OTSUKI, KOCHI
高知県大月町
突然ですが、アナタはなぜ今、その地域で暮らしているのでしょうか?
時代の変化とともに、個が尊重され、働き方も、暮らす場所も、自由に選び取れるようになってきた今日。そんな今だからこそ、約1,700もある地域の中で、「なぜ、その地域に暮らしているのか」不思議に思うことがあります。
特に、移住をしている人にはなおさら。数多くある地域の中で、あえてその地域を選んだ理由は何なのか。
そんな疑問を、高知県大月町に家族で移住を決めたおふたりの移住者にぶつけてみたら、予想以上に「本音」で、「大月町に訪れたくなる」答えが返ってきました。
― まずは、おふたりの移住のきっかけを教えてください。
のぶさん:20代の頃にオーストラリアで4年ほど暮らしていたことがあり「自然を身近に感じられる暮らし」が忘れられず、日本に帰国してからも同じような自然がある場所を探していたんです。大月町に出会ったのは、4年前に大月町の柏島近くにある集落「一切」に移住した友人に会いに行ったことがきっかけでした。
実は、大月町に訪れる前に静岡県浜松市にある山奥が移住の候補地にあがっていて、既に住む場所や仕事も、僕の返事待ちという状態だったんです。でも、大月町に訪れて、その開放感に驚きました。まち中も、海も、大きくひらけていて、あんなに空を大きく感じたのは久しぶり。
のぶさん:高知県は全国的に見ても食べ物が美味しいとされているんですが、大月町はその中でも地元の人が特に「美味しい」というほど、食材の宝庫。魚はもちろん、野菜も、果物も、豚肉も、鶏肉も、お米も、全部、大月町産。新鮮さと価格の安さには今でも驚きます。
田中さん:ほとんど全ての食材が大月町の道の駅で揃いますもんね。
のぶさん:そうそう。あとは、大月町の海には、熱帯魚が泳いでいて、港から海を泳ぐイカすらも見える。夜には星が綺麗で、九州に沈む夕日はもちろん、月も沈むのが見える。確かに、自然が豊かな地域はたくさんあるけど、僕にとって大月町以上に最高な場所はなかったんだよ。
田中さん:僕は、娘の子育て環境を考え、自然の多い場所に移住することだけを先に決めて、移住先を探していました。移住する時に一番不安だったのは「収入面」だったので、自分が今までやってきたことを活かせる仕事を探していた時に偶然、移住サイト「JOIN」で大月町の「地域おこし協力隊募集」の求人を見つけたんです。
正直、高知県は一度も訪れたことがなく、知り合いも全くいない場所だったので、とにかく地域の人に会おうと思って、東京で行われた移住イベントに参加して、大月町の担当者に会いに行きました。イベントには他の地域の担当者の方もいましたが、話を聞けば聞くほど迷うと思い、大月町の話しか聞かずに、移住を決めたんです。(笑)
食材の質の高さや、学校給食に地元の食材を使っていること、保育園にもすぐ入れることが大月町に魅力を感じた大きなポイントでした。
収入面だけを考えたら、交通の便がよくて、スタートアップ企業も多い、福岡県で暮らすことも考えましたが、夫婦で話して、食材が豊富で自然がより豊かな大月町に満場一致で移住を決めたんです。
― 「お仕事」についての話がありましたが、実際に移住をしてみて、生計は成り立っているのでしょうか?
のぶさん:正直、成り立っているのかと聞かれると、そこまで成り立ってはいないよね。(笑)2019年に大月町でカフェ「ロノジ」をオープンしたけど、今はまだそれだけでは食べていけないから、僕は移住相談員としても働いているし、奥さんも公民館でパートしてる。今後は、ゲストハウスもやろうと計画中で、まだまだこれからですね。
ただ、生活水準の問題かなと思っていて、田中くんと僕は全然違うと思うんだけど、僕の家は、薪風呂・薪ストーブ・ガスコンロだから、月にガス代は1,200円。うちは相当安いよ。(笑)
のぶさん:移住する時も仕事については全く決めずにいて、奥さんは大変だったと思うけど、僕自身は不安はなかった。これまでもいろんな仕事をやってきていたから、なんとかなるだろうという気持ちはあったかな。自分たちの暮らしたい場所に、まずは行って、最初は失業保険で暮らして、それでも仕事が決まらない時は、1ヶ月くらい東京に出稼ぎに出たりもしてましたね。
田中さん:僕の場合は、移住する前と後で、収支があまり変わってないんです。支出だけでいうと、例えば、大月町に来てからバスやカーシェアを使わず、食費も安くなっているので、減った部分もあるんですが、その分、自家用車を使うようになたのでガソリン代や維持費がかかったり、娘が保育園に入ったので、保育料(2019年10月より無償化)がプラスになって増えた部分もあるんです。
地域おこし協力隊の収入だけでは、暮らせないことはわかっている上で引っ越してきたので、僕は最初から副業もしています。有難いことに、大月町にきてからできた繋がりでお仕事をいただいていることがほとんどで、移住して2年が経ちますが、仕事が途切れたことはありません。
移住してきてからも、本業で働いているか、副業で働いているかなので、趣味で釣りを始めたとか全くなくて、仕事ばっかりしています。(笑)
田中さん:移住する前は、埼玉県から東京まで往復4時間を電車で毎日通っていたので、移動時間のロスが多くて、電車の中で毎日動画配信サービスや読書をして時間を潰していました。当時1歳だった娘や奥さんとコミュニケーションをとる時間は全くなく、親元から離れていたこともあり、娘に何かあった時に頼れる人がいなかったのはしんどかったですね。急遽仕事を休まなくてはならない時もありましたし、それで転職を余儀なくされたこともありました。
当時はすごく生活のしづらさを感じていましたね。往復4時間の時間を使えば、自分の仕事もなんとかできるだろうと、不安もありましたが、今は娘と一緒に登園してから出勤ができる徒歩5分圏内の生活を送れています。
― 全く知り合いもいない土地で、暮らすことに心配はなかったのでしょうか?
