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LOCAL LETTER

携わったプロジェクトは10以上。マルチに活躍の幅を広げる複業家が語る「新天地で成果を出すための3カ条」

AUG. 30

YUKI, HIROSHIMA

前略、複業家のキャリア形成を知りたいアナタへ

新天地では、今までのやり方は通用しない。

なんてこと、ざらにありますよね。

もちろん新しい環境は、楽しいこともあるけれど、その一方で慣れないことや、プレッシャーを感じることだって山ほどあって、自分の本来の実力を発揮するのに時間がかかる人だって多いはず。

そこで今回は、現在5つの肩書きをもち、4回の転職を行ないながらも、常に活躍し続ける佐藤亮太氏にインタビュー。東日本大震災をきっかけに、当時2人しか知り合いがいなかったという広島県へご夫婦で移住した直後から、様々なチャンスをものにし、今や広島の顔といっても過言ではない佐藤氏への取材から見えてきた「新天地でも輝くポイント」を3つにまとめました。

佐藤 亮太(Ryota Sato)氏 1985年、愛知県岡崎市生まれ。福島のサッカークラブ勤務時、東日本大震災で被災し広島市へ。人口100人未満の湯来町上多田地区に移り住み、カフェ経営や魚の養殖、間伐のワークショップなどを行う。同時に外国人を我が家に受け入れること、2年で20カ国70人以上。彼らとの対話から田舎の可能性を肌で実感し、2018年より、NPO法人湯来観光地域づくり公社の理事長に就任。温泉の街・湯来町において、様々な自然体験プログラムの開発や、新たな露天風呂の設置などを進め、観光と暮らしの両立したまちづくりを目指している。広島県の観光や福祉に関する委員も複数務める。
佐藤 亮太(Ryota Sato)氏 1985年、愛知県岡崎市生まれ。福島のサッカークラブ勤務時、東日本大震災で被災し広島市へ。人口100人未満の湯来町上多田地区に移り住み、カフェ経営や魚の養殖、間伐のワークショップなどを行う。同時に外国人を我が家に受け入れること、2年で20カ国70人以上。彼らとの対話から田舎の可能性を肌で実感し、2018年より、NPO法人湯来観光地域づくり公社の理事長に就任。温泉の街・湯来町において、様々な自然体験プログラムの開発や、新たな露天風呂の設置などを進め、観光と暮らしの両立したまちづくりを目指している。広島県の観光や福祉に関する委員も複数務める。

1. 自らアクションし、とにかくやってみる。

佐藤氏がこれまで関わった仕事は、10以上。お寺での仕事もあれば、サッカー関係の仕事、若者向けのスクール事業や、カフェ運営、魚の養殖業、まちづくりなど仕事内容はマルチに及ぶ。

「自分自身の価値観に合わないお仕事はお断りをさせていただくこともあったかもしれませんが、基本的に自分の目の前にきた仕事は、とにかくやってみることを大切にしています。自分自身の可能性を広げるためには、まず行動して体感することが何よりも大事だと思っているんです」(佐藤氏)

佐藤氏が思い出の品として持ってきてくれたのは、学生時代に留学したイギリスでインターンをしていたクラブチーム「Barnet FC」のユニフォーム。サッカーは現地でも人気であるため、当時、日本人では絶対に無理だと言われたサッカークラブのインターン先に直談判し、見事合格。サッカーを通じてまちづくりが行われている様子に感銘を受け、一気にまちづくりに引き込まれたという。
佐藤氏が思い出の品として持ってきてくれたのは、学生時代に留学したイギリスでインターンをしていたクラブチーム「Barnet FC」のユニフォーム。サッカーは現地でも人気であるため、当時、日本人では絶対に無理だと言われたサッカークラブのインターン先に直談判し、見事合格。サッカーを通じてまちづくりが行われている様子に感銘を受け、一気にまちづくりに引き込まれたという。

広島県へ移住した当時は、県内に知り合いがたった2人しかいなかった佐藤氏だが、知り合いの紹介づてに、人のつながりと挑戦の幅を広げていく。

「広島市内に住んでいた時の最初の職場は、天台宗のお寺でした。2人いた友人の一人に誘われた坊さんと語る会(笑)に行ったら、そこはお寺主催の大人向けの寺子屋で、そこからなぜかその運営の仕事を任されることに。一生のうちに一度くらいお寺で働く経験も面白いかなと思いまして働くことを決めました。寺子屋はほぼ毎日、広島市内のどこかでイベントを開催していたので、広島の様々な人と知り合えたのは大きかったですね。その後は、サッカーキャンプの運営をしたり、広島出身の親友と一緒に、若者向けの教育事業を起こしたりしました」(佐藤氏)

