Shimokawa, Hokkaido
北海道, 下川町
前略
自分にしかできないことを探しているあなたへ
北海道は、四国と九州を合わせても、まだ足りないくらい、広い。
ゆえに、車での2時間、3時間移動はふつう。「3時間で移動できる距離なら近いよね」という感覚だ。
どこへ行くにも時間がかかるし冬は寒いし雪が多いし、観光ならいいけれど、暮らすとなると大変な生活が待ち受けているのでは……と恐れおののく人もいる。
けれども、そんな北海道の中でも、マイナス30度まで到達し、日本一寒くなることもある下川町には、近年なにかを求めて、20代〜30代の人たちが集まってくる。
2018年にはSDGs未来都市に選定され、ますます注目を浴びている。
北海道下川町は、道内の中心部にある旭川市から北へ車で約2時間行ったところにある町だ。
夏は30度、冬はマイナス30度まで冷え込む、林業・林産業がさかんな地域。
最近は糖度の高いフルーツトマトを筆頭に農業も活気づき、新規就農を志す人が、わざわざ下川を選んでやって来る。
人口は約3,300人。高齢化率は40パーセントに迫る勢いで、日本各地と同様に、人口減少という課題をかかえている。
けれど、どことなく悲壮感は薄い。
1901年に岐阜県から入植してきた人々によって切り開かれた町は、数々の困難を乗り越えてきた。
台風による森林被害、その赤字による財政再建団体となった過去。
鉱山の休山、JRの廃線、平成の大合併、そして高齢化に人口流出。
何度も背水の陣に追い込まれては、自立する道を選んできた下川。
60年先を見据えた循環型森林経営や、近隣市町村との合併をしないという決断、エネルギー自給を目指して取り組む木質エネルギーの普及。
こうした岐路において、行政がリーダーシップを取ることもあれば、住民の声が地域の未来を決定してゆく場面もあった。
こうした歴史ゆえなのか、どんなに危機的状況でも諦めない風土が、この町にはある。
本記事の筆者も、下川町の引力に引き寄せられてきた一人だ。
ずっと以前から下川町のことを知って移住を考えていたわけではない。
ひょんな縁で東京を離れ、北の大地に身を置くことになった。
恋が始まる3つの要素はタイミング、ハプニング、タイミング……などと誰が提唱したか知らないけれど、それらは恋どころか人生においてめちゃくちゃ重要だよな、とパウダースノー舞い散る森を歩きながら、思う。
人口が少ない地域ほど、一人が持つ影響力やインパクトは強い。
百の仕事を持つことを意味する「百姓」的はたらき方が、地域だと実現しやすい。
実現しやすいというより、百姓的な存在が求められるし、実際そうならざるを得ないシーンに直面する。
たとえばわたしは編集者が本職だ(と思っていた)けれど、ライティングをしたり、筆文字で町内の施設のロゴを書いたり、チラシのデザインをしたり、民泊営業をしたり……と、何足のわらじを履いているのかわからない。
わたしなどは序の口で、様々なイベントの実行委員をやったり会社を経営したり、まちづくりの重要な審議会のメンバーだったり、職種や肩書をいくつか掛け持ちしている人が、たくさんいる。
下川町を訪れる人の中には「社会の歯車的なはたらき方に嫌気がさした」と話す人も少なくない。
「自分だからできること」「自分しかできないこと」を求めて、地域に居場所をつくろうとする。
2年と半年のあいだ下川町で暮らしている筆者の感覚だと「自分にしかできないこと」というのは逆境の中だと生まれやすい気がしている。
順風満帆な環境よりも、知恵を絞る。
何もしなければ、地域が消えてしまう。暮らしてゆけない。家族を、自分の身を、守れない──。
そうした切実な地域の状況は、逆にクリエイティビティを刺激する。
「自分にしかできないこと」を探し求めている人にとって、何もかも御膳立てされた環境は、ちょっと物足りないのではないだろうか。
だからといって、切実で崖っぷちかつ絶望感だたよう環境には、なかなか飛び込みづらいもの。
そういう意味では、下川町では解決されるべき課題は山盛りだけれど、何故だか全然あきらめない。
百姓的なはたらき方は、自分自身を強制的に押し上げてくれる。
やったことがないことを求められるのは、きついと感じる時もあるけれど、成果の手触りは、人口が多い都市でアウトプットするよりも、良くも悪くも生々しい。
逆境になるほど燃えるタイプならば、この町はうってつけだ。
「自分にしかできないこと」を探している方の挑戦を、下川町はいつでも待っている。
Editor's Note
「どうして下川町に移住したんですか?」とよく聞かれる。きちんとした経緯はあるけれど、すべては「タイミングですね」という答えに集約される。
移住する前、しっかりとした下見もせずに、なんとなくピンと来たという理由だけで飛び込んだ。いま思えばなんて無防備な、トンチンカンな行動だろう。けれど、その直感に従ったことは間違いではなかったと、常々思っている。
MISAKI TACHIBANA
立花 実咲