URUMA, OKINAWA
沖縄県うるま市
人口減少、少子高齢化、それに伴う経済の縮小。
小学校の社会科の授業で耳にしていた言葉たちが、地域に関われば関わるほど、一気に現実味を帯びていくことを体感しているのは、私だけだろうか。
896/1,799の地域が消滅可能都市に指定され「限界集落」という言葉さえ、当たり前のように飛び交っている中、
1年先、10年先、そして100年先のうるまの未来を共につくろうーー。
そんなコーポレートメッセージを掲げている会社が沖縄県うるま市にある。
2015年に設立後、“100年後のうるまをつくる” をビジョンに掲げ、民間のまちづくり会社として、うるま市の移住定住の促進・地域資源活用商品の開発・イベントの企画開催といった “地域づくり” を行う「一般社団法人プロモーションうるま」だ。
今回は、そんなプロモーションうるまで働きながら、自身もうるま市に暮らし、うるま市の持続可能な社会を模索し続ける田中啓介氏を取材。お話を聞く中でみえてきたプロモーションうるまが実践する「持続可能なまちづくり」のポイントをご紹介します。
現在、「地域に根差した仕事づくり」「食を通じた豊かな暮らしづくり」「市民と一緒に考える島の未来づくり」の3つの領域でうるま市を支えているプロモーションうるま。中でも、「島の未来づくり」を通じて、移住定住施策に深く関わっている田中氏。移住定住施策を進める上で、まず真っ先に大事にしたことがあったという。
「移住定住施策を進めていく上で、まずはその前段階として、すでに地域に暮らしている人たちが “自分たちはどんな地域にしたいのか?” を言語化して、ビジョンをつくらないと動けないと思いました。そもそも地域のビジョンがあって、そのビジョンに共感した人が移住者や関係人口になるというのが、自然な順序だと思うんです」(田中氏)
これまでのうるま市が育んできた生活や文化、習慣を大切にするプロモーションうるまでは、とにかく地域に人を呼び込むのではなく、まずは地域住民がうるま市のことを自分事として捉え、言語化することを重要視した。
「うるま市の島しょ地域と一言に言っても、実際には4つの島と1つの離島で成り立っています。だからこそ、それぞれの島ごとにビジョンを考える “しまみらい会議” というのを行わせてもらいました」(田中氏)
島ごとに少しずつ文化や価値観に違いがあるからこそ、あえて「島しょ地域」でまとめるのではなく、それぞれの地域のカラーを大切に、別々に開催をすることで、地域で大切にしたいことの解像度を上げていったという。
しかし、いきなり「ビジョンをつくろう!」と言われても、なかなかイメージが湧かず、思い浮かばない人がほとんどだろう。だからこそ田中氏は、1地域につき2回のワークショップと全体共有の場を開催し、地域住民が身近に考えやすいテーマを段階ごとに設けることで、地域住民が本当に大切にしたいことを見つけ出していった。
実施回数 | ワークショップの各テーマ |
第1回(島ごと) |
地域住民が思う地域に「残したいもの」「復活させたいもの」は? “残したいもの”が残り、“復活させたいもの”が復活したと仮定したとき、あなたが想像する3年後、5年後、10年後、、地域の未来の姿とは? |
第2回(島ごと) |
前回まとめた3年後、5年後、10年後の未来を想像した時、そのアイディアを実現するにはどのような役割分担ができるか?(行政、自治会、住民、支援団体、マスコミ等が担う 役割を明確にして地域づくりをイメージする)。 地域づくりのイメージをふくらませたうえで「どんな人が来てくれたらいいだろう?」という投げかけ、未来を実現するのに必要な人材像を具体化する。 |
第3回(全体共有) | これまでのワークショップで出た内容を振り返りながら、島ごとに10年後の島の未来を言葉、ストーリーに落とし込む。 |
地域住民が叫ぶ「やりたい」に対して、どうやって具現化させるのか(how to do)? ではなく、なぜそう思う(それをやりたい/大事にしたい)のか(why do you think so)? を深掘っていくことで、本当に地域住民が大事にしたいことを見つけ出していった田中氏。
「しまみらい会議では、島のおじいおばあが “あれやりたい” “これやりたい” と前のめりに話すんです。“お金はないし、人もいない、どうしたらいいのかもわからないけど、でもやりたい” そんな風に言われます」(田中氏)
全13回のしまみらい会議で、「世界中から人が集う島」「買い物難民がいない安心して暮らせる島」「価値観が近い人たちと出会える島」など、島ごとのビジョンをつくった。
とはいえ、地域には多種多様な価値観、役割、状況の人が存在するため、地域住民と民間企業が足並みを揃えるのは容易ではない。日々地域の人と関わる田中氏は、どんなことを大切にしているのだろうか。
「僕が普段お世話になっている方でいうと、行政や自治会長をはじめとして、地域を愛し、誇りをもってアツく活動する方が多いですが、もちろん地域には声を出すことに消極的な方もいらっしゃいます。でも地域は結局 “人の集合体” なので、地域は大きな組織みたいなものだと思うんです。地域という組織が “ティール組織*1 ” のようになったらおもしろいと考えています」(田中氏)
ティール組織には「とある共通事項」があると言われており、それが以下の3つ。
中でも、今回は「ホールネス」について詳しくお話を伺った。
「例え、地域活動に積極的ではない人がいたとしても、最初から “やりたくないんだ” と、勝手に判断することはしたくないですよね」(田中氏)
