HOKKAIDO
北海道
舞台は、北海道の空の玄関口・新千歳から札幌に向かう途中にある北広島市。
現地に向かう朝の静かな電車の中、前日の夜に降り積もった雪で銀世界と化した景色を眺めていると突如現れたのは、切妻屋根の巨大な建物。凛とした佇まい(たたずまい)は圧巻で釘付けになり、思わず少年のように目が輝いてしまいます。
その建物の正体はプロ野球チーム・北海道日本ハムファイターズの新たな本拠地となった球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」。
2023年、人口56,000人のこのまちに誕生した、約32ヘクタールに及ぶ巨大な「北海道ボールパークFビレッジ(HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE / 以下、Fビレッジ)」は、球場だけでなく、宿泊施設、ベーカリーレストラン、あそび場、アウトドアアクティビティ施設などがあり、子どもから大人まで誰もが楽しめる場所となっています。
そんな北海道のニューフェイスとなった場所でエンターテインメントを通して盛り上げようと奮闘している人がいます。株式会社ファイターズ スポーツ&エンターテイメントで、イベント企画やコミュニティ創出の責任者を担う酒井恭佑さんです。
北海道から上京し、東京でのキャリアプランを思い描いていたという酒井さん。なぜ地元に拠点を移し、エンターテイメントを仕掛けているのか。そして、Fビレッジの今後の展望にも迫ります。
高校生までを北海道で過ごしていた酒井さんの進路選択の決め手となったのは、地元の商業施設の屋上から吊り下げられた懸垂幕(けんすいまく)だったそうです。
そこには、当時選手として活躍していた新庄剛志現日本ハムファイターズ監督がキャンペーンモデルとして起用されており、その広告に魅了された酒井さん。「この懸垂幕みたいなかっこいいデザインを作りたい」という想いで東京の美術大学に進学し、グラフィックデザインを学びました。
大学卒業後は東京のCM制作会社に入社し、大手飲食チェーンや自動車会社のCMのプロジェクトマネージャーとしてキャリアをスタートさせました。
4年ほどCM制作会社で働いた頃、テレビがコンテンツの主軸だった時代からWebコンテンツが登場し、メディアを取り巻く状況が変化していることに気付きました。
「CM制作の仕事をしていて、作品が世に出る面白さを感じる一方で、このまま10年、20年後もこの業界で仕事を続けていくのだろうか?と自身のキャリアを考えるようになりました」(酒井さん)
そこで、事業の中核に携わり、ブランドの価値を中長期的に高める仕事に挑戦したいと考え、東京の商業複合施設へ転職。イベントプロデューサーとして、自社施設を活用した様々なイベントを催しました。
そんなある日、酒井さんに転機が訪れます。
巨大なボールパークが地元・北海道に建設されるというビッグニュースが届いたのでした。
東京を出ることは全く考えていなかったものの、このプロジェクトには何かしら関わりたいと胸が高鳴ったと、酒井さんは語ります。
「話を聞いたとき、日本ではボールパーク構想はまだ珍しいものでした。巨大プロジェクトが地元で行われること、そして広大なエリアにスポーツを中心としてゼロからまちを創っていくところに惹かれたんです」(酒井さん)
こうして、株式会社ファイターズスポーツ&エンターテインメントの一員として、地元・北海道でのキャリアが開幕しました。
酒井さんが同社に入社したのは、球場の着工を始めたばかりのときでした。開発時、エスコンフィールドの象徴的ランドマーク「TOWER11(タワー・イレブン)」に描かれた、かつて北海道日本ハムファイターズに所属していたダルビッシュ有選手や大谷翔平選手らのウォールアートや、2024年に50周年を迎えたファイターズを記念するウォールアートなど、主に内装のディレクションを手掛けました。
そして迎えたFビレッジのグランドオープンの日を、酒井さんはこう振り返ります。
「これからだなぁという気持ちでした。もちろんエスコンフィールドが完成した達成感もありましたけど、それ以上に使命感や責任感という感情が強かったですね。
そう感じたのは、今もまだ開発の途中だからです。ここはエスコンフィールドのほかに周辺も開発をするため、最終形態が2030年頃の予定です。
一般的なエリアの開発は、完成した100%のものをみなさんにお披露目します。ただFビレッジの場合、全体の30%ぐらいができた状態でオープンしました。2028年には球場近くに新駅が開業するほかFビレッジ内に大学が移転してくるなど、これからもFビレッジだけでなくその周辺もどんどん発展していくわけです。
真っ新な土地に建物ができる『0から1』のフェーズと、建物が完成したあとに建物を管理・運用する『1から10』のフェーズで分けるとすると、Fビレッジの周りで『0から1』と『1から10』のプロジェクトが今も同時に動いているのが面白いところです」(酒井さん)
現在は、イベントの企画やコミュニティづくりの責任者である酒井さん。
その活動の中心にあるのは、ファンやパートナー企業、地域の方々と共にまちを創り、地域活性化や社会貢献を目指す「共同創造空間」という同社のコンセプトです。
この理念のもと、熱量とアイデアを持って集まるみなさんが、「自分たちが創っている」という実感を持って活動できる土壌や仕組みづくりに力を注ぐ酒井さん。
その取り組みのひとつとして、2024年6月に酒井さんが旗振り役となり「Fビレッジとゆかいな仲間たち」というコミュニティを発足しました。企業、行政、学校などが一体となり、まちに多様な価値観と賑わいを生み出すことを目指しています。
これまでに、Fビレッジ内や北広島市内にある公園や道路などの公共空間を活用し、「同時多発実証実験イベント」を実施したそう。ゴミ拾いをしながら3か所の公共空間を巡るウォークラリーや、身体を動かしたりするアクティビティを盛り込みました。さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが、まちを盛り上げる主役として活動しています。
