NAGANO
長野
日本でただ1つ、村名に「温泉」がつく野沢温泉村。東京からわずか2時間半で到着するとは思えないほど、豊かな自然に包まれた伝統的な温泉街が広がっている。日本を代表するスノーリゾートとしてもよく知られている場所だ。
この村で、先進的なまちづくりに取り組んでいるのが佐藤俊介さん。野沢温泉マウンテンリゾート観光局で事務局次長を務めている。
前職から野沢温泉村に関わりを持ち、現在は村に移住をした佐藤さんに、野沢温泉村と関わるきっかけや現在の取り組み、村の未来についてうかがった。
「好きな地域にもっと深く携わってみたいけれど、なかなか勇気が出ない」そう思っているアナタにとって、生き方のヒントがあるはず。
野沢温泉マウンテンリゾート観光局(通称、野沢温泉DMO)は、観光協会をはじめとした5団体が統合される形で、2023年の1月に設立。2024年の4月に本格始動した。DMOとは、「Destination Management/Marketing Organization」の略で、官⺠の幅広い連携によって観光地域づくりを推進する法⼈のこと。
データを元に観光地域の全体戦略を考え、有効なプロモーションを行っていく組織だ。佐藤さんは、代表理事の右腕である事務局次長として活躍している。6部署13人という小さな組織ゆえ、業務内容は多岐にわたる。自身を「何でも屋」と形容するが、なかでも注力したいのはどんなことなのか。
「観光局となる前の観光協会の時には、プロモーションを戦略的に打てていないという課題がありました。そのため、観光局となって1番やらなくてはいけないのは、『どんな人が来ていて、その人たちにリピートしてもらうには、どのような施策を打つか』の戦略立案だと考えています」
個人として果たしたい役割については、こう語る。
「観光庁や企業と村をつなげようとしています。もちろん、窓口業務などのベース作りは大事ですけれど、外とつなげるのが自分の強みだと思っています。
完全に両足を入れて、野沢温泉村の中の一人になるのではなく、あえて東京にも片足を残すことで、『何をやっているかわからない人』になっていく。そうしないと、自分のバリューを出せないと思っています」(佐藤さん)
行政との関わりが長く、行政の意思決定や予算のつけ方に精通しているからこその言葉だった。
「外とのつながり」を作りながら、野沢温泉の持つ人的資源や自然資源、文化資源を生かしたプロジェクトがある。昨年、観光庁の事業で行われた「ガストロノミー」だ。
地域のシェフ5人と東京のシェフ1人が参加し、野沢温泉産のジビエのフルコースを作る取り組み。自ら食材の調達を行っているシェフがいることもあり、地域の命の循環を体験できるフルコースを目指した。
鹿一頭を1週間自然発酵させたものと、猪の腰の骨と一緒に煮込んで、熊と猪の頭を入れたもの、鹿の血を使ったチョコレートなど、どんな味なのか気になってしまう料理ばかり。
コース料理が食べられるスペシャルツアーも実施された。今後は、事業化を進めていく予定だという。
もうひとつ、野沢温泉スキー場開業100年記念でリリースした「ブラックカード」の取り組みがある。2023年の12月に限定3,000枚で販売を開始した。チャージをして繰り返し使えるリフト券ICカードで価格は1万2,000円だ。
「冬季1日券の引換券と夏季ゴンドラ往復券の引換券がつきます。あとは、特典として地元民にのみ適応されるローカル割も受けられます」(佐藤さん)
だが、冬季1日券の引換券と夏季ゴンドラ往復券を合わせても1万2,000円にはならない。もちろんローカル割も嬉しい特典だが、お得さを売りにしているわけではなさそうだ。では、このカードの1番の価値はどこにあるのだろうか。
「これを持っている人は、野沢温泉の次の100年を一緒につくってくれる関係村民の証ですよという位置づけでやっています。これを持っていれば、村に住んでいないけど村民といってもらえる。そんなコンセプトです」(佐藤さん)
村民が今3,400人のところ、カードは現在最大3,000枚で発行しており、650枚ほど売れている。
「得でもないものを買ってくれる熱烈なファンが650人もいる。それが野沢温泉だなと感じます」(佐藤さん)
DMOのビジョンの1つは「関係村民を1,000人作る」。人口が減っていく中で、どのように文化を維持していくか、佐藤さんの挑戦が続く。
「住んでいる人を増やすのは難しいけれど、こんな風に関係村民として応援してくれる人を増やせば文化を守っていけるんじゃないかと考えています」(佐藤さん)
今後のブラックカードのあり方として、野沢温泉のファンに応えられるようにしたいと語る佐藤さん。地域と関わることができる特典を作る構想もある。地域を消費するのではなく、地域に貢献できる機会の提供につなげていく予定だ。
佐藤さんが野沢温泉に関わり始めたのは4年前。2019年にスポーツ庁から日本総研に戻った際、歓迎会の場で「せっかくだからスポーツでまちづくりをやろうよ」という話になった。
その場に集まっていた若手3人がスキーヤーだったこともあり、スキー場でまちづくりができる場所を探すことに。スポーツ庁の同期から紹介されたのが野沢温泉だった。
「すごく面白いところだったので、プロジェクトを始めました。そこから3年間ほど日本総研として地域に関わっていたのですが、コンサルタントとして地域に関わる限界値が明確に見えて。もちろん外からだからこそできることもあります。でも、それだけでは本質的に地域を良くしていくのが難しいと感じたので、会社を辞めて移住しました」(佐藤さん)
2023年の10月から野沢温泉の村民になった佐藤さん。関係者間を橋渡ししながら、プロジェクトをマネジメントする人材を募集する地域プロジェクトマネージャーの制度を活用し、観光局での業務にフルコミットしている。
