前略
誰もが活き活きと生きるコミュニティづくりを目指しているあなたへ
1976年、長野県生まれ神奈川県横須賀育ち。既成概念を超えたアートの発信地として、国内外を問わず若手やタイムリーなアーティスト・クリエイターを発信しているギャラリー兼シェアアトリエ「HATCH」の代表を務めながら、アーティストのエージェントを手がける「GTGP JAPAN Corporation」の社長でもある近藤威志さん。2001年から7法人・20以上もの事業の新規立ち上げに携わる彼は、現在でも足を止めずにその活動領域を広げている。
そんな彼が今特に注力しているのが「人・暮らし・地域・コミュニティ」をテーマにした、まちづくり・空き家の利活用・地域の事業再生。幼少期の頃から様々な年代の人たちと共同生活を行ってきた彼だからこそ、感じる違和感や理想、ビジネスをする上で大切にしている考え方を過去・現在・未来に沿って3編でお届けする。
プロフィール
近藤威志(Takeshi Kondo)
GTGP JAPAN Corporation 代表取締役 / HATCH 代表 / 株式会社WHERE 地域プロデューサー
この数年はまちづくり、空き家の利活用、地域の事業再生など、「人・暮らし・地域・コミュニティ」をテーマに活動。現在、横須賀を皮切りに、湯河原町、真鶴町の空き家の利活用、地域のコミュニティ再構築を軸とした集落の再生を実現することで、今後更なる社会問題となる全国の空き家空き地を顕在化し、移住定住によらないこれまでにない利活用モデルを目指して奮闘中。なお6月より関係人口創出のプロデュースを行う株式会社WHEREへも参画。
2001年から実に7法人・20以上もの事業を立ち上げているパワフルな彼の始まりは、大学時代に経験した就職活動だった。2000年卒の彼が就職活動を始めたのは超就職氷河期。とにかく就職活動は苦労した。
地元の進学校の高校を卒業した彼が次に選んだ道は、“偏差値の高くない” 大学だった。そんなギャップに反発してか、当時の彼は超大手思考。とにかく大手に入社することを目指して、OB訪問を始めようと意気込んだが、できなかった。だってそもそも大手企業で働いているOBがいなかったから。
さて、どうするか。大手企業の若手社員がたくさんいそうな場所に行って、仲良くなる方法を思いついた彼は、直ぐさま実行した。仲良くなってから自分の素性を明かし、就職相談に乗ってもらっていた。
そんなことをひたすら続けていたら、日本の名だたる企業の人たちの名刺が集まると同時に、若くして仲間と起業しめちゃくちゃ楽しそうに稼いでいる人たちとも知り合った。その時ふと彼の中で浮かび上がった疑問は「経済的な制約を受けずに仲間と、やりたいことやるためにはどのくらい稼ぐ必要があるのか?」。
彼なりの答えは「最低でも1億円くらいは稼ごう」だった。正直、1億円にさほどこだわりはなくて、ただ当時大学生だった彼にはとって「1億円」は想像もつかないくらい巨額。何も考えずに好き勝手やっていける金額だった。
もう一方で「1億円を稼げる」とはどういうことかも考えていた。彼の答えは「大きなインパクトのある価値提供を世の中に対して行った結果、手元に残るものが1億円」。では、大手企業の社長の年収はいくらか? 日本の会社の雇われ社長では1億円を稼いでいる社長はほとんどいないだろう。ならば小規模であっても、自分と仲間で事業をやっていたほうが年収1億以上を稼げる可能性がありうるのでは?そんな単純な計算から、超大手思考だった彼はあっけなくいなくなったのだ。
ここで大切なのは、一旦現実は頭の隅に置いて究極の理想を想像し、その理想を目標にすること。例えば現実を見て「年収1,000万円を目指す」という目標設定をすると、達成率が100%であったとしても、年収は1,000万円でしかありません。でももし「年収1億円を目指す」と言い続けたなら、達成率が30%であったとしても年収は3,000万円になる。
だからこそ彼は、どんな時でもどんな仕事でも、まずは全ての制約条件を取っ払って、究極の理想を想像する。「出来るか」「出来ないか」ではなく、「こんな世界があったらいいよね」「こんな生き方していければいいよね」っていう究極の理想を想像して、その理想を目標にするのが彼流なのだ。
そこから大学在学中に始めた就職支援活動がきっかけで知り合った、外資系の経営コンサルタントの方々と一緒に就職支援のNPOを設立。その後、NPOで出会った方に誘われてアパレル企画会社の立ち上げに参画。休日問わず、昼夜もわからなくなるほどがむしゃらに働いて2年が経った時には、年商は2億に登っていた。
やっと自信が出てきた3年目に事件は起こった。当時のアパレル会社の社長に裏切られる形で会社を退職せざるを得なくなってしまったのだ。2年間ひたすらに努力して積み上げてきたものが崩れ落ちていく感覚があった。一気に人生のどん底に落ちたのだ。
