NAGANO
長野
今、進んでいる方向は間違っていないか?
一生懸命、目標に向かっていると迷いが生じ、その意味を問い直す。
誰しも経験することではないでしょうか?
上田亜依さんもその一人でした。
岐阜県高山市で育った上田さんは、高校から地域活性化の活動に関わり、大学では地域経営を専攻。一途に地域活性化に取り組んできましたが、就職活動中、その意味を見失いました。
考え抜き、見つけたのは、自分自身のまちづくり論。
「やりたいことをやっていて、気づいたらまちが活性化していたというのが理想のまちづくりです」とまっすぐな瞳で上田さんは語ります。
現在、上田さんは、長野県野沢温泉村のシンボルのような場所「野沢温泉ロッヂ」の管理責任者を務めながら、村の社会資源の魅力を引き出し、場を起点に人が行き交う仕組みづくりを楽しく進めています。
上田さんのまちづくり論と現在地には、答えを探すアナタへのヒントが詰まっていました。
村の中心、大湯通りを、村に13ある外湯の一つ、松葉湯方向に曲がり、道路わきに流れるせせらぎの音を聞きながら、坂道を上ること10分。村一番の湧き水、六軒清水を超えると緑の屋根の卵型のユニークな建物が現れます。上田さんが管理責任者を務める野沢温泉ロッヂです。
この建物は、世界的な建築家ル・コルビジェに師事し、日本の近代建築に大きな影響を与えた吉阪隆正氏の設計により1969年に建築されました。
野沢温泉ロッヂでは、宿泊客に、野沢温泉村の自然、文化、またスキーのほか、サイクリングなどのアクティビティを紹介しており、野沢温泉村の魅力を堪能するための起点となっています。
上田さんは、野沢温泉ロッヂの魅力を「建築と人」といいます。
「建築については、このユニークな形、そして有名な建築家が建てられ、今なお現存しているところが魅力だと思います。実は10年前に取り壊しの話がありました。それを現オーナーの八尾が聞いて、保存のために奔走したという背景もあります」(上田さん)
現オーナーの八尾良太郎氏は、日本のスキー教育の礎を築いた前オーナーの山口肇氏の教え子。取り壊しの話を聞き、ロッヂの保存を願って、ロッヂを譲っていただきたいと山口氏に心を尽くしてお願いしたそうです。その心が通じて、野沢温泉ロッヂは八尾氏に継承され、新たな歴史を刻むことになりました。
村民の方々にとってもシンボル野沢温泉ロッヂが守られたことは喜ばしいことでした。
スキー選手を多数輩出した野沢温泉村には山口氏の教え子も多く、ロッヂの写真を見ながら「センセイの宿」と歩んできた日々を懐かしく語りあっていて、ロッヂの存続を喜んでいるようだったと上田さんは語ります。
もう一つの魅力「人」については、オーナー八尾氏の人柄が人を集め、温かい交流を生むと上田さんは語ります。
「八尾さんが人との関わりを大事にしている人なので、自然とそういう人にはそういう愛のある人が集まってきます。泊まる人もみんな最終的に家族のような感じになります」(上田さん)
八尾氏は、スタッフ、友人とバーベキューをしていた際にも、たまたま通りがかった人に声をかけ、一緒にバーベキューを楽しんだといいます。冬のシーズンになると訪れる常連のお客様と「お帰りなさい」「ただいま」と言い合える関係性を育めるのも、ロッヂがアットホームな空間だからとのことです。
こうした魅力を備えた、村の社会資源、野沢温泉ロッヂを地域の方々とどのように意味付け、展開していきたいかという問いに、上田さんは「もっと村の中のハブになるというか、もっと行き来しやすいような場になればいい」と即答します。
「もちろん外の人で観光客とか野沢温泉を楽しみに来てくれた人を迎え入れる宿でありつつも、地域の中の人にとっても来やすい場になれば、もっとそこで新しい化学反応が生まれると思います。村民の中にも、まだロッヂに来たことがないとか、来ても外から見て終わりという方もいるので、もっと気軽に使ってもらえる場になればいいと思っています」(上田さん)
すでに、村民を招いての試験的なイベントとして、ロッジのテラスでの焚火イベントや台湾人の元スタッフの方による餃子パーティなどを開催したそうです。
すると、参加した村民の方から、「次は野沢の料理のパーティをしたい」という提案や、「ロッヂのスペースでこういうことをしたいよね」といったアイディアや意見をいただけたとのこと。化学反応はすでに起こり始めているようです。
「むすびば」は2024年6月に開店したテイクアウトのおむすび店です。おむすびを通して、野沢温泉村の食、人、自然環境、歴史の魅力を感じていただき、「おむすび」をきっかけに人と人との縁をむすぶプロジェクト。上田さんが主導して実現しました。
2024年4月、次の活動を検討する社内ミーティングでラーメン店など様々なアイディアが出る中、野沢には美味しいお米と湧水がある、こんな環境をひとつのお店にしたらいいのではないかという意見があがり、上田さんが「おむすび」を提案したことから始まったそうです。
上田さんは、「むすびば」の5年後の姿を想像して、コンセプトを考えました。想像の中では、「むすびば」に人が集まり、行き交って野沢温泉のお米美味しいねといった会話が生まれていたそうです。そして上田さんは完成したコンセプトを同僚の力を借りて形にしました。
そして、このプロジェクトを大きく動かしたのは、上田さんが、自らおむすびを握り、店頭に立つと決めた「覚悟」でした。上田さんは性格的にも、ロッヂの管理責任者としても、企画者の意識が強く、「むすびば」の前面に立つことを躊躇していました。
すると、アドバイザーをお願いしていた、おむすびづくりのエキスパートである「山角や」の水口拓也氏が、上田さんに「誰が握っているかが大事、作り手が美味しいおむすびを食べて欲しいという気持ちで握るからおむすびはおいしくなる」と助言します。
