仕事術
あなたは、今どれぐらい「成長」できていますか?
成長したいと思いつつ、正直日々の業務でいっぱいいっぱい。目の前に必死で、次の一歩が踏み出せなくなる。私は、正直そんなことを思う時があります。
でも、地域で出会う人たちの中には、多忙な業務を抱えながらも、より輝かしい成果を出し続けている人もいますよね。
今回取材した黒瀬啓介氏もその一人。彼が5年間、広報担当として構成、ライティング、編集、撮影全てを手がけてつくった広報紙は、長崎県内や全国で数多くの賞を受賞するほど輝かしい成果を残し、その名を全国に轟かせた。
しかしその一方で黒瀬氏自身は、この広報紙の成功体験を「苦い思い出」とも語る。そして、黒瀬氏はその後、広報時代の失敗体験をバネに、2012年から担当となった「ふるさと納税」では、担当就任からわずか3年で「寄附金額日本一」を達成するという異名を遂げた。
そんな輝かしい成果を出し続ける黒瀬氏への取材から見えてきた「失敗」と、その失敗から学び続けた「成長法」をまとめました。
長崎県平戸市の広報紙は、黒瀬氏が広報担当を務めた5年間の間に「長崎県広報コンクール広報紙の部」5年連続最優秀賞受賞、「2008年全国広報コンクールの広報紙の部(市部)」6席受賞という輝かしい成果を残している。それなのにも関わらず、黒瀬氏はなぜこの時の経験を「苦い思い出」と語るのだろうか。
「全国大会で賞をもらってからは、全国のレベルの高い広報紙を目にする機会も増えましたし、広報界のスーパー公務員と呼ばれる方々にお会いしたり、声をかけていただいたりする機会が増えていったんですが、僕はそこで失敗をしてしまったんです。僕は皆さんを崇拝するあまり、自分から何かアクションをすることができなかったんですよ」(黒瀬氏)
市町村によっては、役場内に広報担当が1人しかいない、というケースは珍しくない。広報紙づくりは、クリエイティブな仕事だからこそ、こだわればどこまででもこだわることができる一方で、こだわるほど、役場内でその仕事に理解を示してくれたり、的確なアドバイスをくれる人は減っていく。
「広報を担当している公務員は、地域の枠を超えて、公務員同士が繋がり、自分の企画した紙面を先輩に添削してもらい、アドバイスを受けたり、情報交換をしたりするケースがよくあります。でも、僕は自分が広報紙で悩んでいても、自分から尊敬する先輩たちにアドバイスをもらいにいくことができなかったんです。憧れの先輩方に話しにいく勇気がなかったんですよね」(黒瀬氏)
飲み会にも相手から声をかけられた時のみ出向き、自分から輪の中に積極的に入っていくことはなかったという黒瀬氏。常に一歩引いてしまっていた広報担当の時の自分が、広報担当を離れた後もずっと引っかかっていたという。
「せっかくいろんな地域のスーパー公務員さんと繋がれるきっかけがあったのに、僕はそのチャンスを活かせず、広報紙で困ったことがあっても一人で悶々と悩み続けることしかできなかったあの時のことをずっと後悔していました。だからこそ、ふるさと納税の担当になった時は、まず真っ先に情報交換ができるコミュニティをつくりたいと、自分から声をあげました」(黒瀬氏)
当時、同じ九州地域でふるさと納税を頑張っていた佐賀県玄海町と、宮崎県綾町のふるさと納税担当者と、黒瀬氏の3名でタッグを組み、毎月のようにお互いの企画をプレゼン、ディスカッションしていたのだそう。
「毎月実費で、福岡や熊本に集合して、 “その企画本当にいいと思っているの?” “その企画、甘いよ” “俺はこんな企画をしているぞ” と半ば挑戦的に、お互いにお互いを鼓舞し合いながら進めていきました」(黒瀬氏)
さらに、当時ふるさと納税で大成功を納めていた鳥取県米子市の担当者にも相談にのっていただき、多くのノウハウやアドバイスをもらったことで、たった3年という期間で、「寄附金額日本一」を達成するという功績を残した。
ふるさと納税で寄附金額日本一をとると、黒瀬氏を取り巻く状況は一変した。
「全国で講演に呼ばれる機会が圧倒的に増えました。“日本一” という肩書きを持っていると、どこにいっても皆さんが僕のことをお殿様みたいに丁重に対応してくださるんです。“勉強させてください” と。でも、僕も皆さんと一緒なんです。偉くも何にもない。だから僕が気をつけているのは、バカになることです」(黒瀬氏)
