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ゴキゲンな大人を増やし、優しい社会を。株式会社大人・五十嵐慎一郎の創業秘話

APR. 28

拝啓、新しい挑戦を検討しながらも、一歩を踏み出せずにいるアナタへ

近年、自分のキャリアや生き方に変化を求める方が増えてきています。しかし、その一方で、「自分に何ができるのかわからない」「地域で暮らしたいけれど仕事があるか不安」などの理由から、変化に恐れを感じることもあるはず。

そんな読者の皆さまにとって、起業家や実践者の話は、興味深いものではないでしょうか。先駆者の多様な生き方・考え方に触れることで、自分の人生を自分で選択したい人たちのLIFE SHIFTを起こすきっかけにしていただけたら。そんな想いで綴る本企画は『創業秘話』をテーマとして、株式会社大人の代表取締役社長である五十嵐慎一郎さんにお話を伺いました。

五十嵐 慎一郎(Shinichiro Igarashi)氏 株式会社大人 代表取締役社長 / 1983年北海道小樽市生まれ。東京大学建築学科卒。不動産ベンチャーに入社し、不動産開発や店舗開発に携わる。銀座のコワーキングスペースtheSNACKのプロデュース兼運営を機に、2016年、株式会社大人を設立。不動産・建築やイベント・新規事業の企画やプロデュース・デザインを行う。2017年、北海道の自然をクリエイティブに楽しむブランドLANDRESSをスタートさせ、北海道に特化したアウトドアウェディングの事業をローンチする。「札幌移住計画」、「北海道移住ドラフト会議」主催。2021年北海道積丹町のまちづくり会社「㈱SHAKOTAN GO」を立ち上げ、温泉の再生に取り組む。2022年「㈱COMMONS FUN」に社外取締役としてジョイン。また、かねてより関わる都市型スタートアップフェス「NoMaps」の総合プロデューサーに就任。
五十嵐 慎一郎(Shinichiro Igarashi)氏 株式会社大人 代表取締役社長 / 1983年北海道小樽市生まれ。東京大学建築学科卒。不動産ベンチャーに入社し、不動産開発や店舗開発に携わる。銀座のコワーキングスペースtheSNACKのプロデュース兼運営を機に、2016年、株式会社大人を設立。不動産・建築やイベント・新規事業の企画やプロデュース・デザインを行う。2017年、北海道の自然をクリエイティブに楽しむブランドLANDRESSをスタートさせ、北海道に特化したアウトドアウェディングの事業をローンチする。「札幌移住計画」、「北海道移住ドラフト会議」主催。2021年北海道積丹町のまちづくり会社「㈱SHAKOTAN GO」を立ち上げ、温泉の再生に取り組む。2022年「㈱COMMONS FUN」に社外取締役としてジョイン。また、かねてより関わる都市型スタートアップフェス「NoMaps」の総合プロデューサーに就任。

起業願望ゼロから、株式会社設立へ。創業に至ったきっかけは多様な人たちとの出会い

五十嵐さんが「北海道から、世界をちょっぴり面白く、クリエイティブに」を理念に掲げ、株式会社大人を設立したのは2016年。当時32歳の頃でした。

5年で15%残るかどうかといわれるベンチャー企業の世界で、創業から7年目を迎える株式会社大人は、日々さまざまなプロジェクトを走らせています。

特に話題を呼んでいるのは、2018年にスタートした「北海道移住ドラフト会議」。北海道に関心を持つ人と北海道の自治体・企業のマッチングを叶えるユニークなプロジェクトは、2023年3月にも開催され、大盛況のなか閉幕しました。

そのほかにも、コワーキングカフェ&バーの「大人座」や “はたらく” をDRIVE(加速する)ためのコワーキングスペース「SAPPORO Incubation Hub DRIVE」など、人々の出会いやつながりを生み出す場づくりにも力を入れています

五十嵐さんが創業したきっかけは、前職の不動産ベンチャーで立ち上げたコワーキングスペース「the SNACK」のプロデュースと運営に携わったことでした。

「銀座で『the SNACK』を立ち上げたのは、日本のコワーキングの黎明期でした。起業した人、クリエイター、もはや何をしているのかわからない人も含めて、同世代の若者たちと日々お酒を飲みながらいろんな話をしました。その中で、『一緒にこんなことやろうよ』『だったらこの人紹介するよ』みたいなやり取りが自然と生まれて。それを実行に移しているうちに、社外活動がどんどん増えていったんです

その社外活動のひとつが、『札幌移住計画』というプロジェクトでした。当時はまだ東京に住んでいたのですが、会社に謎の言い訳をしては北海道に出張する機会も増えてきて、社外活動と社内の仕事を両立するのが難しくなってきて。その頃から、会社員という立場が窮屈に感じるようになり、独立を決めました」(五十嵐さん)

