YAMANASHI
山梨
地方創生を生業とするリーダーと聞いて、皆さん、どんなイメージを抱かれますか。
「未来志向のビジョンを描き、常にその実現にむけてリーダーシップを発揮しなければリーダーなんて務まらない」と感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
山梨県富士吉田市で、高校生を中心とした地域プログラム開発事業を行う、NPO法人「かえる舎」の斎藤和真さんは、「強いリーダー像」とは別のかたちで地域に携っておられます。
どのように地域に関わっているのか。富士吉田にて、お話を伺ってきました。
現在、富士吉田市で市役所と連携し、地元の小学校・中学校・高校で、若者の郷土愛を育む活動をしている「かえる舎」。その代表理事を務める斎藤和真さんは、教員をしているご両親の影響で、高校時代は教員を夢みていたそうです。
「親がやってきた教育というフィールドで、何か貢献したい気持ちがずっとありました。でも、母に反対された。『あなたには、教員より向いてる未来が絶対あるから』と」
「教員なんて大変だからやめときなさい」「あなたに教員は無理」ではなく、「教育に携わる方法として、教員よりも合った関わり方がある」というお母さんからのメッセージでした。
子どもの頃から、自分の意見を言うのは得意ではなかった斎藤さん。「自分はこれをやりたいんです!」がないことで、就活に一歩踏み出せなかったといいます。
でも、誰かの思いを吸い上げて、それを形にする手伝いが好きなことは間違いありません。それを実現できる、教員とは違う道を模索し始めました。
斎藤さんと富士吉田市との出会いは、大学院修了後に就いた、地域おこし協力隊。大学在学中に地域活性化について学び、富士吉田市以外の地域とも関わってきました。しかし、「これがやりたい!」が無いことで、無力感を味わうことが多かったそうです。
そんななか、「富士吉田市の方は『うちにおいでよ』と言ってくれた」と斎藤さんは、当時を振り返ります。
「まだ、大学を卒業したばかりで、何もできなかった自分を受け入れてくれました。お金がなくて大変な時期には、市役所の方たちがお風呂を貸してくれたり、ご飯を食べさせてくれたり。スキルや礼儀だけでなく、生きさせてもらった感覚に近いです。そうやって助けてくれた、たくさんのオトンとオカンに、恩返しがしたいんです」(斎藤さん)
前を向いて引っ張っていくのは苦手。そんな自分ができる「恩返しベース」の地域貢献、教育の形はなんだろう?
地域の方々と、対話を重ねる日々が続きます。
「ここには『何もない』と言って若い世代が地元を出ていくのが寂しい」と地域の方は口々に言いました。
「実際には、富士吉田に何もないわけじゃなくて、魅力を知ったり、関係を築いたりする機会がなかっただけだと感じたんです。そういう機会をもらった自分は、富士吉田のことがめちゃくちゃ好きで、すごく楽しいと思えたから」(斎藤さん)
知る機会があれば、子ども達にも必ず魅力が伝わるはず。そういう環境をつくることが、自分が富士吉田にできる「恩返し」なのではないか?
