経営哲学
※本記事は「ローカルライター養成講座」を通じて、講座受講生が執筆した記事となります。(第2期募集もスタートしました。詳細をチェック)
地域に入って自分の持っている技術を活かしたい。でも事業を立ち上げるときに何からしていいか分からない。どこで、誰と、何からやっていいんだろう。多くの方が少なからず悩まれているのではないでしょうか。
そんな中、2018年に東京から香川県三豊市へ移住し、地元の人々を巻き込みながら、年々多くのプロジェクトを立ち上げ、若い力を集めている瀬戸内ワークス株式会社代表の原田佳南子さんを取材しました。
生まれは兵庫、育ちは札幌、現在ご両親が暮らされているご実家は東京という生活環境だからこそ、「この地域のために何か頑張らなくてはいけない」と思える故郷がなかったという原田さん。そんな彼女が楽天を退職し、香川県三豊市で起業することになった経緯をまずは伺いました。
「新卒で楽天に就職して9年間。後半の4年間位は楽天トラベルの地域振興事業部にいました。全国各地を訪れ自治体に営業し、地域をプロモーションする仕事でしたが、プロモーションだけで地域が活性している肌感が全然なく、結局どの地域も共通して求めていることは、地域の中に入り込んで事業を推進していく力だったんです。実際に地域で事業を推進している方の話を聞いているうちに、覚悟や生き様が圧倒的にかっこいいなと思い、地方で起業をする腹を括り、2017年の3月に会社を辞めました」(原田さん)
三豊とは楽天時代から繋がりがあり、退職前から関わっていたUDON HOUSEの立ち上げは、退職後フリーランスになってからも継続していたと言います。
「UDON HOUSEの物件探しからリノベーション、サービス設計に至るまで担当していました。ただ、着々とハードが出来上がるのに、誰が運営するのかがずっと決まらなくて。当時、宿を運営できるほど時間がある人が私の周りにいる三豊メンバーにはいなかったんですよね」(原田さん)
地元の人にお願いをして回るも、良い返答がもらえないまま過ぎ去る時間。この状況こそが原田さんを次へと導きます。
もしかしたらUDON HOUSEは私がやるべきなのかな、と。原田 佳南子 瀬戸内ワークス株式会社
腹を括ったら行動はあっという間。2018年6月には三豊へ移住を実行した原田さん。決意の裏側にはどんな思いがあったのでしょうか。
「『やると決める』その覚悟をするだけだと思っています。覚悟を決めれば、あとは自分で決めたことだから言い訳せずに進むだけ。でも、この覚悟に辿り着くまでの葛藤はもちろんありました。『UDON HOUSEをやって』と誰かにやって頼まれたら終わりだなって思っていたので、やるかどうかは絶対に自分が決めなきゃいけないと感じていました」(原田さん)
自分自身で覚悟を決め、三豊に移住してきた原田さんですが、東京から地域に入ることへの不安は芽生えなかったのでしょうか。
「正直、三豊への不安はあまりなかったです。全く知らない地域ではなかったのが大きな要因の一つだと思います。
でも、地域でうまくやっていけるかどうかは多分、何かやってないうちに心配しても答えが出ないことなんですよね。その答えを見つけるには、やってみない限り見つけられない。なので、うまくいかないときはその時考えようみたいな感じで、当時の私にとっては、まずはやる覚悟を決められるかどうかが大事だったように思います」(原田さん)
原田さんは2018年にUDON HOUSEを立ち上げた後、2019年に瀬戸内ワークス株式会社を創設。その後も、2020年には地域の仕事と住まいとコミュニティを繋ぐ「瀬戸内ワークスレジデンスGATE」 や、2021年には瀬戸内の半島の宿「URASHIMA VILLAGE」 をオープンするなど、1年単位で事業を立ち上げている原田さん。
新たなプロジェクトが生まれるアイデアの芽について伺うと、瀬戸内ワークスを一緒に立ち上げた一人の名前が登場しました。
「元々UDON HOUSEは、一緒にここを立ち上げた古田秘馬さんのアイディア。『ディズニーランドに行けばミッキーの部屋があって、山に行けば山小屋があるように、香川にうどんを食べに行く人はたくさんいるけど、うどんで泊まれる宿ってないよね』という発想からスタートして、実際にサービス化するところを、私が現場に入って作っていきました」(原田さん)
0→1のアイディアを秘馬さんが、そしてその0→1を形にすることを原田さんが行なう体制は一見バランスが取れているように見えますが、実際は難しい局面もあるのだとか。
「秘馬さんは本当にアイディアマンで、いつだって悔しいほど面白いアイディアを話すんです。でも他のサービスが軌道に乗っていない状態でもアイディアは出てくるので、このまま秘馬さんと事業をやっていけば、一生人手不足で苦しむなと思い、自分が苦しまない仕組みをつくろうと、地域の仕事と住まいとコミュニティを繋ぐ『瀬戸内ワークスレジデンスGATE』を立ち上げました」(原田さん)
自分の置かれている環境を悲観するのではなく、常にどうしたら誰もが苦しまずに、幸せな形で生きられるかを考えている原田さん。一緒に動いてくれる仲間を増やそうと、地域外から人を呼び込む装置として、瀬戸内ワークスを創設したわずか1年後に『GATE』を立ち上げます。
「地域外から人を呼び込んだのは、地域に人がいなかったから。“地域には人がいない” と聞いてはいましたが、移住して痛感します。どの企業も困っているならば、これは地域全体の課題だということで、地域の外から人を呼び込む必要があると思い、『GATE』をはじめました。ようやく外から入ってきて一緒に働く人が増えてきた感覚です」(原田さん)