「講師をやられる公務員の方って、皆さんしっかりされてるんですよ。広報を担当していた時、講演会もたくさん聞きましたが、その姿に全く隙がなくてかっこいい一方で、遠い存在に感じてしまったんです。冗談を言っても、それすらかっこよく見えてました。だからこそ、僕は飲み会の席ではとことんバカになって、親近感を持ってもらおうと思っているんです。といっても、僕お酒強くはないので、途中からは酔っ払って本当のバカになっていると思いますが(笑)」(黒瀬氏)
講演の時は、真面目に情熱的に講演をする。でも、飲み会の時は、かっこ悪い姿をさらけ出す。そんな黒瀬氏の周りには、いつだって多くの人が集まっている。
いまや90分以上の講演を月に何本も行なっている黒瀬氏ですが、講演を依頼された当初は、20自治体の担当者に5分間話すってだけでもガクガク震えていたという。
「当時は90分話すなんて、考えられなかったですね。でも、少しずつ話す機会をいただいて、5分が10分、10分が30分と少しずつ話せる時間が増えて、だんだんと自分のやりたいことや想いを言語化できるようになってきました。講演をさせてもらうときは、ビックマウスになって話すことで、自分自身にプレッシャーをかけ、言語化した想いを実際に形にする原動力にもしています」(黒瀬氏)
1回の講演で200枚ほどのスライドを使う黒瀬氏は「絶対に同じ資料で講演しない」ことも大切にしている。
「人の感情は日々変化していきますし、地域やふるさと納税に携わる中で、前回の講演の時にはなかった新しい気づきもあります。だからこそ、自分の気づきや学びを常に最新の形でアウトプットすることを大事にしているんです」(黒瀬氏)
そんな黒瀬氏は2019年3月平戸市役所を退職し、フリーランスに転職。7月からは拠点を東京へと移した。
「僕は講演の時、『“まち” を変えることは “日本” を動かすこと』を締めの言葉で使っていて、その仕事をしている公務員は本当に素晴らしい仕事だと伝えさせてもらっています。しかし、その一方で自分自身のフィールドとしては、少し息苦しくなってきてしまったんです」
全国各地に講演で訪れ、様々な地域の課題感や想いを持って頑張っている公務員さんに数多く出会ってきた黒瀬氏。
「僕、田舎大好きなんです。全国いろんな地域を巡ってきましたが、どこの地域も本当に素晴らしくて、もっと面白くなると確信しています。課題があるということは伸びしろがあるということだと思うんです。ですがその一方で、僕が平戸市の公務員である以上、どうしても “平戸ファースト” で考えなくてはなりません。平戸市の公務員である以上、平戸市のことしか基本的には取り組めない。でも、平戸にはできなくても平戸以外の地域では実現可能なこともあるのでは。平戸市だけが良ければ良いのかなって疑問を感じ始めました」(黒瀬氏)
これまで黒瀬氏は、講演時に平戸市のふるさと納税の手法や金額までも全てを公開するなど、平戸市の公務員として、できる範囲の中で、全ての市町村のために活動してきた。
「これからはもっと、いろんな地域のために、自分のできることをやりたいと考えた時、今の立場では窮屈だと感じました。これからの地域には、行政だけではなく、民間企業の力が必ず必要になってきます。もっと官民連携を促進していく必要があるからこそ、僕自身の全国の自治体とのつながりを使って、今度は行政と民間のハブになりたいんです」(黒瀬氏)
「広報担当の時の経験は成功体験でもあり、僕にとっては苦い思い出でもあるんです」と笑う黒瀬氏。自分の成功を誰よりも満足せず、さらにより良い方法を模索し、活かし続ける、謙虚で素直な姿勢が、実は彼の一番の成長法なのかもしれない。
「実は将来的にはまた平戸市の公務員に戻る選択も考えています」という黒瀬氏が、平戸市を飛び出したいま、今度は一体どんなことを仕掛け、成果を生み出すのだろうか。
Editor's Note
目の前の地域にも、人にもとことん向き合い、面倒をみる黒瀬さんの真面目で、愛が溢れる人間味がとても伝わり、黒瀬さんの後輩さんたちがとっても羨ましくなる取材でした。
記事には書けなかったふるさと納税のノウハウや、マーケティングの戦略、フリーランス独立後の心境はぜひイベントで直接聞いてみてください!
NANA TAKAYAMA
高山 奈々