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働き方や暮らし方をはじめ、あらゆるものがスピーディーに多様化していく昨今。
社会変化を受けて多様性が認められる中、大きな変化が必要だと叫ばれながらも、従来型に留まっている「子育て・教育」の分野。今回はそんな「子育て・教育」の分野に注目し、普段はあまり語られない、起業家(経営者)の「家族観」に迫る──。
前回取材した育休取得中の奈良県生駒市 市長・小紫氏に続き、今回は定額住み放題 多拠点生活プラットフォーム「ADDress」を運営する、株式会社アドレス 代表取締役社長・佐別当 隆志氏を取材。
結婚を機に夫婦でシェアハウスや民泊の運営をはじめ、10歳の娘さんをホームスクーリング(学校に通学せず、家庭に拠点を置いて学習すること)で育てている佐別当氏は、どんな家族観を持っているのだろうか──。
結婚前にシェアハウスで暮らしており、奥様との出会いもシェアハウスだったという佐別当氏。ちょうど、シェアリングエコノミーの考え方が普及し始めたタイミングで、シェアハウスでの経験は公私共に強く影響を受けたという。
「結婚して子どもが生まれるというタイミングで、シェアハウスの暮らしやシェアリングエコノミーを自分の生活に取り入れる形をしたいと思っていました。妻は台湾人なんですが、アメリカと日本への留学経験も持っているので、台湾・アメリカ・日本という3ヶ国で教育を受けているからこそ、教育・暮らし・多様性の3つの在り方に強く疑問を持っていました。シェアハウスは、多様な人を受け入れる環境でもあるので、結婚して子どもが生まれてからも、多様性が交わる環境を家の中につくろうと、シェアハウスをはじめました」(佐別当氏)
Airbnbのホストとなりシェアハウスの運営を家族ではじめた佐別当氏は、娘さんの「ホームスクーリング」を後押ししてくれる仲間とも、シェアハウスを通じて出会うことになる。
「シェアハウスを運営し、多くの人が家に泊まりに来てくれることで、家の中に学びがある環境が、娘にとっても非常にいいと感じていました。そんな時に、Airbnbのスーパーホスト(ゲストに最高の体験を提供し、全ホストに模範を示す経験豊富なホストにAirbnbから与えられる称号のこと)が交流する機会がサンフランシスコであって。当時、2012年ごろはまだAirbnbが出始めのときだったので、この時代にスーパーホストをやっている人たちって(良い意味で)変わっている人たちが多かったんですよね。そこで出会った人たちの多くがホームスクーリングをされていて、僕たちも考えていたタイミングだったので、参考にしました」(佐別当氏)
日本では、当時も今もホームスクーリングは法律上、限られた範囲でしか認められず*1、多くの障壁がある一方で、世界(特に欧米)では導入が進んでおり、自宅で勉強を教えられる仕組みづくりやホームスクーリング用の教科書など、環境が整っていた。
実際にホームスクーリングを行なっているスーパーホストたちの話を聞いた上で、費用はかかるものの、娘さんのことを考えると現実的な選択肢になりうると、夫婦の間で真剣に考えはじめたという。
*1
日本のホームスクーリングは、保護者が就学可能であるよう環境等を十分に整えて準備したにもかかわらず子どもの自由意思で不登校になっている場合は、例外として、法律上の義務違反に扱われない。
佐別当氏がホームスクーリングを本気で考え出したのは、娘さんが小学校に入学するタイミング。例外的な扱いとされる不登校とは異なるため、学校側に理解をしてもらうまでには、何度も話し合いの場が設けられたそう。
「学校側に理解をしてもらうことが一番苦労しましたね。僕自身、娘が学校に全く行かないという選択をするとは思っていなくて、週に何度かは通う形になると思っていたんです。僕の両親も当然学校に通うと思って、ランドセルも買ってくれていたですけど、娘は入学式すら行きたくない・興味ないといった感じで(笑)」(佐別当氏)