「“なぜ積極的ではないのか” “どこに原因があるのか” を、相手を尊重しながら考えることを大切にしているので、自分なりに考えて、“これかな” と思った原因にアプローチし、違えば再び考えるという、繰り返しを大切にしています。事業を実施したり、場を持ったりすること自体が重要なのではなくて、事業や場を通じて集まった人たちの関係性を、私たちがどう緩やかに深めていくのかが肝だと感じています」(田中氏)
原因は、自らが地域住民と直接話をしながら掴んでいく場合もあれば、より相手と信頼関係を築いている第三者に心の声を聞いてもらうことで、相手の理解を深めることもあるんだそう。そして常に、原因を見極める時は、プロモーションうるま自らが原因をつくっている可能性も持ち合わせるようにしていると教えてくれた。
「私たちは地域に根ざしていますし、“100年後のうるまをつくる” というビジョンは、言い合えれば、“私たちは絶対にうるまから離れません” という覚悟でもあるので、常に原因のベクトルを自分たちにも向けて、自分事化しながら地域と向き合うことを大切にしています」(田中氏)
自らも地域の一員であることを大事に、地域住民としっかりとした繋がりをつくり、対等な立場で対話を重ねていくことで、地域住民とプロモーションうるまはもちろん、住民同士にもありのままの姿をさらけ出せる、強い信頼関係が築かれるのだ。
冒頭からお伝えしているように、プロモーションうるまのビジョンは「100年後のうるまをつくる」。目の前の未来だけでなく、先の未来も思い描くことで、今自分たちが何をすべきかを明確にしている。
「100年後のうるまという基準があることによって、例えば私たちはいま、健康福祉センターの運営をしているのですが、それは100年後のうるまに “健康分野” が必要不可欠だと感じているから。他にも必要不可欠だと考える産業分野ではインキュベーションを行なっていますし、食分野では農産物直売所の指定管理を、コミュニティづくりという分野では移住定住施策を担わせていただいています」(田中氏)
目の前の地域や住民に向き合いながら、100年後でも通用するようなサービスを行なっているというプロモーションうるまですが「まだまだこれから」と田中氏はいう。さらに、田中氏は今後の目標も教えてくれた。
「私自身は100年後のうるまを考えた時に、絶対に必要だけどまだ全く手をつけられていないと思う分野が “教育”なんです。うるま市を学びの価値を高めていける場所にしたいと思っていて、うるま市における新しい教育、未来の教育のあり方をつくっていきたいと思っています」(田中氏)
そもそも、子どもキャンプやエコツアー、教育旅行プログラムや企業研修などを手がける「NPO法人ホールアース自然学校」や、グローバル教育を推進する「GiFT」のメンバーとして関わる田中氏にとって、教育分野は専門領域。
体験者にとってうるま市という場所が、ありきたりな「観光で訪れた所」「海が綺麗な所」ではなく、「自分にとって何かしらの大きな学びを与えるきっかけになった場所」になるような学びの場をつくりたいと楽しそうに話す。
「うるま市って本当に特殊な場所だと感じていて、観光地としてはほとんど知られていないんです。沖縄には、美ら海水族館や西海岸のホテルとか黄金の観光ルートがあって、うるま市はいわば取り残されている地域。でも、取り残されているがゆえに、これからの
未来を見据えた新しい取り組みがスタートしやすいとも思っているんです」(田中氏)
2012年度より観光客数を右肩上がりで伸ばしている沖縄県は、2015年に7,760,000人を記録。一方で、2013年度より右肩下がりのうるま市の観光客数は、2015年で1,740,000人。うるま市は、まだまだ住民が暮らす生活圏は、観光地化していない地域だからこそ、地域の文化や暮らしをしっかり守りながら生き続けてきた。ありきたりなものではない、この地域にしかない魅力が詰まった地域だと田中氏はいう。
「“周回遅れのトップランナー” という言葉がありますが、うるま市はまさにそうだと思っています。沖縄の観光という分野においても、地域づくりという文脈においても、周回遅れのトップランナーだからこそ、今の本流とは違う自分たちの軸を大事にしながら、うるま市らしさを地域の人たちとつくっていきたいし、今そこに関われていることが本当に幸せなんです」(田中氏)
100年後のうるまをつくるーー。
地域住民と共に、自らつくりたい地域を言語化し、100年後の地域の姿を思い浮かべながら事業を生み出している田中氏。取材中、どんな話の最後にも「僕が一番楽しんでいるかもしれない」「このプロジェクトでうるまのことがもっと好きになったんです」と、楽しそうにうるま市のことを自慢する田中氏の姿が印象的で忘れられない。
実は「社会人になるまで一度も沖縄には行ったことがなかった」「うるま市に移住したのは妻の出身地だったから」という田中氏が、今は誰よりもうるま市が大好きな地域プレイヤーとして、地域内外にうるま市の魅力を発信し続けている。
田中氏のように「ついつい自慢してしまう」ような地域好きが増えれば、必然的にその地域は100年後も200年後も活発に生き残る地域になるのかもしれない。
プロモーションうるまの活動は、自社メディア「うるまで暮らす」や「note」で随時配信中。さらに2020年3月からは、島しょ地域での「挑戦の物語」を集めた生き方の探究メディア「しまみらいBridge」をスタートさせました。2020年度からは、移住起業家支援「しまみらいベンチャースクール」も開講予定。うるまが気になった方はぜひ覗いてみてくださいね。
Editor's Note
取材中、以前LOCAL LETTERで取材をさせてもらった沖縄県名護市久志地域で「久志の民泊」を営む江利川夫婦と田中さんが旧友だということが判明。田中さんも江利川夫婦も別々のご縁から、沖縄で暮らしはじめ、地域の中で生きる中で、私も繋がりを持てたことに嬉しさが倍増する時間でした。
NANA TAKAYAMA
高山 奈々