TOYAMA
富山
「家族や世間に何を求められているだろうか」
「今の仕事を辞めたら次の仕事はあるのだろうか」
今でこそよく聞くようになった言葉、『自分軸』。
しかし軸を持ち、心の声を聞き続け、目を背けずに前へ進み続けることができずに苦しむ人も多いのではないでしょうか。
「私の場合、覚悟を決めたらあとは頑張ってきた」
「今振り返っても、周りや世間には流されてこなかった」
キャリアや生き方を聞かれた時、迷わずこのように答えた女性がいます。 “氷見の女将アナウンサー”として知られる、文字通り「氷見で女将をしながらアナウンサーとしても活躍されている」青木栄美子さんです。地元富山県氷見市にて「民宿 あおまさ」を夫婦で事業継承されました。
“伝えること”が、キャリアの軸から生き方の軸へと移り変わっていった過程をご本人に伺いました。
富山県氷見市は、古くから漁業の町として知られる日本海に面する港町。氷見の寒ぶりはブランド魚として全国に知られるまでにもなりました。
「氷見市ってすごく田舎で。物心ついた頃には都会にすごい憧れがあったんです。ファッション雑誌に釘付けだった私の最初の夢はモデルになることでした」(青木さん)
家族や親族同然の地域の人に、花よ蝶よと育てられた幼少期だったという青木さん。
「自分ならモデルになれる!と思い写真を撮って応募しましたが、容姿がありふれているときっぱり言われ選考に落ちました。そこで身の程を知りましたね。あぁ、自分と同じレベルなんて全国に吐き捨てるほどいるのだ、と」(青木さん)
小学生にして社会デビューを視野に入れ、最初の一歩を自ら踏み出せる人がこの世の中にどれだけいるのでしょう。このエピソードから、今の青木さんのご活躍の片鱗が垣間見れます。しかし今のZ世代が聞いたら “ルッキズムにも程がある!” と憤りそうなエピソードですが、これがよいきっかけになったと青木さんは当時を振り返ります。
「容姿で勝負できないと言われたならば、努力できることに全振りして、人より抜きんでる必要がある。それを体得できたので、高校に入学する頃、ローカル事務所に所属し言葉のレッスンを受け始めました。少しずつ人前でお話しするお仕事もいただいていました。そんな時に出会った、事務所のアナウンサーの先輩の姿がかっこよくて。アナウンサーの道を進むことに決めました」(青木さん)
早々にアナウンサーというキャリアを目標に努力の舵を切った青木さん。しかし、そんな彼女を待っていたのは過酷な選考の嵐でした。
「アナウンサーは、全国の選考を数百と受けて、やっと1つ通るかどうかの世界なので。大学4年の最後まで内定が出なかったときは、女子アナ浪人も覚悟していました。最後の最後で富山という地元の地方局で内定をいただき、『あぁ、小指の先に引っかかった!』 とホッとしました」(青木さん)
現在、青木さんは夫婦で民宿 あおまさを営みながらフリーアナウンサーとして富山の魅力を県外に発信し続けていらっしゃいます。
「アナウンサーとして毎日取材して富山の魅力を伝えていると、やはり詳しくなるんですよね。
そして取材をして詳しくなると、愛着が湧いてどんどん好きになる。地元が好きだという気持ちを存分に認めながら、発信を続けられました。
中でも私は本当に食が好きで、フリーで活動する今も、富山の食の魅力にフォーカスしたコンテンツが多いです」(青木さん)
都会への憧れがきっかけで入った世界で、地元への愛を深めることとなった青木さん。現在は、ご自身で撮影や編集を手がけるYoutube動画や、ローカル番組に出演されています。
アナウンサーとしてのスタイルの軸を形作ったのは、新卒で入社したNHKでの経験とのこと。
「画面の向こうに伝えるべきは、私のことではなく取材先の思い。役割を持って一つ一つの発言に意味と責任を持つべきである、と。
保守的にも聞こえるかもしれませんが、一言一句に意味を持たせるプロたちの仕事があまりにもカッコよくて。真似してみると仕事がどんどん面白くなっていって。気づけば今のスタイルが出来上がっていました」(青木さん)
