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岐阜
「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 ‐ 人生に刺激を与える対談 ‐ 』。
第17回目のゲストは、株式会社ヒダカラ共同代表の舩坂香菜子さんです。
舩坂さんは岐阜県飛騨市を拠点に、地域の魅力を見つける商社事業や『深山豆富店』の事業承継など、地域の事業者と伴走してその魅力を全国へと届ける取り組みを行っています。
そんな舩坂さんが語ったのは、面白い視点で物事をみることについて。
自分自身の人生を精一杯生き続けているアナタに注ぐ、一匙の刺激をお届けします。
平林:「生き方」の対談企画は、ビジネステクニックだけではなく、自身の人生を見つめ直し、いかに地域に貢献していくのかなどの「在り方」を伝える場として企画しています。船坂さんはそんなテーマにぴったりだと思うので、お話を伺えるのを楽しみにしていました。
舩坂:ありがとうございます。改めまして舩坂香菜子と申します。
楽天グループ株式会社で、10年ほどECサポートをしていました。楽天市場への出店事業者のサポートや商品開発、プロモーションなど、500社くらいに伴走して福岡、鹿児島、京都、神戸、二子玉川など各地を転々としていましたね。
その後、家業をやると決めた飛騨高山出身の夫とともに、飛騨高山へ移り住むことになりました。
平林:飛騨に移り住んでみて生活は変わりましたか。
舩坂:都会の生活が楽しかったので、「田舎に住みたい」という気持ちは元々なかったんですよね。今までさまざまな地方には行きましたが、その中でも都会のエリアに滞在していたので、飛騨高山に移り住んですぐは何かと不便を感じました。
最初は不安がありましたが、住めば住むほど面白くなってきて!結局、飛騨高山の魅力にハマり、そのまま飛騨高山で起業したんです。
平林:「自然が豊かで気に入った」などではなく、入り口が「面白い」だったんですね。どんなところに面白さを感じたんですか。
舩坂:都会ではありえないことが起きたときですね。例えば、家のトイレ工事中に「トイレ貸して」と言って人が立ち寄ることがあって。都会ではありえないんですが、忘れていたものを思い出させてくれる何かを感じたのを覚えています。
東京とはまた別の世界があるという面白さですね。
平林:舩坂さんが楽天に在籍されていた頃は、楽天の業績が伸びているときですよね。楽天はIT色が強いイメージですが、最初から「地方を元気にする」という理由で入社されたんですか。
舩坂:そうですね。廃業寸前の商店がECサイトに出店することで元気になっていったという話を聞いて、ECの力でそれをお手伝いしたいと思ったのがきっかけです。モノをつくり出すよりも、形ないものを売りたいと思ったのもありますね。
平林:10年間、楽天で働いてどうでしたか。
舩坂:何より異動が多かったので飽きることがありませんでした。1年半に1回程の頻度で引越しをしていたので。仕事内容も、プロモーションだけをお手伝いする場合、店舗さん同士をつなげて商品開発する場合など様々でどれもやりがいがありました。
舩坂:特に在籍中にやりがいを感じたのは、地域の事業者さんたちを集めて勉強会をしたこと。鹿児島、宮崎を中心に100社程の方々が来てくださったんです。「事業者みんなで盛り上がっていこう」という空気をつくるのが楽しかったのかもしれません。
平林:そこから飛騨に出向するのはどのような話の流れですか?
舩坂:実は夫と飛騨高山に移り住むにあたり、「ECコンサルとして地域と関わっていくのもいいかな」と、独立することも視野に退職届けを出していたんです。
ただ、飛騨市長と楽天は元々関係があって、元上司から「飛騨市に出向するという話がある」と声がかかったんです。その市長が新しいことをどんどんやっていこうというポジティブな方だったので、この人と一緒に働くのは面白そうだなと思って。退職をせずに出向という選択をしました。
平林:奇跡が重なったんですね。辞めずに自分がやりたいことができるし、ちょうどよかったんでしょうか。
舩坂:それもありますが、ポジティブな空気を持つ人の近くで働けるというのが魅力でした。2年間の期限付きだったので、期限中に結果を出すのも面白そうだなと思ったのも理由ですね。
平林:民間企業から行政に入り込むのは大変なイメージですが、価値観やカルチャーの違いは感じませんでしたか。
舩坂:民間と行政の違いはあらゆる場面で感じました。ですが、その違いこそに面白さを感じてしまったんです。民間企業で働くと利益を求めていくものですが、自治体の場合は、利益にならなくても「市民が喜んでくれるから」という理由で動ける。その感覚の違いが新しく且つ面白く感じたんです。
舩坂:「自分が『いい』と思うことは、全部やっていいんだ」という衝撃のもと、気づけば毎朝3時、4時から働いていましたね。楽しすぎて。楽しくておかしくなっていたかもしれません(笑)。
平林:やりたいことが止まらなくなっていくんですね。2年間、具体的に何をされていたんですか?
