創業秘話
2023年3月現在、約900ヶ所の事業者と3万人もの利用者が登録する “仕事マッチングサービス” を展開している株式会社おてつたび。「名も知れぬ地域に人が訪れる仕組みをつくりたい」という想いを携え、苦悩のすえに創業を果たした、代表の永岡里菜さんを取材しました。
夢を叶えるために歩み続けるパワフルな彼女のストーリーが、きっと迷えるアナタの背中を押してくれるはずです。
—『おてつたび』とは、どんなサービスですか?
永岡:『おてつたび』は、 “お手伝い” と “旅” をかけ合わせた造語です。収穫シーズンを迎える農家や繁忙期の宿泊施設などで “お手伝い” をすることで得られる報酬を、 “旅” のボトルネックになりがちな旅費交通費として補填できる仕組みを利用者に提供しています。
お手伝いを通じて、地域の人と利用者とのあいだに交流が生まれることによって、「名も知れぬ旅先」が「特別な地域」に変わる世界を目指しています。
—『おてつたび』のルーツを教えてください。
永岡:私の出身地である三重県尾鷲市は漁業と林業が盛んで、東京からだと車でも電車でも6時間ほどかかる地域です。景色がよくて、魚も美味しいし、暮らしている人たちも優しい。魅力あふれるまちですが、いわゆる名所と呼ばれるような観光スポットがないせいか、知名度はそれほど高くありません。
実際、私が大学進学で関東に引っ越した時も、尾鷲市を知っている方は周りにほとんどいませんでした。むしろ、多くの方が「どこそこ?」といった反応でしたね。
永岡:大学を卒業後、仕事で日本全国を飛び回るうちに、尾鷲市と同じように “知名度が低いながらも魅力にあふれた地域 ” がたくさんあることに気が付きました。けれど、そういった地域をインターネットで検索してみても、得られる情報はごくわずかだったんです。
「日本には、まだその魅力に気づいてもらえない地域がたくさんある。どうしたら知ってもらうことができるのか。どうにかして伝えたい」そう思ったのが『おてつたび』の原点です。
— 地元への愛から始まったのですね。そこからどう行動に移していったのでしょうか?
永岡:「名も知れぬ地域の魅力を多くの人に知ってもらいたい。それが叶う世界を実現させるために自分の人生を使いたい!」という気持ちが湧き上がる一方で、実現するためには一体何をするべきなのか、当時は答えを見つけられずにいました。
永岡:私は退路を絶って崖から飛び降りないと、行動に移せないタイプ。だから、思いきって勤めていた会社を辞めて、「どうやったら尾鷲のような地域にスポットライトが当たる未来を作れるのか」。考えていた事をいろんな方に壁打ちしてもらってビジョンを明確にしたり、どんな世界を作りたいのかを一緒に妄想してもらったり。やりたいことを言語化していきながら、同時にやるべきことも模索していきました。
模索するなかで、地域が抱える課題や海外の事例も調べたのですが、インターネットだけでは本質的なところがわからなくて。一次情報を取りにいくために、住んでいた賃貸を解約し、夜行バスに乗って地域の実態を直接確かめに行くことにしました。
— 仕事だけでなく住居まで!ものすごい行動力ですね。旅先ではどんな気づきがありましたか?
永岡:旅先では、知り合いを通じて、地域にいるプレイヤーの方とお話ししたり、農家さんのお手伝いをさせてもらったりしていました。
永岡:そのなかで気づいたことが大きく分けて3つあって。ひとつは、名も知れぬ地域であればあるほど、まずは来てもらうことが大事だということ。たとえば「尾鷲市の魚と他の地域の魚って、味にどんな違いがあるの?」と尋ねられても、おそらく言葉だけではうまく訴求しきれませんよね。
二つめは、「関わりたくても関わりづらい」という気持ちが、旅行者にも地域住民にもあるということ。一般的な旅行者が自ら地域住民に話しかけ、交流を深めるのは結構ハードルが高いことだと思います。それは地域住民側も同じで、たとえば人材を呼び込みたい農家さんが、通りがかりの旅行者に「収穫を手伝って」と頼むのは抵抗があるんです。
三つめは旅費の問題ですね。観光名所がない地域では価格競争が起きにくく、交通費が高騰しがちです。ただでさえ行く動機がない地域へ、高い交通費を払ってまで訪れようとは思いにくいのではと感じました。
— 旅先で得た気づきが『おてつたび』の仕組みをつくるヒントに繋がったのですね。お話をお聞きする限り、順調に起業準備が進んでいるように思えますが、実際はいかがでしたか?
永岡:今お話した3つの気づきを得るのに、脱サラしてから半年の時間がかかったのですが、『おてつたび』を創業するにあたっては、この期間が一番しんどかったですね。
貯金は減っていくし、ただ二酸化炭素を排出するだけで、誰の役にも立っていない感覚があって。友人たちが出世したり、ライフステージを変えていったりするのを横目に、毎日、自己嫌悪に陥っていました。
どうしたら自分が叶えたいビジョンを実現できるのか。ほんとうに実現可能なのか。ソリューションが見つからない焦りもあって、日に日に自信をなくし、「転職して地元に戻った方が良かったのかな」と弱気になることもありました。
永岡:仮説が立てばやるべきことが見えてくるし、ゴールも明確になります。壁が立ちはだかったとしても、「どうよじ登るか」を考えればいいだけ。でも、そもそも仮説が立っていないと、どちらに進めばいいのかすらもわからなくて。その手探り状態が一番苦しかったのを覚えています。
— 旅先で気づきを得たあと、すぐに起業に踏み切ったのでしょうか?
