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岐阜
効率や成果を求められる時代の中で、考えすぎて動けなくなることは誰にでもあるのかもしれません。
そんなとき、どうすれば次の一歩を踏み出せるのでしょうか。
飛騨高山で江戸末期に生まれ今に続く、木工芸「一位一刀彫」(いちいいっとうぼり)を受け継ぐ伝統工芸士・鷲塚浩さん。
業界全体として厳しい状況にある中で、常に自分で決めて動き続けてきました。
30年近く一位一刀彫の世界に身を置いてきた鷲塚さんの言葉は、伝統工芸の世界だけにとどまらず、私たちが仕事とどう向き合い、どう動くのかを考えるきっかけを与えてくれます。

一位一刀彫は、江戸時代末期に飛騨高山で大成した伝統木彫工芸です。
ユネスコ無形文化遺産にも登録されている高山祭の屋台彫刻にも技法が受け継がれ、今も干支の置物や縁起物などが職人の手で作られています。
そんな歴史ある伝統工芸と聞くと、活動を続けることへの重圧が大きいのではないかと想像していました。
ところが、鷲塚さんは
「やめようと思ったこと、一回もないです」
そう言い切ったあと、少しはにかんだように笑いました。
伝統工芸の職人として生きる。その歩みはどのように始まったのでしょうか。
「中学の美術の時間に木を彫ったり細工するという機会があって。椅子を作る授業で背もたれのところにブドウを彫ってみたりとか。
立体的な造形物を作るのが好きだったんですね。今振り返ると、『ああ、木を彫るのが好きだったんだな』って思います」

学生時代にはサッカーに明け暮れていて現在も続けている、という一面も持つ鷲塚さんが、本格的に木工芸をやりたいと思ったのは、高校卒業を控え、就職先を考える頃だったそうです。
「先のことは考えずに『こういう仕事を将来続けられたらいいな』くらいの感覚で、いろいろなご縁をたどって弟子入りさせてもらった、という感じです」
好きなことを仕事にできた。それだけで十分だと思っていました。
けれど、ある出来事が、その考えを大きく変えることになります。
転機になったのは、職人になって10年ほど経ったころ、初めて県外の物産展へ出展したときのことでした。
「一回興味本位で出たんですけど、そこでコテンパンにやられまして」
「高山は観光地なので、日本全国、今は世界中から、わざわざ来て見てもらえる環境なんです。あと、もともと僕は、本当に『作ることしか興味のない人間』だったので。こうやって話をすることも、何にもできん人間だったんです」
外へ出ると、これまでとはまったく違う反応が返ってきました。
作品の良さを伝えることもできず、作品はなかなか売れず。売り場に立つ自分にも、自信が持てなかったそうです。
結果は大赤字でした。
そこで初めて思い知ったのは「今のままではダメなんだ」ということ。

「セルフプロデュースができて、デザインも営業もできて、あとは行政関係とも交渉ができて、もちろん物も作れる。そして時間を惜しまずに仕事を続けられる体力のある人じゃないとできない。
だから、無理矢理パソコンも覚えたし、営業もやるようになりました」
生き残るためには、全部やるしかありませんでした。
不安は、今でもあるそうです。
「体ひとつ、壊したらアウトなんで」
その言葉には、職人仕事の厳しさがにじんでいました。
それでも、「やめる」という選択肢は、一度も浮かばなかったそう。
「どうするかしか考えてなかったですね。できていないことを、一つずつ潰して、できるようにしていきました」
それだけではありません。
鷲塚さんは「途中で考えるのを止めることも大事」だと言います。
そこには、迷う時間を行動に変える独自のスイッチがありました。

