HIROSHIMA
広島
明治26年創業から、130年以上つづく蔵元「津田酒造」。
広島県江田島市・中町港から、海を左手に磯の香りとともに歩くこと約10分。趣のある蔵がまえが印象的なこの酒蔵を継いだのは、地元で生まれ育ち、3代目を務める津田紘吏さんです。
130年の歴史を誇る酒蔵の3代目として、その伝統を守り続ける津田 紘吏(ひろし)さん。しかし、彼がただの“職人”であったならば、この歴史はここまで続かなかったかもしれません。130年以上、この蔵の歴史をつないでいる理由とは?
40年前に、3代目として津田酒造を継いだ紘吏さん。2004年ごろまでは、江田島市の蔵で日本酒を製造していたといいます。しかし、時代の変化とともに紘吏さんに大きな壁が立ちはだかりました。
「だんだん日本酒が飲まれなくなって、それと同時に酒蔵で働く人がいなくなったんですよ。時代とともにビールやワイン、ウイスキーといった海外のお酒が増え、日本酒のシェアが縮小していきました」
特定の銘柄だけで売り上げを維持することが難しくなり、津田酒造でも日本酒が売れなくなっていったと言います。
そんな中、紘吏さんに大きな打撃を与えたのが、酒造りの最高責任者である杜氏(とうじ)の病気だったそう。
「杜氏は蔵に入る前の9月ごろ、動脈瘤を患いましてね、急遽酒造りをストップさせたんですよ」
翌年、酒造りの再開を試みたものの、杜氏の体調は回復せず、やむなく別の杜氏を探すことになりました。しかし、以前のように杜氏が蔵人(くらびと / 杜氏の下で日本酒造りに従事する職人)を引き連れて来る時代ではなくなり、新たな人材を確保することは容易ではなかったと言います。
こうした苦境の中、紘吏さんは津田酒造を次の世代に残すべく、懸命に道を探りました。
今から3年前の2022年、たまたま広島市内の問屋さんから市役所や商工会に「江田島市の地ビールを作りたい」と相談があったそうです。そこで、作れる場所がないかと役所に相談があり、津田酒造さんにつながったと言います。津田さんは二つ返事で了承したそう。
「ここで特産品ができるというのは、うちのみならず江田島市全体にとってもいいことだと思いましたよ」
日本酒の酒蔵を、ビールの製造場所として貸す。普通だったらきっと承諾に悩むのではないでしょうか。
また、津田さんは酒造りだけではなく、不動産業や太陽光発電、洗車場など多彩な分野を兼業していたといいます。
「今までやったことがなかったことばかりだったけど、ありがたいことに周りの人がね、助けてくれた。いろんなこと教えてくれたり、やってくれたり。非常に私は人に恵まれて、運が良かったんだと思うんです」
津田さんの言う「運の良さ」は硬い壁を作らず、いろいろなものを受け入れる柔軟性と挑戦心、そして行動力が生んだもののはず。
そして、清酒業界が衰退する中でも津田酒造が130年以上続く理由は、お酒作りだけではなく様々な軸をもったことにあるのではないでしょうか。
日本酒にはさまざまな種類があります。純米酒や吟醸酒が人気を集める一方で、あえて「普通酒」にこだわってきたと話す紘吏さん。
「毎日飲んでも飽きず、気軽に楽しめるお酒こそが、人々に長く愛されるものだと私は思うんです」
1982年頃に吟醸酒ブームが起こりました。吟醸酒はもともと品評会に出品するために造られる特別な酒で、市場には出回っていませんでした。しかし、酒税の改正などをきっかけに市場に登場し、その珍しさと華やかな香りから、一気に人気を集め、多くの酒造メーカーが吟醸酒に注力し、贈答品としての価値も高まりました。
一方で、紘吏さんは吟醸酒に対して懐疑的だったと話します。
吟醸酒は、米を50%以上削って仕込みます。そのため雑味が少なく、香り高いものの、味わいの深みは失われがちです。
「実際に吟醸酒を作っているメーカーの社長に『毎晩晩酌で飲むか?』と聞けば、『そんなに飲めるものではない』と答えるんですよ。初めの一杯、二杯は吟醸酒の香りが楽しめます。しかし、飲み進めるうちに鼻に香りが残り、次第に飲みにくくなるんです。
結局、人々が最後に選ぶのは普通酒。香りが控えめで、クセがなく、口当たりがよい。だからこそ、私は普通酒にこだわり、それを主力商品としてきた」と言います。
「業界全体で見ると、吟醸酒の流行は成功とは言い難いものでした。なぜなら、日本酒が持つ独自の良さを損ない、まるでワインのような方向へ進んでしまったからです。
ワインにはワインの良さがあり、日本酒には日本酒の良さがあります。しかし、一時期の日本酒業界はワインの真似をしようと、ワイングラスで提供することを推奨し、ワインのようなフルーティーな香りを追求しました。これでは、日本酒の本来の魅力が薄れてしまうと感じます」
幸いなことに、今ではその風潮も落ち着き始め、多くの消費者が日本酒本来の味わいを求めるようになってきたと感じられるそうです。
「特別な日だけではなく、日常の食卓に寄り添う存在でありたい。そのためにも、手頃な価格で、誰もが気軽に楽しめる普通酒の良さを、これからも伝えていきたいと思います」
紘吏さんのもとには、地元の子どもたちや地域の住民も訪れます。津田酒造は商売だけでなく、地域の歴史や文化を伝える場ともなっています。
「この間も、地域の人たちが改めて周辺を歩いて、昔のことを聞きたいと言ってきました。そういう話をする機会があるのは、本当にありがたいことです」
特に、小学生が訪れる機会が多いといいます。紘吏さんは地元の歴史を伝えながら、食の大切さについても話すのだそうです。
「ここで子どもたちに伝えたことが親御さんに伝わって、その会話がきっかけで買いに来てくれたりもするんですよ。こういうつながりが、何よりもうれしいですね。直接的な商売にはすぐにつながらなくても、地域の人たちとの信頼関係が生まれる」
また、地域の大人たちとの交流も大切な時間です。
ある日、地元の人たちとお酒についての話をする機会があったといいます。そこで「どの種類の酒が一番おいしいか?」という質問が飛んできました。
「私は正直に答えました。『腹が減ったときに飲む酒が一番おいしい』ってね(笑)。そう言うと、みんな笑っていましたよ。でも本当にそうなんです。どんな高級な酒でも、体の調子が良くないと楽しめませんし、お腹が空いているときに飲む一杯の酒ほど美味しいものはないんですよ」
この言葉に、「確かに、どんな料理でも、空腹のときに食べるとおいしい」と頷く人が多かったそう。
「私は本当に人に恵まれてきました。そのおかげで今日まで来ているんじゃないかな。地域の世話役をやったり、いろんな人との交流があったりして、本当に多くの人とのご縁に支えられてきました。もう引退してもいい歳ですが、なかなか代わりがいないので、まだ続けていますよ」
そう笑いながら話す紘吏さんの言葉には、地域への愛情と、人とのつながりへの感謝があふれていました。
紘吏さんの小さい背中は、「時代の波に流されない勝ち方が必ずある」と物語ってくれました。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
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Editor's Note
訪れた際、お茶をふるまってくださった紘吏さん。そのさりげない気遣いから、あたたかなおもてなしの心が伝わってきました。初めてお会いしたのに、どこか懐かしさを感じたのを覚えています。
優しい笑顔の紘吏さんは、これからも津田酒造を守り続けていくのだろうと感じました。一人の応援者として、これからも陰ながら見守っていきたいと思います。
HIMENA IWASAKI
岩﨑 姫無