永岡:じつはもともと “起業すること” 自体にそこまで興味がなくて。「日本には名も知れぬ地域を知るための仕組みがない。そして知ってもらうためには、まず実際に訪れてもらうことが必要である」という仮説を立てましたが、もしこの仮説に対してすでにサービスを提供している会社が当時ほかにあったなら、私はそこに就職していたと思います。
でもそういったサービスは(私が調べた限り)存在しなかった。だから、まずは立てた仮説を自分で検証してみることにしました。法人登記は、検証がある程度形になったら考えようと。あくまで、自分が叶えたい世界を実現できるかどうかが焦点でしたね。
—『おてつたび』という仮説の検証を始めるにあたって、周囲の反応はどうでしたか?
『おてつたび』の発想が生まれた当初、7割くらいの方は「それって需要あるの?」「サービスとして成り立つの?」という反応でした。でも残りの3割の方には「めっちゃいいね!」と言っていただけて。「もしかしたら可能性があるのかも」と感じました。
— 仮説がサービスとして形になるまで、相当苦労されたのでは?
永岡:今になって振り返ってみると “苦労” だったかもしれません。なにしろネームバリューも実績もなく、資料と口頭だけで、自分の実現したい世界を伝えることしかできませんでしたから。でも当時はがむしゃらだったので、壁や障害があることも楽しんでいたように思います。
永岡:「おてつたび?何それ?」と言われるところからスタートして当時は100件に1件の事業者さんに「『おてつたび』のサービスに興味がある」と言っていただけたので、その縁を大切にしながら、泥臭く、一歩ずつ、信頼関係を築いていった結果、長野県の志賀高原ではじめてのトライアルが始まりました。
はじめのうちは「どこの誰ともわからない人が働きに来るのは怖い」と断られてばかりだったのが、トライアルを繰り返すうちに、「永岡さんからの紹介だったら受け入れてみようかな」と言ってもらえるまでになって。そうしてサービスが軌道にのったタイミングで、ようやく法人登記に踏み切ることにしました。
— 起業に至るまで、基本的にはお一人で活動されていたとのことですが、仲間が増えていったのはどのタイミングですか?
永岡:2018年7月に法人登記したあとも、しばらくは一人で活動していました。はじめて求人募集したのは2020年1月。そのときに2名入社して3名体制になりました。
そのうちの一人は、大阪で営業職をしていた方で、私のブログを読んで、鞄ひとつで東京へ出てきてくれました。もう一人は、大手EC会社でエンジニアをしておりプロボノで創業当初からサポートしてくれていた方なんですが、おてつたびにフルコミットするために転職してくれました。
永岡:現在、おてつたびの社員は10名で、インターンや業務委託を含めると20名弱にまで増えました。一人で運営していた期間が長かったので、同じ信念をもったメンバーが増えると、こんなにも可能性が広がるのか!と日々実感しています。
— すてきなエピソードですね。永岡さん自身も、『おてつたび』も、ご縁をとても大切にされている印象があります。
永岡:そうですね。ご縁というのは『おてつたび』のコンセプトでもあります。嬉しいことに、このご縁の輪は、利用者の方にも広がっているんです。
たとえば、おてつたび先の農作物を使ったケーキを自分の勤め先で商品化した方や、おてつたび先に移住を決めた方もいらっしゃいます。最近では、福島県大熊町へおてつたびをした学生さんが、町の魅力を発信するために「おおくまWalkers」というチームを立ち上げて活動を始めました。
永岡:「第二第三の故郷が増えて、地域に何度も通っています」という声をいただくことも多いですね。サービスのリピート率も増えていて、すでに22回『おてつたび』に参加してくださっている利用者さんもいらっしゃるんですよ。
— 創業から4年。事業フェーズや世間のトレンドが変化するなかで、提供するサービスにも変化はありましたか?
永岡:サービス自体にとくに変わりはなく、輪を拡げていったイメージです。ただ、コロナ禍によるトレンドの変化は強く感じていて。海外より国内を旅行する機会が増えていたり、人との物理的な繋がりを求める傾向が強くなったりしているので、それが『おてつたび』の追い風になった感覚はあります。
— 最後に、今後の展望について教えてください。
永岡:たとえば日々の暮らしのなかで、「今度の休みは旅行に行く?おてつたびに行く?」という会話が生まれるような。それくらい日常生活の一部となる仕組みとして『おてつたび』がある世界を、まずは創りきりたいですね。
そして、おてつたびが終わった後は地域のものを買い続けたり観光客として訪れたりしながら経済を回し、またある時はおてつたびを通じて労働力となり、一人が二役三役として立ちまわりながら、地域のファンとして繋がり続けることができるサービスを展開していけたらと思っています。日本の人口減少は避けられないからこそ、一人が何役にもなりながら地域が支えあっていく未来を作りたいです。
取材のなかで、「一歩踏み出したらいろんな人が手助けしてくれたので、あとは、自分が諦めさえしなければ夢は叶うと信じてここまで走ってきました」と語っていた永岡さん。先輩起業家に壁打ちしてもらって鍛えたビジョンが、今もなお『おてつたび』の礎になっているのを感じます。
迷えるアナタも、地域で活躍している起業家さんと繋がってみませんか?
Editor's Note
「住めば都」というけれど、生まれ育ったまちはまた格別です。わたしは長野県生まれなので、真冬の冷たい水でしめた蕎麦や、お花見をしながら眺める雪渓がお気に入り。そういう小さなしあわせは、これまで地元トークでしか共感してもらえなかったけれど、これからは地元以外の人とも当たり前にシェアできるようになるのかも。そう考えると、『おてつたび』が目指す新しい世界の実現が待ち遠しいです!
MAYA YODA
依田 真弥