独立を決意してからの行動は早かった五十嵐さんですが、それまでの人生において、「起業願望は1ミリもなかった」と話します。

「『the SNACK』で出会ったメンバーはみんな、自分のやりたいことをリスクを背負ってやっていて、それが一緒に過ごしていて気持ちよかったんですよね。でも、彼らに会うまでは、自分が社長になるなんて考えたこともなかったです」(五十嵐さん)

やりたいことを自由にやってみたい。周りの大人たちを見ているうちに湧き上がってきた想いが五十嵐さんを動かし、株式会社大人を創業するに至ります。

模索を続け、場づくりの実績を重ねるうちに辿り着いた面白いプロジェクト

会社を設立する際、多くの人は自分の中に明確なビジョンを掲げます。ビジョンは会社運営において道標になりますが、思い通りに進まない事態に直面すると、理想と現実のギャップに打ちのめされてしまう人もいるでしょう。

創業当時、五十嵐さんはこのようなギャップを一切感じることがなかったと言います。それは、そもそも「明確なビジョンがなかった」からにほかなりません。「死にはしないだろう」と思って勤めていた会社を辞めたと語る五十嵐さんは、明るい口調で当時を振り返ります。

「とりあえず当時住んでいた家を解約して、友達や妹の家に荷物を分散させて、人の家に居候する形で独立をスタートしました。なので、具体的なビジョンがあったわけじゃなくて、行き当たりばったりで動きながら模索していった感じです」(五十嵐さん)

この先、自分はやっていけるのか。そんな不安を感じるであろう局面においても、五十嵐さんは慌てず、どこまでも自由にフラットに行動を続けました。

「創業当初は、東京時代のご縁でつながった人たちや企業の手伝いからはじめました。『the SNACK』での経験を活かし、場づくり系のプロデュースをすることが多かったですね。その後、岐阜で食のラボを開催したり、栃木で森のアスレチックを作ったりするうちに、場づくりの実績が積み重なり、面白いプロジェクトが生まれていったんです」(五十嵐さん)

入念な下準備があったわけではなく、勢いで起業したのち、日々の活動の中でPDCAを回し続けた五十嵐さん。その行動力と決断力、ある種の楽観性には、誰しも舌を巻きます。

しかし当然ながら壁は日々感じるもので、「代表取締役社長」という立場と「自由に好きなことをしたい」自身との間で、拮抗する瞬間も増えてきています。

いろんな人と出会って、お酒を飲んで話し込んで、その勢いで『これやりたいね』を形にしたり、できなかったり。それがずっと続いてここまできたんですけど、創業して7年経って、チームが大きくなるにつれて組織化されたり、経営側として関わる企業も増えたりして、プロジェクトの数も増えていくうちに、自分でやりたいことを手掛ける時間がどうしても減ってきてしまって。

このままじゃ良くないなぁと感じたので、今は任せられるメンバーに託してプロジェクトを “手放す” ことも大事なフェーズに入ってきています」(五十嵐さん)

人とのつながりから生まれた「やりたい」を形にして、次の世代へとつなげる。その好事例となったのが、北海道移住ドラフト会議でした。

スタッフや事業は子どもみたいなもの。プロジェクトを自分の手から離し、巣立ちを見守る日々

「北海道移住ドラフト会議」は、北海道に強い関心を持ち関わりを希望する人を「選手」、北海道の活力旺盛な自治体や起業を「球団」に見立てて、交渉権を獲得することを目的としたマッチングイベントです。

「人が、北海道を動かす」をテーマに交流し、新たな出会いを創造する本プロジェクトは、今現在、発起人である五十嵐さんの手から離れてさらに成長しています

「北海道移住ドラフト会議の初回は、スポンサー営業、映像制作、朝の挨拶やラジオ体操に至るまで、片っ端から自分でやっていました。でも、今は実行委員長の柴田が中心となってメンバーが熱量高くプロジェクトを進めているので、自分の役割はほとんどない状態ですね。これは本当に素晴らしいことだと思っています」(五十嵐さん)

プロジェクトを他者に任せた後も、発起人の熱量を損なわずにプロジェクトを進めるのは容易なことではありません。それだけに、「北海道移住ドラフト会議」の事例は、稀有なものといえます。

「うちの会社は、プロジェクトベースで動いているものが多いので、社内外の境界線がちょっと不明瞭なんです。だから余計に、任せるものは任せないとプロジェクトが中途半端にしか動けなくなってしまう。自分が動いた方がプラスになる部分は手伝うけど、それ以外は自由にやってもらった方がお互いやりやすいので。