そんな思いからかえる舎の活動が始まります。2016年、ひとつの高校の探究学習の授業を受け持つところからでした。
ほどなく、授業だけでなく、「もっと地域に関わりたい!」と手を挙げてくれる子が出てきて、町の部活動のような「かえる組」という高校生の団体ができました。
かえる舎の関わる事業の基準は、かえる舎社訓である「親切・丁寧・上機嫌」に、みんなが過ごせるかどうか。「どんな成果物ができるか」というクオリティはその後です。
ここでいう「みんな」とは、かえる舎のスタッフだけでなく、かえる組の子供達も含めた「みんな」。
「丁寧にやりすぎて、自分たちの上機嫌を保てなかったり、上機嫌にやりすぎて周りへの親切さが失われたりしていないか。この活動で、誰かを悲しませてしまう可能性がないかを気遣い、関わる人たちに喜んでもらえることは何かを想像し続けることで、自然とやるべきことが決まり、ここまでやろうが見えてきます」(斎藤さん)
企画の実施が決まった後、ひとつの成果が出るまで、何十回もの改善・改良を重ねます。
「生徒が考えたものを、マルっとOKという判断ではなく、だからと言って僕たち(かえる舎)がイエス、ノーを強く出すわけでもありません。いろんなフィードバックをもらいながら、みんなで磨いていく。『これはどう?これだったら?』と試行錯誤を重ね、やっとでき上がっていく過程があるからこそ、子ども達も、地域の方も、もちろん僕たちも、すごく楽しくて、すごく感動する。自然と心に響く経験になります」(斎藤さん)
かえる組の活動中、かえる舎は「引っ張っていく」存在ではなく、「一歩外」にいる存在に徹するとのこと。
かえる組の幹部にあたる「組長、副組長」の裁量が大きく、活動時のファシリテーションをはじめ、連絡調整・部員のモチベーションコントロールなどあらゆるリーダー業務を担います。
そのなかで、子ども達が安心、安全に活動できるようリスクのケアなど環境を守る為にサポートへまわるのが、かえる舎の役割。
子ども達が裁量を持ち、中心になって動くことで、地域に関わる機会が自ずと増える。すると、関係性が生まれ、知っている人が増えていく。知っている人が増えると、自然とコミュニケーションが生まれ、地域が「自分ごと」になっていく。
初めはかえる舎の活動がきっかけだったとしても、子ども達の思いは広がっていき、手を取り合う。人ごとにして逃げない、諦めない。そんな「仲間」だからこその関係性が育っていく。その可能性のタネをいくつも目にして、感動する日々。
自分がリーダーとして引っ張るのではなく、横を見ながら「みんなで」進む。
「ひとりじゃビビっちゃうけど、みんなとならやれる。『弱い系まちづくり』だと思います」と斎藤さんは優しく笑います。
富士吉田の風景で欠かすことのできない富士山は、紀元前301年の庚申(かのえさる)の年に姿を現したとされる伝説があります。
「庚申御縁年(こうしんごえんねん)」と呼ばれる、60年に一度の庚申の年には、富士浅間神社にて式年大祭を執り行う伝統が、今もなお残っています。前回の庚申は、昭和55年。
斎藤さんは、その式年大祭を10代で経験した神主の方と話し、「受け継いで伝えていく」大切さ、重さを感じたそうです。
かえる舎をはじめて8年。
小学生のときに関わった子がかえる組に入ってきたり、先輩の思いをつなごうとする在校生がでてきたり、卒業生がUターンしてくる機会が生まれてきています。
継続していくことで、関係性が変化し、やるべき事が見えてきたり、関わり方も多様化してくる機会も増えました。歴史が積み重なっていく大事さ、面白さ。それを踏まえてひとつの目標が芽生えます。
「60年、とりあえず続けてみよう」
地域の子ども達はもちろん、スタッフも幸せであってほしい。卒業生の子ども達が大きくなった時、かえる舎として、そこにまだありたい。必要とされるものを提供し続けたい。その次の世代、次の世代、と関わるなかで、関係性の変化を楽しみたい。
「教育は大人がやりたいことをぶつける場ではなく、生徒を消費する場でもない。生徒の思いに応える、が100%であるべきだと思う。
お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんに愛でてもらって、親戚がいて、友達がいて、学校の先生がいて、地域の方がいて、それまでに積み重ねてきた先の一瞬で今、出会っている。
そこで急に何かを強要したりするのではなく、その子が出会う選択肢を広げたり、可能性やチャンスを広げられるようにしてあげる。
そうやって出会っていくなかで、いろんなチャレンジをしていく子もいれば、サポートにまわる子もいる。それぞれの選択で、どうしたらいいかを本人がしっかり考え、安心して活動できる環境を整えるのが、大人の本当の仕事だと思っています」(斎藤さん)
その考えが体現されたものが「かえる舎」。
最後に、斎藤さん個人としての今後の目標をお聞きすると、「これしかないなぁ」と上機嫌な様子で答えてくれました。
「卒業生たちの結婚式とかに行って『乾杯!』って言い続けたいです」
Editor's Note
インタビュー中、何度も「強いメッセージがなくて、すいません」とおっしゃるのですが、ご本人が無自覚なことに、こちらが驚くほど、「仲間」「教育」「地域」を語る熱量は、まさに「強いメッセージ」そのもの。枯れることのない恩返しの気持ちは、未来へとつながり、富士吉田の優しい文化・歴史になっていくのではないかと感じました。思わず応援せずにはいられない、魅力あふれる「弱い系」リーダー。今後も富士吉田市、かえる舎に注目です。
MISHIRI MATSUMOTO
松元みしり