地域おこし協力隊
富士山に限りなく近く、歴史ある機織りのまち、山梨県富士吉田市。
そんな富士吉田市の地域おこし協力隊として、2019年から2021年の3年間活動していた片岡美央さんは、地域おこし協力隊を卒業した現在も同市でデザインの仕事や、自身のショップを運営するなど、幅広く活躍しています。
そんな彼女が地域おこし協力隊になったきっかけや、仕事にかける想いを伺いました。
ものづくりが昔から好きだという片岡さんは、高校ではインテリアを学び、大学院に進学後は「テキスタイルデザイン※1」を専攻。学生時代に産学協同開発企画で、学生と富士吉田市の織物メーカーが一緒に商品開発を行う「富士山テキスタイルプロジェクト」に参加をしたことが、富士吉田市とのはじめての出会いでした。
※1:テキスタイルデザインとは、テキスタイル=布のデザインということで、衣類や雑貨などのアイテムに使用する織物の布のデザインのこと。生地にインクでプリントするプリントテキスタイルなどがある。
大学院を卒業する際、進路がまだ決まっていなかったという片岡さん。このまま東京で働くことは「なんだか違う」と思い、ローカルの飲食店や宿のおかみさんなど、さまざまな仕事を調べていたそう。
「その時は自分自身の制作をやり切った気持ちが強く、全然違う仕事がしたいなと思い色々調べていました。そんな中大学院の教授に進められたこともあって、富士吉田市の地域おこし協力隊募集の説明会に行ったんです」(片岡さん)
当時の説明会では、「織物」と「まちづくり」の2分野で募集を行なっており、デザインを学んでいた片岡さんはごく自然に「織物」の地域おこし協力隊の話を聞きに行きますが、偶然の出会いから、別の選択肢が浮上します。
「まちづくりにはあまり興味がなかったんですが、説明会で出会ったまちづくりの地域おこし協力隊の方と話をしているうちに『富士吉田、来ちゃいなよ』という誘いをいただいて。実際に現地に行ってみたら若い人がたくさん集まっており、これから色んなことが始まる予感を感じたんです。そこに私も加わっていきたいなと、気づいたら惹き込まれていきました」(片岡さん)
「富士吉田市=織物屋」のイメージが強かった片岡さん。まちに実際に脚を運ぶと、織物屋だけでなく様々な分野で活発に活動している若手メンバーがたくさんいて驚いたと言います。
富士吉田市では『ハタオリマチフェスティバル』など地域外からも多くの人が集まるイベントが開催されており、地域内外の人が集まり一緒に何かをしようとしている姿を新鮮に感じた片岡さん。
「富士吉田市は東京へも通いやすい(バスもしくは電車で約2時間)こともあり、移住すること自体に抵抗はなかったんです。『とりあえず引っ越してみよう』『はじめてみよう』という気持ちで、地域おこし協力隊として活動をスタートさせました」(片岡さん)
まちづくりの地域おこし協力隊として富士吉田市に入ったものの、活動内容が決まっていたわけではないため、「とにかく色んなことに挑戦させてもらった」と、片岡さん。何ができるかわからない、そんなことを面白がりながら、任せてもらった仕事にひたすら応えていったといいます。
地域おこし協力隊に着任した1年目は、地元の農家さんから貰った野菜を使ってケータリング料理を出したり、東京で活動しているバンドメンバーを呼んで自主企画でライブを開催したり、本当に幅広く活動していきました。
しかし、2年目以降はコロナの影響を大きく受け、イベント開催が難しくなったことから、片岡さんの挑戦は大きく形を変え、「デザイン」の道を辿っていきます。
「実はデザインはほとんどやったことがなかったんです。苦手意識は今でもあるくらい。でも大学でテキスタイルデザインを学んでいたこともあって、地域の方からは依頼をいただくようになって。
せっかく地域おこし協力隊として受け入れてもらったのに、『なにもできないじゃん』と思われたくなくて、周りの人の期待に応えようと、必死でものをつくることで返していきました。“つくること” だけが私のできることだったんです」(片岡さん)
「昔からつくることが本当に好きだった」という片岡さん。相手が喜んでくれたり驚いてくれたりするのが嬉しくて、立体の手紙を作り友達に送っていた、などのエピソードが印象的。
自分が思っていることを言葉ではなく、絵や生地などを通して伝えたいし、共感してもらいたい
そんな彼女の気持ちは、地域おこし協力隊での活動にも通じていきます。
地域おこし協力隊の活動のなかで、徐々にデザインの仕事依頼も増えていき、仕事を依頼してくれる方々の「よりよくしたい」という想いを受け取った片岡さんは、その期待に真摯に向き合い製作を進めていきます。
自分自身が感じる富士吉田らしい、ちょっと懐かしく、温かみのあるデザインを意識している片岡さんは、富士吉田市のふるさと納税に関連した、パッケージやパンフレット等のデザインも手がけています。
「『フルーツを届ける段ボールに絵柄が付いていたら楽しいんじゃないか』という担当者の発想があり、段ボールの元の形からオリジナルでデザインをしました。
実際にお家の段ボールをSNSであげてくれている方がいて、嬉しくて何度もスクロールしてにやにやしちゃいました。富士吉田市のふるさと納税を、より寄付に繋げていくきっかけになっていたらすごく嬉しいなと思っています」(片岡さん)
また、片岡さんが特に印象に残っている取り組みの一つが、織物の製造工程で廃棄される「糸巻き紙管」を再利用したプロジェクト。地元の団体が作る『はす池キャンディ※2』の容器としてアレンジをしたのだとか。
