NAGANO
長野
地域の人に寄り添い、一人ひとりの暮らしや気持ちに耳を傾け、ともに考える。
長野県の塩尻市役所で働く田口真生さんは、そんな姿勢を大切にする保健師です。
住民との日常的なやりとりのなかで信頼関係を築きながら、地域に入り込み、活動の輪を広げていく。その姿からは、公務員の枠を超え、地域に根ざす実践者としての存在感がにじみ出ています。
そんな田口さんの原点は、信州大学が学部の垣根を越えて展開する「信州大学ローカル・イノベーター養成コース(以下、「ローカル・イノベーター養成コース」)」。
このコースの目的は、意欲ある学生を対象に、地域課題に対して革新的な解決策を考え、実践する人材を育てることです。(詳細はこちら)
「どうすれば、地域づくりの担い手を育てられるのか?」
田口さんの歩みを通して、ローカル・イノベーター養成コースに秘められた「学び設計」に迫ります。
田口さんが初めてローカル・イノベーター養成コースに触れたのは、大学1年生の後期。このコースでは、地域課題に対する改善案が求められました。
「大学1年生のまだぺーぺーが地域に入って、地域課題の背景を掘って、提案を考えるって。『なんて無理がある講座を私は受けたんだろう!?』って思ったんですけど…」(田口さん)
当時はまさに「無茶ぶり」に感じたという田口さん。しかし今では、その設計に大きな意味があったのではないかと語ります。
「右も左もわからない中、やってみるところがすごく大事だったなって。柔らかく、フレッシュな頭のうちに、地域に出る経験を積む。
ただ目の前のことをこなすのではなく、地域のプロジェクトに携わる当事者の一人として、自分で考えて主体的に動いてみる。今、振り返るとこうした意図が、先生達にはあったんじゃないかなって私は思ってて」(田口さん)
例えば、当時関わったのが、長野県内外の地域企業を集めた就活のプレイベント企画。このときも、「なんで就活やったことない人が、就活のイベントを!?」という戸惑いがありました。
けれど今振り返ると、就活をはじめる前の世代だからこそ「当事者」として考えられた、そんな実感があるのだとか。
運営する側でありながら、参加者でもある。
その揺れ動く立場の中で、田口さんには「自分ごと」としての感覚が、芽生えていったのです。
一見、「無茶ぶり」にも思えるローカル・イノベーター養成コース。けれど、その裏には、綿密なフォロー体制が設計されていました。
田口さんと共にコースに参加したのは、様々な学部から集まった学生たち。
「私は医学部からコースに入っていましたが、同期には経法学部(※)や農学部など、専門分野が違うメンバーがたくさんいました。今でも仲良くしている子と数ヶ月に1回、オンラインで近況報告したり相談したりしています。コースでの繋がりは、今にもかなり活きていると感じています」(田口さん)
(※)応用経済学科と総合法律学科の2学科からなる、2016年誕生の信州大学独自の学部。
近しい志を持ちながらも、学部やサークルの枠組みとも少し異なる「横のつながり」が、新たな可能性を生み出します。
さらには、世代を超えた上級生や先生による「縦のつながり」が加わることで、手探りの学びを支えるフォロー体制が組まれています。
今では、後輩からプロジェクトの相談を受けることもあるという田口さん。かつて、自分が支えてもらったように、今度は後輩の悩みに耳を傾ける側になっています。
地域に飛び込み、縦と横のつながりに支えられながら学ぶ。
「無茶ぶり」に見えた地域実践のフィールドは、綿密なフォロー体制の中、「当事者として考え、動く力」を育むための、学びの場だったのです。
現在、塩尻市役所の保健師として働く田口さんが向き合うのは、多様な暮らしや想いを持つ一人ひとり。
そこで大切にしているのが、「相手を知ろうとする姿勢」です。
「行政は、立場的に上から物事を言う印象がすごく強いなと感じます。伝えたいことも一方通行になっては意味がありません。だから、まずはその人がどんなことを大事にしてるんだろう、何がその人にとっての幸せなんだろうと、少しでも理解しようとする気持ちを大事にしてます」(田口さん)
保健師になってからの日々を振り返り、「一緒に考えていくことを、すごく大事にしながら、地域の方と関わっていた2年間」と話す田口さん。
その姿勢は、日々の保健師業務である健康指導の場面でもはっきりと現れています。
例えば、ある方はアイスが好きで、コンビニで売られている大きなサイズのアイスをよく購入していました。
健康指導としては「控えましょう」と伝えるべき場面かもしれません。
しかし田口さんは、相手の楽しみを頭ごなしに否定するのではなく、「どの味が好きなんですか?」と問いかけ、会話を弾ませました。
「こちらから『こうすることがあなたの理想ですよ』って言っちゃうと、『それって誰の理想?』ってなっちゃいますよね。だから、相手にとってはどこが大事で、どこが変えてもいいのかを、お話を聞きながら一緒に考えていく感じです」(田口さん)
最終的には「大きいサイズより、箱入りの小さめサイズにしてみるのはどうですか?」と提案したそうです。
一見すると何気ない雑談のようですが、こうした対話の積み重ねが、信頼関係を生み、やがて行動変容へとつながっていきます。
「あなたのおかげで頑張ろうって思って、色々取り組んでみたのよ」
健康指導をした方から、そう言われたことがあると、笑みをこぼしながら話してくれた田口さん。言葉を探しながら、こう続けました。
「でもそれって、直接的には「健康になろう」としてるわけじゃないんですよ、多分。「この人に褒められたいから頑張ろう」って思ってくれたみたいで。でも、それでもいいなって、私は思ってるんです」(田口さん)
