前略、100年先のふるさとを思ふメディアです。

LOCAL LETTER

まちに馴染み、島の魅力を編み直す。伊豆大島に移住したデザイナー夫婦の15年

AUG. 17

TOKYO

拝啓、移住先での生活がイメージできず、UIターンに踏み切れないアナタへ

地域になじめるか、仕事はあるかと、UIターンにあたって、不安がよぎることもあるかもしれません。

今回取材に伺ったのは、竹芝から高速ジェット船に乗り、1時間45分の距離にある伊豆大島。都心から近い一方、火山島ならではの豊かな自然と文化を誇る、伊豆諸島最大の島です。

元町港から車を走らせ、約5分。木漏れ日が差し込む山道を抜けると現れる、伊豆大島のコワーキングスペース『Izu-Oshima Co-Working Lab WELAGO(ウェラゴ)』。島内外の人が無料で使える施設として、ワークショップやイベント、貸しスペースなど幅広い用途で利用されています。

二つの建物が真ん中で手を結んでいるかのような、『つながり』をイメージさせる外観が印象的です。次に目に飛び込んでくるのが、壁に刻まれたWELAGOのロゴデザイン。

二つのうねりがぶつかり『O』をかたどっているようにも見える、こちらのロゴデザインを担当されたのが、今回お話を伺ったトウオンデザインさん。

伊豆大島へIターンしてきた千葉努さん、Uターンしてきた千葉れみさんのご夫婦で経営されている、島を代表するデザインオフィスです。

『WELAGO』は株式会社フロンティアコンサルティングのサテライトオフィス、そして誰でも使える無料のコワーキングスペースとして、2023年5月に誕生。努さんはロゴデザインのほか、ブランディングやWEBサイト構築、コミュニティ運営にも携わっています。

島内のロゴやチラシ、WEBサイトの制作、最近では70年以上の歴史を誇る『伊豆大島椿まつり』の企画やクリエイティブ全般を任されるなど、今や大島になくてはならない存在です。

都心で働かれていた二人がどんな壁にぶつかり、どう乗り越え、大島を代表するデザイナーとなったのか。2010年に移住してからの15年の軌跡を伺いました。

余白があるからこそ、関わりしろも多い。移住の決断まで

もともと都心でデザイナーとして勤務していた、努さんと、れみさん。
都心でキャリアを積むという選択肢もある中、なぜ大島への移住を決めたのでしょうか。

「移住する前後の2010年ごろ。地方のシャッター通り化した商店街にコミュニティスペースが生まれて、地域の活動拠点になる。そういう取り組みが出始めた頃だったんですね。

もともと自分が大島をすごく気に入っていたのもあり、大島出身の妻に相談して、島で何かできないかと動き出したのが、移住のきっかけでした」(努さん)

一方、れみさんは大島へ帰ることを、当初想定していなかったとのこと。

「私としては人生の計画になかったことでした。
結婚してすぐ戻ってきたので、子育てには良い環境なのかもしれないくらいの気持ちでした。そこまでいろいろ決めて帰ってきたわけではないです。でも、今は帰ってきてよかったと思ってます」(れみさん)

千葉努(ちばつとむ)氏(右)クリエイティブディレクター・デザイナー/
デザインオフィス「トウオンデザイン」のクリエイティブディレクター・デザイナーとして、グラフィックデザインやブランディングを手がける。株式会社TIAMでは代表取締役CEOとして、東京諸島を主なフィールドに、地域に根ざした事業づくりを企画・編集・発信・場づくりの面から支援。また、一般社団法人大島観光協会の専務理事として、島の観光振興と地域づくりに携わる。
千葉れみ(ちばれみ)氏(左)デザイナー/
地元、伊豆大島で高校まで過ごす。進学後、都内のデザイン会社勤務を経てフリーランスとなりトウオンデザイン設立。大島へUターン後、クリエイティブスペースkichiを運営。デザイン全般に携わりながら、イベント企画、子どもデザイン教室など活動。中学生・小学生姉妹の母。今年4月より大島・京都の二拠点生活スタートし、八丈島にてロミロミ習得中。

こうして移住を決めたお二人は、大島へ渡る前年の2009年に個人事業としてデザイン活動をスタート。島での新たな生活に向け、準備も整えていきました。

とはいえ、ゼロからデザインの仕事で生計を立てるのは至難の業のように思えます。努さんも「初めての土地でデザインだけで食べていくのは難しいと思っていた」と当時を振り返って語ります。

「デザイン業はお客さんとの信頼関係が大切です。ましてや結婚して家族もできるタイミングでは、地に足をつけて暮らしたいと思ったので、まずは島での仕事を探しました。ちょうど『大島町商工会』に空きが出て、そこを受けて採用いただいたんです」(努さん)

生活のめどを立て、ついに大島への移住を開始。商工会では事業者さんとの交流も多かったそうですが、当初は今ほど移住が一般的ではなかったこともあり、どこに行っても「都心からなんで来たの?」と不思議そうに聞かれることもあったそうです。

