豆大島でした。

「当時はまだ東京での仕事が月に1度ほどあったので、東京から近くて魅力的な移住先を探していたんです。その点で、竹芝桟橋から高速船で約2時間で着く距離にある伊豆大島はちょうどいいなと。
それでいて、いざ島に降り立ってみると、コンビニもチェーン店もなくて、どこの地方都市に行っても必ずあるロードサイドの見慣れた風景とは違っていて。そこがおもしろいなと思いましたね」
伊豆大島に足繁く通ううちに、久保木さんはここで宿を開きたいと思い始めたといいます。
「アドレスホッパーとして各地のゲストハウスを巡るうちに、地域と宿泊者をつなぐ場としてのあり方に惹かれていったんです。
どのゲストハウスもその宿だけで完結せず、地域の人や周辺のお店と一緒に滞在体験をつくることを重視していて。
ゲストとまちをつなぐ存在であるゲストハウスを自分も運営してみたいなと思うようになりました」
伊豆大島のなかでも波浮港エリアを選んだのは、これまで訪れたゲストハウスが参考になっているのだとか。
「宿の周りを歩いてふらっと立ち寄ったお店で食事をしたり、テイクアウトをしてまちをぶらぶら歩く体験も、旅の醍醐味だと思っていて。
その点で波浮はまち並に風情があって、カフェやラーメン屋さん、コロッケやたい焼きを売っているお店もあるので、ゲストハウスをつくるならここだと思ったんです」
そこから波浮エリアに空き物件を見つけ、一から自分たちの手で改装して宿をつくることに。とはいえ、島には大手の工務店がない。本土では「設計は設計、施工は施工」と分業が徹底されていたが、ここではそうもいかない。
「宿をつくりたいと相談したら、たまたま隣が水道屋さん、その隣が大工さんだったので、自分でできないところはお願いしました。壁の塗装などは島に住む人たちや、自宅で営む民泊に泊まりにきたドイツ人旅行者も手伝ってくれました」
これまで建物の設計を専門としていた久保木さんですが、現場仕事を自分で行ったことで、想定外の収穫もあったそうです。
「全部自分でつくってきたからこそ、修理が必要なときも自分で直せるのがメリットですね」
島の人たちや旅人と共に一歩ずつ作り上げてきた波浮港の拠点。そうして2025年に産声を上げたのが、宿『suo 椿の島の宿』です。
インタビュー当日、宿泊者の方々がいない時間帯に宿の内部を案内してもらいました。
一歩足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、落ち着いた深みのある赤色。
「宿名の『suo』は、日本の伝統色『蘇芳(すおう)』から名付けました。日本には、季節の花を着物の色の重なりで表現する『かさね色目』という文化があり、蘇芳は椿を表す色の一つとされています。
伊豆大島の象徴である椿をテーマにしながらも、椿の柄を大々的に出すのではなく、ソファやクッションの生地などを蘇芳色にすることで、大島らしさを表現しています」

宿の入口には、伊豆大島のほか日本の島々の地酒が置かれたバーカウンターも。「受付業務だけでは味気ないと思って、お客様とお酒を囲みながらおしゃべりができるように、受付カウンター兼バーカウンターにしました」
もともと民家だった建物を宿に改装する際、味わいを残すためにあえてそのままにしている部分も。
「天井の梁は現わしにし、お風呂場のタイルや窓、低めの間口も残しました」

また「宿泊された方に伊豆大島の魅力を味わってもらいたい」という思いから、冷蔵庫には大島バターや大島牛乳、テーブルには牛乳煎餅、浴室には椿を使ったシャンプーやリンスを常備。

さらに久保木さんが大切にしているのが、波浮港の夜の風景です。
「宿がある波浮港は夜になると辺りが真っ暗になって、星がすごくきれいに見えるんです。庭先で焚き火をしながら星を眺め、静かな夜の時間を過ごしてもらいたいですね」