「健康」に対する向き合い方は、人それぞれ。押しつけるのではなく、「その人らしさ」を尊重しながら、健康のあり方を一緒に模索する。それが、学生時代から地域実践を繰り返してきた田口さんが大切にしている、地域の人との関わり方です。
ローカル・イノベーター養成コースでは、イベントの企画や運営など、自分の考えを言葉にして伝える機会が豊富にありました。
「私がすごく実感しているのは、このコースを通して“人への伝え方”を学べたことです。アウトプットの機会がすごく多くて、考えたことを形にして伝える訓練になりました。
仕事になってからも、この経験が活きていると感じていて、『保健師らしくない強みだね』って言われたこともあります(笑)。伝える力を褒めてもらえるのは、このコースで鍛えられたおかげだなって思います」(田口さん)
たとえば、田口さんは健康づくりの啓発にも携わっています。
「健康でいることは、とても大事ですが、普段の生活の中では優先順位が低くなりがちです。実際、健康のありがたさって、コロナのような突発的な出来事が起きて初めて、『あの時は良かったな』と気づくことが多いですよね。日常的に健康を意識して生活している人は、まだ少ないと感じています」(田口さん)
どう伝えれば関心を持ってもらえるか。田口さんは、その視点を大切にしながら工夫を重ねてきました。作成に関わった健康作りの啓発動画では、YouTubeの再生回数が前年より大きく伸びたといいます。
「今年すごく頑張って作成した動画は、昨年よりも多くの方に見てもらえました。動画を見た方の行動が変わったかまではわかりませんが、触れてくれる人が増えたという点では、健康への興味や関心につながったのかなと思っています」(田口さん)
インタビューを通して印象的だったのは、田口さんの言葉が一つひとつ整理されていて、非常に伝わりやすいことです。
「単なる前例踏襲や、思いついたことをやるのではなく、『何のためにやるのか』『最終的な目的は何か』を一度立ち止まって確認します。目的からもう一度筋道を引き直して、どう進めるかを考えて実行することを意識しています。」(田口さん)
自分が携わる事柄に対して、目的とアプローチを整理する思考が養われている。だからこそ、話の順序や論点に無理がなくなり、聞き手も理解しやすいのだと感じました。
ローカル・イノベーター養成コースの実践の日々が、今の仕事にも活きています。
最後にご紹介するのは、その実践が地域を巻き込みながら広がっていく様子です。
田口さんが目的を確認しながら取り組む姿勢は、市役所における定例業務においても変わりません。
そうした姿勢の延長線上で、自らが担当する地域においても、前例にとらわれず、自分の手の届く範囲でできることを、一つひとつ実践してきました。
1年目は手探り状態。とにかく現場に出て経験を積み、地域のキーパーソンと関係性を築くことに注力しました。
そして2年目は、前年の経験を踏まえて、担当地区の特徴を活かした取り組みを考えたそうです。担当地区が、高齢化の進んだ地域だったことから、まずは住民の方々に外に出てきてもらえるような場づくりを目指すことにしました。
市全体の状況が重なったことも後押しとなり、地域講座をシリーズ化や、他の地区との合同開催など、課内のメンバー同士が互いに巻き込み合いながら、つながりの場を少しずつ形にしていきました。
「そこは予算がなくても、自分の業務の範疇でできることかなと思って」(田口さん)
そうした講座の企画では、地域のサークル活動の担い手の方に依頼し、主催者になってもらう工夫も。地域の方が主催者になることで、サークルのPRにも繋がります。また、他の地区と合同で講座を開催することで、地域の間に新たなつながりが生まれていきました。
このような「巻き込みのデザイン」は、大学時代の実践を通して身につけた考え方でした。
他学部の仲間とプロジェクトを進めた経験が、「人と一緒に考えて動く」ことを自然なものにしていたのです。
加えて、地域の方との信頼関係も、田口さんの取り組みを支える大切な土台です。
たとえば、地域講座の講師をお願いする場面。
前年に協力してくれた方に「今年度もいいですか?ぜひそこは!」と声をかけると、快く引き受けてくれたと話します。
この時のやり取りを「すごく可愛がってもらってて」と、身振り手振りを交えながら笑顔で語る田口さん。その姿からは、地域の方々と築いてきたあたたかい関係性が、にじみ出ていました。
田口さんの歩みが教えてくれるのは、考える姿勢の大切さです。
自分ごととして動きながら「考え」、相手と向き合い一緒に「考え」、どうすれば相手に伝わるか「考える」。
相手を想い続けて考え抜くからこそ、その姿勢はまわりの共感を呼び、巻き込む力へとつながっていきます。ローカル・イノベーター養成コースには、そんな力を育む「実践の場」が設計されていました。
あのときの「無茶ぶり」が、いま、地域で人々を巻き込みながらつなぐ、仕事の根っこになっているのです。
その事実は、これからの教育や人材育成に、大きな気づきを与えてくれます。
「地域づくりの担い手となる学生を育てたい」
そう願う大人たちに必要なのは、育てることだけでなく、「考える姿勢を学び、まわりを巻き込める場」を設計する視点なのかもしれません。
アナタの地域にはどんな課題がありますか?
その問いに向き合うプロセスそのものが、すでに学びの場であり、動き出すきっかけかもしれません。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
インタビュー前、養成コースが掲げる「革新的な提案」はとても高いハードルだと感じました。しかし田口さんのような方が、まわりを巻き込んでいくことで、革新的な何かが生まれる可能性を感じました。
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