「この言葉を受け取って、『はっ』としました。コンセプトで想像した世界観を実現したいなら、自ら現場に立つべきだと。そして、こういう場があれば、きっと村内の人や外の人と繋がれるし、自分の思っているまちづくり論にも近いと思い覚悟を決めました。」(上田さん)
そこから、プロジェクトは6月の開店に向け、勢いをつけて進みます。プロジェクトでこだわった点のひとつは、地域の人を巻き込むこと。上田さんは、まず、野沢温泉村にある二つのお米の業者さん両方に挨拶にいきました。
具材については、定番メニューと季節限定メニューを用意することに決めました。定番メニューは村の食材を使うと決めて事業者さんを紹介していただき、塩、味噌、野沢菜の三種に決定。
季節限定メニューについては、野沢温泉のお米をプラットフォームに、旬の味を楽しめるように、二十四節季にあわせて旬の食材を各地から取り寄せることに決めました。野沢温泉だけでなく、日本そして世界に広げることを視野に入れています。
また、販売の際には、生産者さんの顔が見えるように写真つきで、「〇〇さんの〇〇を使った野沢菜むすび」という紹介を添えて販売しています。
「今後は、事業者さんだけでなく、個人の方が作った味噌を使うなど、もっと地域の人を巻き込む場にしたいし、おむすびを食べる数分が会話の数分になって、人がつながる場になったらいいと思っています」(上田さん)
2024年8月現在では、村の中心の大湯通りで、日曜日の朝6時から開催される朝市を中心にテイクアウトで販売をしていますが、実店舗を持つ方向で動いているそうです。アドバイザーの水口さんのようにお客さんの声を聴いて、その場で握って、炊き立ての美味しい野沢のお米を食べてもらいたいという上田さんの笑顔はまぶしく輝いていました。
「むすびば」の狙いはあたり、観光客にも人気で、毎回30分ほどで売り切れるほどです。村民の方々も「むすびば」の取り組みを喜んでくださっているとのこと。
「直接自分で作って、自分で販売しているので、交流する中で聞ける声も、私の耳に直接入ってきます。村長さんも「むすびば」の前を通りかかられ、初めて挨拶させていただいたのですが、『すごくいいお店だね、野沢温泉のお米と食材を使ってくれて』と喜んでくださいました」(上田さん)
「やってること自体もすごく素敵だよねと、村内の人からも何回か声を掛けていただき、また買いにきたよと言って来ていただけるのはすごくうれしいです」(上田さん)
また、「むすびば」で現場に立ったことで、ロッヂの業務に対する意識も変わったそうです。
「最近、『むすびば』は自分のお店だと捉えるようになりました。ロッヂも同じなので、お客さんにどういう声をかけていただいたか、お客さんとどういうコミュニケーションがとれたか、どういう声があったかということを、すごく大事にするようになりました」(上田さん)
活躍する上田さんですが、理想のまちづくり論に至るまでに、様々な体験の積み重ねがありました。
「高校生の頃から、地方創生とか地域活性化というワードに触れ、そういう分野を学んできましたが、途中から地方創生って何だろうと思うようになりました。
もちろん高山市という地方出身だからこそだと思いますが、人口が少ないから活性していないのかって言われたら、そういうわけでもなくて、そこにいる人たちが、その状況を楽しく、毎日いきいき過ごしているというのが、理想的な形だと気づき始めたのが大学生の期間で、
私はそこからあまり地方創生とか地域活性化ということを言わなくなりました。まちづくりはまちづくりなのですが、人のやりがいというか、生きがい作りというか、やりたいことをやっていて、 気づいたらまちが活性化していたというのが私にとっての理想のまちづくり論です」(上田さん)
また上田さんは、実際に多数の地域を訪問し体感することで重要な気づきを得ました。
「いろいろな地域に行って、面白いなと思った地域は皆、こんなのがあったらいいなとか、これやりたいと誰かが言った小さな声がどんどん大きくなっていってそれが形になっているまちだったので、そういう考えで今も仕事をしています」(上田さん)
最後に活動の原動力を問うと、
「自分がどういう世界観に常にいたいか、作りたいかがベースになっています。大学時代にまちづくりに対する考えが変わったことにも通じますが、自分の中で今出ている答えは、それぞれ個人の幸せが、集まってできているのが幸せの世界なのかなということです。
ロッヂも 『むすびば』も、そこで働く人がやりがいをもって生きられるにはどうしたらよいかを考え、その中でも一番自分が楽しく過ごせるよう、楽しいことを自分で作るようにしています」(上田さん)
体験から掴み取った理想のまちづくり論は、上田さんの生き方でもあるようです。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
真摯な人、上田さん
上田さんは、インタビューの間、真直ぐ私の目を見て、一つ一つの質問に真摯に答えてくださいました。心の中にある答えを正しく伝えようという一生懸命な気持ちが伝わりました。
上田さんの理想のまちづくり論も、多くのまちを訪問し体感する中で、真摯にあるべきまちづくりの姿を問い続けた結果、生まれたものだと思います。
「迷いが生じたら、自分の心に真摯に問い続ける」ことが、上田さんが答えを見つけられた秘訣ではないでしょうか?
ここまで、読んでくださってありがとうございます。
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Sawa Kawahara
河原 さわ