「今、周りを見ていると、考えすぎて動けない人が多いんですよ。損得を考えすぎて動けなくなっているんじゃないかと思います」
だから、途中で「考えるのを止める」
「やりたいと思ったら、やるだけです」と鷲塚さんは言い切ります。
「失敗したら、そこから修正すればいい。迷ったまま止まるより、やり切ってしまったほうがいいです」
その感覚を、鷲塚さんは独特の言葉で表現しました。
「1本、ネジを外しちゃうんです」
損得を先に考えず、行動することで結果を引き寄せる。
ネジを外して、やりたいと思うことに迷わず向かった、一つのエピソードが海外への出展でした。

「海外での実演は、2015年から始めています。最初は、もう大冒険ですよ、僕の中では」
高山市や県など、さまざまなところから声がかかるそうです。
「高山の代表として、文化を伝える代表として出てくれないかというものが一番多いのかな。そこでデモンストレーションもして、販売もしてくれないかって」
イタリア、フランス、オランダなどでこれまで出展してきました。
「 ロンドンで実演をしたときも、一位一刀彫について深掘りして聞いてくる方がいらっしゃいました。日本全体のイメージがいいので、僕らに対してもすごくリスペクトの目で見ていただいているような感じがします」
ただ、周りの反応についてはこんなお話も。
「なんでわざわざ外に行くんだ、って思われていたかもしれないですね。『高山にいれば黙ってても外国のお客さんが来るのに、なんで外に行くんだ』って」
実際、「頑張ってこいよ」と声をかけてくれたのは先輩1人だけ。
周囲に理解されている感覚は、あまりなかったそうです。
それでも海外へ出たことで大きな変化がありました。
「見える世界が、全然変わりました」

海外で人気だったのは、国内では売り上げが落ちていた古典的な日本の作品でした。
「自分が長年やってきたことが、『これで良かったんだ』という確認になりましたし、ビジネスとしても、まだまだ広げていけるんだと感じました」
周りから理解されないとしても、自分で決めた方向へ振り切る。
「強行突破ですよ」と笑いながら話す姿は、どこか軽やかでした。
けれども、その軽やかさは、何も考えていない人のものではありません。
迷って、考えて、それでも、とにかく動くと決めてきた人の軽やかさでした。
鷲塚さんは、一位一刀彫において「木目」をとても大事にしていると語ります。
「見て分かる通り、色を塗ってないんですよ。艶出しだけはしてあります。色を塗らないのは、イチイの木そのものが持つ表情をそのまま活かすためです。
木目の良さを前面に出したいんです」
そこに、彫りの技術を重ねていく。
一位一刀彫は、ただ細かく彫り込めばいい世界ではないそうです。
「省略の美でもある」のだと鷲塚さんが教えてくれました。

あえて削りすぎない。
あえて残す。
そうやって形を作っていくのだとか。
「機械で同じ形を作ることができたとしても、その微妙な“残し方”は、人の感覚でしかできない。AIでは補えない仕事になるんじゃないかな、と思うんです」
その言葉には、技術への誇りに加えて、長年木と向き合ってきた人の重みがありました。
ただ、木は思い通りになるとは限りません。
木目も違えば、硬さも違う。同じように彫っても、同じものにはならない。
思い通りにならないものと、どう向き合っているのか尋ねると、鷲塚さんは少し間を置いて答えました。

「もう、自分にぶつけるしかないですね。うまくいかなかった時も、相手のせいにはできないです。
木そのものを見た時の、自分の見立てが悪かったのかもしれないと考えます」
そう話す姿は、木を相手にしているというより、自分自身と向き合っているようにも見えました。
もちろん、逆に、思った通りに行くことも。今日は相性がいいぞ、と感じる日もあるのでしょうか。
「あります、あります」
鷲塚さんは本当にうれしそうに声を弾ませました。
「めちゃくちゃいい『お福さん』のお面ができたことがあったんですよ。これはいいのができたな、と思って、いつもより特別な値段を付けたんですけど、すぐに売れましたね。本当に、すぐ」
自分が「いい」と感じたものを、買いに来てくれた人も同じように感じてくれる。
「それが気持ちよくて、やってるようなもんです。やみつきになりますね」
そう言って、鷲塚さんはにっこりと笑いました。