「とにかく入学式だけでも良いから行ってみて、そこから通う通わないを娘が考えれば良いんじゃないか? と娘に提案をして、入学式に出たんですが、学校の先生から “廊下を走ってはいけません” とか “騒いではいけません” 、“来賓の方には頭を下げて挨拶してください” という指導が入ったことに対して、“なぜ子どもが騒いではいけないのか?” “なぜ知らない人に頭を下げるのか?” と疑問を持ち、理由がわからない場所に行きたくないとなったんです」(佐別当氏)
入学式の翌日から学校に行かなくなった娘さんに驚いた学校と、そこから約2年間平行線の話し合いが続いていく。
「娘をホームスクーリングで育てることも想定して、国語や算数を教えられる環境を家で整えていたので、予め学校側にもその旨は伝えていたのですが、まさか入学式の翌日から来ないとは学校側も思っていなかったようで、そこからは担任の先生や副校長先生たちと解決策が見えないまま話し合いの日々が続きましたね」(佐別当氏)
そんな話し合いの日々の突破口となったのは、以外にも教育委員会が立ち上がったことだった。
「当時からシェアリングエコノミー協会で働いていたので、その繋がりから、文科省の方や政治家の方に相談できる機会があって。その際に “公教育はこの5年10年で見れば間違いなく変わるし、佐別当さんがやろうとしていることは間違っていない” という話をしてくださった上で、多くの教育事例を持っている教育委員会に掛け合うことを助言してくれました」(佐別当氏)
教育委員会を通じた話し合いの中で、十分な教育環境を家庭に整えていることが大きなポイントとなり、教育委員会が学校側に柔軟な対応を求める形で、ホームスクーリングを学校が認めてくれる形になったという。
約2年間、平行線の話し合いが続く中、それでも諦めずに解決策を模索し続けた佐別当氏の行動の背景には、どんな想いがあったのだろうか。
「娘に自由にのびのびとやらせてあげたいという想いもありますが、実は娘のためだけでもないんです。僕自身、もともと海外と日本の違いに大きなギャップを感じていたので、僕らがホームスクーリングを実施することで、合法化とまではいかなくても、ホームスクーリングがポジティブに捉えられ、学校に合わない子どもたちにも前向きな子育てができればと思っています。僕ら自身が実践することで、課題が可視化され、こんな形でホームスクーリングを実践している家族がいるという発信まではやりたいですね」(佐別当氏)
ご夫婦ともに、娘さんのことを第一に考えながら、これまでの枠組みに囚われない選択をし続けている佐別当氏が、子育てで最も大切にしていることとは何なのだろうか。
「小学校に通う前から娘に対しては、自分の好奇心を大事にしてほしいと考えていましたし、娘がやりたいことができる環境を親としてつくっていこうと話していて、いろんな体験もさせてきました。親バカかもしれませんが、娘は感性が豊かだなと思っていて、インターナショナルのアートスクールにも通っていたので、そこで楽しむ娘の姿を見ながら、そのまま育っていってほしいなと思いましたね。今の日本教育、いわゆる縦割りの詰め込み型学習は娘には合わないのではないかと考え、娘の良さを伸ばすためにはどんな選択が良いのかと、常に娘視点での選択をしています」(佐別当氏)
「自分自身の好奇心を大切にしてほしい」という佐別当氏の想いは、娘さんだけでなく周りの関わってくれる全ての人に対して思っていることだという。
「娘だけでなく、妻も僕自身も常に自分らしさや感情、軸みたいなものを大事にしていて。それは家族だけにも留まらず、会社でも社外活動でも一貫しているので、自分らしさや軸を持っている人たちと一緒に仕事をしたいですし、社員に対してもできるだけ自分の感性を大事にする働き方をしてほしいと思っています。僕自身のこうした考え方や空気感は会社の関係者も、ADDress利用者の皆さんも感じ取ってくれているんじゃないかなあ」(佐別当氏)
