NEBA, NAGANO
長野県根羽村
地方自治体と民間企業が手を組み、地域活性に取り組む動きが活発になってきている。しかし、その取り組みは両者のスタンスの違いによって、上手く実らないケースもあり、まだまだ課題も残っているようだ。
そのような中で、株式会社WHERE(以下、WHERE)の杉山泰彦(通称:マギー)さんは、2019年に地域おこし企業人(以下、企業人)として長野県根羽村に移住し、約2年間、活動してきた。地方自治体と協力しながら様々な施策を行った結果、2020年には40以上のメディアから取材を受け、移住者は19世帯46名を記録。たった2年の間に大きな成果を残せた裏側には、企業人である杉山さんと、役場をはじめとする地方自治体との、理想の関係性があったそうだ。
今回は、マギーさんと、根羽村村長の大久保憲一さん、総務課長の鈴木秀和さんの3名に、これまでの根羽村の取り組みと、理想の関係性に至るまでのストーリーを伺った。
ー 根羽村とマギーさんの出会いについて教えてください。
杉山泰彦さん(以下、マギー):始まりは、株式会社CRAZY(以下、CRAZY)で田舎にサテライトオフィスを作ろうというプロジェクトでした。僕が所属するWHEREという会社は、もともとCRAZYのグループ会社で、WHERE代表の平林が、知人の紹介で根羽村のことを知り、大久保村長に会いに行ったんです。
大久保憲一さん(以下、敬称略):森山さん(CRAZY代表)と平林さんが村にきて、根羽村の中にCRAZYの拠点になるような場所を設けたいという話を持ってきてくれました。いきなりのことだったので、そんなに大規模なことはできないと思って、タイニーハウスのような小さなものからスタートしようとなって一旦別れたんです。
しかし、空き家を持っていて、使い方に悩んでいた村民がいたのを思い出して、すぐに村民に連絡をとってみたところ、その日中ならなんとか話せるということになりました。そこで、一旦お帰りいただいていたにも関わらず、お二人に連絡すると、偶然まだ村に滞在していると。それで、なんとか話す機会が設けられました。
鈴木秀和さん(以下、敬称略):そこで話がとんとん拍子に進んで、CRAZYの方々が大勢で根羽村に来て、2週間滞在しながら空き家を改修するという話になりました。もし、森山さんと平林さんが村に来るのが一日ずれていたら、きっとタイニーハウスを作って終わっていたと思います。小さなタイニーハウスなら、CRAZYの皆さんが全員で根羽村に来ることもなかっただろうし、マギー(杉山の呼び名)とここまでの関係性になることもなかったかもしれません。
杉山:総務課長がそのプロジェクトの担当に任命された時、最初は渋い反応だったと聞いたんですが…。
鈴木さん:自分が総務課長になったばかりで、大変だったというのもあるけれど、一番面倒だったのはマギーが免許をもってなかったことかな(笑)
杉山:村に来るたびに、総務課長に車で出迎えてもらっていましたね(笑)
ー突然始まった改修のプロジェクトで村民の方は驚かれていたんじゃないでしょうか?
大久保:村民のみなさんは、何が始まるんだと、様子見していたようだけど、CRAZYの方々が改修に来ていている時に、お互い声をかけあったりする中で関係性が出てきたんだよね。
ー僕もCRAZYのメンバーとして参加していましたが、2週間の滞在期間では改修は完了せず、結局そのあと2年して「まつや(改修後の宿の名前)」が完成しましたね。どうしてそんなに時間がかかったんでしょうか?
杉山:実は、当初想定していたよりも改修費がかかったり、会社の状況も変化していったりと、最初に思い描いていた計画通りになかなか進めることができなくて。村の方々にもかなり心配をかけてしまったなと思います。その頃って、議会でも懸念の声は出ていたんじゃないでしょうか?
大久保:懐疑的な意見を出している人はいました。でも、当初の計画とは違うとはいえ、物事はちゃんと進んでいたので、個人的にあまり心配はしていなかった。村民は1年間くらい、「結局どうなったんだ?」と疑問視する人はいたかもしれません。
ただ、そういう空気感も、杉山くんが企業人としての移住を決めてくれて、まつやも完成したあたりから無くなったんじゃないかと思いますね。
ー会社としての関わり方が変わりながらも、杉山さんが移住して、まつやを運用していこうと決めた理由はなんでしょうか?
