生き方
「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 – 人生に刺激を与える対談 -』。
第3回目のゲストは、民間企業から千葉県流山市に任期付職員の広報官として転職し、その後10年以上プロモーション活動に従事されてきた河尻和佳子さんです。
河尻さんは、首都圏を中心に話題となった「母(父)になるなら、流山市。」の広告展開や、母の自己実現を応援する「そのママでいこうproject」、年間16万人を集客する「森のマルシェ」の企画・運営などを手掛けた敏腕の広報マン。柔軟な発想で前例のない中を切り開いてきた河尻さんですが、その背景には転職を機に、もがき苦しんだ経験があったのだとか。
「これが幸せな生き方」という世間一般の固定概念から離れたときに「意外と不幸になっていないし、案外幸せ」と思ったと話す河尻さん。
やりたいことを主張できずに苦しんでいるアナタに注ぐ、一匙の刺激をお届けします。
平林:実はこの対談企画「生き方」を思いついた時に、真っ先に顔が浮かんだのが河尻さんだったんです。東京電力でバリバリ働かれていた中での転職やキャリア形成など、本当に「突き進んでいく」といった言葉がぴったりだなって。そんな河尻さんらしい「生き方」を深掘りできればと思っています。
河尻:ありがとうございます。それこそ生き方って探究だなと思っているんですよね。みんなが言う「これが幸せ」みたいな概念があると思うんですけど、その幸せって別に誰かが決めたわけじゃない。だから、自分なりに「ここが幸せ」と思うところを探求したらいいんじゃないかなって思っているし、探求の過程も楽しんで欲しいなって。
平林:その通り。読者の方にもいろんな人生に触れてもらうことで、生き方を学べるコンテンツをつくりたいと思ってはじめていますが、今話されていた「探究する行為」がそもそも多くの人たちにとっては苦しいと感じるみたいなんですよね。
河尻:苦しい人が多いと思いますよ。ぽぽさん(平林の愛称)は楽しそうですけど(笑)。
平林:僕はめちゃくちゃ楽しいですね。課題が見つかった瞬間、幸せを感じます(笑)。
河尻:でも、そう感じる人ってほんの一握りですよね。私自身もさっき言った「これが幸せ」の型に当てはめていくのが好きだったんです。でも、その型から外れたときに「あれ、意外と楽しい」と思って。型から離れても全然不幸になってないし、むしろ何か見えない感じが楽しくて幸せを感じていました。
平林:元々は河尻さんも一般的な幸せを追い求められていたということですが、河尻さんはどのタイミングで変化されたんですか?
河尻:転職ですね。流山市に転職する前は大企業で働いていて、おそらくそのまま働いていけば女性管理職になって、世間一般の大成功パターンを歩むと思い描いていたんですけど、なぜかドロップアウトしちゃったんですよね。
平林:何がきっかけだったんですか?
河尻:流山市が任期付き職員公募をしていたんですが、絶対受からないだろうから、試しに採用試験を受けてみたんですよ。「そういう経験もしてみよう」ぐらいのノリで。そしたら1週間も経たないうちに採用通知が来ちゃって。本当にびっくりした。
河尻:絶対受からないと思ってたから、面接の時にもありのままで意見を伝えていたら、面接後すぐ「面白い、この人を採用しよう」と決まったそうで…。でも可能性が未知数の私を採用しようとする姿勢に、私自身興味をもってしまったんですよね。
当たり前ですが、流山市は採用する気満々で採用通知をくださっていて、片や私は受かると思っていなかったので、急遽仕事を辞める話を会社に伝えたら所属していたグループを騒つかせてしまいました(笑)。
平林:急展開だったんですね。それは何歳のときですか?
河尻:36歳ですね。子どもが6歳と3歳の時。会社からは「もうちょっとしたら子どもも大きくなってバリバリ働けるし、管理職にでも何でもなれるから考え直せ」って言われました(笑)。
平林:「レールは用意してある」と。
河尻:そう(笑)。でも例えレールがあったとしても、流山市を面白そうって思っちゃったから、「後悔するかもしれないけど、死ぬことはないな」と思って飛び込んじゃったんですよね。
平林:そうなんですよね。死ぬことはない。とはいえ、子育てしながらのチャレンジは大変だったんじゃないですか?
河尻:正直、最初の1年は記憶がほとんどないんです(笑)。1年間成果を何も出せてなかったからなおさら。
平林:でも、転職してすぐはパフォーマンスが発揮できなくて当然ですよね?