広島市内でも着々と、人脈を増やし活躍していた佐藤氏ですが、移住して2年半ほどが経った頃、広島市内の中山間地域である湯来町に二段階移住をします。

「広島に移住してきた時から、お米作りはやりたいと思っていたんです。福島で東日本大震災を経験した時、“食べ物やエネルギーを自分でつくれない限り、本当の安定は存在しない”と痛感したからこそ、たとえライフラインが全て止まったとしても、配給に頼らずに暮らせる生き方をしたいと思いました」(佐藤氏)

佐藤氏が実際に広島市佐伯区湯来町で稲作をしている田圃
佐藤氏が実際に広島市佐伯区湯来町で稲作をしている田圃

温泉好きだったこともあり、湯来町にも何度か温泉へ入りに訪れていた佐藤氏。広島市内から1時間程度の距離にあるにも関わらず、豊かな環境に恵まれている湯来町に徐々に惚れ込んだ佐藤氏は、湯来町移住の模索を開始。友人を介して湯来町の人を紹介してもらい、毎週くらいのペースで通い、地域の人と関係を少しずつ築き、紹介から1ヶ月後には家が決まったという。

「家だけ先に決めて、それ以外は何も決まっていませんでした。家は、湯来町中でも一番奥地の上多田(かみただ)という場所にあったんですが、なぜか家から徒歩2分の場所におしゃれなカフェがあって。僕も妻も調理の経験はありませんでしたが、震災での経験から食に関わる仕事をいつかはしたいと思っていたので、Facebookでカフェのオーナーを探して連絡をとり、すぐ会いにいきました。オーナーと話す中で、意気投合し、カフェの運営を任せてもらえることになったのは、正直驚きましたね(その後、カフェを買い取り、現在の運営に至っている)」(佐藤氏)

佐藤氏がオーナーから経営を引き継いだ「田舎cafe おそらゆき」。毎日、地域外から多くのお客さんが訪れ賑わう(今年は週2のみの営業に)。
佐藤氏がオーナーから経営を引き継いだ「田舎cafe おそらゆき」。毎日、地域外から多くのお客さんが訪れ賑わう(今年は週2のみの営業に)。

「広島市に移住した時も、湯来町に移住した時も、そもそも仕事を決めずに動いたので、自分で仕事を生み出さないといけない状況だったんですが、いつだって不思議と仕事は目の前に現れました。そのとき気付かされたのは、大きく動くときには、まず自分に余白を持つことが大事だということ。僕は決してスキルや経験が秀でていたからできているのではありません。もし僕が持っているスキルがあるとすれば、それは “行動力” と“余白を持つ勇気”、みたいなものですかね」(佐藤氏)

佐藤氏は、思いついたり閃いたりしたことがあったらすぐに行動し、目の前にやってきたチャンスに挑戦を厭わない。目の前に起きていることに、とことん向き合う姿勢を大切にしている。

2. 相手の話をちゃんと聞く。反論はその次。

新しいことをはじめれば、必ず対立も起こる。地域のことを想ってはじめた挑戦でも、地域の人にうまく伝わらず、誤解からすれ違いが起きてしまうことは珍しくない。

「一対一で話してもうまく伝わらないときは、誰かに間に入ってもらうとか、地域のリーダーに相談をしています。やっと理解してもらえたと思っても、次に会ったら話が振り出しに戻っているということもあって、正直、町を出たいと思ったこともあります。でも、湯来町の人や環境が大好きだし、少しいけば広島市内にも出られますからね。うまくいかないときは、市内まで車を走らせるか、県外の温泉にでも行って、リフレッシュしてからまたじわじわと行動していきます」(佐藤氏)

佐藤氏が今取り組んでいる「シャワークライミング」
佐藤氏が今取り組んでいる「シャワークライミング」

「あとは、相手の話をちゃんと聞くことは大切にしています。まずは話を聞く。その上で、反論や提案があればする。人生の先輩しか住んでないですからね。だから、しっかりと相手の意見を受け止めた上で、自分の主張をするようにしています。これも、最初の頃に失敗したから、学んだことですけどね。今でも完璧にできているかというと、もちろんそうではないですけれど。」(佐藤氏)

湯来町の上多田地区は、人口約90名、高齢化率9割、町民よりもカカシが多い「限界集落」。佐藤氏が上多田に出会ったのは「このままでは町がなくなってしまうから、なんとかしなくては」と集落に機運が生まれはじめていた頃。

移住者を受け入れたのは佐藤夫婦が初めてであり、町で新しいビジネスが立ち上がるのも、頻繁に地域外から人が訪れるようになるのも初めてのこと。初めてだらけの挑戦に衝突はむしろ付きものだからこそ、お互いに話し合うことを大切にしているといいます。