杉山:様々な地域に関わりながら活動してきた中で、その地域が本当に変わり切るまで関われていないことに葛藤を感じていたんです。企業の中ではどうしても業務内でしか動けません。さらに、企業側のお金が無くなったり、経営上の優先順位が変わってしまったりすれば、活動から手を引いてしまう事例をいくつか見てもいました。
杉山:本当に地域のために活動するなら、住みながら村の一員として関わるほうが絶対に良いと思ったんです。それで地域おこし企業人の制度を利用することにしました。
ー地域おこし企業人として移住を決めた当初、村にはどんな課題や目標があったのですか?
大久保:自分たちなりに様々な活動をしてきたんだけど、それを外に伝えていくPRに課題を感じていました。
鈴木:ホームページも、フリーソフトで自作していたくらいで(笑)
大久保:やらなきゃいけないと思いながらも、余裕がありませんでした。杉山くんがそこをになってくれたおかげで、発信が上手く行っただけでなく、杉山くんを通して外の情報も入ってくるようになりました。
ー杉山さんはPRをしていく上で、どのようなことを大切にして取り組んだのですか?
杉山:まず初めに考えたのは、PRの目的です。わかりやすくフォロワーが増えたとか、PV数が増えたとかだけではなく、そもそもPRを通じて村の人たちが喜ぶことだったり、事業者が喜ぶことを見極めたいと考えました。
そこで、最初の1年間はとにかく村民の話を聴きました。村のキャロットというカフェに毎日同じ時間に通って、関心をもってくれた村民と話したり、消防団に入って地域活動に従事したりする中で、実際に住んでいる方々の見ている景色を見て、どんな想いを持って生きているのかを感じるようにしました。
鈴木:マギーは、移住する前にから村に何度も通ってくれて、自然と村民と馴染むようにやってくれてましたね。僕の家にも泊まってくれて、ご飯を一緒に食べたり、娘の話し相手になってくれたり。
杉山:東京の知人を誘って、持ち出しでツアーを開催したりもして、結局トータルで20回くらいは通ったと思います。
ー村民の目線になって暮らしてみて、どんなことを感じましたか?
杉山:この村には、寛容な心を持ち、クリエイティブな考え方ができる人が多いと感じました。クリエイティブとは、足りないものがあった時に、自分たちでそれを生み出したり、今あるものでどう幸せになるかを考える力だと定義しています。この村の人たちは、それが強い。
しかし、誰もがリーダーで主役になれる魅力がありながらも、そのキャラクターたちが活躍するための脚本が未完成なんだということに気付きました。そこからは、いろんな人の想いや、活動の共通点を整理していくことによって、自ずと描くべき物語がわかって来ました。
鈴木:マギーは村のことを知るだけではなく、村の人たちが普段当たり前にやっていることを、凄いことだと発信してくれたんです。猟友会の仕事を体験するツアーを作ってくれたり、根羽の日常を動画にとってyoutubeチャンネルを開設してくれたり。中にいる人からすると、当たり前すぎて、何が魅力なのか気づけなかったようなことをです。
杉山:村外へのPRももちろんですが、村民が自分たちのやっていることに自信を持つことが一番大切だと思って、村内PRにも力を入れてきました。
ー企業人として活動されてきた2年間で、村民の皆さんに変化はありましたか?
大久保:実現したいことや、変えたいことに対して、誰かではなくて私がやってみたい、という意思表示が多くなって来ました。きっと、この2年間で、やりたいことの為に人や技術が足らなければ、村外の人に協力してもらいながらやればいい、という考え方が広がってきたからだと思います。
杉山:チャレンジに対して前向きになってきていますよね。
大久保:高齢者の方々も、徐々に変わって来ています。例えば、今度、タブレットの使い方を教える講座があるんですが、80〜90歳の人たちが、想定の2倍以上参加してくれることになりました。中には、今までこういう機会に顔を出さなかった人もいたりして、とても大きな変化を感じています。
杉山:一昨年、開催した盆踊りも大きかったですね。地元に帰ってきている若手メンバーが精力的に関わってくれて、衰退しつつある盆踊りをリニューアルしたんです。その時の成功体験によって、やりたいことは自分たちでできるんだという自信を持ってくれました。
ー村内に前向きにチャレンジする土壌が出来てきたんですね。その一方で、村外からの見え方は何か変化がありましたか?