GATEが人を呼び込む理由と、GATEから発展していく原田さんの理想を伺いました。
「たくさんの人に出会って、友達ができて繋がってた方が、地域に住んでて困ったときに助けてくれる人いそうだよねみたいなことなんですね。だから受け皿は私だけではなくって、三豊にはいろんなプレイヤーがいることが地域の魅力だと思っています。
GATEに来ると皆に会えるいうのを作り出したくて一泊2日で人を巡っていくようなツアーをして出会いの場を作ったりゲートに滞在する人たちに仕事という意味ではこれからですとオリーブ農園や柑橘系の農家さんの収穫の時期にお手伝いにいくなど、人と人を繋いだりしています」(原田さん)
自分自身やまちの課題を感じれば、どうすればそれが解決できるのか? を前向きに考え、「こうあったらいい」を形にしてきた原田さん。2022年の今年は教育分野に注目し、地元を中心とした18社で新たに市民大学『瀬戸内暮らしの大学』を企画したんだとか。
「(日本のウユニ塩湖として大注目され年間45万人が訪れるようになった観光スポットである)父母ヶ浜にはたくさん人が来るようなり、私たちも観光や移住でいろんな取り組みをしてきましたが、三豊にてほしいという発信をする中で、三豊では教育の選択肢がまだまだ少ないと感じました」(原田さん)
ここでも一つの課題感から、発足された『瀬戸内暮らしの大学』は、香川県の西部エリア全体をキャンパスに捉え、年齢や居住地に関係なく全ての人が一生学び続けることのできる市民大学です。学ぶことや仲間を得ることの楽しさを提供し、選択肢の幅を広げることで地域での暮らしが一層豊かになることを目指しています。
「地域づくりは人づくりなので、最終的に教育に関連する事業がやりたくなると思っていましたが、地元を中心とした18社が集まり、企画からわずか半年足らずで事業がスタートしました。集まった地元の仲間がお互いのことを理解し合っていて、機動力があるのは私たちの強みですね。
2022年の4月に会社をつくり、6月にオープンキャンパスをし、7〜9月の3ヶ月間で夏学期クラスを行なっています。これから秋学期クラスの募集をして、10月から秋学期がスタートしていくんです。すごいスピード感でしょ(笑)」(原田さん)
凄まじいスピード感で実施が行われていく『瀬戸内暮らしの大学』。行政に頼らず、完全民間メンバーで進めていくからこそ実現できるこのスピード感に、原田さんをはじめとする地元メンバーがどれだけまちに対し主体的に動いているかがわかります。
移住後、数々のプロジェクトを成功に導いている原田さん。彼女が今後考えている展開についても伺いました。
とにかく4年間突っ走って突っ走って、突っ走り切って。ようやく後ろを振り返ったら、こんなにいろんなことが形になってたという感じで。まさに今、会社をどうしていくべきかを考え始めたフェーズなんです。原田 佳南子 瀬戸内ワークス株式会社
日々地域の課題を解決するために走り続けている原田さん。取材中、常にハキハキと回答をしてくださっていた原田さんから、初めて「逆にどうしたらいいと思います?」と声の力が弱まった回答が。常に地域と全力で向き合い、悩んでいる等身大の姿で話を続けてくださいます。
「今の瀬戸内ワークスには『UDON HOUSE』や『GATE』という顔があって、今ある事業をどうしていきたいのか。今はない事業をどうつくっていきたいのか。どんな比重で、何を大切にしていくかを常に考えています。ただ正直まだ自分でもわからない。答えは今日はいえないのが本音です」(原田さん)
「いつも仲間には『いつになったら言えるの? 今日言えないことは明日も言えないよね。いつ言えるのか決めて』と言っていて。常に自分に対してもそう思ってるので、答えの出ていない今、焦燥感に駆られています。早く答えを出したいと思って、パズルを集めてる感じなんですが、何かが足りなくて、もがいている感覚。全然わからないけど、例えば、足りないパズルのピースを探しに行く旅に出るとかもあるかもしれない。まだ何も断定できませんが」(原田さん)
常に地域にも自分の人生にも「覚悟」を持って接してきた原田さん。無我夢中で進んできた4年間があったからこそ、今一度自分自身が大事にしたいものを考えている葛藤やもどかしさが伝わります。
「ただこのまま答えを伸ばし続けても、逃げ切れるとは思っていません。とはいえ、『今後どうしていきたいのか』という部分は、今の私にとってすごく根幹で、大切なところなので、自分の腹が括れないと走ることもできない。今は本当にもどかしいタイミングですが、少しずつ向き合っていきたいと思っています」(原田さん)
地域の声に耳を傾けながら、とにかく行動を起こし続けてきた原田さん。誰もが同じように不安を抱え、悩むからこそ、彼女は不安を払拭するために腹を括り、前進し続ける。
そんな原田さんの生き様には、事業の糸口と呼べるかもわからないほど細い糸を、仲間の力も借りながら手繰り寄せ、事業へと昇華させていく、泥臭くも美しい経営者としての「覚悟」と「行動」がありました。
Editor's Note
素晴らしい企画を打ち出している原田さん。しかし、外から来たものとして、もういらないって言われないようにこれからの三豊に対して自分が何ができるのか。その立ち位置を模索し続けている次なる展開から目が離せない。次に伺ったときにはその答えは出ているのだろうか。再訪したくなるこのドキドキ感が三豊の方々の魅力なのかもしれない。
HIDENORI SUZUKI
鈴木 秀典