海外出展でも感じたのは、価値が伝わったという確かな手応え。
「言葉が通じなくても、作品を見て喜んでくれる人がいる。そこはモチベーションになりますね」
とはいえ、海外での活動は決して楽ではありません。
「めちゃくちゃ大変です。クタクタになって帰ってきます」
移動があれば制作時間も減るし、体力的にも厳しい。そのネガティブな面をどのように受け入れているのでしょうか。
「それは、考えないことです」
鷲塚さんは笑顔でそう答えました。
「帰ってから、残業してでも、制作時間を取り戻せばいい。やるって決めたなら、やるんです」
その言葉には、勢いだけではなく確実に前に進むと決めた人の力強さがありました。

鷲塚さんは今、後継者の育成に力を入れたいと話します。ただ、単純に人数を増やせばいいとは思っていません。
「人数じゃなくて、“人材”として育てなきゃいけない。少ない人数でも、自分で考え、自分で動ける人を育てたいです」
そんな思いがあるそうです。

目の前には厳しい現実があります。
「材料の確保も難しくなりましたし、業界の衰退が分かるようになってきました。組合も解散することになり、これからは個人としての活動になっていきますね。不安がないわけではないです」
それでも、
「誰かがやるしかない」
自分に言い聞かせるように鷲塚さんの口から出た言葉でした。
上の世代に頼っているようでは、環境は変化していかない。だからこそ、自分が動くしかない。
「見えている人間がとりあえず走って、巻き込めるなら誰かを巻き込んでいきたいですね」
その危機感は、外へ出たことで、より強くなったといいます。
「海外や他の産地へ行くと、同じ伝統工芸の世界で、様々な形で次の世代に向き合っている人たちがいました。後継者問題に関しても、積極的に動いている人たちを目の当たりにしました。
皆さん、本当に頑張ってるんですよ。そういう人たちを見ていると、『自分、何やってるんだ』って思います」

今は、行政にも掛け合いながら、中学生や高校生が放課後、木に触れられるような「サロン」の構想も進めています。
「部活もなくなってきて、彼らの居場所を作ってあげたいと思っています。なにより、地元から引っ張り上げたいんです」
高山のこの地から、後継者が育ってほしい。
そう語る鷲塚さんの姿からは、 “伝統を守らなければ”という使命感だけではない、もっと切実な思いがにじみ出ていました。
「改めて若い家庭のところに『一位一刀彫ありますか?』って聞いても、おそらく1割もないと思うんですよ。昔は何かのお使い物やお祝い事で使おうかなという方がいらっしゃいましたが」
今はほとんど聞かなくなったそうです。
「彫刻刀を持ったことはあっても、中学生や高校生くらいの年代になると、ものづくりから距離を置いてしまう」
だからこそ鷲塚さんは、日常の中で木に触れられる場所を作りたいと考えています。

熱を込めて語っていた鷲塚さんが、最後にぽつりとつぶやきました。
「50年後にこれがないと思ったら、寂しゅうてしょうがない」
その言葉は、 “伝統を守るべき”という正しさからではなく、長い時間を木と共に過ごしてきた人の、身体の奥底からふっと湧き上がった言葉のように聞こえました。
外へ出ることで、新しい景色が見える。刺激を受けることで、また動く力が生まれる。
「迷うよりも、まず動く」
鷲塚さんの30年は、その言葉を静かに証明しているようでした。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
10年ぶりに訪れた飛騨高山は、この土地を愛する人たちが「現在・過去・未来」と真摯に向き合っていました。思い通りにならない木と向き合い、自分で決めて動き続ける鷲塚さんとお話したことで「職人」という言葉のイメージが大きく変わりました。時代と共に少しずつ変化させながら続いていくものの力を感じた取材でした。
NAOKO NISHI
西 尚子