大久保:根羽村の活動に行政関連の人たちが、より興味を持ってくれるようになりました。他にも、他県に住む一般の方や、社会からの認知度が上がってきたのを感じていますし、杉山くんを通して様々な繋がりも増えてきました。
例えば、コロナの状況的に東京には行きづらい中で、代わりに会議に出てくれたり、自主的に営業活動をしてくれる方もいます。
杉山:数字で言えば、2020年は、40以上のメディアから取材を受け、19世帯46名が移住してくれました。なんと、平成以来初の社会増(転出者より転入者の方が多い状態)になったようです。コツコツとPRしてきた成果が見えてきたように思います。
ー大きな成果ですね!改めて振り返った時に、何が要因だったと思いますか?
大久保:お互いの役割分担を決めすぎなかったのが良かったんじゃないかと思います。過去にも、村に関わってくれた人もいましたが、企業側という枠を超えれないこともありました。その立ち位置では、地域の中である一定のレベルのことしかできないんです。
大久保:杉山くんがここで生きていくという実感を持ちながら、何が課題かな、どうしようかな、と考えてくれたことで信頼も得やすかったし、活動の幅も広がったんだと思います。
杉山:自分が残ってでもやり切りたいと思えるようなものを生み出してきたのが、結果につながったかなと思います。そう覚悟してから、真剣さも、取り組み方も変わりました。
さらにプロジェクトの作り方という観点では、地域、村民、企業、社会にとって「良し」を作るための要件定義をしたり、お互いの課題感と利益が合致する外のプレイヤーを集めてくるのを意識しました。これは民間企業にいたからこそついた感覚です。
上手くプロジェクトのデザインをするコツは、村内と村外の感覚をバランスよく持つこと。先ほど村長が話していた、東京で自主的に営業活動をしてくれると言っていた方と、よく近況の共有をしているおかげで、どっちに偏ることもなく、村を適切にPR出来たんじゃないかと思います。
ー村長と総務課長から見て、マギーさんが企業人として優れていると感じる部分はどこでしょうか?
大久保:想いを持っていながら、自分の想いだけを突き通そうするんじゃなくて、周りの声を聞いて巻き込んでくれるところです。きっと、やって来た施策を一人でやろうとしていたら、ここまで上手くはいっていないと思うな。どうすれば周りが参加してくれるのか、ということを意識してやってくれてますね。
鈴木:マギーは、人懐っこいんだけど、オンオフはしっかりしていているのが魅力かな。お役所仕事につきものの、複雑な手続きも理解してくれて、嫌がらずに対応してくれる。会議なども場面に合わせて言葉遣いを切り替えられるのが、とても信頼できるなと感じます。
杉山:お互いの立場を理解し合いながら活動するのは大切ですよね。地域を変えようとした時に、新しいものに対しての抵抗って少なからずあるじゃないですか。でもそれって、何かしら守りたいものがあるという裏返しなんですよね。
その守りたいものに対して、思いを馳せれるかどうかは大事だと思います。時には、どんなに正しそうなことでも、焦らず、長い時間軸を持ちながら、タイミングを待つのも手です。
それこそ、移住者の数を増やすだけで良いなら、もっと出来ることもあります。でも、じゃあそれで地域は幸せになるのかとか、移住者は3年後も残っているのかというと、それはきっと別の話なんですよね。
ー逆にマギーさんから見て、根羽村での活動のしやすさはどこから来ていると思いますか?
