ASAHI, TOYAMA
富山県朝日町
就職して数年経つと、誰でも頭をよぎる「転職」の2文字。
新しい環境でのチャレンジは、大きな楽しみがあると同時に、大きな不安も募るもの。特に、今までとは全く違う未経験な職種にチャレンジしようと思うと、最初の一歩を踏み出すにもなかなか時間がかかるものですよね。
今回は、そんな中でも前職はサラリーマンとして働き、現在は富山県朝日町で漁師になるべく地域おこし協力隊として活動する徳田聖一郎氏を取材。
出身は愛知県豊田市で、朝日町とは全く縁もゆかりもなかったという徳田氏が、なぜ見知らぬ土地で新たなチャレンジへ踏み切れたのか、取材をする中でみえてきたポイントを3つにまとめました。
新卒で就職してからずっと地元の車の部品工場で働いていたという徳田氏。周りには転職する人、してきた人もいたが、同業者の中で転職するのが当たり前だったという。
「ずっとお金のためだけに働いている感覚がありました。僕自身は、当時の仕事が楽しいわけでも、やりがいを感じていたわけでもありませんでしたし。ただ、収入面や生活面を考えると、他の業種に転職することは不安で、だからずっと同じ場所に留まっていたんです」(徳田氏)
そんな徳田氏に、転機が訪れたのは自身が30歳の誕生日を迎えたとき。
「30歳を迎えた時、まだ長い長いこれから先の人生、本当にこのままでいいんだっけ?と、ふと疑問を抱いたんです。そしてすぐに、このままの人生は絶対に嫌だなと思ったんです」(徳田氏)
そこから、今までは全く手に取ったことのないような本をたくさん読み漁ったという徳田氏。いろんな価値観に触れることで、考え方の幅が生まれたという。
「純粋に、自分の好きなことをやりたいと思うようになりました。そこから、じゃあ自分の好きなことって何だろうと考えた時に、昔から好きだった魚に携わる仕事がしたいと、徐々に、漁師という職業が浮かんできたんです」(徳田氏)
とはいえ、本当に漁師になりたいのか、漁師になりたいとしてちゃんと生活していけるのか、不安は尽きなかったそう。
「不安はもちろんありましたが、見えない不安に怯えてても仕方ない、とりあえずやってみなくちゃわからない、ひとまず自分が心惹かれたことに正直に何でもやってみよう、と飛び込みました。今考えると、あの時決断して本当によかったと思いますね」(徳田氏)
「前職にいたときは、日曜日の夜に次の日のことを考えては、憂鬱になっていて。月曜日から仕事に行くのが嫌だったんです。土日と華金のために働いているような感覚でした。全然楽しくはありませんでしたが、収入は安定しているから、家を立てて、結婚して…みたいな、いわゆる一般的な生活はおくれる環境でした。でも僕にとってそれがいいとはあまり思えなかったんですよね。その時、僕は嫌々やり続けることが一番嫌なんだと気づきました。
正直、今前職よりも収入が多いわけではありませんが、どんなに給料がいい会社にいけると言われても、僕は今の仕事や生活を手放してまで行こうとは絶対に思いません」(徳田氏)
今の仕事は全く嫌じゃないと断言する徳田氏。むしろ、仕事とプライベートの境がなく、自分で試行錯誤していけることがとても面白いと感じているのだとか。
「プライベートで友人と飲みに行った居酒屋で、自分の獲った魚を取り扱ってくれないかと営業をかけることもしばしばあります。こうなるとどこからが仕事で、どこからがプライベートなのかわからなくて、自分次第で色々やっていけるのが面白いと感じています」(徳田氏)
自分にあった職業をみつけ、日々試行錯誤を重ねることも楽しんでいる徳田氏。とはいえ、もともとはサラリーマンであった彼は、漁師の経験も人脈もゼロだったはずにも関わらず、全国数ある漁業組合の中で、どうやって富山県朝日町にたどり着いたのだろうか。
「基本的に、まずはインターネットで検索して、全国から60ほどの漁業組合を見つけて、片っ端から電話で “漁業体験やっていますか?” と直接問い合わせをしました。やっぱり実際にどんな漁をどんな人たちがやっているのか、直接見たかったので、電話したうち漁業体験をやっていた30くらいの漁業組合に体験に行きました」(徳田氏)
そんな徳田氏が最初に訪れたのは、北海道の北部に浮かぶ島「利尻島」。正直、利尻島に行くまではまだ漁師になる不安や迷いもあったという徳田氏ですが、実際に漁業体験をしたからこそ、気持ちに変化が生まれたいったという。