いざ宿をオープンしてみると、当初の想定とは違うことも起こったそう。
「この宿は6名くらいのグループ利用を想定して設計しているのですが、最初にいらしたお客様は2人組のカップルで、その次も女性2人組でした。
自分の頭の中で構想しても、実際やってみると全然違うターゲットの方がいらして。やってみないとわからないものだなとつくづく実感しましたね。ただ予想外の出来事も楽しい経験でした。このときの経験は、次の宿づくりへのヒントにもなっています」
久保木さんの今後の構想についてもうかがいました。
「suoはグループの旅行客の方々をターゲットにしているので、今度は少人数向けに2軒目の宿を建てる計画をしています。こちらはカップルの方々や海外からの旅行者を受け入れたいと思っています。
東京や京都などはインバウンド需要で海外からの旅行者の方が大勢いらしてますが、伊豆大島はまだ少ないと感じていて。あとは今の宿は車がないと不便な場所なので、次の宿は港から徒歩7分のところに建て、アクセスの良さも考慮しました。
妻はスペイン語と英語が話せるので、お客様とコミュニケーションを取るなかで大島や波浮の魅力をお伝えできたらと思っています」

また、久保木さんはこのように続けます。
「自身の事業については、どんな場所にしたいかという構想から実際の設計まで、担っていきたいです。そうして、大島の魅力を味わえる場所を、島の中にあと一、二軒は増やしていけたらと思っています」
自身の事業を拡張させる一方で、久保木さんは建築士の専門性を活かして、島の公共的な建物にも関わっています。その象徴が、現在進行中の島の保育園の建て替えプロジェクトです。
「今参加している島の保育園の建て替えプロジェクトでは、建物の設計だけでなく、園の運営方針から設計事務所の選定などを担うPM(プロジェクトマネージャー)として関わっていて。
これから子どもが減っていくなかで、どういう保育園をつくっていくかといった企画の段階から関わらせてもらっています。
今後はこのプロジェクトのように、事業の構想を企画するところから建物の設計まで担っていきたいと思っています」

島に新しい施設をつくるうえで意識していることをお聞きすると、久保木さんはこのように教えてくれました。
「本土で建築士として積んできた知識を活かしつつ、離島での設計経験のない設計事務所に対しては、島で建築を進める際の実情や、その土地特有の条件等を丁寧に共有することを意識しています。
また時には、島内の事業者様に最適な設計事務所を選定するところから主導させていただくなど、双方のつなぎ役になるのが、本土から移住して大島を拠点に活動している私の役割だと考えています」
最後に、「好きな地域で何か新しいことにチャレンジしたい」と考えている人へのアドバイスを伺うと、久保木さんはこう答えてくれました。

「日本は全国各地にすてきなまちがあるので、一番いいところを探そうと思うと、ずっと決められないと思います。なので、自分がピンと来たところに住んでみるくらいの軽い感覚で決めてしまってもいいんじゃないですかね」
まずは気になるところに1週間くらい滞在して、その地域の暮らしを体験してみることで見えるものがあるといいます。
「地方はとにかく人手不足なので、滞在先でまちの方と交流するうちに“この仕事をお願いしたい”と声がかかることもあるでしょうから」
また、地域での起業を考えている人に向けたアドバイスもいただきました。
「起業に関しては、まず地域の金融機関へ相談するのがおすすめです。特に地方の銀行はより親身になって話を聞いてくれる印象です。
もちろん銀行のお金を借りるということは借金もすることになるので、まずは小さくはじめて様子を見てみるのがいいのかもしれないですね。その期間が終わった段階で、銀行に相談にいってみてはどうでしょうか」
Webや書籍でリサーチをして念入りに情報収集するよりも、まずは現地に出向いて1週間滞在してみる。
久保木さんが宿や建築を軸に伊豆大島の波浮港の魅力を伝えているように、地域で過ごすことでアナタの専門性が活きるものが見えてくるかもしれません。まずは気になる地域に滞在することから始めてみませんか?
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
本土から移住され、宿のオーナー兼建築士として伊豆大島に新たな風を起こしている久保木さん。ご本人は何でもないことのように飄々と話す一方で、現地コーディネーターさんも「ここまで大島を全面的にアピールしている宿はない」というくらい、伊豆大島への強い思いを感じました。
RISA NAGASAWA
長沢 里沙