杉山:村長が、村民の幸せを強く意識しているところかなと思います。
いろんな地域を見て来たけれど、根羽村は特に、村内の人の課題を解決するために、村外の人の力を借りていくというスタイルを持っていると感じました。
それと真逆なのは、一般的な企業の事業計画です。自分たちの社員が幸せになる事業改革というよりは、社会へのインパクト重視で決めがちじゃないかと思うんです。
でも、根羽村はまず、なにより村内の人を幸せにすることに重きを置いているから、めちゃくちゃ挑戦的なわけじゃないけれど、現状維持ってわけでもない。村長や役場の方が持っているバランス感覚が絶妙にいいなと感じました。
大久保:本当?そんなこと言ってもらったことないよ(笑)
杉山:本当です(笑)
あとは、トップダウンじゃなくて、ボトムアップで村づくりをしようという村長のスタンスも、僕が大切にしたいことと合致しました。村長は自分で全部やろうとも、やれるとも思っていなかったから、村民からの提案が欲しいって思っていましたよね?
大久保:そうだね。村長に就任した当初は、その考えは浸透していない部分もあったんだけど、徐々に変わってきたのを感じています。最近、数々の自治体改革を経験されている方が、「こんなに前向きで和気藹々としている役場は初めてだ」って言ってくれたんですよ。
杉山:そういう村長や、役場のみなさんのスタンスに支えられて、僕も動きやすかったです。
ー最後に、今後根羽村が目指している村づくりについて教えて下さい。
大久保:目指すことはやっぱり持続可能な村づくりで、一番大事なのは、子供たちが帰って来たいと思う場所にすることです。今、根羽村には高校がないので15歳で村外に出てしまうけれど、これから新たに通信制の高校を建てて、住み続けられるような仕組みを整えていきたいと思っています。
若い人だけじゃなくて、高齢者の方もICT教育のようなもので、楽しみが増えていき、最初から最後まで生きがいを持って生きられるようになれば、この地域は生き残っていけると思います。
鈴木さん:マギーが昔、「根羽村の人は、生きるのに困っていない」って言ってくれたんです。困っていないから、精神的な豊かさがあって、お金儲けの欲は出づらいと。
それは素晴らしいところでもあるけれど、これからはICTを活用して、今よりも簡単に外の情報にも触れられることで、「ああしたい、こうしたい」という欲が、もう少し出て来ると良いなと思います。それらの情報が刺激となって、色んな活動が実っていくと、村長が言ったような生きがいに繋がっていくと思います。
ーマギーさんはいかがでしょう?
杉山:僕は、Uターンを増やしていきたいと思っています。多分、帰ってきたい人はいると思うんだけど、現実的なハードルがまだあるんです。でも、やっぱりその土地出身の人たちが、生まれた場所をよくしている姿は美しいと思うから諦めたくないんです。
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杉山:様々な人がこの村で活躍するためには、僕だけが村のストーリーを作るのでは十分ではありません。いろんな価値観を持っている人や、企業が、尊重し合いながら多様なストーリーを生み出していくことが大切です。
そういう意味で、僕は企業人として、自分の企業と地域のwin-winを作るという役割を超えていきたいと思っています。これからも、地域に入っている他の企業や、今後入ろうとしているプレイヤーとも良い連携を作る起点になっていきたいですね。
大久保:確かに、そうやって杉山くんが起点になってくれていることが、ここまでやってこれたポイントかもしれないね。
杉山:自分の会社の利益は、最後でいいと思っているんで(笑)
やっぱり本当に必要なのは、普通に生活している村民のことをどれだけ想像できるか、であり、短期的な利益に繋がらなくとも、必要な関係づくりを遠回りして作れるかです。
僕自身もまだまだではありますが、そういう目に見えない種まきを怠らずに、これからも活動していきたいと思います。
Editor's Note
本インタビューは、企画当初、根羽村の自治体と企業人であるマギーさんが試行錯誤してきた関係性作りのポイントを抽出し、他の地域でも転用できるようにしたいという気持ちで、進めてきました。しかし、記事の編集をする中で「きっと、他の地域が表面的な手法だけを真似しても、同じ成果は出ないだろう」という確信が湧き出てきました。なぜなら、根羽村の成果の最大要因は、村長や役場の方々、企業人のマギーさん、村民の皆さんの、「村づくりのスタンス」が一貫していることにあると感じたからです。表面的な方法論や手法を真似るだけではなく、「村づくりのスタンス」の一貫性を大切にした上に成り立った関係は、ここまでお互いの連携をスムーズにするのかと驚きました。今回の記事は、3名の掛け合いから、その空気感を感じてもらえたら幸いです。
FUMIAKI SATO
佐藤 史紹