最初は、前職に籍を置きながら、野沢温泉の仕事をしようと考えていた。企業が地方に人を送り込む制度を利用することも考えたという。実現可能性はあったが、時間がかかると判断した佐藤さんは、仕事を辞めることにした。かなり勇気のいる決断だ。実際、何者でもなくなって地方にいく時には不安もあったという。だが、今は当時の選択してよかったと語ってくれた。
「よかったと思うことの1つ目は、会社組織としての枠組みを外せるようになったことです。会社で働いているときは、全ての仕事を『会社として受けるにはどうするか』で考えていました。この事業だったら、この規模感だったら会社としては受けられない。このプレイヤーを入れたいけれど、リスクが発生するからできない。
今は、その枠組みを全て外すことができています。個人で面白そうな人がいたら声をかけてプロジェクトを企画できるし、一方で大きな会社と仕事することもできるので、よかったです。
ですが、地方に行けば自由になって何でもできるわけではありません。私の場合は、前職までのつながりがあるので、それらの信頼を活かし、相談をし合える関係ができていると感じています」(佐藤さん)
もう1つ、よかったことがある。
「2つ目は、コンサルタントではできないことができるようになった点です。今まで15年ほどまちづくりのコンサルをやってきました。でも、地域に入り込まないとできないことがあると、はっきりわかりました。基本的に、コンサルタントだと事業をやることはありませんし、リスクを取らないのが大前提です。でも、地域に入れば、やりたかったら事業をやればいいし、失敗もできるんですよね」(佐藤さん)
パソコン1台あればどこでも働ける今の時代、地域活性化に関わる方法はいろいろある。その中でDMOの強みは、「地域の人の声をダイレクトに聞いて、それに対応できること」だ。
「私がお酒好きなので、飲み歩いていろいろな人と話をしていると、その地域の課題が見えてきます。外部からヒアリングもできますが、外から来た人に伝えるする情報と、同じ地域の同じコミュニティーのメンバーに伝える情報は違いますよね。村民として会話をするから見えてくる課題があると思います」(佐藤さん)
ガストロノミーのプロジェクトも、村の人たちとの会話の中から出てきたもの。もちろん、外部から地域活性化に関わり、できることも多くある。ただ、内部に入り込まないと見えない課題が存在するのも確かだ。
内側から地域に入り込むような関わり方に憧れを抱いていても、一歩踏み出せない人もいるだろう。佐藤さんは「チャレンジしたい気持ちがあるなら、失敗する覚悟で飛び込んだ方がいいと思います」と話す。
「私の生涯の拠点は、野沢温泉にずっとあり続ける予定です。まだまだ『よそ者』と思われているんですけど、この村に対する愛情やシビックプライドは、村の人の中でも高い方だと思っています」(佐藤さん)
地域の祭りに参加したり、消防団に入っているというお話からも、村への熱い想いがひしひしと感じられた。とはいえ、すぐに飛び込める人ばかりではないはず。そんな人に対しても、「矛盾するようだけど」と前置きした上でこう語ってくれた。
「地域に入ることをとてもとても推奨しますが、絶対に外からでもやれることはあるので、東京にいて地域に携わってくれる人も大歓迎です」(佐藤さん)
実際、都心のビジネスマインドのある人のノウハウを取り込む動きがある。この4月から地域おこし協力隊が3人来ており、地域プロジェクトマネージャーも入れる予定だ。
DMOのミッションは「水の谷の伝承」。野沢温泉村が誇る雪や温泉、湧き水、全て「水」が形を変えているもの。食べるものも、全てその水からできている。
実際に、水の循環を目の当たりにしたエピソードがあるという。
「シカの狩りに同行して、解体の様子を見たんです。その時、シカの胃の中に入っていたのが、大量のコメだったんですよね。それを見た時に、この辺のジビエは野沢の野菜やコメを食べているとわかりました。野菜もコメも水からできていているので、『そりゃうまいよね』と」(佐藤さん)
他にも、温泉調理や発酵など、水の循環の中で出来上がっている豊かな文化が多く存在する。
「我々はこの地域の文化、自然、人的資源を次の100年先まで守ろうとしています。それに協力してくれる人はウェルカムだけど、ただただそれを消費して帰っていく人はあまりウェルカムではないんです。なので、観光業ですけど、観光客を増やさないのが目標です。村の未来のために、安売りせずに本当に好きな人に繰り返し来てもらえる地域を目指すのが理想かなと思います」(佐藤さん)
昨今では、観光地化が進みすぎたために、地域の人たちの生活がままならならない状況になっている話も聞く。
「全ては村民の楽しい暮らしのためだと考えています。自然と文化、特に水と一緒に豊かに暮らしている村民を守るのがDMOの使命。観光客の満足度はもちろん高めるんですけれども、常に村民のためというところは変わりません」(佐藤さん)
淀みのないまっすぐな言葉が、印象的だった。変化の激しい現代では地域も「変わらないために変わっていく」必要があるのかもしれない。DMOが今後、どのような取り組みを行い、先例を作っていくのか。楽しみで仕方がない。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
長年まちづくりに携わってきた佐藤さんの言葉は、刺激的で重みのあるものばかり。時折挟まれる言葉のセンスが抜群で取材中にも笑いが起きていました。佐藤さんのお話をうかがって、自分のやりたいことを実現するためには、キャリアの積み重ね、そして時には思い切った決断が必要なのだと思いました。
Momoka
ももか