どのYoutube動画を見ていても、印象的だったのは取材先への敬意の払い方。郷のルールは、ご自身なりに噛み砕いてから従う。他人が簡単に揺るがすことのできない、強い芯があるお方なのだと心底思いました。
「アナウンサーは35歳までが旬。既婚や子持ちというだけで次のキャリアの道が断たれることもよくある理不尽な世界です。タイムリミットが迫る中、次は次はと気持ちだけ焦る日々に疲れ切っている時に、パートナーとなる隆雄さんに出会いました」(青木さん)
得たいものを自らの努力で引き寄せてきた青木さんですが、人生を共にするパートナーは、ある日ふらっと現れました。
「隆雄さんが友人に連れられてあおまさに泊まりに来たときは、まさか夫になる人だとは思いませんでした。目も合わないし、会話も続かず、どう見ても自分とは正反対。でもある時ふと、ただ不器用な人なのだと気づきました。私と結婚したいと言ってくれる人にこうして出会うとは」(青木さん)
「人生で一番の転機は?」という問いに、迷いなく「結婚」と答えた青木さん。
「実家の『民宿 あおまさ』の事業継承を提案してくれたのは隆雄さんでした。当時彼は、家族との時間が作りづらい前職を離れたいと考えていたようです。最初は驚きましたが、共に家族との時間を作っていけるのが嬉しくて、喜んで賛成しました」(青木さん)
「押し付けられる期限に常に追われる生活から解放してくれたのが結婚です。本当に自分が納得して幸せだなと思えるキャリアチェンジをすることができ、感謝しかありません」(青木さん)
幼少期から、自分の得たい将来を着実な努力で手繰り寄せてきた青木さん。最強のパートナーと歩み始めた民宿のオーナーとしての人生。今後はどのような未来へ向かっていかれるのか尋ねてみました。
「滞在されるお客さまに、『この食材はこのように獲ってきたんだよ』と『あの人が獲ってきたんだよ』と提供する食にまつわるストーリーを伝えることを忘れないでいたいです。お客さまには、こちらからお伝えしないと皆さん何も知らないで終わってしまうんです。魚は漁のやり方、獲る人によって全く変わってきます。
せっかく海の近くにあるので、海にまつわる経験ができる場所にもしていきたいです。地域の人とも繋がる拠点になれば」(青木さん)
二人三脚での経営がスタートしてからまだ2年も経過していません。それにもかかわらず、隆雄さんのサウナ好きも高じて、あおまさには県内外でも唯一無二のプライベートサウナ施設が併設されています。
「水風呂は地下水とあおまさ自慢の琥珀色の温泉の2種類を用意し、目の前に広がる富山湾は眺めるだけでなく、飛び込むこともできます。
今後は、地元の地引網体験なども追加していきたいです」(青木さん)
プライベートサウナのみならず、さらに魅力あるコンテンツが今後増えていくあおまさ。季節や気候、時代の流れに左右されることもあるであろう民宿経営は決して楽しいことばかりではないはずと思い、聞いてみました。
”今後、大きな決断が必要な時に絶対ブレないであろう判断軸を教えていただけませんか?”
誰しもが顎に手を当て考え耽ってしまいそうなこの質問に、青木さんは悩むそぶりも見せず答えてくださいました。
「家族が幸せかどうか、それだけですね。震災の時もそうでしたが、まずは家族の幸せ。
もちろん、富山も氷見のことも愛していますし大切ですが、家族の安心安全を担保してそれから貢献していきたい。家族の幸せの上で、民宿あおまさとしてこの地域のお役に立ち続けていきたいです」(青木さん)
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
「なりたいものに貪欲に向き合い努力する」
どの分野においても人材不足が進み、情報集め次第では就職も一時に比べ容易になった今。心に磁石を持ち続け、ブレることなく努力を重ねられる人がどれほどいるでしょうか。青木さんのその生き方が、どこからともなく吹くご縁をいう風にパートナーという種を乗せて運んできたのだと感じます。努力すれば報われ、偶然ではなく必然なのだ、と。
Haruka Hoshino
星野 晴香