『北海道移住ドラフト会議』は、現実行委員長の柴田が立ち上げから一緒に動いていたので、当初の熱量を維持できている部分が大きいかもしれません。プロジェクトを動かす基準は、自分が『やりたい』と思えるかどうかが一つ。あとは、『一緒にやりたい』と思えるメンバーがいるかどうかなので、その点においてもこのプロジェクトは好事例といえるかもしれません」(五十嵐さん)

スタッフや事業は「家族や子どもみたいなもの。僕、面倒見はわるいんですけどね」と話す五十嵐さんは、プロジェクトの成長を見守り、信頼と愛情を持って手を放そうとしています。結果、空いた手のひらに次なる「やりたい」が飛び込んできて、新たなプロジェクトが走りはじめるのです。創業当初から一貫して変わらない五十嵐さんの軸は、「自分が楽しむ」気持ちを疎かにしない姿勢にありました。

豊かに暮らすために、豊かに遊ぶ。子どもや若者たちに、楽しそうな大人の姿を見せたい。

創業当初、明確なビジョンがないまま起業をした五十嵐さんは、現在もそのスタイルを貫いて日々活動を続けています。

「事業ごと、プロジェクトごとのビジョンはもちろんあるけど、会社としてのビジョンはないんです。強いて言うなら、『かっこいい大人になりたい』、『ゴキゲンな大人になりたい』って感じかな。

前職で立ち上げたコワーキングスペースで出会った人たちが、みんなかっこよくてゴキゲンでオカシナな人たちだったんですよね。そういう人たちと出会えたから、今こうやって僕は起業しているわけで。親や先生に限らず、周りにいる大人たちが楽しそうだったら、子どもたちも『働くことが楽しそう』と思える気がするんです」(五十嵐さん)

株式会社大人が手掛けるプロジェクトは、働くことだけに終始しないのも大きな特徴の一つです。「豊かに暮らすためには、豊かに遊ぶことが大事」と考える五十嵐さんは、多忙な日々の最中でも遊び心を忘れません。

2018年、鎌倉から滋賀まで20日間かけて一本歯下駄にて踏破し、到着地の野々宮神社で奉納舞を行った「歩んで舞る」は、その最たるものと言えるでしょう。同プロジェクトは現在、5年の時を経てリターンズとして復活し、多くの人を賑わせています。

2018年の奉納舞の後、新幹線で帰宅したことに心残りを感じていたという「歩んで舞る」の主要人物であるダンサーOBA氏。5年の時を経て再び、滋賀の野々宮神社で奉納演舞を開催後、帰路として、横須賀を目指して歩くというのが、2023年版「歩んで舞る」開催の趣旨です。

「要するに、『5年前のプロジェクトの帰り道のぶんを歩きたい』という、ただそれだけのために行う完全なる僕らの願望とも言えるプロジェクトなんです。本当に意味不明なんですけど、十代の若者はじめ、色んな人が合流し、ひたすら歩く。5年前みたいに全行程はいれないけど、僕もできるだけ道中合流して一緒に歩きます」(五十嵐さん)

そう言って笑う五十嵐さんは、楽しそうに言葉を続けます。

毎日意味のあることに追われていると、意味のないことをやる時間ってすごくいいなと感じるんです。ChatGPTやAIが何でもやってくれるようになった時、残っていくのは意味のないことを楽しむ余白だったりするんじゃないかな。若い世代に大人が豊かに遊ぶ姿を見せるのも大事かな、と」(五十嵐さん)

「自分が楽しくて熱量を持ってやれることじゃないとよい仕事にならない」と話す五十嵐さんは、仕事も遊びもフットワーク軽く、どこまでも自然体です。そんな五十嵐さんですが、根底には社会に対する深い想いがありました。

『大人』を社名にしている以上、次の世代に対しての視点をちゃんと持っていることは大事だなと思っていて。いい社会、優しい社会になったらいいなぁという想いがあるので、そのためにはゴキゲンな大人が増えたらいいなと感じています。
五十嵐 慎一郎 株式会社大人

ビジョンをあえて言語化せず、自らの「やりたい」に自由に突き進む五十嵐さんは、さまざまな人との出会いや笑顔を生み出す場づくりに邁進します。そこで出会った人たちが新たな「やりたい」を叶え、その連鎖の先に「ゴキゲンな大人」と「安心できる子どもたち」の姿があったなら、優しい社会への大きな一歩となるに違いありません。

Editor's Note

編集後記

株式会社大人の創業秘話や、ユニークなプロジェクト内容を楽しそうに話す五十嵐さんの笑顔が印象的でした。どこまでもフラットで自然体の五十嵐さんの言葉を聞いているうちに、いい意味で肩の力が抜けました。
いつも「やらねば」に追われ、不安に駆られがちな私ですが、これからはもっと余白を楽しみ、ゴキゲンな時間を増やしていきたいです。

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