ADDress利用者さんの中には、大人だけでなく、学校に通う子どもが地域を行き来できるようにと「デュアルスクール」(地方と都市の2つの学校の行き来を容易にし、双方で教育を受けることができる、新しい学校のかたちのこと)を実践する動きも生まれており、まさに佐別当氏が大事にしている「自分らしさ」を体現する人が集まっている。
とはいえ、やはり前例のないことを行うには試行錯誤をせざるえを得ない。現在の日本でホームスクーリングを実施するとなると、家でもしっかりと勉強ができる環境づくりと、それを支える資金面は家族にとって大きな負担となることは間違いない。
「勉強できる環境づくりにおいては、妻が非常に厳しく娘に接してくれています。娘が小さい頃から何度も泣かせていますし、娘が自分でやると決めたことを途中で投げ出すと、家から追い出すくらいの勢いで。実は虐待と思われて警察に通報されかけたこともあります。(笑)それくらい妻自身、本当に真剣に娘のことを考えて、厳しさを持って教育しているので、むしろ娘は家の方が集中できるということはあるかもしれません」(佐別当氏)
結婚10年目を迎え、お互いのことを理解し合いながら、娘さんのことを考えてきた佐別当氏。実は、起業した理由の一つが、家族のことを考えた上でだったという。
「結婚は何とか10年もっていますが、妻を幸せにできているかというと、あまりできていないと思っていて。ただ、家族の在り方として、僕らは娘が一番なので、娘の教育環境をどうやったら維持できるのか? を最も大事にしています。その中で、僕は娘が学びたいことを学べるだけのお金を稼がなくてはいけないという役割があって、前職を退職したのも、これ以上給料が上がらないという働き方になってしまっていたので、借金が増えるばかりだったんです(笑)。むしろ起業した方が僕らにとってはリスクが低いというか、事業を起こして自分で稼いだ方が早いという選択だったんですよ」(佐別当氏)
「家族の中で稼ぐという役割が僕は大きいですが、でも僕自身がやりたい事業内容に妻も応援してくれているので、僕のやりたいようにやらせてもらっていて。今でもどんどん外に出て行きますし、妻も自分事として娘や家の運営をしてくれています。大前提に夫婦の中で “娘の教育環境を整える” という共通の目的があるからこそ、成り立っている形なのかもしれませんね」(佐別当氏)
前職時代から、常に他人とは違う道を選び、自分の力を試してきたという佐別当氏は、その経験によって、家族の中でも社会の中でも、多くの多様性と共存しているのだろう。
「ずっと先駆者、オンリーワンであることを大事にしてきたので、多くのチャレンジをしてきました。もちろん、チャレンジすれば失敗の方が多いので、何度も心が折れたこともあります。でも、メンタルが病んだ時に、何で病むんだろう? と調べたことがあって。その時に知ったんですが、フランス人がメンタルを病む時って、“自分と他人は同じだ” と思った時、個性がないと病むってことを知って、驚きました。日本人と全く逆じゃないですか。その時、 別に失敗すること自体は悪くないし、海外では他人と違うことにチャレンジしている人が評価される文化があって、日本における普通が世界にとっての普通ではないことがわかって、自分や相手の “らしさ” を大切にしてきたんだと思います」(佐別当氏)
起業家の、家族観。
子育てにシェアハウスや、ホームスクーリングを導入する佐別当氏の家族観には、日本の当たり前に囚われず、目の前の愛する娘の視点で物事を考え、娘を幸せにするために夫婦で奮闘する愛情深さがあった──。
Editor's Note
夫婦同士はもちろん、お子さんとも対等に話し合い、お互いの「らしさ」を大切にしている佐別当さん。取材前には、活発的に地域を回られている佐別当さんの姿に、ご家族の理解が大きいのだと思っていましたが、奥様・娘さんがお父さんを理解するという形ではなく、全員がお互いを尊敬尊重するという家族の形がここにはありました。
NANA TAKAYAMA
高山 奈々