「色々うまくいかないことももちろんあるけれど、住むと決めたらすぐに歓迎会を開いてくれたり、集落で開いた結婚式には住民の半数以上が参加してくださったり。その感謝は忘れずに、でも変えないといけないところは変えないといけないし、色々な狭間の中で、葛藤しながら動いています。今は集落の連合会長も任せていただいているので、変えないところと、でも任せてよかったなと思えるような目に見える変化と、バランスを見ながら試行錯誤を繰り返しながら進んでいます」(佐藤氏)

3. 中長期的目標は考えない。

日々、様々なことに挑戦している佐藤氏ですが、これだけ動きのはやい世の中だからこそ、中長期的目標は持っていないといいます。

「以前、歴史作家をやられている方に、人間には2種類のタイプがいると教えてもらったことがあったんです。2種類のタイプのうち、1つ目が目標達成型で、2つ目は天命追求型。天命追求型というのは、“目の前のご縁を大切にしっかりと取り組んでいたら、また次のチャンスが巡ってきて、それが天命へとつながっていく”という考え方で、これを聞いた時、僕は天命追求型だと吹っ切れました」(佐藤氏)

広島市佐伯区湯来町上多田地区は「人口よりもカカシが多い集落」としても有名。リアルなカカシが集落のいたるところにいる(ちなみに真ん中の小さいのは、カカシではなく娘さんとのこと笑)
広島市佐伯区湯来町上多田地区は「人口よりもカカシが多い集落」としても有名。リアルなカカシが集落のいたるところにいる(ちなみに真ん中の小さいのは、カカシではなく娘さんとのこと笑)

「もちろん、自分が楽しかったりやりがいを感じることが第一ですが、地域にとってもプラスになったり、地域の人たちと協働できたほうが楽しいし広がりも全然違うと思うので、相手や地域に興味を持って、自分から地域のことを聞いて知っていくことで、ジブンゴトの領域を広げて、“超ジブンゴト”をたくさんつくっています」(佐藤氏)

例えば、湯来町は昔林業が盛んな地域で、地域の人からも昔の栄えていた時代のことはたくさん教えてもらう一方で、現在は荒廃し、きちんと間伐が行われていないことによって、各地域で豪雨災害が拡大している状況を見た佐藤氏は「きらめ樹間伐」を開始。誰でも楽しめる伐採方法で、自分のみならず地域内外の人を巻き込みながら、山にも関わっている(最近は、木の活用部分が想像以上に大変で、ちょっと挫折気味ではあるそう)。

「自分が住んでいる地域のことですから、なんとかできることなら、なんとかしたい」という佐藤氏は、地域のことを知る中で、ジブンゴトの領域を広げ、目の前のことに対して全力で進んでいるのだ。

常に自ら「行動」し、人脈も活躍の舞台も広げている佐藤氏。周りの人や地域に寄り添いながらも、第一線で誰よりも動き続ける姿が、多くの人から信頼を勝ち取り、新天地でも輝く秘訣の一つなのかもしれません。

Editor's Note

編集後記

取材の最後、中長期的な目標は持たないものの、やりたいことはたくさんあるという佐藤さんに、次に目指すことについてお伺いしてみると、、

「湯来町にもっと仕事を生み出して、若い人が入ってこられる環境をつくりたいんです。僕自身、一緒に面白いことをする仲間も欲しいし、何より僕は湯来町のシャワークライミングなどの自然体験が大好きなので、それを一緒に体感してくれる人が増えたら嬉しいですね」

「湯来町の観光やまちづくりに関わる人が増えたら、湯来町はもっと面白い場所になると思っています。そもそも広島は世界中の人が “目的地 “ として訪れる場所だからこそ、これからは、広島市内にいる観光客を自然豊かな湯来町に呼び込む仕掛けをつくりたいんです」

「他の地域だとアジア系の観光客が多いですが、広島は欧米系の観光客が多いのも特徴で、古民家や自然は、欧米と相性がすごくいいので、これからさらに面白くなってくると思っています。もともと広島の奥座敷として栄えた湯来温泉や、殿様の湯治場として栄えた湯の山温泉があるので、観光のまちでもあったわけですし、今は寂れてはしまっていますが、貴重な財産なので、なんとかできないかなあ」

溢れすぎる湯来町への想いと、未来の可能性を語ってくれた佐藤さん。

まだまだ知られていない自然体験や趣のある古民家の民泊体験、面白い食材が地域外に知られぬまま眠っているという湯来町。単なる自然体験ではなく、湯来町でしか体験できない「深み」を加えて、そして温泉も活用しながら、新たな観光コンテンツをつくろうと奮闘する佐藤さんに目が離せません。

これからも広島県湯来町の応援をよろしくお願いいたします!

これからも広島県湯来町の応援をよろしくお願いいたします!

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