TOYAMA
富山
みなさんには、守りたい大好きな地域はありますか?そして、その地域は本当に、今のままずっと続いていく場所だと言えるでしょうか?
この記事で出てくる富山県氷見市は、富山湾に面し、新鮮な海の幸に恵まれているほか、「ハンドボールの聖地」としても知られるなど、たくさんの魅力がある地域です。ところが、現在はほかの多くの日本の地方と同様に、進学や就職を機に都会へ出て行って戻ってこない人が多いといいます。
こうした現状の中で、氷見市の魅力を守り、高め、次の世代へつなげていこうと汗を流す人たちがいます。
今回お話を伺ったのは、現在氷見高校で副校長を務めながら「富山ドリームス」というハンドボールチームの理事をされている徳前紀和さんです。出身地である氷見市への愛にあふれる徳前さんから、富山ドリームスの設立に関する話や、氷見をはじめとする地方への想いを伺いました。
スポーツが大好きな子供だったという徳前さん。小学校3年生の時に見たインターハイでハンドボールの選手にあこがれ、「ハンドボールを絶対にやる」という強い気持ちを持ちました。小学生当時から氷見高校の校歌を歌うことができるほど、氷見高校へのあこがれの気持ちは強かったと言います。
「氷見で生まれて、スポーツがとにかく大好きな子供でした。強くなりたいっていうのは、なんとなく子供の頃からあって。氷見でスポーツをするなら、強くなりたいのであれば、やっぱりハンドボールかなと。
小学校3年生の時に、氷見でインターハイが開催されました。毎日おにぎりを持って、試合を観に行ったんですが、その時に観たハンドボールがかっこよすぎて。目に焼き付いて、絶対あれやるって、心に決めました」(徳前さん)
その後、無事あこがれの氷見高校へと進学された徳前さん。高校には指導者としてお父様もいらっしゃった中で幼い頃に思い描いた通り、ハンドボールに打ち込む生活を送りました。
「言葉で教えられた内容とか、そういうのはもうほとんど覚えていないんですが、父だけじゃなくて、チーム全体の雰囲気であるとか、ハンドボール部を支えてくださる方々皆さんの空気感とか、そういうものから、本当に多くのことを学ばせてもらったと思います」(徳前さん)
そして、氷見高校卒業後は金沢大学に進学し、教員の道へと進みました。
「将来教員になって、ハンドボールの強いチームを作りたい。そんなことを若い頃から考えていたんです。それで生徒が成長していくことに喜びを感じたいと。今から思えば狭い世界の中で考えていたんだなと思いますが、そのことに本当に大きなエネルギーを感じていました」(徳前さん)
2010年より、自身の母校である氷見高校の教員となり、ハンドボール部の指導を開始した徳前さん。「生徒を成長させたい」という想いで熱心に指導を続け、2018年、遂に氷見高校ハンドボール部を高校三冠*へと導きました。
*高校三冠…氷見高校ハンドボールは、第41回全国高校選抜大会・第69回三重インターハイ・第73回福井国体にて優勝を達成した。
見事、学生たちを日本一へと導いた徳前さん。しかし、徳前さんの指導者としての活動は初めから順風満帆ではなかったといいます。
「時間も、エネルギーもお金もたくさんかけていましたけど、全然結果に反映させることができなくて。生徒のみんなも全然満足できなかったであろう、納得のいく成績が出せなかった時代がすごくたくさんあって。もううまくいかないことの連続でしたね」(徳前さん)
しかし、様々なきっかけをもとに徳前さん自身の指導への捉え方が変わったこと、また、ほかの高校のハンドボール部のやり方も時に見習いながらチーム体制を整えたことにより、すこしづつ状況を塗り替えていったと言います。
「上手くいかなかった頃って、一人ですごくたくさんの役をやっていました。一方で、高校時代からの同級生で指導者をしている彼のところが、うまく分業をやっていたんです。そういうところから学び、2018年に優勝する2年前にうちのチームもスタッフを急に増強し、7人の体制でやり始めたんですよ」(徳前さん)
全国的にも強豪校である氷見高校の存在を始め、ハンドボールが盛んなことで知られてきた氷見市ですが、実はこれまでプロの男子ハンドボールチームは存在していませんでした。
徳前さんの頭の中で少し前から思い描いていた「氷見市にハンドボールのプロチームをつくる」という構想が動き出したのは、氷見高校が高校三冠を達成した少しあと。徳前さんが受けたある取材がきっかけだったそうです。
「2018年に、氷見高校のチームで思い描いていたようなパフォーマンスを出すことができて、じゃあその先、次は何をしよう、と思った時に考えていたことがあって。
ちょうどその頃にある雑誌に『高校三冠を達成できたのはなぜですか?』みたいな取材を受けたんです。その時来られた雑誌の方が以前から懇意にしてた方だったので、ちょっと僕も気を許して、『その話よりも、未来のことを話しませんか?』と投げかけたところから実は『富山ドリームス』の設立へとつながっていったんです」(徳前さん)
ここから始まった氷見市初のプロハンドボールチーム『富山ドリームス』。チームが目指しているのは、デュアルキャリアの確立。ここで言うデュアルキャリアとは、選手たちは、日中は企業で社員として働きながら、夜や週末にハンドボール選手としての練習や試合を行うというスタイルです。
「競技だけをやってお金をもらっている人がプロ、みたいな考え方がありますけど。でも実際そうやって食べていけているスポーツマンって日本中で見ても、まあ相当少なくて。なので両方やってもらうことをはじめから前提としています。
デュアルキャリアであれば、スポーツをしていることが、会社員としての仕事にもプラスになることもある。逆に、仕事をしている中でもスポーツで得たつながりを使えるといったこともあります」(徳前さん)
徳前さんが、ハンドボールチームを設立するために行ったことの1つに、数多くのイベントの開催があります。