「でも、自分はその時、まちづくりのいろんな成功事例を見ていましたし。余白や関わりしろがすごいありそうだなと。何もないからこそ、できることが何でもある。そこが大きかった」(努さん)

何か宝物を見つけたかのように、目を輝かせて努さんは語ってくれました。その後、努さんは商工会で経営指導を行いながら、れみさんと共に空きスペースを活用したクリエイティブスペース『kichi』を運営するなど、二人の活動はどんどん広がっていきます。

趣味で始めたものが依頼を呼び込むきっかけに

商工会で働くことが決まったものの、移住当初は地域へ入る際に壁を感じることもあったようです。

初対面では『島ん人(しまんひと)?』って聞かれるんです『違います』って言うと、相手が少し戸惑うような場面もあって」(努さん)

そんなIターンの努さんへの印象を和らげるのに、Uターンしてきた、れみさんのバックボーンが助けになることもあったと言います。

「島は顔の見える関係性を大切にする場所。当時は移住者が珍しかったので、地元の方もどう接していいか探っている状態だったのかもしれません。私は大島が地元だったので、れみさんの旦那さん』という風に見られたことで、一気に親近感を持って接していただけるようになりました」(れみさん)

最初は移住者ならではの壁を感じたものの、大島に馴染んでいったお二人。では、その後、どのようにして、デザインの仕事を獲得していったのでしょうか。自ら積極的に売り込んでいくようなスタイルかと思いがちですが、返ってきたのは意外な回答でした。

「自分たちの感覚としては、相手の相談に応える感覚に近いかもしれません。『これ(デザイン)とか、できるの?』と向こうから言われることがあって、人伝え、口コミで広まっていきました。自ら営業をかけることはほとんどしてないです」(れみさん)

その大きなきっかけとなったのが、移住前から趣味として制作していたフリーペーパー『12class(ジュウニクラス)』だったそうです。

移住する前からフリーペーパーを作っていたんです。都心にいる頃から、大島の方に取材していましたし、移住後も3、4ヶ月に1回ぐらいのペースで発行していました」(努さん)

2009年に創刊された、伊豆大島の暮らしを伝えるフリーペーパー『12class』。取材を通して、観光ガイドブックでは語り切れない大島のディープな情報を伝えています。

大島の魅力を発信するフリーペーパー『12class』の制作は、トウオンデザインさんの原点とも言える活動。もともと「つくる」をテーマに、暮らしの中にある様々な創作活動を紹介するために始まった『12class』に、大島での日々の暮らしの視点も加わっていきました。自分たちの関心をまっすぐに表現したこの活動が、期せずして種まきになり、後に依頼を呼び込むことになったようです。

15年以上運営されている、トウオンデザインさんが手掛ける大島の総合情報サイト『伊豆大島ナビ』についても、『12class』を見た方からの依頼だったと言います。

「『12class』のように島の魅力をクリエイティブに形にできる人が島にいるんだったら、大島の情報サイトも作れるんじゃないかと、お声掛けいただいて始まったんです」(努さん)

完全に趣味として始めていたんですが、それが繋がってうれしかったです」(れみさん)

メディアと場を連動させる。地域と人を『つなぐ技』

12class、伊豆大島ナビ、kichiなど、大島での存在感を高めていったトウオンデザインさん。そんな中、新たな挑戦に乗り出します。2014年からNPO法人化して始まった『三原色(ミハライロ)』というプロジェクトです。

「三原色は、『東京アートポイント』という東京都歴史文化財団のアートプロジェクト事業の一環です。私たちも大島でのプロジェクトとして、関わる機会を頂きました。

地元でアートNPOを作るというのがテーマだったので、まずは事務局を現地で起ち上げる。そのチームが地域の将来やコミュニティを醸成するのに繋がるような企画を考え、地域外のアーティストを連れて来る試みです」(努さん)

アートを通じて島内外の人を繋ぐ、こうした活動によって「企画の立て方や運営の仕方、チームビルディングが体得できる」と語る努さん。地域主導で動くことで、地元の人が実践知を得られ、中長期的に見て、持続可能性が上がるという狙いもあったようです。

三原色を進めるにあたって、努さんと、れみさんの共通課題だったのがマンパワー不足。この課題に、二人は「つなぐ技」を、現場で磨いていきます。

「手あたり次第じゃないですけど、初めて会う人やママ友に『何が得意?』と、アンケートをとるような感じで、常にアタックし続けていました」(れみさん)

当時kichiという場でクラフト市などイベントを開催していたのですが、参加者の普段は見られない顔が見えたりするんです。この人はこういう事が得意だなというのをインプットして、別のイベントをやる時にお願いしてみるとか。

フリーペーパーや伊豆大島ナビの取材を通じて、いろいろな人の意外な一面が知れたのも大きかったと思います」(努さん)

場とメディア運営の両方を通じて、人と出会い、人物像を知る中で、適性や好みに合わせて仕事をお願いする。そんな形で、マンパワー不足の解消へ繋げていたということでした。

『伊豆大島マップ』や『伊豆大島椿まつりコンセプトブック』など、トウオンデザインさんが手掛けた冊子の一部。雄大な自然と都会的なテイストが融合しており、どれも新鮮な驚きに満ちている。