「糸巻き紙管は、通常使い終わったら捨てられてしまうんですが、コーン型ですごくしっかりした紙管なんです。何かを中に入れたら楽しそうと思って。その時 “はす池キャンディ” を作っている団体さんの存在を知り、糸巻きの紙管を持っていって『ここに飴を入れたいので、一緒にやりませんか?』とお誘いし、飴づくりやパッケージデザインをさせてもらいました」(片岡さん)
富士吉田市にある2つのものを掛け合わせて作った商品は、織物屋の人たちが廃材利用に興味を持つきっかけをつくり、地元の人とつながる機会になります。
「私がお客様に売る時に糸巻きのことも、はす池キャンディのことも、どちらも説明できるのが嬉しくて。ものをつくる手があって良かったなと思いました」(片岡さん)
※2:「NPO法人母さんの楽校(富士吉田市)」が生産している飴。地域のお母さんたちがつくる、カラメルを溶かしたような懐かしい味わい。
上記のように、地域おこし協力隊期間中から卒業後の現在も、地域の人と一緒にものづくりやデザインの仕事をしている片岡さん。地域のなかでデザインの仕事をするやりがいについて伺いました。
「まちの中でデザインが行き届いていないところはまだまだあると感じていて、それを見つけるのが面白いです。『ちょっと惜しいな』というものを見ると、よりよくしたくなる。この気持ちが私の創作意欲になっています」(片岡さん)
地域の人から、ハードルを感じることなく「気軽に依頼をもらえるようになってきたことも嬉しい」と話す片岡さん。もともと、織物で栄えたものづくりのまちだからこそ、美意識が高く、まちの人にもデザインが馴染みやすいのかもしれません。
機織りというものづくりの歴史があるまちに、日常が楽しくなるデザインがかけ合わさるものを、さらに増やしていきたいと片岡さんは語ります。
「もともと人と接するのがあまり得意ではなかった」と語る片岡さんですが、地域おこし協力隊になって起きた変化の一つは、“人を好きになったこと” だったとか。
「東京から移住したので、車の問題や寒さ対策など暮らしの面で困ることもあったのですが、富士吉田は移住者の方が多いこともあり、移住者の先輩たちや富士吉田市のサポート体制がとても整っていて。生活で困ったことは周りの人に聞いて、助けてもらいました」(片岡さん)
また、デザインの仕事でも、地域の人と接することがとても多いといいます。
「はす池キャンディを作る過程や、織物屋さんに生地をいただく時など、協力隊期間中ものづくりを通して色んな人に出会う機会がとても多くて。ものをいただく時も直接会いに行って自分の活動を紹介してました。そういうことをしているうちに、人と話すことが怖くなくなって、むしろ相手を好きになっていったなぁと協力隊の3年を間振り返る中で感じます」(片岡さん)
人と話すことに苦手意識を持っていたという片岡さんですが、直接会いに行き、一緒にアイデアを出し、内容を何度も詰めていく。地域の人に寄り添いながら一緒に作ることはずっと意識しているそう。
言葉で想いを受け取り、より良いものを一緒に作っていきたいという気持ちを、言葉でも行動でも地域の人たちに伝え、一緒につくる工程も一緒に楽しむ。「だからこそ、地域の人からの紹介で仕事の依頼をいただけるのかな」と、片岡さんは振り返ります。
「がんばりすぎちゃうことが多かった」という片岡さんですが、地域おこし協力隊を経て得られた成果や、身になるものがあり、「がんばって良かった」と笑います。
先輩協力隊のアドバイスもあり、「地域おこし協力隊の期間中にお金を稼ぐようになること」を叶えるために、自分自身のお店『GOOD OLD MARKET』を立ち上げたこともその一つ。
地域おこし協力隊を卒業した現在は、お店の運営、織物屋と協働のテキスタイルブランドの運営、地域のデザインの仕事と、主に3つの軸で活動しています。
実家の空き缶を開けたら、イラストレーターさんの缶バッチとかが沢山出てきて。今の私の仕事って、富士吉田のグッズづくりや自分の作品づくりなど、気づけば自分がやりたかったことが仕事にできているなと思って、すごいなぁと思います。片岡美央 GOOD OLD MARKET
地域おこし協力隊を卒業し「これからは富士吉田市の人たちへ恩返しをしていきたい」と話す片岡さん。
「地域おこし協力隊になっていなかったら、絶対に “つくること” を仕事にできていなかったと思います。今の自分があるのは、富士吉田市の地域おこし協力隊のおかげだし、期間中にサポートをしてくれた富士吉田市の人たちのおかげで。富士吉田市でよかったなって感じています。
“地域おこし協力隊の片岡” ではなくなり、これからは、一人のクリエイターがまちにただ住んでいるという状態。自分自身がまちで感じたことを、ものづくりを通して発信していく、そんなことをもっともっとしていきたいです」(片岡さん)
地域おこし協力隊になる前から、今でも「“まちづくり” に対してはあまり興味がない」と話す片岡さんですが、自分が思ったままにまちの魅力を発信し、それが富士吉田市を訪れる人にも伝わっているのでしょう。
地域おこし協力隊を卒業し「これからは富士吉田市の人たちへ恩返しをしていきたい」と話す片岡さんの今後が楽しみでなりません。
Editor's Note
「地域おこし協力隊」という肩書きが共通していても、その活動は本当に人それぞれ。
自分の得意なことを存分に活かす人、新しいことにゼロから挑戦する人。
片岡さんは、自然とそのどちらもやられているんだなと感じました。
自分の好きなことである “武器” を磨き、「やってみよう」精神を持ち、新しい場所で人とともにチャレンジしていく。
そんな地域おこし協力隊期間を終えた片岡さんの「恩返しをしていきたい」という温かな気持ちがこちらにも伝播し、なんだかほっこりしたものに包まれる時間でした。
SAKI SHIMOHIRA
下平 咲貴