「チームができるまでに、本当にたくさんのイベントをやってきました。その一番最初が『富山ハンドボーラーズDAY2019*』というイベントで、すごくたくさんのお客さんを集めることができました。
*富山ハンドボーラーズDAY2019…インカレ優勝の筑波大学、準優勝の日本体育大学、関東の雄明治大学、そして地元出身者の富山ドリームスによるハンドボールイベント。これらのチームの試合が行われた。
他にも、スポーツビジネスやに関わる方々を招聘したトークセッションや、ロータリークラブなどでの講演の機会を設けました。そうした活動を通して、私の考えることを多くの企業様や社長さんに聞いていただき、『ドリームスが目指す方向っていうのは間違えてないよね』っていう答え合わせをすると同時に、そんな様子を見ていただいた企業さんたちの多くがチームのサポーターになってくれました」(徳前さん)
企業の方に直接、チームの構想を話したり、協力を仰ぎに行く機会もあったそうです。
「これからの地方とスポーツはどうあるべきかみたいなことを、自分は選手を育ててきた立場から話しました。このチームが作ろうとしている形は、いろんな方にとってプラスになるんじゃないか。
デュアルキャリアのこととか、あるいは今のスポーツ界の課題みたいなことも含めながら、企業の皆さんに広く支えていただくことで、まちもスポーツも元気になっていく、そんな形を作りたいということを訴えさせていただいてきました」(徳前さん)
徳前さんの考えも、イベントや企業との対話を繰り返しながら徐々に固まっていったといいます。
「デュアルキャリアにしても、最初からそれありきだったわけでもないんです。考えとしてはあったけれど、いろいろな方と話しながらいろんなイベントをやっていきながら、もう答えはここしかないと思いました。
デュアルキャリアが、現状地域やスポーツ界が抱える色々なものを解決することにつながるなということには途中で気づいて。それ以降は富山ドリームスはデュアルキャリアでやっていく、ということを全面に打ち出していくようになりました」(徳前さん)
そして、2022年3月、ついにプロハンドボールチーム「富山ドリームス」が発足しました。
「富山ドリームス」設立から2年が経過した現在、徳前さんは、この氷見での事例をきっかけとして、ハンドボール以外のスポーツ界全体や、氷見の外の国内各地方の課題解決までも見据えた活動を立ち上げました。
徳前さんは、スポーツ界の選手のキャリアに関しては、ハンドボールに限らず他の競技でも同じ問題が存在していると言います。また、日本の地方は、氷見と同じく、どこも深刻な人不足で、働き手がおらず困っている企業がたくさんあるという共通点があります。
これらの問題を一気に解決するため、富山ドリームスの幹部が中心となって2024年7月には「ドリームキャリア富山」という新しい会社が設立されました。
「富山銀行さんと、チューリップテレビさんと、富山ドリームスを中心にコンソーシアム*を設立し、新会社『ドリームキャリア富山』が生まれました。コンソーシアムには、富山県や富山県スポーツ協会にも関わっていただいております。
*コンソーシアム…複数の企業や組織が、特定の目的を達成するために結成する連合体のこと。
そうして、ハンドボール選手だけじゃなくて、ハンドボール以外の選手と企業をマッチングする事業を開始したんです。富山銀行さんには人を欲しがっている企業さんを紹介していただく。チューリップテレビさんは企業の紹介を、広報含めてやっていただくという流れです。
富山だけ、氷見だけじゃなくて、どこの地方も本当に人手不足です。子供の数も減ってますけど、高卒で地元で就職するというような人もどんどん減っていて、みんな都市へと流れていっている。そうすると結局、お金もあるしアイデアもあるような地元の会社が、人がいないので事業が回らない。そうやってつぶれていくんですよ」(徳前さん)
こうした地方の問題を解決するための可能性は、ハンドボールやスポーツだけに限ったものではないと徳前さんは考えています。
「僕のやろうとしていることと同じことを音楽に置き換えて、『オーケストラをやるために地方に行きませんか?』でもいいんですよ。都会に一度出て行ってしまうと、若者たちはやっぱりそっちに染まっちゃう。僕らとしてはなにかきっかけを用意して、こちらに戻ってきてほしい。
一方で、何かを一生懸命やってきている、例えば、アスリートみたいにスポーツに打ち込んでやってきた子たちは就活する時間がないんですよ。そのお互いの結びつく機会をつくってあげないと。どこの地域も、置かれた状況は同じなので。
今、ドリームスでの取り組みがうまく回ると、他の地方でも同じようなことをやれないか?といつも思っています」(徳前さん)
氷見で、スポーツに打ち込む学生のために全力を尽くしてきたキャリアの中から、今では日本のスポーツと地方全体の課題解決を考えるようになったという徳前さんはとても活き活きとインタビューに答えてくれました。
徳前さんの言葉にもあったように、地域を盛り上げることは、スポーツを通してでなくともできます。取材を通し、地方に対し、地方の課題に対して自分にできることは何だろうと考えるきっかけになりました。
「富山ドリームス」をきっかけにどんどん広がっていく徳前さんの今後の取り組みが楽しみです。
本記事はインビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
取材中、徳前さんからは氷見への愛、学生への愛が伝わってきました。嬉しかったことの質問には、卒業生が教員採用試験の日に試験に行かず、「今しかあの子たちとの時間はないから」と教え子の試合に行ったことを挙げていました。ここから、徳前さんの「先生として生徒を大切に思う熱さ」が強く伝わってきました。富山ドリームスや氷見の地域をこれからも応援していきたいです。
Mayu Otsuka
大塚 麻由