河尻:そう思うじゃないですか。でも自治体からすると、「外からプロフェッショナル人材を採用しているわけだから、次の日から役に立つ」と思われていました。だから、何も成果を出せないし、毎日失敗ばかりだし、皆さん優しい方ばかりなので何も言われませんでしたが、それでも「何だこいつ」みたいな雰囲気を段々感じるようになって、当時は辛かったです。
でも気づいたことが2つあって、まずは仕事という概念の違い。大手企業にいた頃は、私のところに仕事が回ってくる時点で既に実施する内容が決まっていたんですよね。でも流山市に来て、仕事は自分でつくっていくものなんだと気づきました。受け身のスタンスでは何もできないことに、転職して10ヶ月後くらいにやっとわかりました。
平林:なるほど。求められているものが違ったんですね。
河尻:2つ目に気づいたのは、「変える」ことにナルシストになっていたこと。確かに変革をするために採用されたので、変化を起こしていく必要があるんですけど、絶対に「変えることが正しい」とは限らないんですよね。
平林:変えることを目的にするのではなく、ミッションを達成するために手段を変えることもある、ということですね。
河尻:そうです。人は基本的に変化を好まない。なのに、私は「変える」ことで自己満足を感じていたんです。
平林:そこに気がつくってすごいですよね。
河尻:私、記者会見を荒らしてしまったことがあるんですよね(笑)。記者さんは今のやり方で満足してたのに、私が何から何まで変えちゃうから、「自己満足で変えないで」って怒られました。大失敗ですが、そこでふと気がつきました。
平林:でも気づけない人もいるわけじゃないすか。河尻さんはどうやって気づいたのかなと。
河尻:内省でしょうかね。いつも頭の中で、1人反省会を実施してるんですよ。家から役所まで自転車に乗っている往復40分間が内省タイム。
平林:メモではなく、頭の中でやるんですか!?
河尻:そうです。頭の中に、 “スパルタ河尻” がいて、「今日は何事もなく無事に終わってよかったな」ってホッっとして帰っていると、スパルタ河尻が「無事に終わることがいいと思ってるのか?」って言い寄ってくるんです(笑)。
平林:めちゃくちゃスパルタ(笑)。
河尻:他にも「今日は人に褒められた」って喜んでたら、「本当はもっとできたのに、最後手を抜いただろう」と言われることもあります(笑)。「はい、ごめんなさい。手を抜きました」って謝るんですよね。それを毎日繰り返すことで、明日は攻めの姿勢で行こうとか、ここは調整してみようとか、トライアンドエラーをしながらやっていくことができていると思います。
河尻:あとは「両極端な自分を認めること」も、気づきにおいては必要なのかもしれません。多くの方には、両極端の自分自身が存在していると思うんです。例えば、私は引っ込み思案という元々の性格があるけど、人と話すのが好きっていう両極端の性質も持っていて。自分が持つ両極端の性質を認識すると、均等を取るように、自分自身の中心に戻ってくる感覚があります。だから内省しつつ、両脇に自分自身を振ってみることで、真ん中に戻るようにしています。
平林:すごくわかります。僕も頭の中に “スパルタぽぽ” と “褒めぽぽ” がいるんですけど、この両者を持っている人は自己肯定感が下がることが少ないんじゃないかと感じます。河尻さんがこの両極端さを自分の中で飼い慣らしたのはいつですか?
河尻:割と幼い頃だったのかな。実は私、幼少期は結構暗い性格だったんですよ。教室の端にいるようなタイプ。でもある時、主張しないと欲しいものが得られないって気づいたんです。それまで遠慮して生きていたので、自分のやりたいことを言うと嫌われるんじゃないかってびくびくしてたんですが、やりたいことを主張しても、意外と受け入れられる経験をしてからは、ちょっとずつ両極端の自分を飼い慣らしていったと思いますね。
平林:ありたい姿を出したときの周りの反応を見て「自分を出してもいいんだ」と学んでいったんですね。
河尻:「やりたいことを主張しても割と許してもらえるんだ」「もっとわがままになっていいんだ」と気がついたのが大きかったです。
平林:今の河尻さんの話ってすごく大事ですよね。僕もよく相談を受けますが、ありのままの自分自身が出せなくて困っている人がたくさんいると感じます。例えば、親がこうあってほしいだろうなと想像して動けないとか。実は親御さんの方はそんなこと思ってなかったりするのに。本人はすごく悩んでるんだけど、でも相手に聞いてみないとわかんないことってたくさんあると思うんです。だから、河尻さんの今のお話はすごく刺さる人が多い気がします。
Editor's Note
「後悔するかもしれないけど、死ぬことはない」と笑う河尻さん。
転職を機に1年間記憶がないほどもがき苦しんだと話される中で、それでも「面白そう」と思う自分の心を信じ、行動する姿勢は、私も含めて多くの人の後押しになると思いました。
YURIKA YOSHIMURA
芳村 百里香