田中さん:僕も妻も田舎の育ちだったので、お隣さん同士のお裾分け文化とかにも慣れていましたし、埼玉県で暮らしていた時は、あまりご近所さんとコミュニケーションをとっていなかったので、関東の中で引越しをするのとあまり大差がない感覚でした。友達と離れるのは少し寂しかったですが、物理的な距離ができたところで、本当に親しい人とは連絡をとったり、向こうが遊びに来てくれたりしました。
自分の暮らしている地域に全く知らない人がやって来たら、気になるのは当たり前だとも思うので、地域の方とうまくできるかどうかは自分たち次第だとも思っています。こっちが閉鎖的であれば、向こうも閉鎖的になりますからね。最低限挨拶をするとか、何かをもらったら、何かで返すとか、僕は仕事ばかりですが、ご近所さんには仲良くしてもらっています。
のぶさん:偉いね。僕、全然お返ししてないよ。(笑)
田中さん:のぶさんはそれで、まかりとおっているんですよ。(笑)僕は性格的にもらってばかりだと申し訳ないため、僕が出張に行った時にお土産を買うようにしています。
のぶさん:うちもたまに、カフェで作っているお菓子を近隣の人にあげたりはするけど、みんな庭先に置いていくから、誰が置いていったかわかんないんだよね。(笑)こないだもスイカが置いてあって、何日か後に「食べた?」って連絡がかかってきてさ、スイカはみんな作ってるから、早く言ってよ〜〜って話してたところだった。(笑)
田中さん:のぶさんの地区と僕の地区は、コミュニケーションの仕方が全然違いますね。(笑)
のぶさん:そうだね。僕の場合は、大月町の中でも限界集落である「龍ケ迫地区」に移住をしたんだけど、移住してきた直後はかなり警戒されていた。「どうせすぐにいなくなってしまうんだろ」みたいな感じで思われていたから、徐々に信頼関係を積み重ねていった感じかな。年に一回ある浜清掃やお祭りには積極的に参加したり、消防団に入ったりしてね。
田中さん:それでいうと、僕の住んでいる地区は、積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれる人に恵まれていましたね。僕が暮らしている「弘見地区」は、大月町の中心街で、34地区の中でもダントツに人口が多い地区で、まちのイベント事にはあまり参加できていないですが、仲良くしてもらっています。
のぶさん:移住者同士のコミュニティがあるわけではないから、都度、地域の人とコミュニケーションを取りながら、地域外でやっている自分の興味あるイベントに出向いて、仲間をつくったりもしてるかな。
― 地域外のイベントにも多く参加される中で、大月町を離れたいと思ったり、他の地域も魅力的だなと思うことはないのでしょうか?
のぶさん:それは全くないね。海の近くで、毎日夕日を眺める生活が本当に最高なんです。もともと大月町の中でも、僕の暮らしている龍ケ迫地区は、愛媛県からきた開拓者がつくっているまちということもあり、住んでいる人も柔らかい。大月町全体も、地域が大きすぎず小さすぎない程よい大きさで、ほとんどの人が同じ姓だから、みんなお互いのことを下の名前で呼ぶの。距離感がすごく近くて、海外みたいでさ、車で走ってるとみんな知り合いだから「よお」って手で合図するんだけど、みんな同じ軽トラだから、ナンバーで見分けるんだよね。(笑)
もっと市内に近い場所の方が便利は便利かもしれないけど、便利なだけで、それ以上に何かがあるわけじゃないんだよね。大月町に移住してもう4年が経つけど、大月町は今でも自然を贅沢に感じられる場所。
田中さん:僕は、子どもがいることもあって、大月町では買えないものもあるので、市内まで行くことも多くて、向こうの生活もいいなと思いますが、でもやっぱりこれからも住むなら大月町だなと思いますね。
のぶさんも言ってましたが、大月町は本当に空が広くて、景色をより感じられるんです。食材の豊富さもピカイチで、その分僕は太りましたが(笑)、食べ物が美味しくて太ったことに悩むって、豊かな悩みだなと思うんです。移住してくる前の悩みはもっと深刻でしたから。
田中さんとのぶさんの話を聞きながら、元マッキンゼー日本支社・社長の大前研一さんの「人間が変わる方法」を思い出した。
人間が変わる方法は3つしかない。
この要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、「決意を新たにする」こと。
住む場所を変えたことで、必然的に時間配分や付き合う人が変わり、新たな人生を歩いているおふたり。彼らを虜にした大月町に足を運びたくなったのは、私だけだろうか?
Editor's Note
取材中、全く迷いのないおふたりの「大月町愛」に驚き、実は取材の1週間後、お休みをつかって、再度大月町に訪れ、大月町の海辺でこの記事を完成させました。
記事だけではお伝えしきれなかった大月町の魅力を、今度はオフラインイベントで、直接おふたりに語っていただきます。
この機会にぜひ会場へお越しください!!
NANA TAKAYAMA
高山 奈々