舩坂:当時3.5億の寄付額だったふるさと納税を、1年間で5億にするというハッキリとしたミッションがありました。1年目は4.6億だったんですが、2年目で11億まで大きく増えたんです。
平林:11億!すごいですね。
平林:11億という数を行政内で達成するためにはパワーが必要だったと想像します。単純に寄付額をのばした分、事業者さんが苦しいという状況も考えられると思いますが、組織体制をどう構築していったんでしょうか。
舩坂:事業者さんと一緒に盛り上がっていくことを意識していましたね。これまでは、市役所の職員さんから事業者さんに「ふるさと納税に出品してください。在庫100個ください」という切り口でお願いしていたそうなんです。だけど、それを伝えるだけでは、事業者の方々は何のために出品するのか分からなくなる。
舩坂:ですので私は事業者さんに「儲かるからやっていきませんか?」という切り口で伝えるようにしていました。
ふるさと納税は、送料は市の負担で手数料がかからないので定価で出せる。「事業者さんにとってメリットばかりなのにどうしてやらないんですか」と説明すると皆さんやってくれるんです。
出荷ができるのに売れていない事業者さんも多いから、そういう人から火をつけていく。それがムーブメントになって「うちの商品どうですか?」という逆営業が来るようになって(笑)。
あとは当時、受注管理や配送にFAXを使っていたほどアナログだったので、仕組みづくりから見直しましたね。事業者さんも受注管理がチェックできるシステムにログインできるように、事業者さんの元へ伺って一緒に変えていきました。
平林:地道な関わり合いは大事ですね。他には商品開発もやっていたんですか?
舩坂:事業者さんと話ながら、単価を合わせたり、人気の商品を提案したりしました。「セットではなく単品の方が注文が入る」などすぐ提案していましたね。
事業者さんも「やってみよう」と前向きな方ばかりだったので、私が一方的に提案するのではなく、一緒に進めている感覚がありました。
平林:事業者さんと意見が合わない等の衝突もあまりなかったんですね。
舩坂:特になかったですね。皆さん面白がってくれたんです。「地域に舩坂さんみたいな人はいなかったので、最初は宇宙人だと思っていた」と後から言われたほどです(笑)。ただ、移住者が直面すると言われることの多い、移住して「よそ者だから」と拒否されることもありませんでした。
平林:地域によっては閉鎖的で、なかなか溶け込めない場合もあると思いますが、舩坂さんは上手く地域の人たちとの関係を築いてきたんですね。舩坂さん自身が地域の人とのコミュニケーションで気を付けていることはありますか。
舩坂:事業者さんの「やりたい!」を引き出すことは意識していますね。事業者さんがやりたいことに、私がやってほしいなと思うことを合わせに行く。そのチューニングをずっと続けている感覚があります。
平林:こちらの都合ではなく、相手に合わせに行くということですね。
舩坂:私はECの経験や知識を持っているけど、結局いいものをつくってくれないとそれを広めることはできないので。事業者さんがいいものをつくってくださることへのリスペクトを常に大事にしていますね。
前編記事では、よりよい商品を届けるために地域の事業者と伴走してきた舩坂さんの感覚や姿勢をご紹介しました。後編記事では、独立後にスタートした事業についてや舩坂さんが事業を取り組むうえで大切にしている生き方に迫ります。
Editor's Note
2年目で11億まで寄付額をのばしたというお話に驚きましたが、船坂さんの話を聞いていると、「地域の人とともに進んでいく」という地道な活動が結果となっているのだと感銘を受けました。どのような場所に行っても、どのような立場になっても「一緒に取り組む」「相手のやりたいことを引き出す」のは大切だと改めて気づかされました。
MISAKI TAKAHASHI
髙橋 美咲