「利尻島に訪れる前までは、いくら漁師になりたいといえど、やっぱり不安で、安定にしがみつきたい感覚もあって、前職籍を置いたままにしていました。でも実際に利尻島に行ってみると、別に会社員でなくても生きていけると吹っ切れた感覚があって、それからは自分が本当に好きなことをやろうと思いました」(徳田氏)
実際に漁師が働く姿を見たことで、自分のやりたいことを追求したいと、踏ん切りがついた徳田氏。利尻島から戻った後すぐ、前職を退職。そこからは鳥取や石川、三重など、全国各地の漁業組合に訪れ、漁業体験をさせてもらったそう。
「富山県朝日町の漁業組合は、県内で一番小さな漁業組合で、僕が訪れた漁業組合の中でも最も小さな漁業組合でした。実はこの “小ささ” が決め手で、小さいからこそ、先輩後輩の距離が近く、フットワークがとても軽い環境だと感じました。漁業組合のトップがいろんなことに挑戦していきたいという考えだったこともあり、“やってみたらいいじゃん” とみんなが応援してくれる朝日町なら、新しいことにもチャレンジできると思いました」(徳田氏)
全国の様々な漁業組合に実際に足を運び、直接話を聞いていたからこそ、確信を持って選ぶことができた徳田氏。実際に、朝日町に漁師の卵として入ってからは、漁を教えてもらう傍、営業や商品開発、最近ではイベントへの出店にも力を入れているという。
見知らぬ土地に経験・人脈ゼロで飛び込んできた徳田氏。安定よりも好きなことを追求している今が楽しいとはいえど、やはりある程度、生活面を保証できる基盤は必要になる。そこで徳田氏が活用したのが「地域おこし協力隊」の制度だった。
「地域おこし協力隊の制度が終了する3年後に朝日町で漁師ができるように、準備を進めています。他の地域をみていると、3年後に何をするかを活動期間中に模索する方が多い印象ですが、僕は3年後のビジョンが最初から定まっている分、この3年間は今何をするべきかを周りの人と相談しながら進めています」(徳田氏)
「朝日町では、漁師の肩書き1つで生計を立てている漁師が少ないんです。漁師の他に、副業で生計を立てている人が大半なので、僕自身、どんな形で漁師として生計を立てていくのかを、漁を学ぶ一方で模索しています」(徳田氏)
地域おこし協力隊に与えられる3年間という時間と、活動費を使いながら、3年後を見据えて試行錯誤を続ける徳田氏ですが、時間やお金以外にも、地域おこし協力隊として朝日町に入ったメリットを感じているという。
「地域おこし協力隊の制度を朝日町の人がよく理解してくださっていたので、最初から積極的に町の行事に誘ってもらえて、そこでいろんな町の方と知り合うことができたのは、本当に有り難かったです。漁師として、今の漁業組合に普通に就職したり、アルバイトスタッフとして入っていたりしたら、こんなに町の方や役場の方と繋がる機会はなかったと思います」(徳田氏)
2014年から地域おこし協力隊の受け入れを開始した朝日町。現在も20名近くの地域おこし協力隊が活動しており、町の方が地域おこし協力隊を受け入れてくれる土壌が出来上がっている。
さらに、賛否両論ある地域おこし協力隊の制度だが、地域おこし協力隊になることを目的にするのではなく、自分がやりたいことを実現させる「手段」として、徳田氏はこの制度を活用しているのだ。
取材の最後に、徳田氏はこんな話もしてくれた。
「今振り返ると、実際にやってみないとわからないことばかりだったなと思います。自分があの時、あそこにいなければ、あれをしていなければ、今はない、と思うことが多くて、あの時チャレンジして本当に良かったと思っています。行動することが何よりも大事ですね」(徳田氏)
取材中、何度も驚かされた徳田氏の行動力。新しいチャレンジをする際には、誰しもが感じる不安を、周りと同じように感じながらも、自分の未来を徳田氏が自ら切り開いていけるのは、その不安を落ち着かせ、ワクワクに変えてしまうほどの圧倒的な「行動力」なのかもしれない。
Editor's Note
取材中、イキイキと楽しそうに話をする徳田さん。圧倒的な行動力に驚かされ続ける時間でした。
新しい挑戦にはいつだって不安が過ぎるからこそ、ただ不安を抱き続けるのではなく、自らの目で見て、耳で聞き、肌で体感することが、物事を大きく前に進める秘訣なのだと感じました。
NANA TAKAYAMA
高山 奈々