メディアと場があることで地域の人たちと繋がれる。ここWELAGOもそうですけど、場があることで、いろんな人が集まって交流できるきっかけを作れると思っています」(努さん)

変化するライフステージ。地域で仕事をし続けるために

メディアや場の運営など、活動が広がっていく一方で、努さんとれみさんは自分たちの働き方を見直すタイミングが訪れます。

2019年に努さんは、商工会を退職されます。当時40歳を過ぎ、キャリアの先が見えたのと、後進に席を譲ろうという想いもあり、独立を決められました。そして何より、当時はトウオンデザインとしての仕事も増え始め、独立しないと対応できない状況だったと言います。

こうしてトウオンデザインさんの存在が確立されていく一方、子育てなどライフイベントによる生活の変化も訪れ、仕事ばかりしていられないと、れみさんの中では葛藤もあったようです。

夫が独立した当時、ちょうど次女が生まれた年で、私は仕事どころじゃなく。子育てと共にいろんなスケジュールが変わってきました。でも、夫の方は私から見ると良い意味でずっと変わらず仕事に没頭し続けている印象なんです」(れみさん)

れみさんは、ふとした本音をこぼすように、けれど弾けるような笑みを浮かべて語ってくれました。隣ではにかむような笑みを浮かべて聞いている努さんの様子も、また印象的でした。

独立後はトウオンデザインの活動以外に、新たなメディア『東京都離島区』の起ち上げやWELAGOの運営など、数々のプロジェクトを進め多忙な日々を送る努さん。しかし、本人としてはあまり働いている感覚はなかったと言います。楽しげに話されているのが印象的で、本当に仕事が好きなのだなと伝わってきます。

一方、れみさんは家族の健康を守るため、優先順位を付けることを意識するようになったと言います。

「30代の時とはやっぱり動きが違うので、優先順位が生まれてきちゃう。子供のことが優先で、仕事一番になれない時はどうしてもあります。もちろん仕事はやりたいし、大好きなんですけど、その時々で大切なものを見極めていきたいなと。

家族を健康な状態で保つという面では、彼には仕事に集中してもらいたいところがあったので、そのあたりで、バランスをうまくとっているつもりです」(れみさん)

これからも基点は大島。外での体験を繋いで新しいフェーズへ

移住から15年。大島に寄り添い、自分たちの暮らしも丁寧に整えてきたお二人。トウオンデザインの活動を振り返ると、デザインも、場づくりも、メディア運営も、すべてが大島に向けられていることに気づきます。

「大島に来たきっかけは裏砂漠という場所です。そこは人工物が一切見えないし、人もほとんどいません。言っちゃえば地球上の景色じゃないような感覚です。

こういう大島の地質的なところや文化から得られるインスピレーションは大切にしたい。あとは旅行で外の世界にも触れたいと思っていて。

二人で話したんですけど、家族旅行の時とか、外での気づきを言語化、文章化し、言葉にして残しておきたいなと思ってます。

ホームページも今後リニューアルして、トウオンデザインでは、より内面的な価値や感じたことを表現するワンコーナーを持ちたいと考えています」(努さん)

伊豆大島は日本ジオパークに認定されており、海岸をはじめ、『地層大切断面(通称、バームクーヘン)』や『裏砂漠』など、火山島ならではの独特な景観が広がっています。

れみさんも背筋を張り、自信をにじませながら、今後の展望を語ってくれました。

大島にUターンした時、今思うと生意気なんですけど、トウオンの活動として『閉鎖的な島に外の風を通したい』という思いはすごいありましたそれで、トウオンとkichiの活動をやってたなと思ってまして。10数年経った今、それはできたと思ってます。

今後はデザインの考え方やベースを活かしつつ、島外にも出て新しい発見をしながら、次のフェーズに進みたいと思っています。ただその基点が大島。ここで始めて、いろいろ培ってきたというのは、常に覚えておきたいと思います」(れみさん)

人と人、都心と島しょ部、リアルとメディア、あらゆる領域を繋ぎ、大島の可能性を広げてきた、努さんと、れみさん。その活動のベクトルは常に大島へ向いていたように思います。

仕事や創作、交流など、何かのカタチで、まずは地域への想いを表現する。そうして、まちに馴染んでいった先で、外の視点を入れ、地域の魅力を編み直していく。移住者として挑戦する時の心得なのかもしれません。

本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。

Editor's Note

編集後記

何かを生み出すには行動あるのみですが、それがどこへ向かっているかは、大事だなと感じました。地域のため、誰かのため、貢献性をベースに行動を組み立てる大切さと言いますか。とはいえ、表現者として、ある種のエゴも捨てていないのが素敵だなと思います。トウオンデザインさんの『つなぐ力』は、普遍的で大事なものだと、気づかされました。

シェアして千葉努さんと千葉れみさんを応援しよう!

シェアして千葉努さんと千葉れみさんを応援しよう!

シェアして千葉努さんと千葉れみさんを応援しよう!