そんな彼を救ったのは、直接仕事でお世話になっていた方をはじめ、彼の努力を見ていたくさんの人たちだった。彼が全く考えていなかったような人たちが一斉に彼に手を差し伸べてくれたのだ。この経験を経て改めて彼は、これからは自分と仲間がやりたいことをやって生きていこうと考え、自分の会社「GTGP JAPAN Corporation」を設立する。
「GTGP JAPAN Corporation」は、クリエイター・アーティストのエージェントを手がける会社。当時彼の周りには売れそうなのに、バイトで生計を立てているクリエイターが多くいた。なんでだろうと考えた時、彼が導き出した答えは「彼らクリエイターは、自分自身の表現活動は得意だが、営業や契約交渉は不得意な人が多い」ということだった。
もしこの仮説があっているならば、会社や事業の立ち上げに関わってきた自分が営業や契約交渉を行い、クリエイターには創作活動に専念してもらえば、お互いの得意分野を活かしあえるんじゃないかと思った。
人間は誰しも得意・不得意や、やりたい・やりたくないという感情を持っている。必ずしも一人で器用になんでもできる人は多くない。だからこそ、相手が苦手としている役割を自分が担えるのだとしたら、力添えができるかもしれない。
自分が絶対的な危機に陥った時、周りの人がたくさん助けてくれたからこそ、自分が少しでも関わる人達のために、できる限りのことはやりたいと「GTGP JAPAN Corporation」の創設をはじめ様々な法人・事業の立ち上げを行ってきたのだ。
そんな彼が「人・暮らし・地域・コミュニティ」をテーマにした、まちづくり・空き家の利活用・地域の事業再生に携わるきっかけは、2013年から浅草で始めたアートプロジェクト「HATCH」。HATCHは、築年数も定かではない古い小さなビル1棟をセルフリノベーションした場で、国内外を問わず若手やタイムリーなアーティスト・クリエイターを発信しているアートの発信地。
このHATCHでの「場づくり」をきっかけに、地域の方々と共にまちづくりに携わるようになり、次第に多くの地域が問題として抱えている「空き家問題」の壁に直面したのだった。
彼は空き家の利活用を通じて、地域コミュニティの再構築に繋げていきたいという。空き家の利活用を行うことで、地域内外の人が混ざり合い、世代や文化を超えた関わり合いが生まれることで、地域で暮らす人々が活き活きすると考えているのだ。
幼少期の頃、70以上の世帯が家族ぐるみで関わっている公務員宿舎で育った彼にとって、世代も文化も全く異なる人たちと関わり合うことはごく自然のことだった。隣近所のおじさんおばさんに毎日のように怒られながら、近所のお兄ちゃん達とはサッカーボールを蹴り、お姉ちゃん達とはおままごとをして遊び、自分よりも小さい子の面倒を見るのが当然だった。この時の関係性が今の彼の礎をつくっている。
さらに4.5年前、あるおばあさんと出会った時の衝撃を彼は今でも忘れていない。彼女は、まだ民泊という言葉やAirbnbが日本で全く認知されていなかった時代に息子さんが出て行った部屋を使って、代行業者を通じて出会った外国人旅行者に宿泊場所を提供していた。
全く英語が話せない彼女は、なんとか身振り手振りで外国人旅行者とコミュニケーションをとっていたが、その姿はとても嬉しそうで活き活きしていた。一人暮らしの彼女にとって、お話をすることや毎朝客人のためにおにぎりやお味噌汁を作ることそのものが生きがいになっていたのだ。
空き家率が高いエリアは、同時に地域全体の高齢化率が高いエリアでもある。これは、核家族の集合体をベースにしている現在の地域コミュニティに、進学や就職を機に地域を出て行く若者が増えたことから、両親が死別した際に空き家が生まれるという構造だからだ。そのため、高齢者が今までの延長線上で助け合いながらコミュニティを維持していくには無理があると言わざるを得ない。
だからこそ今の地域コミュニティには世代や文化の違う、ある意味自分とは異質の人間と関わり、お互いに大きな刺激を受けることが重要なのだ。もちろん刺激には「いい刺激」と「悪い刺激」がある。それでも必ず強い刺激は、お互いを活き活きさせることができると彼は信じている。だからこそ、自分が育った公務員宿舎のような関わり合いを各地域で生み出し、外国人旅行者を受け入れていたおばあさんのように活き活きした人を増やしたいと彼は今日も彼のやり方で奮闘しているのだ。
ここまで超大手思考だった彼が数多くの法人、事業を立ち上げてきた背景や「人・暮らし・地域・コミュニティ」をテーマに、まちづくりを行うきっかけや想いをお届けした。
空き家の利活用を通じて地域内外の人が混ざり合い、世代や文化を超えた関わり合いが生まれることで、地域で暮らす人々が活き活きする地域の再構築を目指す彼の元には、多くの自治体・地域関係者から毎日のように相談がくるという。
なぜこれまでとは全く違う「地域」という舞台でも、彼は活躍し続けるのだろうか? 次回は数々の自治体と取引を行い、実績を残し続けている彼がビジネスを行う上で大切にしているコアをお届けする。(次回に続く:こちら)
草々
NANA TAKAYAMA
高山 奈々