プロ野球の試合がないオフシーズンも営業しているFビレッジ。酒井さんは四季折々のエンターテインメントを生み出しています。
これまでに手掛けたイベントで印象に残っているのは、年末年始の期間、バッターボックスに青色の鳥居「ES CON FIELD神社」を建てたこと。
「北海道は年末年始に学生や社会人の帰省客がとても多く、地元に戻って家族と一緒に年を越しています。でも、せっかく帰ってきたのに、遊びに行くところが少ないのです。そこで、道民の方に来場してもらいたいという想いで企画しました」(酒井さん)
普段はスタジアムツアーでしか入ることができないグラウンドには、たくさんの帰省客がファイターズの来期の優勝祈願や、勝負運のご利益をもらおうと列を成したそうです。
このイベントは、北海道の歴史や伝統文化を継承する人たちと共に創り上げられたそう。
「『ES CON FIELD神社』の創設にあたっては、近くにある廣島神社の宮司さんに相談し、神社のコンセプトや鳥居のデザインについてアドバイスをいただきました。
また、北海道・旭川の酒造の方にも協力いただき、地酒『男山』をオリジナルの枡に入れた振る舞い酒も参拝者に配りました」(酒井さん)
そして今年の冬、新たに挑戦するのは、Fビレッジ内でのスケートリンク開設。天然の池のスケートリンクで、北海道の冬ならではの自然体験を楽しむことができます。
北海道日本ハムファイターズは「SPORTS COMMUNITY」という企業理念を持ち、「スポーツと生活が近くにある、心と身体の健康をはぐくむコミュニティ」を創造することを目指しています。
「スポーツと聞くと、運動やスポーツ観戦をイメージされるかもしれませんが、それだけでなく『自我を解放する』『いつもとは違う空間や時間を楽しむ』といった要素が含まれています。
『スポーツ』という言葉の語源は、ラテン語の『deportare(デポルターレ)』にあるとされています。『物を別の場所に移動させる』という意味があり、そこから転じて『心の重さや嫌な気分を軽くする』、『気晴らしをする』といった意味を持つようになりました」(酒井さん)
この企業理念を具体化させるために、Fビレッジには「PLAY HUMAN.」というエリアビジョンがあります。そこには、あらゆる世代の人々が生きていることの喜びを実感でき、人が人らしくいられるような空間にするという想いが込められています。
「スポーツを中心にエンターテインメントを融合しているFビレッジは、ファイターズが札幌ドームを拠点としていたときに定義した『SPORTS COMMUNITY』よりも、お客さんが体験できる領域がさらに広くなったと思います。Fビレッジを訪れるみなさんの人生が豊かになり、明日への活力を生み出せるような場所づくりを目指していきたいです」(酒井さん)
最後に、酒井さんが思い描く未来のFビレッジのイメージや今後のミッションについて伺いました。
「今と2030年で大きく違うのは、週末に特化した観光施設から、平日の日中に人が生活する環境になることだと思います。レジャーを楽しむ行楽地だけでなく、大学ができることで学ぶ・働く環境が生まれ、暮らしの基盤を置く人が増えるでしょう。Fビレッジ周辺は老若男女問わず『衣食住遊学』が体験できる場所になると思います」(酒井さん)
2024年6月に累計来場者数500万人を突破したFビレッジ。今後、酒井さんのチームでは中長期的なミッションにインバウンド誘客を掲げています。
「この一年間でFビレッジを訪れるインバウンド客は、北海道全体の数に比べてまだ少ないので、外国人観光客の方にも周知していきたいです。そして、Fビレッジ内でいろんな言語が飛び交っている様子を思い描いています」(酒井さん)
また、活気のあるまちづくりには、「観光だけでなく、定住人口を増やすことも重要だ」と語ります。そのため道内外を問わず、海外から北広島市に移住する人を呼び込むことも視野に入れています。その兆しとなるのが、今年からエスコンフィールド内の店舗で海外出身のスタッフが働いていることだと話します。
「できる限り、間口を広く開けて多様性に富んだ環境をつくるのも今後必要な取り組み。北海道の有名観光地・移住地となるかどうかは、これからの私たちの力量次第です。
そのために、できる限り手数を打ちたいと考えています。例えば、1回でも多くのコミュニケーションを取ることを意識しています。このような小さな積み重ねが多くのチャンスを生み出し、それが成果につながると思うからです。これからもこのまちに関わるみなさんのアイデアをどんどん取り入れて、一緒に盛り上げていきたいと思います」(酒井さん)
球場を一望できる五階のテラスで光が差し込む大きなガラス窓を眺める酒井さん。
その瞳には、このまちと北海道日本ハムファイターズとともに、未来を切り拓く覚悟が映っていました。
訪れたのは粉雪が舞う11月の終わり。
北のまちで、熱く闘志を燃やす酒井さんの挑戦はこれからも続きます。
Editor's Note
Fビレッジに向かう電車の中のプレイリストは、北海道出身の歌手・GLAYの名曲「Winter,again」。その世界観が目の前に広がっていました。
大学時代を広島で過ごした私は、プロスポーツチームが生み出す一体感に感動した経験があります。そのとき感じた「スポーツが人々を魅了する理由」を酒井さんのお話を通して再び深く考える機会となりました。スポーツの応援を通して、心をひとつにして喜びを分かち合う広島での生き生きとした人々の姿が頭に浮かびました。これがスポーツが持つ力なんだと、合点承知の助でした。
「北広島のエスコンフィールドHOKKAIDOで試合を観戦し、あの高揚感を味わいたい!」私の手帳のやりたいことリストに追加しました。
TAKUMI
たくみ